花咲く君は、いつか透明なハナになる

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『図書室では静かにして下さい』

 この薄い張り紙に目を止める人は、一体どれくらいいるだろう。
 存在感のない細い線が連なるだけで、全く意味を成していない。
 貴重な昼の時間を、勉強に当てようと意気込んだのが間違いだった。

「えー、彼女いるのに女子と二人で遊ぶなんてサイテー。そんなやつ別れちゃいなよ」
「そうだけど、まだ裏切られたって決まったわけじゃないし」
「いやいや、ハグしてたんならもう完全にアウトだよ」
「やっぱ、友達とはハグしないかな?」
「しないよ」

 カチリとシャーペンの芯を出す手が止まる。
 ……なんなの、これ。同じ中学生の会話なの?
 たしかに周りにも増えては来たけど、中学で付き合うって今どき常識なのかな。
 ついさっきまで、都会の話だと思っていた。

 参考書とノートを閉じて席を立つと、斜めに座る三年生らしき女子たちがクスクス笑う。
 内緒話をしながら私の耳元を見ている気がして、赤くなった頬を隠しながら足早に図書室を出た。

「ああーー、もうやだ……」

 勉強道具を抱えたまま教室の机へ伏せる。
 単に内輪話で笑っていただけかもしれないのに、全てが自分へ向けられたものに聞こえるから。
 お前のせいだぞ、と小さな蕾を手のひらで覆った。

「大路さん、大丈夫? なにかあった?」

 心配する声が降って来て、身を縮めたまま隣を見上げた。
 優しい目をした高嶺くんが、こちらを見ている。
 少し茶色っぽい髪に、ガラス細工のような瞳。鼻も可愛らしくて、唇の形も整っている。改めて眺めてみると、人形みたいにキレイ。
 それでいて性格も良いなんて。

 天は二物を与えずというけど、世の中は不平等だ。二物どころか、高嶺くんはそれ以上を持っている。
 弓道の県大会で優勝した実績があって、さらに学力の成績も優秀なのだから。

「ううん。勉強がはかどらなくて、ただ脱力してただけ」

 言ったすぐ恥ずかしさが込み上げる。頭が悪くて理解力がないから、ダラけていますと宣言したようなもの。
 なんだか胸が苦しくて……。分からないところがあって悩んでて……、など。
 もう少し可愛らしい反応はなかったのか、と五秒前の自分へ問いたい。

「じゃあ、一緒にやらない?」
「……え?」
「中間テストの勉強でしょ? ちょうど今日から部活休みになるから。放課後にでも」
「えっ、えっと……」

 思いがけず反応できないでいると、「もしかして、他に予定あった?」と向けられた唇が動く。
 今週は姫先輩の都合で花咲きレッスンも勉強会も出来ないから、早く家へ帰って一人で復習するつもりだった。

「時間あったらと思って誘っただけだから、無理なら……」
「高嶺先生、ぜひよろしくお願いします!」
「え、あ、……はい。よろしくね」

 学年の秀才である高嶺くんに教えてもらえるなんて、絶好のチャンスでしかない。
 これを機に頭脳をレベルアップさせて、馬鹿にしていた姫先輩から参りましたと言わせてみせるんだから。

 誰もいなくなった放課後の図書室。一人でノートを広げていると、周りを見渡しながら高嶺くんが入って来た。

「はい、キャラメルミルク」

 言いながら私の机と、自分のところにミルクコーヒーを置く。

「ありがとう。遅かったね。誰かに捕まってたの?」

 勉強をする前に飲み物を買って来ると言ってから、十分は経っていた。
 高嶺くんの机に百円玉を置くけど、それには触れずパックにストローを刺す。

「少し様子見てから上がって来た」
「そっか。なんか……、気使わせちゃってごめんね」
「大路さんが謝ることないよ。僕も静かに勉強したかったから」

 高嶺くんが教室に残っていると、一部の女子たちが群がって帰ろうとしなかった。みんな高嶺くんと話したいばかりで、彼が困った表情をしていても気付いていない。

 ーーどうしてまだ帰らないの?
 ーーこれから何かあるの?
 ーーみんなでカラオケ行かない?

 やんわり断ろうとしている高嶺くんを申し訳なく見ると、机に置かれている文庫本を指先でとんとんとして、『と・しょ・し・つ』と唇だけが動く。
 二人のみが知る合言葉みたいで、なんだか少し胸がくすぐったくなった。