ウチに棲みつく条件は

 もう、勘弁してくれ。
 廊下側の一番後ろ。クラス替えをして早々、なかなか良い席をもらったと思ったのに、平穏に過ごせたのはたったの一ヶ月。隣の席にこの男がやってきてからずっと、うるさくて堪らない。
「ねえねえ、今日は行けるでしょ? 楓(かえで)くん」
 クラスメートの宮尾(みやお)さんが、奴の顔を覗き込む。長い髪がふわりとこちら側に傾いて、いい匂いが漂ってくる。宮尾さんは可憐で素敵な女の子だけど、男の趣味はあまりよくないことをここ最近で知らされた。
 淡い茶色の髪に、すこし吊り目がちで大きな瞳。それがふと細められれば、人好きする笑顔に変わる――イケメン転校生がやってきたというニュースは、クラス、学年を超えて学校中に轟いた。
 転校生自体が珍しいこと、顔が良いこと、あとはコミュニケーション能力が高すぎたこと。二年一組の教室がファンミーティングの場に変貌したのは、そのせいだ。女子だけでなく、男子まで寄せ付けているのは正直ちょっと感心する。人の懐に入るのが巧いというか、冗談を言うバランスが絶妙というか。ここ一週間、隣でやりとりを聞いているだけで、世渡り上手なことがよくわかった。
 だけど、俺は嫌いだ。
 転校生、吉川(よしかわ) 楓(かえで)のことが、たったいま嫌いになった。
「んー、今日も無理かな。用事あって」
 吉川楓の一言で、周りの空気がどんより曇る。
 こいつは転校初日から今日まで、毎日のように放課後の誘いを断り続けていた。そして、特になんの用事もないことを俺は知っている。昨日も一昨日も、夕飯の買い物に行く途中で、こいつが一人ゲーセンに寄り道しているところを見かけていた。
 せっかく宮尾さんに誘われたのに、勿体ない。しかも、いつの間にか名前で呼ばれてるし。……くそ、羨ましい。
「なに、なんか用?」
 隣から話しかけられて、俺は急いで目を逸らす。予鈴が鳴ったので、宮尾さんたちも散り散りになっていた。
「いや。なんでも」
「ふーん」
 適当に受け流せば、吉川も興味なさそうに前を向く。ふぁ、と欠伸をかみ殺したその横顔が、今日は一段と憎たらしかった。


 帰りのホームルームが終わって教室を出ようとした俺は、何者かに塞がれた扉を睨んだ。
「おい。どけよ針山(はりやま)」
 今日は早めに帰れると思ってたのに、またお前か。ガタイの良い体と合わさった両手を見上げて、息を吐いた。
「頼むっ、今日も先輩と約束しちゃってさぁ。藤(ふじ)にしか頼れねぇんだよー」
 針山は大きな図体を縮めて、「おねがい!」とせがむ。この情けない姿を見るのは、今週に入って二回目。保健委員の仕事を代わってほしいという依頼だ。
「なんで仕事あんのに約束すんだよ。嫌だ」
「だって、先輩の命令は断れないだろ? なあ、頼むよ~」
 針山が所属する、野球部の上下関係はかなり厳しい。部活の準備や片付けは当番制らしいが、そんなのはただの張りぼてで。実際はほとんど、下級生に押しつけられているのだ。
 人様の部活に口出しする気はないし、先輩とうまくやっていくためには仕方ないことなのかもしれない。でも、押しつけの標的になった針山が係や委員の代わりを頼むのは、一年のころから決まって俺だけ。嫌な顔ひとつしたって、文句は言われないだろう。
「まったく……俺が行けなかったらどうするつもりだったんだよ」
「それは……、ほかに人を探すよ」
「いるのか? そんな奴」
 大体みんな委員か部活には入ってるし、他に暇なやつなんて――
「はいはい、そこ通りまーす」
 ああ、いたわ。ここにいた。
 俺と針山の横を縫うように、扉の向こうへとすり抜けていく転校生。たしか、吉川も部活には入っていないはずだ。しかも、たぶん、暇人。
「今度は俺じゃなくて、あいつに頼んでみれば?」
 なにかから逃げるように遠ざかっていく背中を指すと、針山は苦い顔をした。
「え、吉川に? いやいや、無理無理」
「なんでだよ。あいつも部活入ってないし、俺といっしょじゃん」
「えー……なんか、ウザがられそうで怖いんだもん」
 震えるような素振りで肩をすくめる針山に、苦笑を返す。つまり、何度も頼まれてる俺ってどうなのよ。
「あいつ、放課後の誘いもぜーんぶ断ってんだろ? あの笑顔の裏は超ブラックでドライなんじゃねえかって、ちょっと噂」
 世渡り上手ってのは、過大評価だったのかもしれない。たった一週間で笑顔の裏だの、ブラックだのレッテルを張られそうになっている吉川楓に、少しだけ同情した。
 ファンミーティングの終焉も、そんなに遠くはないのか。
「……願ったりかなったりだな」
「ん? なんか言った?」
 顔を近づけた針山から、委員会の資料をさらう。
「なんにも。ほら、部活行くんだろ?」
 そう言って肩を叩けば、針山は満面の笑みで「サンキュー! マジ助かる!」と声をあげて、教室を去っていった。

 ◇

 まだ部活中の生徒たちの喧騒を背に、ローファーの踵を鳴らす。針山から頼まれた委員の仕事が思っていたより長引いて、俺は焦っていた。
「まずいな……間に合うか?」
 なんとかバスに飛び乗ったけど、着くのはたぶんギリギリ。こんなことなら安請け合いするんじゃなかった、と針山を送り出した自分を恨んだ。

『んー、今日も無理かな。用事あって』

 窮屈なバスに揺られながら、隣の席の、あいつの声が蘇る。
 周りとの関係値なんてほぼないに等しいのに、清々しくNOと言える潔さ。誰の顔色を窺うこともなく、自分の意思で軽やかにNOと言いのける闊達さ。宮尾さんの誘いを無碍にするなんてバカなのか?と思ったが、他人の目を気にしないその姿勢には、妙な筋が通っているようにも見えた。
 正直、すこし羨ましい。俺には、あんな風に断るなんて出来ないから。
 バスを降りて、小走りで住宅街の坂道を駆け上がる。閉館時間まであと十分……本当にギリギリになってしまった。
「すみません! 遅くなりました……!」
 よく見慣れた平屋の建物。半透明の扉を開けば、数人の子どもたちが振り返る。そのうちの一人は手を止めて、俺の方へ駆けてきた。
「お兄ちゃんっ!」
「お、っと……待たせてごめんな。小春(こはる)」
 腰に抱き着いてきた女の子の頭を撫でて、息を整える。年の離れた妹の小春は、この春で二年生になったばかりだ。
「お兄ちゃんに会えてよかったね、小春ちゃん」
 にこやかに現れた女の人に、俺はほっと胸をなでおろす。この人は学童保育の先生で、人見知りな小春も懐いていた。
 面倒見が良くてありがたいけど、その分、規則違反には容赦がない。以前迎えに遅れてしまったときは、容赦なく叱られた。そもそも、連絡を入れるのを忘れてしまった俺が悪いが。
「ギリギリになってすみません。小春、みんなにさよならしておいで」
「うんっ、さよならする!」
 小春はすぐにランドセルを背負って戻ってくる。まだ小さな背中にフィットしきらない、その大きなランドセルに笑みを落としながら、柔らかい手を取った。
「先生、さようなら~」
「はい、さようなら」
 今回は先生からのお咎めもなく、無事に学童を後にする。こんなに冷や冷やするくらいなら連絡を入れておけば良かったとも思うが、延長料金が発生するし気軽にはできない。
「小春、今日は学童で何してたんだ?」
 尋ねると、小春は水色の靴をパタパタと鳴らしながら、今日あった出来事を途切れなく話し始める。今朝結ってやった二つ結びの髪が、ぴょんぴょんと軽やかに弾んだ。
「お兄ちゃんは? ガッコ、たのしかった?」
「ん、俺?」
 自宅のマンションに着いて、慣れた手つきで郵便物を取り出す。「まあまあだな」と生返事で答えながらも、思考の半分は夕飯の献立に奪われていた。
 母さんは準夜だから、夕飯はいらないって言ってたよな。きっと仕事に追われて適当に済ませてくるんだろうけど、夜食くらいあった方がいいか?
「お兄ちゃん、アレ……」
 エレベーターを降りると、小春がそっと指差す。顔を上げれば、外廊下に足が投げ出されていた。
 小春の手を握り直して近づけば、その人影は我が家の一つ隣――六〇一号室の前で、ぐったりと座り込んでいた。 ブレザーを脱ぎ捨てたラフなシャツ姿に、見覚えのある茶色い髪。そいつの顔を覗き込んで、俺は思わず声を上げた。
「――吉川楓?!」
 まさか。なんでこいつがここに。
 少し前、隣の部屋に引っ越し屋が来ていたことや、隣のポストに『YOSHIKAWA』と書かれていたプレートのこと。これまで何気なく見過ごしてきた小さなヒントが、いま目の前でうなだれている転校生とパズルのように噛み合っていく。
 スマホに目を落としていた吉川は、気だるそうにこちらを見上げてクアーッと伸びをした。
「なに? いきなり大声出さないでくんない?」
「ああ……悪い」
 いや、でもこんな近所で人が転がってたら、声も上げたくなるだろうが。迷惑そうに睨んでくる吉川に、俺は眉を寄せた。
「けど、こんなとこで何やってんだよ。制服も汚れるぞ」
「別に。お前にはカンケーないでしょ」
 あーはいはい、そういう態度ね。
 呆れながら鍵を取り出して、扉に手を掛ける。クラスメートたちと話している吉川とはだいぶ印象が違うけど、それもどうでもいい。俺だって、お前なんかと関わりたくない。
「おうち、入れないの?」
 半端に開け放たれた扉に、手からすり抜けた体温。吉川のもとへ駆け寄る妹の姿を見て、俺はぎょっとした。
「お、おい。小春っ」
「おいてけぼりになったら、魔女に食べられちゃうでしょ? かわいそうだよ」
 ――魔女?
 聞き覚えのないフレーズに首を捻る。それは吉川も同じだった。
「俺、かわいそうなの?」
 脚を折りたたんで座りなおした吉川は、ふっと小さく笑みを零す。覗き込まれた小春は、困ったように俺を振り向いた。
「妹が変なこと言って悪い。行くぞ、小春――」
 きっと、読み聞かせしてもらった絵本かなにかの影響だろう。あまり深く考えずに手を差し伸べると、すぐにぎゅっと握られた。
 それは想像よりもずっと、大きくて骨ばった感触だった。
「……おい放せ。ふざけるな」
 吉川は俺の手を握ったまま、にやりと口角を持ち上げる。気色悪い。
「俺、おいてけぼりなんだよね~」
 小春のセリフをなぞる軽薄さにため息も出てこない。大方、締め出されただけだろうし、おいてけぼりだなんて可愛げのある言葉もお前には似合わない。
「ねえねえ。おにいさん(・・・・・)のこと、ちょっとだけ助けてくんない?」
 小春、そいつは魔女よりずっとおっかないと思うぞ。
 子どもの無邪気な優しさに付け込むその図々しさに、俺は深いため息をついた。