守沢くんから「リンゴジュースが好き」と聞いた、その日の帰り道。
おれがいつメンにそのことを話すと、急遽「アキ、次の作戦だ」とまたしても作戦会議が始まった。
「もう三回目ですけど」
「うるさいぞ、文句言うな。これも守沢のためだと思え」
うん。そういうことなら、是非ともお願いします!
「すがすがしいほど単細胞だな。……まあいいや。次は守沢の『好きなもの』を調べろ」
「好きなもの?」
「好みを知れば攻略できる」
「恋愛は情報戦だぞ」
じょ、情報戦……? おれ、恋愛シミュレーションゲームじゃなくて、現実をやってるんだけど……?
「そういえばアキ」
ノリがスマートフォンを見せてくる。画面には、クラスメイトとのチャットのやりとりが表示されていた。
話題はずばり、『守沢レイについて』。ノリの「守沢のことなんか知ってる?」という質問に、何個か答えが返ってきていた。
「守沢、噂によるとモーニングルーティンがあるらしい」
「もーにんぐるーてぃん?」
「朝走ってんだって。朝ランってやつだな」
「朝ラン……?」
「賢いヤツってのは朝から走るんだよ」
「ソースはあるの?」
「ソースは……まあ、雰囲気だな」
「また雰囲気……」
呆れた目をノリに向ければ、シンは「まあまあ」と割って入る。
実際、早朝の運動は体に良いらしい。特にユウサンソウンドウというものは、脳や代謝の活性化、体内時計のリセット、生活習慣の調整に繋がるという。
「要するに、頭良いヤツってのは、そういうの考えてやってるんだな」
「つーことで、明日からアキも朝ランだ」
「えっ。おれ、早起きとか無理なんだけど」
「無理とか言うな。まだやってもねえだろ」
「すべては守沢のためだぞ」
「守沢くんのため……」
……うん。そういうことなら、やるしかないな!
翌朝。おれは家の前で運動着姿になっていた。
「意外と起きれた……」
これがゲンドウリョクというやつだろうか。好きな人のためなら、と思ったら、目覚まし時計にセットした時間より一時間も早く起きれてしまった。
きっと今頃、守沢くんも走っているんだろう。想像したら、いても立ってもいられなくなってきた。
「よし、走る……!」
おれは意気込んで走り出す。もちろん、最初から全力で、だ。
(だって、どんなペースで走ればいいか分からないし……)
どのくらいの距離を、どれほど時間をかけて走るべきかまでは考えていなかったから、とりあえず走れる限り走ろうと思った。
……結果。
「はぁ……はぁ……もう無理ぃ……っ」
たった十数分もしないうちに体力は全部使い切り、その時点で既にふらふらになっていた。しかも後先考えないで、やみくもに走ってきたものだから、自分が今どこにいるかも分からない。
「ここ……どこ? うぅ……地図読めないのに……」
朝から迷子になるなんて最悪だ。今さっき来た道を帰ればいいのかもしれないけれど、その道順も覚えていない。つまり、ジ・エンド。ファイナルでラストでフィニッシュだ。
(えっ。意外と英単語……覚えられてる!?)
いや、今はそれどころじゃないか。
「もしかして、このままだと……今日学校行けない?」
まさかの可能性にヒヤリとする。でも、それだけは嫌だった。だってそれじゃあ、いつメンのみんなと会えないってことだ。守沢くんとだって、会えない。話せない。
……それは普通に、寂しい。
「が、頑張らないと……! なんとか学校に行くために……!」
おれはぐっと拳を握りしめ、また走り出す。
守沢くんに少しでも近づくために──いや、途中からなんでか『学校に行くため』になっちゃったんだけど、とにかくおれは全力で走って走って走りまくった。まさにチョトツモーシン、猫まっしぐらというやつだ。
そしてそのおかげか、学校にはなんとか朝礼前に到着することができて。
「滝本くん、顔真っ赤だけど……どうしたの?」
運動着から予備の制服に着替え、机の上でぐだ~って伸びていたら、守沢くんに声をかけられた。へろへろになっていたおれは「あのねぇ……」と今朝の悲劇を語る。
「その……おれ、朝ランをしようと思ってね……」
「朝ラン?」
「あっ、うん。守沢くんが、もーにんぐるーてぃん(?)にしてるって聞いて……」
すると守沢くんは、少し困ったように目を瞬いた。
「……ぼく、朝ランしてないよ?」
「えっ……してないの……?」
ということは、あの情報はガセだったのか。
(ノリ……お前……)
おれ、あんなに頑張ったのに……。
悲劇はむしろ、こっちの方だったかもしれない。
◇ ◇ ◇
「次はこれだ!」
別の日、ミヤが持ってきたのは──……難しそうな本だった。
まず、すごく厚い。それにタイトルが長い。漢字が読めない。あと、表紙のデザインがよく分からない模様だ。なんだっけ、たしかキカガク模様ってやつ。
「守沢、読書家らしい」
「読書かぁ……。たしかに、頭の良い人はみんな本読んでるよね」
こればっかりは雰囲気ではない気がする。何より、本を読んでる守沢くんは、すごく賢そうでかっこいいと思った。頭に思い浮かべただけでドキッとしてしまう。
「顔がニヤけてんぞ」
「いやーん。アキくん、えっちなこと考えてるんでしょ」
「そ、そんなことないし!」
言い争っていると、シンがコホンと咳払いをした。
「茶番はいい。とにかくこれ読め」
「で、でも……タイトルからして難しそう……」
おれはおそるおそる本を開く。中は思った通り、文字がぎっしり詰まっていた。
内容が難しいどころの問題じゃない。そもそも、読む勇気が出てこなかった。
「字が多い……教科書の倍くらいある……」
「でも、本ってそういうもんじゃね?」
「なんか……全部同じに見える……」
「見えねぇよ」
読もうとしたけど、案の定、途中で集中がふわ〜っと飛んでいった。
(……あれ? おれ、今何読んでたんだっけ……?)
目をシパシパさせていれば、そんなおれと本の間に、ミヤのスマートフォンが差し出された。
画面に映っているのは……カフェ、かな? カフェで人が読書しているところだ。
「これ見てどう思う?」
「どうって……」
おれはしばらく考えて、思ったまま「静かに本が読めそうだね」と答える。するとミヤは「それだ!」と指をパチンと鳴らした。
「読書には静かな場所がピッタリなんだ! カフェとか図書館とか」
「静かな場所……?」
「つまり、頭が良いヤツはみんなそこで読書している」
「な、なるほど?」
「だからアキもそこで読書すれば……本を読めるようになるかもしれない!」
「そ、そういうことかー!」
筋の通った説明に目を輝かせる。ミヤの隣でシンが「それこそ雰囲気だろ……」と呆れた顔をしているけど、ノリがウンウンと頷いてるから、二対一できっと正しいはずだ。
カフェとか図書館とかで読書すれば、おれも本を読めるようになるに違いない。……でも、一つ問題があった。
「静か……おれ、静かだと眠くなる……」
個人的にはかなりヤバめの問題だった。だけどミヤは「それでも行け」とおれにゴーサインを出してみせた。
「アキならできる!」
「わ、わかった……!」
言われるまま、おれは放課後、学校の図書室に向かった。
静かで落ち着く場所は、読書に最適。仮にその本が難しくてもすらすら読めてしまう……はずだったのだけど。
「すぅ……すぅ……」
「あのぉ……」
「すぅ……すぅ……はっ!」
聞き慣れない声に飛び起きると、窓の外はとっくに夜。驚くおれの隣では、「えっと……」と学校司書の先生が困ったように眉を下げた。
「最終下校の時間です」
「最終……下校……? えっ、寝てたってこと……?」
目の前には、ページが一枚もめくられていない本。……そのとき、おれはようやく気づいた。
たしかに静かな場所は読書に向いている。だって静かだから何にも、誰にも邪魔されない。集中できるから、きっと頭の良い人には良い環境なんだろう。
でも、おれみたいなのには、むしろ逆効果だった。
(邪魔されずに集中できるってことは、よく眠れるってことでもあるんだなぁ……)
快眠だったおかげで頭はシャキッとしている。その脳みそでたどり着いた結論は、「おれに読書は無理!」だった。
◇ ◇ ◇
「そんでこれが最後!」
守沢くんの『好きなもの』作戦の終盤、ノリが持ってきたのは──……猫の写真集だった。
えっ、すっごくかわいい。表紙のニャンコを見ただけで顔が緩んじゃう。うわー、かわいい……。
「メロついてる場合じゃないぞ。猫はお前の倒すべき敵だ」
「て、敵!?」
「守沢、猫派らしい」
「えっ……うん……?」
「でも、アキはどっちかっていうと犬だろ。犬」
それっておれが犬っぽいってこと? でも、言われてみればそうかもしれない。ゴールデン・レトリバーに似てるって言われたこともあるし、前に守沢くんから勉強を教えてもらえるってなったときに、気分は尻尾を振りたくるワンコだった。
「だから、猫のこと勉強しろ」
「えっ……猫って勉強するものなの……?」
「猫になるんだよ」
「猫になる!?」
「そんな無茶苦茶な……」と思いながら、おれは顔をしわしわにして写真集を手にする。だけど表紙を開いてすぐ、たくさんのかわいいニャンコを目にすると、その顔はパッと明るく照らし出された。
小さくて、もふもふで、くりくりした瞳が、おれのハートを射止めたんだ。
「か、かわいすぎる……」
思わず顔がとろけてしまう。これだけかわいければ、どんな人間も一撃だろう。猫派ならなおさらだ。
「う、羨ましい……おれもニャンコになれたら……」
でも、ニャンコになることはできない。だからその代わりに、ニャンコのことをたくさん知ることができれば、今よりもっと守沢くんと話せるようになるかもしれない。
「おっ。いつにも増して、アキが集中してる」
「守沢くんって、どの猫種が好きなんだろう?」
「さあ……そこまでは……」
ノリが首を傾げる。ページをめくりながら、「この子かな?」、「やっぱ三毛猫?」、「俺は長毛種かな~」なんて駄弁っていた──そのとき。
「何の話してるの?」
ひょっこりと顔を見せた守沢くんに、おれの呼吸はひゅっと空回る。
「も、守沢くん!?」
おれが驚いている間に、シンは「後は頑張れ!」と言い残し、ノリとミヤを連れてどこかへ行ってしまう。その勢いはまるで突風のよう。たった数秒の間に、おれは守沢くんと二人きりになってしまった。
あ。手元には一応、ニャンコの写真集もあるか……。
「あれ? もしかして、タイミング悪かった?」
「ぜ、全然そんなことないよ!」
心配そうにする守沢くんを前に、おれはごくんと息を飲み、覚悟を決める。
これは、いつメンのみんなが作ってくれた貴重なチャンスだった。せっかくならものにしたい。せっかくなら……守沢くんとたくさんお話したい!
おれは写真集を見せながら、「守沢くんって、どんな猫が好き!?」と聞いてみる。
「猫?」
守沢くんは目をぱちぱちと瞬くと、「うーん……」と深く、深く考え始めた。……なんか、すごい悩んでる。そんな難しい質問だったかな?
「……守沢くん?」
「あっ、ごめん! 実はぼく、猫大好きで……」
「ほ、本当に!?」
思わず顔がキラキラ輝いてしまう。今度のノリの情報は、どうやら本当だったらしい! いや、別に疑ってたわけじゃないんだけど……。
「好きすぎて、これって一つは決められないかも。でも、強いて言うなら……ロシアンブルーとか?」
「ろ、ろしあんぶるー?」
頭の上でいくつもハテナマークを浮かべていれば、守沢くんはおれから写真集を受け取り、ぱらぱらとページをめくる。そうしてある一ページで手を止めると、「この子だよ」とおれに本を向けた。
そこに写っていたのは、青灰色の毛並みがとても綺麗なニャンコ。おしとやかで、とても賢そうな子だった。
「わぁ、すごくかわいい!」
「でしょ。猫ならどんな子も好きだけど、ロシアンブルーは特に好きかも。猫なんだけど、性格は犬みたいなんだよ」
「犬……っ!?」
ついつい「犬」という単語にビビッとくる。
(も、もしかして……それって遠回しの、『ワンコみたいな君のことが好き♡』ってことだったり……!?)
いや、落ち着け、滝本アキ。それはさすがにない。ありえないのだけど……でも、守沢くんの穏やかで、どこか楽しげな声に、おれの心はふわりふわりと弾んだ。
また一つ、好きな人のことを知ることができた。それがとっても嬉しかったんだ。
思わず顔がニヤけてしまえば、それに気づいた守沢くんが首を傾げる。「もしかして、これも?」という疑問に、おれは頷いてみせた。
「……守沢くんの好きなもの、知りたくて……。色々やってみたんですけど……全部失敗してて……」
でも、ようやく今日、一歩進めた気がする。
おれは顔が熱くなるのを感じながら、正直に答える。すると守沢くんは、そんなおれを見つめて一回、ゆっくりと目を瞬いた。
「なんで、そんなに頑張るの?」
「……え?」
それって、どういう意味だろう。
言葉のニュアンスをうまく汲み取れず、あたふたしていると、守沢くんはもう一度質問し直してくれる。
「滝本くん、最近ずっと頑張ってるよね? それがどうしてだろう、って思って」
「えっ、と……? あ、あの……それは、その……」
二回目の問いを聞いても、おれは戸惑ったままだった。だってやっぱり、どういう意味か分からない。
いや、言ってることは分かるんだ。だけどそれを聞く意味が分からない。理由なんて、一つしかないからだ。
胸がぎゅっとして、痛い。でもちゃんと伝えたかったから、おれははっきり言った。
「す、好きだから……。守沢くんのことが、好きだから」
今までのことはすべて守沢くんのためだった。たまにうまく行かなかったり、的外れなことをしてしまったりしたときもあったけど、挑戦したい、頑張りたいと思ったのは、それが全部守沢くんのためだったから。
理由なんて、「守沢くんが好きだから」だけ。だから余計に「なぜ?」と尋ねられたことが難しかった。
「滝本くん……」
守沢くんは、しばらくおれを見つめていた。でも、その顔は普段とほんの少しだけ違う。桜の花みたいに綺麗だけど、いつも以上に優しかった。
そして──初めて、おれに興味を向けてくれた。
「……滝本くんは、猫、好き?」
「え? ……あっ、うん! 大好き! 猫になりたいくらい!」
「ね、猫になりたい……?」
なんか微妙に答えを間違えた気がする。……でも。
「ふふ。そっか、良いね。ぼくもなれるなら、猫になりたいかも」
そう言って、守沢くんが笑ってくれたから、おれはそれで満足だった。
おれがいつメンにそのことを話すと、急遽「アキ、次の作戦だ」とまたしても作戦会議が始まった。
「もう三回目ですけど」
「うるさいぞ、文句言うな。これも守沢のためだと思え」
うん。そういうことなら、是非ともお願いします!
「すがすがしいほど単細胞だな。……まあいいや。次は守沢の『好きなもの』を調べろ」
「好きなもの?」
「好みを知れば攻略できる」
「恋愛は情報戦だぞ」
じょ、情報戦……? おれ、恋愛シミュレーションゲームじゃなくて、現実をやってるんだけど……?
「そういえばアキ」
ノリがスマートフォンを見せてくる。画面には、クラスメイトとのチャットのやりとりが表示されていた。
話題はずばり、『守沢レイについて』。ノリの「守沢のことなんか知ってる?」という質問に、何個か答えが返ってきていた。
「守沢、噂によるとモーニングルーティンがあるらしい」
「もーにんぐるーてぃん?」
「朝走ってんだって。朝ランってやつだな」
「朝ラン……?」
「賢いヤツってのは朝から走るんだよ」
「ソースはあるの?」
「ソースは……まあ、雰囲気だな」
「また雰囲気……」
呆れた目をノリに向ければ、シンは「まあまあ」と割って入る。
実際、早朝の運動は体に良いらしい。特にユウサンソウンドウというものは、脳や代謝の活性化、体内時計のリセット、生活習慣の調整に繋がるという。
「要するに、頭良いヤツってのは、そういうの考えてやってるんだな」
「つーことで、明日からアキも朝ランだ」
「えっ。おれ、早起きとか無理なんだけど」
「無理とか言うな。まだやってもねえだろ」
「すべては守沢のためだぞ」
「守沢くんのため……」
……うん。そういうことなら、やるしかないな!
翌朝。おれは家の前で運動着姿になっていた。
「意外と起きれた……」
これがゲンドウリョクというやつだろうか。好きな人のためなら、と思ったら、目覚まし時計にセットした時間より一時間も早く起きれてしまった。
きっと今頃、守沢くんも走っているんだろう。想像したら、いても立ってもいられなくなってきた。
「よし、走る……!」
おれは意気込んで走り出す。もちろん、最初から全力で、だ。
(だって、どんなペースで走ればいいか分からないし……)
どのくらいの距離を、どれほど時間をかけて走るべきかまでは考えていなかったから、とりあえず走れる限り走ろうと思った。
……結果。
「はぁ……はぁ……もう無理ぃ……っ」
たった十数分もしないうちに体力は全部使い切り、その時点で既にふらふらになっていた。しかも後先考えないで、やみくもに走ってきたものだから、自分が今どこにいるかも分からない。
「ここ……どこ? うぅ……地図読めないのに……」
朝から迷子になるなんて最悪だ。今さっき来た道を帰ればいいのかもしれないけれど、その道順も覚えていない。つまり、ジ・エンド。ファイナルでラストでフィニッシュだ。
(えっ。意外と英単語……覚えられてる!?)
いや、今はそれどころじゃないか。
「もしかして、このままだと……今日学校行けない?」
まさかの可能性にヒヤリとする。でも、それだけは嫌だった。だってそれじゃあ、いつメンのみんなと会えないってことだ。守沢くんとだって、会えない。話せない。
……それは普通に、寂しい。
「が、頑張らないと……! なんとか学校に行くために……!」
おれはぐっと拳を握りしめ、また走り出す。
守沢くんに少しでも近づくために──いや、途中からなんでか『学校に行くため』になっちゃったんだけど、とにかくおれは全力で走って走って走りまくった。まさにチョトツモーシン、猫まっしぐらというやつだ。
そしてそのおかげか、学校にはなんとか朝礼前に到着することができて。
「滝本くん、顔真っ赤だけど……どうしたの?」
運動着から予備の制服に着替え、机の上でぐだ~って伸びていたら、守沢くんに声をかけられた。へろへろになっていたおれは「あのねぇ……」と今朝の悲劇を語る。
「その……おれ、朝ランをしようと思ってね……」
「朝ラン?」
「あっ、うん。守沢くんが、もーにんぐるーてぃん(?)にしてるって聞いて……」
すると守沢くんは、少し困ったように目を瞬いた。
「……ぼく、朝ランしてないよ?」
「えっ……してないの……?」
ということは、あの情報はガセだったのか。
(ノリ……お前……)
おれ、あんなに頑張ったのに……。
悲劇はむしろ、こっちの方だったかもしれない。
◇ ◇ ◇
「次はこれだ!」
別の日、ミヤが持ってきたのは──……難しそうな本だった。
まず、すごく厚い。それにタイトルが長い。漢字が読めない。あと、表紙のデザインがよく分からない模様だ。なんだっけ、たしかキカガク模様ってやつ。
「守沢、読書家らしい」
「読書かぁ……。たしかに、頭の良い人はみんな本読んでるよね」
こればっかりは雰囲気ではない気がする。何より、本を読んでる守沢くんは、すごく賢そうでかっこいいと思った。頭に思い浮かべただけでドキッとしてしまう。
「顔がニヤけてんぞ」
「いやーん。アキくん、えっちなこと考えてるんでしょ」
「そ、そんなことないし!」
言い争っていると、シンがコホンと咳払いをした。
「茶番はいい。とにかくこれ読め」
「で、でも……タイトルからして難しそう……」
おれはおそるおそる本を開く。中は思った通り、文字がぎっしり詰まっていた。
内容が難しいどころの問題じゃない。そもそも、読む勇気が出てこなかった。
「字が多い……教科書の倍くらいある……」
「でも、本ってそういうもんじゃね?」
「なんか……全部同じに見える……」
「見えねぇよ」
読もうとしたけど、案の定、途中で集中がふわ〜っと飛んでいった。
(……あれ? おれ、今何読んでたんだっけ……?)
目をシパシパさせていれば、そんなおれと本の間に、ミヤのスマートフォンが差し出された。
画面に映っているのは……カフェ、かな? カフェで人が読書しているところだ。
「これ見てどう思う?」
「どうって……」
おれはしばらく考えて、思ったまま「静かに本が読めそうだね」と答える。するとミヤは「それだ!」と指をパチンと鳴らした。
「読書には静かな場所がピッタリなんだ! カフェとか図書館とか」
「静かな場所……?」
「つまり、頭が良いヤツはみんなそこで読書している」
「な、なるほど?」
「だからアキもそこで読書すれば……本を読めるようになるかもしれない!」
「そ、そういうことかー!」
筋の通った説明に目を輝かせる。ミヤの隣でシンが「それこそ雰囲気だろ……」と呆れた顔をしているけど、ノリがウンウンと頷いてるから、二対一できっと正しいはずだ。
カフェとか図書館とかで読書すれば、おれも本を読めるようになるに違いない。……でも、一つ問題があった。
「静か……おれ、静かだと眠くなる……」
個人的にはかなりヤバめの問題だった。だけどミヤは「それでも行け」とおれにゴーサインを出してみせた。
「アキならできる!」
「わ、わかった……!」
言われるまま、おれは放課後、学校の図書室に向かった。
静かで落ち着く場所は、読書に最適。仮にその本が難しくてもすらすら読めてしまう……はずだったのだけど。
「すぅ……すぅ……」
「あのぉ……」
「すぅ……すぅ……はっ!」
聞き慣れない声に飛び起きると、窓の外はとっくに夜。驚くおれの隣では、「えっと……」と学校司書の先生が困ったように眉を下げた。
「最終下校の時間です」
「最終……下校……? えっ、寝てたってこと……?」
目の前には、ページが一枚もめくられていない本。……そのとき、おれはようやく気づいた。
たしかに静かな場所は読書に向いている。だって静かだから何にも、誰にも邪魔されない。集中できるから、きっと頭の良い人には良い環境なんだろう。
でも、おれみたいなのには、むしろ逆効果だった。
(邪魔されずに集中できるってことは、よく眠れるってことでもあるんだなぁ……)
快眠だったおかげで頭はシャキッとしている。その脳みそでたどり着いた結論は、「おれに読書は無理!」だった。
◇ ◇ ◇
「そんでこれが最後!」
守沢くんの『好きなもの』作戦の終盤、ノリが持ってきたのは──……猫の写真集だった。
えっ、すっごくかわいい。表紙のニャンコを見ただけで顔が緩んじゃう。うわー、かわいい……。
「メロついてる場合じゃないぞ。猫はお前の倒すべき敵だ」
「て、敵!?」
「守沢、猫派らしい」
「えっ……うん……?」
「でも、アキはどっちかっていうと犬だろ。犬」
それっておれが犬っぽいってこと? でも、言われてみればそうかもしれない。ゴールデン・レトリバーに似てるって言われたこともあるし、前に守沢くんから勉強を教えてもらえるってなったときに、気分は尻尾を振りたくるワンコだった。
「だから、猫のこと勉強しろ」
「えっ……猫って勉強するものなの……?」
「猫になるんだよ」
「猫になる!?」
「そんな無茶苦茶な……」と思いながら、おれは顔をしわしわにして写真集を手にする。だけど表紙を開いてすぐ、たくさんのかわいいニャンコを目にすると、その顔はパッと明るく照らし出された。
小さくて、もふもふで、くりくりした瞳が、おれのハートを射止めたんだ。
「か、かわいすぎる……」
思わず顔がとろけてしまう。これだけかわいければ、どんな人間も一撃だろう。猫派ならなおさらだ。
「う、羨ましい……おれもニャンコになれたら……」
でも、ニャンコになることはできない。だからその代わりに、ニャンコのことをたくさん知ることができれば、今よりもっと守沢くんと話せるようになるかもしれない。
「おっ。いつにも増して、アキが集中してる」
「守沢くんって、どの猫種が好きなんだろう?」
「さあ……そこまでは……」
ノリが首を傾げる。ページをめくりながら、「この子かな?」、「やっぱ三毛猫?」、「俺は長毛種かな~」なんて駄弁っていた──そのとき。
「何の話してるの?」
ひょっこりと顔を見せた守沢くんに、おれの呼吸はひゅっと空回る。
「も、守沢くん!?」
おれが驚いている間に、シンは「後は頑張れ!」と言い残し、ノリとミヤを連れてどこかへ行ってしまう。その勢いはまるで突風のよう。たった数秒の間に、おれは守沢くんと二人きりになってしまった。
あ。手元には一応、ニャンコの写真集もあるか……。
「あれ? もしかして、タイミング悪かった?」
「ぜ、全然そんなことないよ!」
心配そうにする守沢くんを前に、おれはごくんと息を飲み、覚悟を決める。
これは、いつメンのみんなが作ってくれた貴重なチャンスだった。せっかくならものにしたい。せっかくなら……守沢くんとたくさんお話したい!
おれは写真集を見せながら、「守沢くんって、どんな猫が好き!?」と聞いてみる。
「猫?」
守沢くんは目をぱちぱちと瞬くと、「うーん……」と深く、深く考え始めた。……なんか、すごい悩んでる。そんな難しい質問だったかな?
「……守沢くん?」
「あっ、ごめん! 実はぼく、猫大好きで……」
「ほ、本当に!?」
思わず顔がキラキラ輝いてしまう。今度のノリの情報は、どうやら本当だったらしい! いや、別に疑ってたわけじゃないんだけど……。
「好きすぎて、これって一つは決められないかも。でも、強いて言うなら……ロシアンブルーとか?」
「ろ、ろしあんぶるー?」
頭の上でいくつもハテナマークを浮かべていれば、守沢くんはおれから写真集を受け取り、ぱらぱらとページをめくる。そうしてある一ページで手を止めると、「この子だよ」とおれに本を向けた。
そこに写っていたのは、青灰色の毛並みがとても綺麗なニャンコ。おしとやかで、とても賢そうな子だった。
「わぁ、すごくかわいい!」
「でしょ。猫ならどんな子も好きだけど、ロシアンブルーは特に好きかも。猫なんだけど、性格は犬みたいなんだよ」
「犬……っ!?」
ついつい「犬」という単語にビビッとくる。
(も、もしかして……それって遠回しの、『ワンコみたいな君のことが好き♡』ってことだったり……!?)
いや、落ち着け、滝本アキ。それはさすがにない。ありえないのだけど……でも、守沢くんの穏やかで、どこか楽しげな声に、おれの心はふわりふわりと弾んだ。
また一つ、好きな人のことを知ることができた。それがとっても嬉しかったんだ。
思わず顔がニヤけてしまえば、それに気づいた守沢くんが首を傾げる。「もしかして、これも?」という疑問に、おれは頷いてみせた。
「……守沢くんの好きなもの、知りたくて……。色々やってみたんですけど……全部失敗してて……」
でも、ようやく今日、一歩進めた気がする。
おれは顔が熱くなるのを感じながら、正直に答える。すると守沢くんは、そんなおれを見つめて一回、ゆっくりと目を瞬いた。
「なんで、そんなに頑張るの?」
「……え?」
それって、どういう意味だろう。
言葉のニュアンスをうまく汲み取れず、あたふたしていると、守沢くんはもう一度質問し直してくれる。
「滝本くん、最近ずっと頑張ってるよね? それがどうしてだろう、って思って」
「えっ、と……? あ、あの……それは、その……」
二回目の問いを聞いても、おれは戸惑ったままだった。だってやっぱり、どういう意味か分からない。
いや、言ってることは分かるんだ。だけどそれを聞く意味が分からない。理由なんて、一つしかないからだ。
胸がぎゅっとして、痛い。でもちゃんと伝えたかったから、おれははっきり言った。
「す、好きだから……。守沢くんのことが、好きだから」
今までのことはすべて守沢くんのためだった。たまにうまく行かなかったり、的外れなことをしてしまったりしたときもあったけど、挑戦したい、頑張りたいと思ったのは、それが全部守沢くんのためだったから。
理由なんて、「守沢くんが好きだから」だけ。だから余計に「なぜ?」と尋ねられたことが難しかった。
「滝本くん……」
守沢くんは、しばらくおれを見つめていた。でも、その顔は普段とほんの少しだけ違う。桜の花みたいに綺麗だけど、いつも以上に優しかった。
そして──初めて、おれに興味を向けてくれた。
「……滝本くんは、猫、好き?」
「え? ……あっ、うん! 大好き! 猫になりたいくらい!」
「ね、猫になりたい……?」
なんか微妙に答えを間違えた気がする。……でも。
「ふふ。そっか、良いね。ぼくもなれるなら、猫になりたいかも」
そう言って、守沢くんが笑ってくれたから、おれはそれで満足だった。


