理科室の住人

それから、せんぱいとは多分恋人ってやつになったのかもしれない。
あまり実は実感がない。

夏休みとはいえ、理科部はある。
クラゲはさすがに放置すると温まりすぎて無理なのでせんぱいが家にもち帰っているけれど。

暑さに強いものはそのままある。
それ以外は変わらない。
僕はいつもの席に座って、せんぱいもいつもの席に座っている。
せんぱいの話し方もいつも通りだし距離も変わらない。
あまりにもいつも通りだった。


だけど今日はその世話だけじゃなくて、懸案事項のための実験をすることになっている。

懸案事項それは、夏休み明けの文化祭だ。
理科部で何か出し物をするなんて聞いていなかった。

多分せんぱいが僕に気を使って話していなかったんだと思う。
気まずくなって一人になっても大丈夫なように。

でも、夏休みの後も普通に放課後は理科部の予定で、だからせんぱいは文化祭の準備をしたいと言った。
出し物が決まっていてその手伝いだと思ったけれど、どうやらそれが決まっていないので今日試すらしい。

休み中の部活は土日の部活と一緒で先生に鍵を出してもらってやる。
それは前に二人来てやった。
その後も何度か手伝いをしている。
今日がはじめてじゃないし、夏休み中とはいえ、学校には結構人がいる。
人の気配もあるし、ざわめきもある。

だけど前にどうやって二人で過ごしていたのかが思い出せない。
同じようにすればいいのだ。と思うのだけどどうしていただろう。
多分挙動不審になっていた気がするけれど、理科室に入っていつもの席に座っていつものように話始めると少し落ち着いた。


「去年は何をやったんですか?」
「本当は藍染をやりたかったんだけど失敗して、草木染めをした布製品を売ったよ。
近所のおばちゃんに人気だった」

そう言えば最初に会ったときに藍染を失敗したと言っていたけれど、文化祭用だったのか。

「売りものじゃない布は残ってると思う」

せんぱいは理科部用の棚をごそごそして一枚の布を出した。
くすんだサーモンピンクとベージュの間の様な色の布だ。

「桜染めだよ」

せんぱいはそういって布を僕に渡してくれる。
受け取ろうと手を伸ばすとせんぱいの手と触れる。
びっくりして手を引いたりはしないけれど、なんか気恥ずかしい。
せんぱいも同じみたいで微妙な沈黙がある。
なんか、言葉で取り繕ってもなと思い僕は受け取った布を見る。
桜の花びらで布に染めるとこういう色になるのだろうか?

「花びら集めるのたいへんじゃないですか?」

僕が言うとせんぱいは「花びらじゃなくて枝や樹皮で染めるんだよ」と言った。
それなのにくすんでいると言えどピンク色が残るのが不思議だった。

「じゃあ、今年こそ藍染ですか?」
「いや、そこまで時間的な余裕がないから、違うものを試そうと思って」

せんぱいは言った。

「カルメ焼きにしようかなと思ってるんだよ。
お祭りって感じだし」

カルメ焼きという言葉を僕は知らなかった。

「カルメ焼きって何ですか?」

そう言うと、せんぱいは「今回は文化祭の準備だからまず動画見ようか」と言った。
せんぱいは動画を探してスマホを僕に差し出した。
なんか、ドロッとした液体を小さすぎるフライパンに入れてぐるぐるするともこもこになる。そして食べられる。

「昔は屋台にあったんだって。
砂糖と水と重曹を使うんだ」
「重曹ってお掃除に使う?」
「そう。炭酸水素ナトリウムだから泡が出る」

それが動画のもこもこの正体かと思う。

せんぱいはバーナーを手早く準備すると、「じゃあやってみるね」という。
専用の器具は無いので今回はお玉で代用するらしい。

せんぱいの手元をみる。

「まずお玉に砂糖と少量の水を入れるんだ」

砂糖水は沸騰してぐつぐつしている。
それがドロドロになったら火から外す。

「ここからがポイント」

そう言いながらせんぱいはドロドロに重曹を入れると一気にかきまぜた。
いきなりぶわっと膨らむので驚く。
これは目の前で膨らむとちょっと楽しい。

せんぱいは出来上がったものを用意していた紙皿に出す。

少し冷まして半分こして食べる。

「……綿あめ味ですね」

僕がそう言うと、せんぱいは「砂糖だからね」と言った。
綿あめを凝縮した味がする。
一口目はいいけれど二口めが飽きる。

「これ甘酸っぱくするとか」
「酸を入れると重曹と先に反応するから、膨らみ方が変わると思う」

もう一口かじる。
とても砂糖という味がする。

作るのを見るのは楽しいけれど、食べるのは結構たいへんだ。

「クエン酸入れてみるか!!」

せんぱいが言った。そうして大体同じ手順でもう一回作った。
膨らみ方は少し違う。これは調整できる話だ。
出来上がったものを一口食べる。

「酢の物の味がします」
「……うん。方向性を間違えたね」

お醤油をかけると完璧な酢の物になりそうな味がした。


「これは正直厳しいかもね」
「……そうですね」

実験自体はもこもこになったから成功だった。
こんな失敗もあるのだと思った。

「文化祭他の案は無いんですか?」
「うーん。スライムとかかなあ」
「高校生喜びます? 僕も小学校の時好きだったけど」
「家族連れが結構来るんだよ。その子供たち用のワークショップとかかなあ」

ここの高校の文化祭に来たことは無い。
だから雰囲気も分からない。
でも小学生に囲まれてわーわー言われるせんぱいは少し面白そうだと思った。

「まずはやれそうか実験ですね」
「そうだね。別の日に準備をしてまず一回やってみようか」

せんぱいは言った。
文化祭の出し物は決まらない。
でも失敗したりしなかったり、そうやって進んでいくのが楽しい。

* * *

夏休みは過ぎていく。
八月の十三日と十四日は親戚の家に行く。
所謂お盆ってやつだ。

親戚といっても、すごい田舎にある家じゃない。
でも、毎年の我が家の恒例行事だ。
仏壇の近くにはきゅうりの馬やナスの牛が並んでいる。
提灯を出す。

親戚の小さい子たちをセミをとったり、てんぷらを作る手伝いをした。

日が落ちると大人たちは飲み会を始めてしまい、小さい子は疲れてうつらうつらしている。
年の近い親戚はいない。
僕には姉がいるけれど、友達と連絡をとるのに忙しい。

僕はサンダルで庭に出ると空を見上げる。

あの時のキャンプ場みたいに星は見えない。
家で見るのとほとんど変わらない空だった。

あの日みたいに流れ星を見れるかもとしばらく見上げていたけれど、そういう気配も、もしかしたら流れ星かもみたいなものは全然ない。
当たり前だと思った。
あの日が奇跡みたいな日だったのかもしれない。

そう思うと無性にせんぱいにそれを伝えたいと思った。
だけど、せんぱいも多分忙しい。
今日は観測をするって言っていたし、連絡をする約束もしていない。

恋人なら約束をしなくても連絡していいのだろうか。
付き合う前は普通に猫の写真とかを何気なく送っていた気がする。

親戚のおじちゃんにラジオを借りて聞いてみる。
せんぱいの言った通り普通のラジオでなにか不思議なことはおきない。

スマホを取り出す。
何を送ろうか悩む。

きゅうりの馬を送るのが何となく正解な気もした。
だけど多分それは友人的な意味での正解だ。

恋人の正解って何だろう。
そもそも実感もわかないのに分からない。

僕はスマホをもったり置いたりを繰り返して、悩んで結局少しだけメッセージを送った。

『ここは星が見えません。
せんぱいと星が見たかった』

通話は邪魔になりそうでそれに、せんぱいが家族に僕を何と言って説明しなきゃいけないのか。
色々考えてそれだけ送った。

せんぱいはスマホをどこかに置いて別の場所で観測をしているかもしれないと思った。

返事はすぐにきた。

『星は見えなくてもそこにあるものだよ。
でも、俺も君と星がみたい』

なんだかよくわからないけど、ちょっと泣きたい様な謎の気分になる。
恋愛は少し難しい。
だけど、その距離感を先輩が許してくれているのだと、それだけは分かった。
大好きって叫びたいけれど、それもなんか違う気がして。
なにも返さないでいたら、せんぱいから『帰ってきたら、俺んちこない?』と連絡が来た。
僕は、是非と返してそれからもう一度空を見上げた。
僕からは見えないけれどそこにあるものを感じるために。