ウツシアイ

完璧を求め、冷たい視線で僕を縛りつける、絶対的な存在だったはずなのに。今触れている母さんは、少し力を入れたら壊れてしまいそうなほど細く、ただひたすらに傷ついた一人の人間だった。
「……ありがとう、母さん。もういいんだよ。ちゃんと、届いたから」
耳元でそう呟くと、母さんは僕のパーカーの背中を、爪が食い込むほどの強さでギュッと掴んで、さらに激しく泣いた。母さんの流す涙の熱さが、生地を通して僕の胸へとリアルに伝わってくる。
「母さんはずっと、僕たちのことを見ててくれたんだね。……ごめん、母さん。僕が勝手に目を塞いで、見ようとしていなかっただけなんだ。母さんの愛から、僕がずっと逃げてただけだったんだよ」
お仏壇の中で、父さんの写真が優しく微笑んでいるような気がした。
線香の微かな香りと、十月の少し冷えた夜気が混ざり合う居間で、何年もの間、すれ違い、も連れあっていた親子の呪縛がお互いの涙によって綺麗に溶けて失せていく。張り詰めた部屋の空気が、ゆっくりと、穏やかな温もりで満たされていくのがわかった。
「サク……大きくなったわね。本当にお父さんに、よく似てきた……」
母さんは僕の胸に顔を埋めたまま、掠れた声で愛おしそうに呟いた。
その手のひらが、僕の背中を何度も、何度も優しくさする。子供の頃、熱を出した夜にこうして背中を撫でてくれた母さんの手の温もりが、遠い記憶の底から鮮烈に蘇ってきた。あの頃の母さんの温もりは、何も変わっていなかった。僕が勝手に『変わってしまった』と思い込んで、心を閉ざしていただけだったんだ。
しばらくして、お互いの涙が少しだけ落ち着いた頃、僕はゆっくりよ体を離した。
母さんの目は赤く腫れていたけど、そこには僕を拒絶するような冷たさは一欠片もなく、ただ純粋な慈愛だけが満ちていた。僕は母さんの目を真っ直ぐ見つめ、優しく微笑んだ。
「母さん。……次に、アキがこの体に目覚めた日に、絶対にここに、母さんのところに寄らせるから」
母さんは涙を拭いながら、一瞬だけ目を見開いた。
教科書通りの答えのない『二人の日常』の重みを、その胸の奥でしっかりと噛み締めるように、深く、優しく頷いた。