好きになっても良いですか?

『告白リベンジ大計画』は、こうして着々と進んでいった。
 一ヶ月前と比べると、守沢くんとはかなり仲良くなれた気がする。話すことも増えたし、守沢くんのことを色々知ることもできた。
 守沢くんは頭が良いだけじゃなかった。とにかく優しい人だった。ドジなおれがミスしても笑ってフォローしてくれるし、強い言葉や怖い言葉を絶対に使わなかった。たぶん、そういうところも守沢くんの賢いところなのだと思う。
 相手の気持ちを考えて、言葉や動作を選ぶことができる──おれはそんな守沢くんを、もっと好きになった。心から尊敬していた。
 ……だから、いつの間にか、「自分の良いところだけを見てほしい」って思うようになっていた。「がっかりされたくない」って気持ちが、強くなっていたんだ。


◇ ◇ ◇


 その日、おれの手元に数学のテストが返ってきた。
 単元ごとに学力の定着を確認する復習用の小テストで、おれは震える手でその答案用紙をめくった。
 カンジンの点数は──。

「に、二十点……?」

 まさかの赤点だった。赤色のペンで書かれた真っ赤な数字が、おれの心臓をぶん殴ってきた。

「う、嘘だ……」

 目の前が突然真っ暗になって、声の出し方が分からなくなる。それくらいショックだった。
 いや、別に赤点自体が残念だったわけじゃない。赤点なんて、これまで数え切れないほど取ってきたし、おれにとってはむしろ普通、当たり前なことだった。……でも、今回のは違う。このテストの範囲は、ちょうど守沢くんが教えてくれたところだったからだ。
 何度も何度も復習を繰り返したところだった。おれのために、わざわざ守沢くんが放課後に時間を取って教えてくれた範囲。「ここは絶対できるようになろうね」って言われて、その言葉に応えたくて家でもずっと勉強していたところだった。

(なのに、おれはできなかった……)

 努力したつもりが赤点回避すらもできなかった現実に、胸がずきりと痛くなって、息が詰まるようだった。

「アキ、どうした?」

 いつメンの心配そうに三人が覗き込んでくる。おれは理由を「赤点取っちゃって……」と正直に明かした。

「なんだ。いつものことじゃん」
「うん。まぁ、そうなんだけど……」
「そういや、今回は守沢に教えてもらってたんだっけ?」
「……うん……」

 三人はそろって気まずそうに黙りこむ。おれは答案用紙をくしゃりと握りしめると、悔しくて唇を噛んだ。

(守沢くん、あんなに優しく教えてくれたのに)

 おれ、全然できてないじゃん。ダメダメじゃん。前に守沢くん、「頭の良い人が好き」って言ってたけど、やっぱりおれじゃダメじゃん。

(……釣り合わないじゃん)

 そんな気持ちがどんどん膨らんで、おれはその日ずっと沈んだ気持ちでいた。





 放課後。おれは一人、教室で答案用紙を見つめていた。
 赤点の数字が何度見ても認められなくて、何度見ても涙が出そうになった。

「……おれ、やっぱり頭悪いんだ……」

 何が悪かったんだろう? 自信はあったし、解いてるときも詰まった感じはしなかった。だから余計に悔しいのかもしれない。できたと思っていたのに。……守沢くんにも、「すごい」って思ってもらえると思ってたのに。
 口元がぐにゃりと歪んで、瞼の裏が熱くなった──そのとき。

「滝本くん」

 後ろから声がした。振り返ると、そこには守沢くんがいた。……もう、とっくに帰ったと思っていたのに。
 咄嗟におれは席を立とうとする。何をしようとしたのか自分でもよく分からないけど、たぶん逃げようとしたのだと思う。こんな情けない自分を、守沢くんに見られたくなかったから。

「……なんで避けるの?」

 だけど結局、おれはその声に引き止められてしまう。おれに守沢くんを拒むことはできなかった。避けようとするだけでも、胸が締めつけられるようだったからだ。

「あっ……あ、その……」

 代わりに、おれは答案用紙を隠す。
 とにかく見られたくなかった。こんな赤点、守沢くんはきっとがっかりするだろう。それだけは嫌だった。絶対に嫌だった。……なのに、守沢くんはおれのところへ来ると、そっとおれの手を取って、シワのついた答案用紙を見た。
 守沢くんの前に、おれのあんまりな二十点が現われる。

「……赤点、だったんだね」

 穏やかな声だった。ちっとも怒ってない、責めてない声だった。だけどおれは、今にも涙がこぼれそうだった。

「……ごめんなさい……」
「えっ……?」
「おれ、頭悪いから……守沢くんに教えてもらったのに、全然できなくて……」

 言いながら、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。

「自分がすごい恥ずかしくて……やっぱりバカなんだって思ったら、迷惑かなって……」

 だんだんと目を合わせられなくなって、おれはうつむく。「守沢くんと釣り合わない」という現実が、話せば話すほどたしかなものに感じられて、最後は泣き声に変わっていった。

「ごめん。ごめんね、守沢くん……」
「…………」

 おれの謝罪に、守沢くんは一つ呼吸を置く。そうしておれの肩にそっと手を置くと、「……そんなこと思わせて、ごめん」と守沢くんも謝った。
 おれは思わず顔を上げる。

「な、なんで? 守沢くんが謝ることなんて……」
「滝本くんは迷惑なんかじゃないよ。むしろ、勉強苦手なのにすごく頑張ってたの、知ってるから」

 守沢くんはそう言うと、「……目、溶けちゃうね」とおれの眦を制服の袖で拭う。そうしていつもの、あの花が咲くような笑顔を見せると、「一緒に解き直してみようか」とおれの前の席に腰を降ろした。

「大丈夫だから。もう一回、やってみよう?」

 その言葉に誘われて、おれは自分の席に着く。
 テストを机の上に置くと、守沢くんの筋張った人差し指が途中式を指し示した。

「ほら。ここ見て──」

 守沢くんと間違った問題を解き直してみると、そのほとんどが途中で計算ミスしていることが分かった。公式も合っていたし、考え方や解き方の順序も間違っていない。あと少し、というところで落としていたことが発覚した。

「つまり、滝本くんはちゃんと理解してたんだよ。だけどテストだから緊張しちゃって、ケアレスミスしちゃったんだと思う。だから、次こそ注意すれば大丈夫。絶対に」
「絶対、に……?」

 不安げなおれに、守沢くんは何度も頷く。その優しさが眩しくて、目を細めたはずみに涙がぽろりと落ちた。
 おれは洟(はな)をすんと啜る。

「じゃ、じゃあ……まだ、守沢くんのこと、好きでいてもいい?」

 そうしておそるおそる尋ねたのは、おれにとって一番大事なこと。……けれど、その質問に対する反応は、思っていたものとは違っていた。

「……どうしてぼくのこと、好きなの?」

 守沢くんは、おれをまっすぐ見つめると、答えじゃなくて問いを返した。前に聞かれたのとほとんど同じ質問で、おれは一瞬固まってしまう。
 頭が良いから。桜の花みたいに綺麗だから。同じクラスになれて嬉しかったから──そういうのが全部合わさって「好き」になったんだけど、おれの語彙力じゃ、それ以上の言い方ができない。でも、それじゃ足りないのかな……?
 戸惑っていると、守沢くんは「ごめん、混乱させちゃって」と苦い顔をした。その表情には、ちょっとだけ悲しさみたいなものが滲んで見えた。

 ──得意じゃないことにも向き合えるって、なかなかできることじゃないよ。

 前にそう言ってくれたときと、同じ顔だった。

「滝本くんはさ、ぼくのこと『頭が良い』から好きって言ってくれたよね」
「あ……う、うん……」
「でもぼく、別に勉強できるわけじゃないんだ。頭が良いわけじゃないんだよ」
「えっ……?」

 おれが首を傾げると、守沢くんはゆっくり話し始める。
 今までずっと勉強しかしてこなかったこと。親に言われるまま、良い成績を取ることだけに集中して、他のことは全部切り捨ててきたこと。

「高校受験は、実は失敗したんだ。本当はもっと偏差値が上のところに行かなくちゃいけなかったんだけど、あんまり勉強好きじゃなかったからモチベ上がらなくて、普通に落ちた」

 今の高校は滑り止めだったらしい。だからたまたま学年一位の成績を取れているだけで、特別頭が良いわけじゃないんだと、守沢くんは言った。

「勉強は得意じゃない。でも、それしかやってこなかったから、それ以外は何もないんだよ。面白みがなくて、つまらない。だから友達も少ない」

 そういえば、とおれは気づく。初めて話したときも、屋上で謝ったときも、そのとき以外も──たしかに守沢くんは、いつも一人だった。

「滝本くんが告白してくれたとき、正直ビックリした。なんで自分なんかが、って思ったんだよ。けど『頭が良いから』って聞いて、表面だけしか見ていないならそうかもな、って思った。……きっと、気の迷いだろうって思った」
「…………」

 守沢くんの本音が次々と明かされて、おれは言葉を失う。守沢くんのことを知った気になっていたから、余計に胸がぎゅっとした。

「けど、滝本くんは、ぼくみたいに薄っぺらくなかった。得意じゃないことにも挑戦できるし、周りに愛される人の良さもある」

 目の前で守沢くんがふわりと笑う。でもその綺麗な笑顔は、ちょっとだけ影が差していた。

「ぼくのために頑張ってくれたり、ぼくのことを知ろうとしてくれたり……すごく嬉しかった。ぼくのためにそうしてくれる人なんて、今までいなかったから」
「……守沢くん」
「でも、本当のぼくは、たぶん滝本くんが思うような人間じゃない。頭は良いかもしれないけど、飛び抜けてるわけじゃないし、滝本くんみたいに面白くもない。……本当に、つまらない人間だよ」

「だから」と、守沢くんは言う。

「『好きになってもいい?』とか、『好きでいてもいい?』とか……もう、聞かないで。ぼくはそんなふうに、好きだと思ってもらえるような人間じゃないから」

 その言葉に、おれはぐっと息を飲んで、黙り込んだ。拒まれたからじゃない。守沢くんの声が、震えていたからだ。

(おれ……守沢くんのこと、傷つけてたの?)

 おれが「好き」なんて言ったから、そんな悲しい気持ちになってしまったのか。おれが言った「好き」は、守沢くんにとっていけないものだったのだろうか。

(けど……それでも……)

 さっき、守沢くんは「嬉しい」って言ってくれたんだ。「ぼくのために頑張ってくれて嬉しい」って。「ぼくのことを知ろうとしてくれて嬉しい」って。……それは絶対に嘘じゃない。
 でも、それならどうして悲しんでいるのか分からない。こういうとき、もしおれが頭良かったら、もっと上手くできたのかな? 守沢くんを悲しませずに済んだのかな……?

(……いや、違う。そうじゃないだろ)

 悩んでる場合じゃない。おれは頭の中のぐちゃぐちゃを全部捨てた。

(おれはずっと、守沢くんに告白するために頑張ってきたんだ)

 頑張ってきた理由はただ一人。今もこうしておれと向き合ってくれている守沢くんのため。……なら、言うべきことは、初めから決まっていた。