#7
結局昼休みは賑やかに終わり、宇佐美はずっと眠ったままだった。一度も起きないのはいつもの事だけれど、あれだけ揺すっても起きないと本当は心臓が止まってるのではないかと心配になる。
しかし胸は僅かに上下していたので眠っていると確信し、皆で起こさぬように屋上を後にした。
やっと教室に着いて授業の準備をした所で、いつも使っている青と白のストライプ柄の筆箱がないことに気づいた。
鞄に入れて置いた筈なのに何でないんだろうか。もしかして弁当を取り出した時に引っ掛けて屋上で落としてしまったのだろうか。
それ以外考えられない。今日は移動教室がたまたま無い日のため、真宏は屋上とトイレ以外で教室から出ていないのだ。
とりあえず今は後ろの席の田中くんに借りることにして、放課後屋上へ取りに行こうと考えつつ号令の合図を聞いていた。
放課後。
筆箱を取りに行った後、本屋にでも寄って帰ろうかな、なんてのんびり考えていた。今日は先月発表があってからずっと待ち望んでいたシリーズ物の最新刊の発売日なのだ。シリーズを追い続け、やっと組織の黒幕が誰なのかが分かる重要な話。あれやこれや考察しつつ、その答え合わせが出来ることにワクワクしながら屋上へと続く階段を上りきったところで、どこからか歌が聴こえてくる。
微かにしか聞こえないけれどそれでも分かる、優しくて甘いハスキーな声。扉に近づくと、わずかに開いていた。屋上に誰かいるらしい。
「…………Iwon’t say…… forgive.」
何処かで聞いた事のあるようなメロディーの歌を流れるように誰に聞かせるでもなく、ただ風に乗せて歌っていた。真宏はこの声に聞き覚えがあった。
鼻歌程度に軽く口ずさまれているこの歌声は、酷く切ない。真宏は音楽に強くはない。そんな彼でも知っているということはきっと、街中で聞いたのか杏が音楽番組を観ていたから辺りなのだろう。歌っている姿を見たくて、気づかれないように扉を少し開けようと力を込めた。すると、ギィッと音が鳴ってしまいビクリと体を震わせた。
「誰や」
少し冷たい声にドクリ、と心臓がなる。
気づかれてしまったので仕方無し、観念して真宏は姿を現した。
「なんやねん真宏か」
宇佐美はフェンスに寄り掛かり、真宏を目に留めるとふわりと優し気に笑った。夕焼けと宇佐美のコントラストが妙に色っぽくて見惚れてしまう。
「何しに来たん?」
不思議そうに訊かれ、真宏はハッとして慌てて口を開く。
「っあ、わ、忘れ物したから……」
「あー、これか」
宇佐美は片手で真宏の筆箱を軽々とぽいぽいと投げて遊んでいる。
「そうです、持っててくれたんですか。ありがとうございま……」
「なあ真宏」
真宏が手を伸ばしお礼の言葉を述べようとした時、それを遮り宇佐美は近距離に顔を近づけてきた。
一瞬、宇佐美の香りが鼻を掠める。
「なんですか?」
手を伸ばすのを止め、宇佐美を見上げて首を傾げる。見つめた宇佐美の瞳は、綺麗な色をしている筈なのに光を灯していない気がしてなんとなく、……怖いと思った。
このまま沼の底に引き摺られてしまうのでは無いか。
真宏が、では無い。宇佐美が、だ。
何処か遠くて暗い場所に連れていかれてしまう気がした。
何にかは分からない。けれど真宏のこの勘は外れては居なかったと思う。
「俺に惚れたらあかんで、お前は」
「え?」
宇佐美の自意識過剰とも言える唐突な台詞に、真宏はぽかんと口を開けて呆けてしまう。
「…………いや、何ですか急に」
なんて返せば良いのか正解が分からずにそう訊けば、宇佐美は先程とは打って変わってパッと顔を明るくし、いつもの穏やかな笑顔に戻ってしまう。
「ほら俺男前やろ?けど惚れられんのは困んねん」
確実に何かを誤魔化して隠したんだと、人の感情に疎い真宏でも気づいた。
宇佐美は何かを言いたくて、伝えたくて、言ったけれど言い切れなかった……そんな気がした。
それは臆病からくるものなのか、気づいて欲しいというSOSなのか。
真宏には分からない。
「なんで困るんですか」
真宏からしてみれば、沢山モテていいじゃないか。人に好かれるのはいいことだ、としか思わない。
けれど常日頃から疲れている宇佐美の顔を見ていると、モテる人間はモテるなりに苦労があるのかな、とも思う。
「鬱陶しいねん、興味ない奴に好かれんの」
穏やかに微笑んでいるいつもの宇佐美の笑顔な筈なのに、この時初めてハッキリと気づいた。目が笑っていない。
「…………なんでそれを俺に言うんですか」
何故だか先程から、胸がざわざわする。ドクドクして、なんとも言えない感情になる。
そうだ、頭に血が上った時も、こんな感覚になる。
けれど何故、自分がイラついているのかは真宏には分からなかった。
「せやから、真宏はあかんで。俺のお気にやねんから」
そう言って筆箱を無理やり押し付けて真宏から背を向けた。
この人は今何を考えているのだろうか。真宏がもし今ここで「好きだ」と伝えたら、感情の無い瞳で真宏を見据えて距離を置くのだろうか。
そこまでして他人に入られたくない理由は何なのだろうか。
好きになる事の何がいけないのだろう。
どうしてか体が動かなかった。否、動けないのだ。
何故だろうか、初めての事で混乱してる。
そうか、これは『悲しい』んだ。怒っているわけじゃない。自分の中で何かが悲しいと思ったんだ。泣きたくて、でも泣けば発散されるのかと言われればそれもまた違う気がする。
泣いても喚いてもこの悲しさに終わりは来ないような、そんな仄暗い絶望を感じた。
なぜそう思ったのかは分からないけど、ただ悲しい。
目頭が熱くなって、心が、軋む。
真宏はぎゅっと筆箱を握りしめ、背を向けて歩いていこうとしている宇佐美の背中に向けて思いっきり、ぶん投げた。
「い゛た゛……!?」
背中に筆箱をぶつけられた宇佐美は「何すんねん!!」と流石に怒った顔で言ってくるがそんなのは無視。
俺はとても、ムカついているんだ。
「なぁにが……俺を好きになるな、だよ。自惚れんのもいい加減にしろよ馬鹿ウサギ!!」
過去一番と言っていい程思い切り怒鳴って、宇佐美を睨みあげた。
「お前なんてな、学校っていう狭い世界で見たら人よりちょーっと顔がいいかもしれないけどな!!世の中に出たらお前よりかっこいい奴なんて、数えきれないほどいんだぞ!!」
俺を好きになるな、だなんてそれはつまり、絶対に超えられない予防線を張られたって事じゃないか。
だったら俺じゃない適当な奴をいつもみたいに日替わりで侍らせて置けばいい。
「むかつくんだよ。自分から関わってきておいて、好きになるな?は?」
宇佐美から近づいてきて、自分は別に乗り気じゃなかったんだ。こいつが拒否権ないとか言って無理矢理……けど真宏だって、その気になれば無視は出来た。脅されたわけじゃないし、弱みを握られたわけでもない。あの日、ここで言われたこと、断っても良かったんだ。
それでも、あの日の借りを返すだなんだ、と何だかんだ頷いてひょこひょこついていってしまったのは紛れもない真宏自身だった。
「どないしてん。フグみたいな顔して……。あんま吠えっと血圧上がんで?」
宇佐美は呆れたように笑う。なんで頷いたんだろう、俺は。
面倒事が何よりも嫌いだけど、……そうだ、俺は昔から困ってる人が居たら放っておけなかったんだ。
兄譲りの情に厚い自分の性格を何度恨んだかしれない。
コイツが……目の前の、何の悩みも無さそうなこの男が何処か虚ろな瞳で冗談交じりに自分に助けを求めてきた、それがまるで最後のSOSのようで、真宏は無意識に突き放せなかったのだ。
「俺は、お前の事なんか、……大っ嫌いなんだよ……っ」
真宏は宇佐美を押しのけて屋上から飛び出した。こんなに酷く悲しくて腹が立っているのはきっと、心の距離が埋まらないとわかってしまったから…。なのかもしれない。
どれだけ真宏が歩み寄ろうとしても、結局こうやって宇佐美からは距離を取られてしまう。
心を開いてくれたかと思えば、結局自分はまだ一番遠い所に居るのだと実感させられる。
だったら逆にどうして、心の距離が埋まらないと悲しいのかが分からない。
自分がなぜこんなに動揺しているのか分からない。
……だって俺は、アイツのことなんか好きじゃない。
噂で知ってたじゃないか、
"そういう奴"なんだって。
結局昼休みは賑やかに終わり、宇佐美はずっと眠ったままだった。一度も起きないのはいつもの事だけれど、あれだけ揺すっても起きないと本当は心臓が止まってるのではないかと心配になる。
しかし胸は僅かに上下していたので眠っていると確信し、皆で起こさぬように屋上を後にした。
やっと教室に着いて授業の準備をした所で、いつも使っている青と白のストライプ柄の筆箱がないことに気づいた。
鞄に入れて置いた筈なのに何でないんだろうか。もしかして弁当を取り出した時に引っ掛けて屋上で落としてしまったのだろうか。
それ以外考えられない。今日は移動教室がたまたま無い日のため、真宏は屋上とトイレ以外で教室から出ていないのだ。
とりあえず今は後ろの席の田中くんに借りることにして、放課後屋上へ取りに行こうと考えつつ号令の合図を聞いていた。
放課後。
筆箱を取りに行った後、本屋にでも寄って帰ろうかな、なんてのんびり考えていた。今日は先月発表があってからずっと待ち望んでいたシリーズ物の最新刊の発売日なのだ。シリーズを追い続け、やっと組織の黒幕が誰なのかが分かる重要な話。あれやこれや考察しつつ、その答え合わせが出来ることにワクワクしながら屋上へと続く階段を上りきったところで、どこからか歌が聴こえてくる。
微かにしか聞こえないけれどそれでも分かる、優しくて甘いハスキーな声。扉に近づくと、わずかに開いていた。屋上に誰かいるらしい。
「…………Iwon’t say…… forgive.」
何処かで聞いた事のあるようなメロディーの歌を流れるように誰に聞かせるでもなく、ただ風に乗せて歌っていた。真宏はこの声に聞き覚えがあった。
鼻歌程度に軽く口ずさまれているこの歌声は、酷く切ない。真宏は音楽に強くはない。そんな彼でも知っているということはきっと、街中で聞いたのか杏が音楽番組を観ていたから辺りなのだろう。歌っている姿を見たくて、気づかれないように扉を少し開けようと力を込めた。すると、ギィッと音が鳴ってしまいビクリと体を震わせた。
「誰や」
少し冷たい声にドクリ、と心臓がなる。
気づかれてしまったので仕方無し、観念して真宏は姿を現した。
「なんやねん真宏か」
宇佐美はフェンスに寄り掛かり、真宏を目に留めるとふわりと優し気に笑った。夕焼けと宇佐美のコントラストが妙に色っぽくて見惚れてしまう。
「何しに来たん?」
不思議そうに訊かれ、真宏はハッとして慌てて口を開く。
「っあ、わ、忘れ物したから……」
「あー、これか」
宇佐美は片手で真宏の筆箱を軽々とぽいぽいと投げて遊んでいる。
「そうです、持っててくれたんですか。ありがとうございま……」
「なあ真宏」
真宏が手を伸ばしお礼の言葉を述べようとした時、それを遮り宇佐美は近距離に顔を近づけてきた。
一瞬、宇佐美の香りが鼻を掠める。
「なんですか?」
手を伸ばすのを止め、宇佐美を見上げて首を傾げる。見つめた宇佐美の瞳は、綺麗な色をしている筈なのに光を灯していない気がしてなんとなく、……怖いと思った。
このまま沼の底に引き摺られてしまうのでは無いか。
真宏が、では無い。宇佐美が、だ。
何処か遠くて暗い場所に連れていかれてしまう気がした。
何にかは分からない。けれど真宏のこの勘は外れては居なかったと思う。
「俺に惚れたらあかんで、お前は」
「え?」
宇佐美の自意識過剰とも言える唐突な台詞に、真宏はぽかんと口を開けて呆けてしまう。
「…………いや、何ですか急に」
なんて返せば良いのか正解が分からずにそう訊けば、宇佐美は先程とは打って変わってパッと顔を明るくし、いつもの穏やかな笑顔に戻ってしまう。
「ほら俺男前やろ?けど惚れられんのは困んねん」
確実に何かを誤魔化して隠したんだと、人の感情に疎い真宏でも気づいた。
宇佐美は何かを言いたくて、伝えたくて、言ったけれど言い切れなかった……そんな気がした。
それは臆病からくるものなのか、気づいて欲しいというSOSなのか。
真宏には分からない。
「なんで困るんですか」
真宏からしてみれば、沢山モテていいじゃないか。人に好かれるのはいいことだ、としか思わない。
けれど常日頃から疲れている宇佐美の顔を見ていると、モテる人間はモテるなりに苦労があるのかな、とも思う。
「鬱陶しいねん、興味ない奴に好かれんの」
穏やかに微笑んでいるいつもの宇佐美の笑顔な筈なのに、この時初めてハッキリと気づいた。目が笑っていない。
「…………なんでそれを俺に言うんですか」
何故だか先程から、胸がざわざわする。ドクドクして、なんとも言えない感情になる。
そうだ、頭に血が上った時も、こんな感覚になる。
けれど何故、自分がイラついているのかは真宏には分からなかった。
「せやから、真宏はあかんで。俺のお気にやねんから」
そう言って筆箱を無理やり押し付けて真宏から背を向けた。
この人は今何を考えているのだろうか。真宏がもし今ここで「好きだ」と伝えたら、感情の無い瞳で真宏を見据えて距離を置くのだろうか。
そこまでして他人に入られたくない理由は何なのだろうか。
好きになる事の何がいけないのだろう。
どうしてか体が動かなかった。否、動けないのだ。
何故だろうか、初めての事で混乱してる。
そうか、これは『悲しい』んだ。怒っているわけじゃない。自分の中で何かが悲しいと思ったんだ。泣きたくて、でも泣けば発散されるのかと言われればそれもまた違う気がする。
泣いても喚いてもこの悲しさに終わりは来ないような、そんな仄暗い絶望を感じた。
なぜそう思ったのかは分からないけど、ただ悲しい。
目頭が熱くなって、心が、軋む。
真宏はぎゅっと筆箱を握りしめ、背を向けて歩いていこうとしている宇佐美の背中に向けて思いっきり、ぶん投げた。
「い゛た゛……!?」
背中に筆箱をぶつけられた宇佐美は「何すんねん!!」と流石に怒った顔で言ってくるがそんなのは無視。
俺はとても、ムカついているんだ。
「なぁにが……俺を好きになるな、だよ。自惚れんのもいい加減にしろよ馬鹿ウサギ!!」
過去一番と言っていい程思い切り怒鳴って、宇佐美を睨みあげた。
「お前なんてな、学校っていう狭い世界で見たら人よりちょーっと顔がいいかもしれないけどな!!世の中に出たらお前よりかっこいい奴なんて、数えきれないほどいんだぞ!!」
俺を好きになるな、だなんてそれはつまり、絶対に超えられない予防線を張られたって事じゃないか。
だったら俺じゃない適当な奴をいつもみたいに日替わりで侍らせて置けばいい。
「むかつくんだよ。自分から関わってきておいて、好きになるな?は?」
宇佐美から近づいてきて、自分は別に乗り気じゃなかったんだ。こいつが拒否権ないとか言って無理矢理……けど真宏だって、その気になれば無視は出来た。脅されたわけじゃないし、弱みを握られたわけでもない。あの日、ここで言われたこと、断っても良かったんだ。
それでも、あの日の借りを返すだなんだ、と何だかんだ頷いてひょこひょこついていってしまったのは紛れもない真宏自身だった。
「どないしてん。フグみたいな顔して……。あんま吠えっと血圧上がんで?」
宇佐美は呆れたように笑う。なんで頷いたんだろう、俺は。
面倒事が何よりも嫌いだけど、……そうだ、俺は昔から困ってる人が居たら放っておけなかったんだ。
兄譲りの情に厚い自分の性格を何度恨んだかしれない。
コイツが……目の前の、何の悩みも無さそうなこの男が何処か虚ろな瞳で冗談交じりに自分に助けを求めてきた、それがまるで最後のSOSのようで、真宏は無意識に突き放せなかったのだ。
「俺は、お前の事なんか、……大っ嫌いなんだよ……っ」
真宏は宇佐美を押しのけて屋上から飛び出した。こんなに酷く悲しくて腹が立っているのはきっと、心の距離が埋まらないとわかってしまったから…。なのかもしれない。
どれだけ真宏が歩み寄ろうとしても、結局こうやって宇佐美からは距離を取られてしまう。
心を開いてくれたかと思えば、結局自分はまだ一番遠い所に居るのだと実感させられる。
だったら逆にどうして、心の距離が埋まらないと悲しいのかが分からない。
自分がなぜこんなに動揺しているのか分からない。
……だって俺は、アイツのことなんか好きじゃない。
噂で知ってたじゃないか、
"そういう奴"なんだって。

