理科室の住人

水族館はやっぱり夏休み中に一回いってみたいということになった。
せんぱいは、やっぱり人目のあるところはと言っていたが、それは彼のこれまでの積み重ねの一部なのだから。
僕のスケッチの様に多分自分にとっての大切なのと一緒だ。

ただ、せんぱいは僕とクラゲを見に行きたくないという訳ではないのだ。
人目が気になるだけで。

僕とクラゲを見たくないなら、多分僕は見に行くのを諦めた。
一人で楽しみたいことも世の中には沢山ある。

でもあの星の夜。せんぱいはちゃんと楽しそうだった。

だからせんぱいと僕はどこにもよらず、水族館も水槽だけ見て帰るプランを立てた。
せんぱいも楽しそうにプランを立てていた。
僕には分からない部分も多い。
せんぱいとお付き合いしているという自覚はあるけど自分が同性愛者だという自覚は正直あまりない。
だから僕は、嫌なら無理しなくていい。
行きたいなら行けばいい。
位しか分からない。

その水族館はクラゲも結構有名でせんぱいも何度も行ったことがあるらしい。

普通に楽しそうに前に見に行った時の話をしてくれた。
それから謎のサカサクラゲのはなしも。
せんぱいはとてもとても楽しそうに話していて、僕にも見せたいと言ってくれた。

だから行くのだ。
別に僕が見たいのもそのサカサクラゲってやつ位なので他はその時見なくても全然いい。
約束をしたクラゲを見たいと少なくとも僕は思っている。

* * *

せんぱいは行きの電車でも、結構僕と距離を置いている。友達の距離を守ってるというよりも友達よりも距離が開いてる感じ。
物理的に。
せんぱいが人目を気にする理由を、僕は全部完璧にいみが分かってる訳じゃない。。
でも、気にするなと言ってどうにかなるものでもないのだと思う。

それに先輩はいつもより、ばっちりした服装と髪型で来てくれている。

楽しみにしていたからかもしれない。

少なくても僕は結構楽しみにしている。
せんぱいの言葉数は少ない。
かわりに僕が話す数が増えている。
小学校の頃の遠足の話、家族で行った海の話。
そんな話をしていると水族館のある駅に着く。

どっと人がおりる。
僕たちも降りる。
せんぱいは水族館に何度も来ていると言っているとおり、どのルートで行けばいいのかわかっているみたいで「こっちだよ」と言ってくれた。
声は優しい。

いつものせんぱいだ。

水族館に着くと、券売機ではせんぱいはすこしまわりのひとを気にしていた。
だけどそれぞれ券を買って入場券を手に取る。

「せんぱいの券、ペンギンですね。かわいいので当たりです」
「当たり外れあるの?」
「ないですけど、それはかわいいのであたりです」
「君のは?」
「ニモなのであたりです」

僕は入場券をせんぱいに見せた。
せんぱいは二、三度瞬きをしてから「それはカクレクマノミでニモはイースタン・クラウンアネモネフィッシュだからちょっと違うかも」と申し訳なさそうに言った。
それよりも僕はせんぱいがいつもの調子を取り戻していることが嬉しかった。

「カクレクマノミも可愛いのであたりですね」

僕はそれから違いについて聞いたけれど、正直僕に見わけは無理だとわかっただけだった。

* * *

大水槽はとにかく大きかった。
いろんな魚が泳いでいる。
薄暗くて、でも水槽だけ明るくて、中の魚が良く見える。
せんぱいの顔に水槽の光が反射している。
人影は沢山あるけれど、どこか切り離されている感覚になる。
薄暗いからかもしれない。

せんぱいはもう周囲よりも水槽を見ているようだった。
僕も水槽に目をやる。

サメが横切って、おっ!ってなる。
サメはまっすぐに泳いで岩の間に挟まる。

「せんぱい、エイですよ」

砂地の上をエイが泳いでいる。

「尾棘が切られてるね」
「へ?」
「尻尾に毒があるんだよだから先端が切られている」

見ると本当に尻尾の先が折れた様になっている。
やっぱり、せんぱいと僕は見ている部分が違うのかもしれない。
だけど、そういう部分が楽しいし、好き。

水族館で口に出しては言わないけど。

「あと、ほら、そこ。
砂のなかにトラフグがいる」

せんぱいが指さした場所を見ると目があう。
ふぐだ!!

「死んでないですよね……」

動かないトラフグに少ししんぱいになって聞く。

「休んでるだけ」
「そんな休み方するんですか」
「フグの仲間は砂に潜って休むことあるよ」

そうなんだ。
大丈夫なのかと思って水槽を見るフグはそれでもじっとしている。

それから、順路通りに色々見て回る。
手描きのプリントが順路に貼られているのを見て、せんぱいは少しテンションをあげた。

「アオイガイの展示があるんだってさ。
近くに漂着した個体がいたらしい」

アオイガイが何なのかよくわからない。
模様が綺麗な貝なのだろうか。


そこにいたのはこいつの名前は多分タコ貝だろうという生き物だった。
貝の中にタコっぽいなにかがいる。
タコと貝という感じ。それ以外に表現しにくい謎の生き物

ただ、貝はベールや羽化したてのセミの様に薄い膜の様な殻でとても綺麗だ。
せんぱいのテンションが上がるのも少しだけ分かる。


「アオイガイ、秋から冬に漂着することが多いんだよ。夏に見られるの、ちょっとラッキーだね」

せんぱいは言った。
珍しいものなのか?

「珍しいんですか?」
「生きてるところを展示で見られる機会は少ないと思う。
飼育法が確立されてないんだよ」

不思議な生き物をみながらせんぱいはじっとみて、それから写真を何枚か撮っていた。
薄暗すぎてスケッチは無理だろう。
帰ったら書いてみようかと思った。
勿論今日の思い出にだ。

* * *

いよいよ今日の一番の目的のクラゲのゾーンに入った。その時にはもう僕は半ば満足していた。
せんぱいとおおきな水槽をみて珍しいものも見れた。

クラゲの水槽はいくつもあって、その一つは先輩も飼っているミズクラゲだった。
せんぱいが飼っているものよりずっと大きい。

ポリプの説明も隅の方にパネルであった。
生まれて初めての水族館という訳ではないので、過去にも見たかもしれない。
だけど、そんなのはすぐに忘れてしまっていた。
解像度が変わるというのはこういうことだろうか。

知っているにつながっている世界がそこにはあった。

一番気になっていたサカサクラゲは小さな水槽にいた。
水槽の底にいて、手みたいなのがひらひらしている。
少し花やイソギンチャクみたいにも見える。
赤っぽいやつ、黄色っぽいやつ、すこし青みがかったやつがいる。

「この手みたいなやつはミズクラゲと同じ職種ですか?」
「いや、口腕って呼ばれる器官だね」
「色は前に聞いた藻ですか?」
「それもあるけど、それだけじゃなくて個体差もあるよ」

静かに二人で並んでサカサクラゲを見る。
平日だからか、サカサクラゲはあんまり人気が無いのか。あまり人はいない。

ミズクラゲよりもなんかしっかりしていてぷにぷにとしていそう。
色も個体差があるらしいので飼えば多分結構かわいい。

「……ずっと逆さなんですね」
「うん。たまには泳ぐけど、基本ここ」
「折角ポリプから形を変えたのになんかもったいない気もします」
「ふふ」

せんぱいが笑った。

デートでイメージするような肩を寄せ合うも、手をつなぐも、いつもと違う姿にドキドキするも何も無かった気がする。
でも、二人できて良かったと思う。

帰り道、先輩は行きよりも距離が元に戻っていた。

「またどこかに行きたいですね」

僕が言うとせんぱいは「そうだね。君と行きたいところは沢山あるよ」と言った。
せんぱいは、もう怖いとは言わなかった。

僕もエイの尾を見ることも、砂に埋まったフグを探すことも、一人なら多分しなかった。
タコ貝(仮)も一人ならタコだーで終っていたかもしれない。
実際、子供の頃にも水族館に来たことがあるのにサカサクラゲのことは忘れていた。
せんぱいと忘れない思い出をもっと作りたい。


帰ってから、さっそくスケッチをした。
描きたいものが多かったので色々描いた。
高校に入ってからスケッチのページが中学までよりもどんどん進んでいる気がする。
今日描いたから悩んで、せんぱいがみつけたフグの絵とチケットのカクレクマノミのスケッチをせんぱいに送った。
スケッチをアプリで送るのは初めてだった。
せんぱいは、すごい褒めてくれた上に『熱帯魚を見に行こう』と言ってくれた。
僕は熱帯魚が特別スゴイ好きな訳ではないけれど、その気持ちが嬉しかった。