別れてから三年間引きずっていた恋にケジメをつけたくて、私は今日から、リゾートバイトを始める。
指定された駅に着いて、旅館のバスを見つけて歩き出す。駅のロータリーに小さな足湯があった。でも、さすがにこの暑さでそこには誰もいなかった。ここは小さな温泉地で、私が行くバイト先は従業員も多く、この辺りでは一番大きな旅館らしい。今日派遣された人たちだけでも、私を合わせて六人くらいいると聞いている。私はバスの運転手さんに挨拶をしてバスに乗り込んだ。
――涼しい。
ひとまずほっとして、車内を見渡すと、すでに女性が一人座っていた。私は軽く挨拶をして、空いている席に座った。後から次々と乗り込んでくる人たちと挨拶を交わしていると、その中の一人に目が留まった。私は動揺に気づかれないように、慌てて平静を装って挨拶をした。
――あの人、確か元彼の前の彼女?
私の勘違いでなければ、多分そうだ。こんなところで会うなんて、彼を忘れようと思ってきたのに。
人数が揃い、バスが出発する。私は気が滅入りそうになりながら、窓の外を眺めていた。山間をバスがゆっくりと走っていく。緑色の樹木たちがそびえ立ち、綺麗な川も流れていた。時々、釣りをしている人たちも見かけた。そんな景色の中を走るバスに二十分くらい揺られていると、やっと旅館が見えてきた。大きな旅館だ。客室は八十室くらいと聞いている。
簡単な挨拶と業務内容などの説明を聞いて、私たちはそれぞれの部屋へ案内された。相部屋で一緒になったのは、なんとあの彼女だった。
――最悪。
そんな私の気持ちを知らずに彼女は言った。
「斉藤美優です。よろしくお願いします」
「私は、橘莉子です。よろしくお願いします」
「みゆって呼んでください。二十三歳でーす」
美優さんは爽やかな笑顔で私を見た。
「あっ、私も同じ二十三歳です」
「そうなんだ。じゃあ、敬語やめない? 部屋でも敬語って疲れるし」
「あ、うん。そうだね」
「よし! じゃあ、莉子ちゃん? でいい? 一ヶ月よろしく」
「うん。よろしく」
私は美優さんに笑顔を向けた。
――なんて気さくな人なの。
すでに負けたような気持ちになって落ち込んだ。
私たちは、それぞれ荷物を部屋の中に運んだ。
大学一年の夏に、初めてのリゾートバイトをした。旅行が好きだったし、思ったより夏休みが長かったのもあって、ちょっとした好奇心から始めたのだった。そして、その初めてのリゾートバイトで、美優さんが彼と別れ話をしているところを目撃してしまった。
仕事が終わり、少し歩いたところにあるコンビニへ買い物に行った帰りだった。行くときには気づかなかった公園を見つけて、何気なくその公園を見た。すると、少し離れたところで人影が揺れたかと思うと、声が聞こえた。
「俺は別れたくない!」
「ごめん、無理!」
美優さんは彼を突き飛ばして、こっちに向かって走ってきた。街灯に照らされて彼女の顔がはっきりと見えた。私は思わず、体の向きを変え身を縮めた。そして彼女は、私に気づかずに走り去って行った。ほっとしたのも束の間、その場に残されていた彼と目が合ってしまった。彼は気まずそうに苦笑して言った。
「振られちゃった」
「すみません。聞くつもりなかったんですけど」
「いや、格好悪いところ見られちゃったな。はははっ」
そう言って、彼はぎこちない足取りで目の前を通り過ぎていった。
そして、それから一年後、またリゾートバイトをしたときに、彼と再び出会ってしまった。
「あー!」
お互い顔を合わせて、驚いた。
「また会ったね」
と彼が言った。
「そうですね」
と私が答えて、二人で笑った。今回は彼一人で来たようだった。
一緒に仕事をしているうちに好きになった。彼は人をよく見ていて、困っている人を見ると、さっと横に行って手助けをする。私にもよく話しかけてくれて、ある時、バイトの中抜け休憩を使って二人で遊びに行った。そして、なんとなく手を繋いで、なんとなくキスをした。彼が「付き合う?」と言って、私は「うん」と答えた。でも、私たちはお互い新幹線で一時間はかかる距離に住んでいた。だから、なかなか会えなかった。それでも、私たちはよく電話もしたし、突然「会いたくなった」と言って、彼は会いにも来てくれた。
とても優しくて、繊細な人だった。でも、彼には何か、私が入っていけない領域がありそうだった。それでも私はどんどん彼を好きになった。でも結局、私は彼の壁を取り払うことができないまま別れを告げられた。付き合った期間は十ヶ月だった。
別れたい理由を聞いても、彼はただ『ごめん。別れたい』と言うだけだった。意味が分からなかった。納得したくなかったけど、別れるしかなかった。
彼も私を好きになってくれていると思っていた。でも、違ったのかもしれない。私が一方的に好きだったのかな? 何度も彼のことを考えているうちに、私は何も手につかなくなった。そして、どこの会社からも内定をもらえず、結局私はここ一年、ニート生活をしていた。
ぐだぐだしているとあっという間に時間は過ぎた。そんな自分が嫌になって、いい加減終わらせたくて、彼と出会うきっかけとなったリゾートバイトを一ヶ月だけして、忘れようと思っていた。
それなのに、美優さんと相部屋なんて。
美優さんと過ごして一週間が過ぎた。
「おはよう」
私が朝の支度をしていると、眠そうな目をこすりながら美優さんが起きてきた。
「おはよう」
彼女は朝が弱そうだった。
「コーヒー飲む?」
美優さんが私に尋ねてくれた。
「あ、ありがとう」
私は自分のカバンから、昨日買っていたクッキーを美優さんに差し出した。
「これ良かったら、美味しそうかなって思って」
「わー、ありがとう。逆に気を遣わせちゃったね」
「ううん。いつもコーヒーありがとう」
美優さんは、ちょっとギャルっぽくて、明るくて、動きもテキパキしていた。そして、優しい。時々自分が食べていたスナック菓子を「食べる?」と言って、私に勧めてくれたりもする。彼女はよく私に話しかけてくれた。元カノだと分かっていても、ありがたかった。
私は自分から歩み寄るのが苦手なタイプだから、美優さんみたいな人だと助かる。こういう人だったから、彼は美優さんを好きになったのかもしれない。
美優さんは、人の心の中にスッと入ってきて、しかも全然、嫌な感じがしない。人との距離の取り方が、上手な人なんだと思った。他の従業員たちからも人気がありそうだった。
そんな彼女がなぜ、「ごめん、無理」とだけ言って走り去ってしまったのだろう? 少なくとも、今一緒に相部屋にいる、この美優さんなら、もっと上手く別れ話をしそうなのにと思った。知れば知るほど、本当にあの時、彼を振った人と同じ人なのだろうかと疑問に思った。
それに、私とも全然タイプが違う。どうして、私を好きになったのだろう。美優さんとはどのくらい付き合っていたんだろう。『別れたくない』って彼が言っていたのを考えると、きっとすごく好きだったんじゃないかと思う。それを思うと、美優さんが羨ましくて、複雑な気分だった。
バイトを始めて三週間が経った頃、「明日は休みだし、部屋で飲まない?」と美優さんに誘われて、私たちは二人でコンビニでお酒を買って、部屋で飲むことにした。
本当にあの時の彼女なのか確かめたい気持ちもあった。違ったら、気の合う友人になれるかもしれないとも思った。
指定された駅に着いて、旅館のバスを見つけて歩き出す。駅のロータリーに小さな足湯があった。でも、さすがにこの暑さでそこには誰もいなかった。ここは小さな温泉地で、私が行くバイト先は従業員も多く、この辺りでは一番大きな旅館らしい。今日派遣された人たちだけでも、私を合わせて六人くらいいると聞いている。私はバスの運転手さんに挨拶をしてバスに乗り込んだ。
――涼しい。
ひとまずほっとして、車内を見渡すと、すでに女性が一人座っていた。私は軽く挨拶をして、空いている席に座った。後から次々と乗り込んでくる人たちと挨拶を交わしていると、その中の一人に目が留まった。私は動揺に気づかれないように、慌てて平静を装って挨拶をした。
――あの人、確か元彼の前の彼女?
私の勘違いでなければ、多分そうだ。こんなところで会うなんて、彼を忘れようと思ってきたのに。
人数が揃い、バスが出発する。私は気が滅入りそうになりながら、窓の外を眺めていた。山間をバスがゆっくりと走っていく。緑色の樹木たちがそびえ立ち、綺麗な川も流れていた。時々、釣りをしている人たちも見かけた。そんな景色の中を走るバスに二十分くらい揺られていると、やっと旅館が見えてきた。大きな旅館だ。客室は八十室くらいと聞いている。
簡単な挨拶と業務内容などの説明を聞いて、私たちはそれぞれの部屋へ案内された。相部屋で一緒になったのは、なんとあの彼女だった。
――最悪。
そんな私の気持ちを知らずに彼女は言った。
「斉藤美優です。よろしくお願いします」
「私は、橘莉子です。よろしくお願いします」
「みゆって呼んでください。二十三歳でーす」
美優さんは爽やかな笑顔で私を見た。
「あっ、私も同じ二十三歳です」
「そうなんだ。じゃあ、敬語やめない? 部屋でも敬語って疲れるし」
「あ、うん。そうだね」
「よし! じゃあ、莉子ちゃん? でいい? 一ヶ月よろしく」
「うん。よろしく」
私は美優さんに笑顔を向けた。
――なんて気さくな人なの。
すでに負けたような気持ちになって落ち込んだ。
私たちは、それぞれ荷物を部屋の中に運んだ。
大学一年の夏に、初めてのリゾートバイトをした。旅行が好きだったし、思ったより夏休みが長かったのもあって、ちょっとした好奇心から始めたのだった。そして、その初めてのリゾートバイトで、美優さんが彼と別れ話をしているところを目撃してしまった。
仕事が終わり、少し歩いたところにあるコンビニへ買い物に行った帰りだった。行くときには気づかなかった公園を見つけて、何気なくその公園を見た。すると、少し離れたところで人影が揺れたかと思うと、声が聞こえた。
「俺は別れたくない!」
「ごめん、無理!」
美優さんは彼を突き飛ばして、こっちに向かって走ってきた。街灯に照らされて彼女の顔がはっきりと見えた。私は思わず、体の向きを変え身を縮めた。そして彼女は、私に気づかずに走り去って行った。ほっとしたのも束の間、その場に残されていた彼と目が合ってしまった。彼は気まずそうに苦笑して言った。
「振られちゃった」
「すみません。聞くつもりなかったんですけど」
「いや、格好悪いところ見られちゃったな。はははっ」
そう言って、彼はぎこちない足取りで目の前を通り過ぎていった。
そして、それから一年後、またリゾートバイトをしたときに、彼と再び出会ってしまった。
「あー!」
お互い顔を合わせて、驚いた。
「また会ったね」
と彼が言った。
「そうですね」
と私が答えて、二人で笑った。今回は彼一人で来たようだった。
一緒に仕事をしているうちに好きになった。彼は人をよく見ていて、困っている人を見ると、さっと横に行って手助けをする。私にもよく話しかけてくれて、ある時、バイトの中抜け休憩を使って二人で遊びに行った。そして、なんとなく手を繋いで、なんとなくキスをした。彼が「付き合う?」と言って、私は「うん」と答えた。でも、私たちはお互い新幹線で一時間はかかる距離に住んでいた。だから、なかなか会えなかった。それでも、私たちはよく電話もしたし、突然「会いたくなった」と言って、彼は会いにも来てくれた。
とても優しくて、繊細な人だった。でも、彼には何か、私が入っていけない領域がありそうだった。それでも私はどんどん彼を好きになった。でも結局、私は彼の壁を取り払うことができないまま別れを告げられた。付き合った期間は十ヶ月だった。
別れたい理由を聞いても、彼はただ『ごめん。別れたい』と言うだけだった。意味が分からなかった。納得したくなかったけど、別れるしかなかった。
彼も私を好きになってくれていると思っていた。でも、違ったのかもしれない。私が一方的に好きだったのかな? 何度も彼のことを考えているうちに、私は何も手につかなくなった。そして、どこの会社からも内定をもらえず、結局私はここ一年、ニート生活をしていた。
ぐだぐだしているとあっという間に時間は過ぎた。そんな自分が嫌になって、いい加減終わらせたくて、彼と出会うきっかけとなったリゾートバイトを一ヶ月だけして、忘れようと思っていた。
それなのに、美優さんと相部屋なんて。
美優さんと過ごして一週間が過ぎた。
「おはよう」
私が朝の支度をしていると、眠そうな目をこすりながら美優さんが起きてきた。
「おはよう」
彼女は朝が弱そうだった。
「コーヒー飲む?」
美優さんが私に尋ねてくれた。
「あ、ありがとう」
私は自分のカバンから、昨日買っていたクッキーを美優さんに差し出した。
「これ良かったら、美味しそうかなって思って」
「わー、ありがとう。逆に気を遣わせちゃったね」
「ううん。いつもコーヒーありがとう」
美優さんは、ちょっとギャルっぽくて、明るくて、動きもテキパキしていた。そして、優しい。時々自分が食べていたスナック菓子を「食べる?」と言って、私に勧めてくれたりもする。彼女はよく私に話しかけてくれた。元カノだと分かっていても、ありがたかった。
私は自分から歩み寄るのが苦手なタイプだから、美優さんみたいな人だと助かる。こういう人だったから、彼は美優さんを好きになったのかもしれない。
美優さんは、人の心の中にスッと入ってきて、しかも全然、嫌な感じがしない。人との距離の取り方が、上手な人なんだと思った。他の従業員たちからも人気がありそうだった。
そんな彼女がなぜ、「ごめん、無理」とだけ言って走り去ってしまったのだろう? 少なくとも、今一緒に相部屋にいる、この美優さんなら、もっと上手く別れ話をしそうなのにと思った。知れば知るほど、本当にあの時、彼を振った人と同じ人なのだろうかと疑問に思った。
それに、私とも全然タイプが違う。どうして、私を好きになったのだろう。美優さんとはどのくらい付き合っていたんだろう。『別れたくない』って彼が言っていたのを考えると、きっとすごく好きだったんじゃないかと思う。それを思うと、美優さんが羨ましくて、複雑な気分だった。
バイトを始めて三週間が経った頃、「明日は休みだし、部屋で飲まない?」と美優さんに誘われて、私たちは二人でコンビニでお酒を買って、部屋で飲むことにした。
本当にあの時の彼女なのか確かめたい気持ちもあった。違ったら、気の合う友人になれるかもしれないとも思った。

