僕らは正しい答えを見逃したようです。第一巻

10
「野球は……お好きですか?」
 少女がそう尋ねた。

「大好きです!スポーツマンですから!」
 少年は自信満々に答えた。

 少女に導かれ、少年は野球部へ入った。
 初心者だったが、練習を重ねるにつれて少しずつ才能を開花させ、やがてチームの中心選手へ。
 チームも快進撃を続け、群雄割拠の神奈川県を勝ち抜き、ついには甲子園への切符を手にする――

 本来なら、そういう展開だったのかもしれない。
 いや、別に期待なんかしてないけど。

 野球って、バスケよりずっと難しい。
 ボールは小さいし、送球も安定しないし、バットにも全然当たらない。
 しかも革靴で赤土の野球場なんて動きにくすぎる。

「羽冬くん、大丈夫?すごく疲れてるみたいですけど。」

 声をかけてきたのは、さっきの少女――ではなく、同じくベンチにいた望月だった。
 ベンチには高木、風、部員二人、それに露骨に軽蔑してくる加藤もいる。

「こいつ、全然ダメじゃねえか。高木、なんで連れてきたんだよ。」

 言ったのは望月の兄、望《もち》月《づき》奏《かな》吾《ご》。
 妹と同じ橙がかった茶髪で、目つきが怖い。あれ、ぼ、僕に向いてる?

「Oh~よく分かんないよ。ただ面白そうだったし。」

 高木、それで済ませるなよ。野球を始めて二日目の人に、何を期待してたんだ。

 とはいえ、ここで初めて知ったこともあった。風も野球を始めたのは高校からで、たっだ一年で主力投手になり、今はキャプテンだ。そんなの、相当な才能がないと無理だろう。
 ……あれ?それってさっきの妄想とちょっと似てないか?

「いや、だから最初から見に来ただけだって……」
「でも羽冬くん、すごいよ!送球もスイングも力強いし!まだ精度は足りないけど、そこは練習すれば少しずつよくなるよ!」

 励ましと笑顔の連打。望月って天使か?

「僕もそう思う。」

 風まで同意した。

「ただ力があるだけだろ。だいたい、野球歴一年ちょっとのお前に何が分かるんだ。」

 風の隣にいたのは副キャプテンの秋本一郎《あきもといちろう》。

「人前で僕の面子潰すとか、どうやら、この夏ずっとベンチ座りたいな、秋本くん。」
「いや、全然~」

 この刺々しい会話が、主副キャプテン兼バッテリーの絆ってものなんだろう。

「でも……」
 急に、風の声が真面目になった。

「君、試合に出たいって気持ちはある?」

 ようやく本題に戻ってきた。そこまで真正面から来ると、逆に断りづらいな。

「じゃあさ、野球のこと、どのくらい分かってる?」

 断り文句を組み立てようとしていたところで、風が続けて聞いてきた。少し考えて、僕は正直に答える。

「試合を少し見て、『MAJOR(メジャー)』読んだくらい。」
「一年前の僕とほぼ同じだな。」
「今はそこから成長したって言えるのか?」
「秋本一郎くん~」
「うん?はいはい~」

 風がぞっとするような笑顔を見せると、秋本先輩はおとなしく引いた。
 僕に野球の気がないの、見抜かれてるのか?どうやら望月ルートはここで潰えたらしい。

「よし、決めた。羽冬、マネージャーやれ。」
「は?」

 僕と望月先輩が同時に声を上げた。
 お互いの驚きのシンクロ(?)に気づいて、望月先輩はまた「優しい」目で僕を睨んできた。
 や、やめてください先輩!怖いです。

「よかった!羽冬くんが入ってくれたら、もっとにぎやかになります!」

 望月が嬉しそうだ。

「さっきから言いたいことありそうだったし、なんだかんだここにいたそうだったしな。」

 そう言って風は望月をちらっと見て、また僕を見た。僕も肩をすくめ、風と加藤に同じように視線を返す。風は一瞬固まって、それからまた笑った。
 この二日見ていて、加藤は風と話す時だけ少し熱がある。だから試しに揺さぶってみた。
 反応を見るに、やっぱり当たりだ。

「縁もあるしな。部外者が毎日うろついてるより、そのほうが真弓先生にも説明しやすい。」

 真弓先生っていうのは、たぶん顧問の先生のことだろう。

「ありがとうございます。でも、今パンドラ祭の実行委員もあるんで、毎日は来られないかも。」

 風はそれを聞くと、目をくるりと巡らせ、「ああ、そういうこともあったな」という顔をした。

「分かった。来られる時だけ来ればいい。何か大事なことがあって来る必要がある時は、その都度伝える。」

 僕の件が片づくと、風は高木、秋本、望月先輩を連れて、練習に戻っていった。

「羽冬くんが入ってくれて、本当によかったです。」
「え?」

 望月、そのセリフ、何回目だ?

「でも羽冬くん、バスケのほうが好きなんですよね?『MAJOR』も知ってるなんて、ちょっと意外でした。」
「姉が好きでさ。テレビでやってると一緒に見てた。漫画のほうが好きだから、あとでそっちも買った。」
「漫画まで?」
「全巻そろってるぞ~」
「へえ~!」

 反応、良すぎないか。

 それに、姉さんは『実況パワフルプロ野球』も大好きで、よく僕を無理やり付き合わせてNPBのチームで対戦させてきた。本人はMLBばっか見てるくせに、日本の選手なんてほとんど知らないのに。
 ……ん?待て。

「なんでバスケが好きって知ってるの?」

 その問いを聞いて、望月はふっと浅く笑った。

「羽冬くん、見た目が印象に残ったから、自己紹介もちゃんと聞いてたんです。」

「私の中では、羽冬くんってD組で一番かっこいい男子ですよ。」

 ……あ、何これ。もしかしてこれが、恋……なのか?

「そういうこと、みんなに言ってるんじゃないの?名前も間違えてたし。」

 望月は少しだけ首を傾げ、左手の人差し指を唇に軽く当てて考える。

「そんなことないですよ。私、ちゃんと話した男子なんて羽冬くんと高木くんくらいですし。もう、なんで疑うんですか。私、名前覚えるのがちょっと苦手なだけです。」

 その無垢そうな顔で、いったい何人落としてきたんだろうな。

「冗談だって。じゃあ高木にも同じこと言ってる?」
「それ以上言うなら、さっきの評価取り消しますよ~?」
「はいはい、もう言いません~」

 望月は無邪気に見えて、どこか計算高い気もする。
 あの笑顔も、はぐらかしなのか照れ隠しなのか分からない。そのつかみどころのなさが男にはたまらないんだろう。
 下手すると、最初の名前間違いすら計算かもしれない。

 でも、つかみどころがないという点なら、僕も専門家だ。
 ちなみに、「D組で一番かっこいい」という評価には全然同意できないが、とりあえず受け取っておく。

「羽冬くんって、野球は初めてですよね?」
「うん。どうかしたの?」
「羽冬くんみたいに運動神経がある人って、本当にうらやましいです。昔、お兄さんにずっと野球を教えてって頼んでた頃、ちゃんと投げられるようになるだけでも、バットの重さに慣れるだけでも、何か月もかかりました。」
「望月って、本当に野球が好きなんだな。」
「うん。だから、風先輩も、お兄さんたちも、羽冬くんも、その点ではちょっと嫌いです。」

 うんうん、たしかにちょっと嫌――って、え?嫌い?僕、嫌われたの?
 ぼ、ぼ、僕はただ少し力があるだけで、何の害もない羽冬くんを嫌わないで!

 でも実際、望月はかなり上手い。高木ほどじゃなくても、他の一年より明らかに頭一つ抜けている。女子で男子に追いつくか追い越すには、相当努力したはずだ。だからこそ、その言葉には重みがある。
 
―「才能はあるのに興味がないことをずっとやらされても、結局嫌われるだけで、何も得られない。」
  
 程度は違うけど、望月と話していて、少しだけ分かる気がした。

「風先輩って、そんなに嫌な人ですか?」
 ほら来た。加藤がすぐ反応した。ちょっと、僕の「嫌い」のほうは無視かよ。

「いえ、ただ少し嫉妬してるだけです。風先輩がいなかったら、お兄さんたちも夢を追えなかったと思うし。」
「甲子園のこと?でも春にもう出てるんじゃないの?」

 入学式の日に先輩たちの実力を見て、野球部の戦績を少し調べた。そしたら、今年の春の甲子園に出場しただけじゃなく、ベスト8まで進んでいたことを知って驚いた。

 進学校なんだよな?ここ。

「夏の仕組みが少し違うんです。それに、お兄さんたちには追いたいものがあるので。」

 うん……よく分からない。どっちも高校野球の最高峰には違いないだろ?

 卒業が近い先輩たちにとっては、将来を考えつつ夢に本気で挑める最後の時間なのかもしれない。
 夢、か。
 どうしてそんな、自分の将来とは明らかに関係ないものを追いかけるんだろう。入学式で風が言っていたことも、僕にはやっぱりよく分からない。

 まあ、どうでもいいんだ。少し餌を投げてみるか。

「でも、風先輩がちょっと嫌な人っていうのは否定しないかな。」
「え?そうかな?」

 きた。加藤がすぐ困惑した。

「だって、自信過剰だし、何考えてるか分からないし、含みのある言い方ばっかりで、腹に何か抱えてそうだろ。」

 もちろん、これはわざとそう言ってるだけだ。最初の敵意なんてたっだ三日で、予想どおりきれいに消えだ。たぶんあの人、ただの重度の中二病だから、妙に波長が合う。

 あれ?今の形容、ちょっと自分にも刺さってないか?

「そうかな……」
「分かるかも!たしかにそんな感じあるね!」

 やっぱり望月の反応は良い。

「でも、そういう含みを見抜いたうえで相手するのって、それはそれで面白くないですか?」

 うわ、これは相当ハマってるな。

「たしかに。私も羽冬くんが女子相手にちょこちょこやってる小細工、結構見抜いてるし。」
「私も聞いたぞ、羽冬。クラスで後ろの席の子をずっといじってるらしいな~」

 望月の「見抜いてる」が何を指してるのかはひとまず置くとして、どうやら僕の教室での行動は、すでにこの二人の雑談のネタになっているらしい。

「何のことだか分かりませんね~」
「え~教えてよ~羽冬くんって、もしかして紫木さんのこと好き?」
「羽冬、ついに春か~?」

 やっぱり恋バナは、女子たちのおしゃべりスイッチらしい。