そして、私から話を持ち出した。もちろん彼と付き合っていたことを話すつもりはなかった。
「私、美優さんとどこかで会ってるかも」
美優さんは私の話を聞きながら、小さなローテーブルの上に広げたスナック菓子を次から次へと口に入れた。どうやらお腹が空いているらしい。
「え? 本当? 私結構いろんなところ行ったからどこかで会ってるかな?」
美優さんは発泡酒をぐびぐびと喉を鳴らして飲んだ。
――いい飲みっぷりだなあ。
思わず見惚れてしまった。
「あ、でも、私が入ってたのって、大学一年生の時だから随分前だけど」
「大学一年生? 夏休みだよね?」
「そう。夏休み」
「もしかして、和歌山の?」
「そうそう。やっぱり?」
「そっか、一緒だったんだ。あの時、私、彼氏と一緒だったんだよね。結局別れたけど」
「そうだったんだ」
――あー、やっぱり。美優さんだったんだ。
違っていてほしかった。その小さな希望を完全に失った。
「それが、付き合ってた彼氏がめちゃめちゃ嫉妬深くてさ。もう、無理! ってなったんだよね」
「へ〜」
――え? 嫉妬深い? もしかしたら違う人のこと言ってんのかな? 違っていてほしい。
「だから、あの時めちゃめちゃ仕事しにくかったんだよ」
「……そうなんだ。あの時、そんな人がいたんだ」
「それがいたんだよ。……このバイトって、ちょっと旅行みたいじゃん。彼氏と旅行だーって浮かれてたんだよね。なんかそれが他の男にヘラヘラしてるとかって、癪に触ったみたいでさ」
「へ〜」
――やっぱり同じ人とは思えない……。私にはそんなふうに言ってくれなかったし。
「あー、そんなことあったなあ。あいつ元気かな」
「今はどうしてるのか知らないの?」
「うん。知らないなあ。大学でもそんなに会うことなかったし。でもあんなに嫉妬深かったら、大変だよ」
「へ〜。……でも、私は結構、嫉妬深い人の方が好きかな」
「え!? 莉子ちゃんってそんな感じなの?」
「だって、それって、自分に関心向けてくれてるってことだし、全然嫉妬されないよりはいいかなって……」
「私もちょっとくらいなら嬉しいけど、怖いくらいだったからさ」
「そんなに?」
「そうだよ。『今、何話してたんだ!』とか、『客に色目使ってんじゃねえ』とか言って」
「え? お客さんにも嫉妬してたの?」
「そうなんだよ。異常でしょ」
――まあ。でもなんか羨ましい……。
「それに元々、あいつ自己中だったし」
「そうなんだ」
「連絡も、自分の時はなかなか返してこなかったりするのに、私がちょっと返信するの遅くなると、どんだけだよってほど、着信入ってるし」
「へー」
「それだけでも、怖いっしょ」
「うん……」
――私の時は、返信遅くても何も言われなかったのに……。私のことそんなに好きじゃなかったのかな。
「あー、なんか色々思い出してきた。バレンタインの時も、友チョコもダメだとか」
「それって、男友達だったからとかじゃなくて?」
「それが、女子にもダメって言うんだよ。頭おかしいよね」
美優さんが喉を鳴らしながら発泡酒を勢いよく飲んだ。
――そんなに? いつも『友達優先でいいよ。大事にしな』って言ってくれてたのに……。本当に同じ人だろうか? もしかしたら、勘違いしてるとか?
「……でもそれって、美優さんがモテてたからとかじゃないの?」
「モテない。モテない。てか、どっちかというと、あいつの方がモテてたよ」
「へー……写真ないの?」
そう言った瞬間、手が冷えて、汗が滲んだ。
「あー、あったかなあ」
美優さんはスマホをいじり始めた。
――どうか、違う人でありますように。
私はスナック菓子を口に入れた。
「あっ、あった。ここ、この端にいる男」
画面を見ると友人と五人で写っている彼がいた。やっぱり彼だった。
「へー、嫉妬深く見えないね。確かにモテそう」
「そうだよね。見た目いいからなあ。まあ二股とか、浮気とかはしてなかったと思うけど」
――確かに彼は格好いい。まあ、顔で好きになったわけじゃないけど。
「顔で好きになるもんじゃないね」
美優さんが大きな口で笑って、ピーナッツを摘んで口にポンと放り込んだ。
「……顔で好きになったんだ」
私は思わず笑ってしまった。
「そりゃやっぱり一番初めに目が行くじゃん。一目惚れ。するよね」
彼女の屈託のない笑顔が、私の心の奥に刺さった。
「……美優さんって面白いね」
――こういうところが好きだったのかな。
「それより、莉子ちゃんは? 彼氏いないの?」
「うん。今はいないかな。だいぶ前に別れちゃった」
「そっか。莉子ちゃんの元彼の写真はないの?」
「あー、失恋した時に全部消しちゃった」
「そっか。そうだよね。私もこの一枚だけだよ」
「そうなの? 実は未練あったりするの?」
「いや、ないない。本当に大変なやつだったし」
「そっか。今は彼氏いるの?」
「私もいない。莉子ちゃんは、今、好きな人もいないの?」
「うん」
「そっか、またいい人いたらいいね」
「……そうだね。美優さんってこのバイト結構してるの?」
「うん。私、ワーホリ行きたいんだよね。だから、今お金貯めてるんだ」
「へー。……偉いね」
私は顔が引き攣りそうになりながらも無理に笑った。
――ワーホリ……。ちゃんと目的があってバイトに来ていて、やっぱりこの人すごいな。こんなに素敵な人と付き合ってたなんて、どうして私と付き合ったんだろう……。
「別に偉くないよ」
「偉いよ。私なんて……彼のこと忘れたくて来ただけだもん」
自分で言って余計に虚しくなった。
「そうなんだ。リゾバしてた人なの?」
「うん。それがきっかけで付き合って、でも遠距離だったから」
しかも最後の方はほとんど連絡が来なくなった。私も別れを告げられそうで怖くて、自分からもなかなか連絡できなかった。
「そっか、遠距離だったんだ」
「うん。でも、マメに連絡くれてたし『会いたいなあ』って言ったら、突然会いに来てくれたり……私は大学卒業したら一緒に住めたらいいなとか思ってたんだけどね。私だけだったみたい」
私は缶酎ハイを口に持っていった。
「そっか、莉子ちゃんを振るなんて信じられない」
――あー、悪気はないのは分かっているけど、なんかムカつく。
「私なんて、振られても当然だから」
「何で? 莉子ちゃん綺麗なのに」
きっとお世辞とかではないのだろうけど、全然嬉しくなかった。私は曖昧に笑ってその言葉を見送った。
「それになんか、彼ってどこか壁があるっていうか『ここから先は入れません』みたいな。だから私のことなんて初めから好きじゃなかったのかも」
「でも、男なんてみんなそんな感じなんじゃん? あんまり自分のことは話さないっていうか。あいつもそんなとこあったかも」
「そんなもんなの? 私、彼しか知らないから」
「そっか。まあ、私も経験豊富ではないけどさ。イメージ的に?」
「適当だなあ」
少し呆れたように笑った。
「適当、適当。適当が一番!」
美優さんがはしゃぎながら、続けた。
「まあ、でも男なんて、本当勝手だよね。あいつ私が女友達と出かける時は『どこに行って、何時に帰るのか連絡しろ』とか言っておいて、自分の時は『男の付き合いがあんだよ』とか言って。マジ、ありえなかったわ。あー、思い出したら腹立ってきた」
「そうなんだ」
「そうだよ。しかもちょっと連絡遅れると家で待ってたりしてさ」
「すごいね……」
私はもう苦笑いするしかなかった。
――私の時とは全然違う。遠距離だったからなのかな。
「まあ高校生の時からだったから長かったしね。情で付き合ってたようなもんだね」
「そんなに長かったの?」
「うん。高一の時からだったから三年くらいかな」
――あー、もう、完全に負けた。絶対この人の方が愛されてたわ。
私は心が沈みそうになりながら、それを絶対に見せないように気をつけた。
「そうなんだ。そんなに付き合ってたんだ」
「今思うとすごいよね。私の忍耐力」
美優さんは大きく口を開けて笑って、発泡酒を飲んだ。
「でも、ある意味、狂うぐらい美優さんのこと好きだったのかもね。羨ましいなあ。愛されてて」
私は冗談っぽく言った。
「そうじゃないよ。自分のことが好きだったんでしょ」
「え? なんで?」
「だって、私がどう思うかとか全然考えてないじゃん」
「そっか」
「まあ私もちゃんと嫌だって言わなかったのも悪いとは思うけどさ」
「まあ、好きだと『嫌だ』ってなかなか言えないかもね」
「好きか……。うん。そうだね。好きだったし、悪いやつではなかったよ。私じゃなかったら上手くやれてたのかもね」
私はそれを聞いて、何も言えなかった。私とは上手くやっていたと言ってもいいのかもしれない。でもそれは愛されていたのとはちょっと違うような気がした。
美優さんは発泡酒を飲み干して、新しい缶を開けた。
プシュッという音が響き、缶から溢れる泡を美優さんが慌てて啜っている。
「はあー」
美優さんが美味しそうに息を吐いた。

