理科室の住人

雨の日にせんぱいの話を聞いてからはお互いにあまり気まずくなったりギクシャクしたりはしなかった。
理科部で過ごす時間は穏やかに過ぎていった。
星を見に行くのは折角だから夏休みに二人で行こうって事になった。

家で親に聞いたら「テストの点数もよかったし、楽しんで来たら?」と言われた。
二人で望遠鏡と寝袋を持って、山奥で星を見る。

準備をしながら、ああ、まるでちょっとデートみたいだなとようやく気が付いた。
そりゃあ、せんぱいが俺に大丈夫なのかって聞く訳だと思ったのは出発当日になってからだった。

別に前日眠れなかったみたいなことは無かったし、逆に行くのが嫌になることも無かった。

待ち合わせ場所に現れたせんぱいは、よれよれでもキラキラでもない。

春出会ったときに着ていたよれよれのカーディガンは夏になってせんぱいは着なくなっていた。
眼鏡とやる気の無さそうな髪型は今日もいつものせんぱいで。
だけど、服装はそこまでよれよれという感じではない。

ちゃんとしている恰好のせんぱいはとても整っている。
ちゃんとしてるから当たり前なのかもしれないけれど。だから、せんぱいは眼鏡をかけても、髪の毛が適当でも割とイケている見た目なのだ。
もう少し、自分もちゃんと洋服を選んで、もっとちゃんと髪の毛を何とかしてくればよかったのかもしれない。

当たり前だけど、そんな事部活の先輩であるせんぱいは何も気にしてないんだけど。

寝袋は二つともせんぱいが用意してくれていた。
片方を受け取って、それから山間やまあいに向かうバスに二人並んで乗る。
すいていたバスの一番後ろの席に二人で並んで座ると、クーラーの風が涼しくて気持ちがいい。

隣り合った、せんぱいの肩が俺に少し触れる。

「キャンプ場って、ここからどの位でしたっけ?」

バンガローを予約している。
そこから少し歩いたところで天体観測をすることになっている。
理科部の活動にしないけどいい?
そういう風にせんぱいに夏休み前に聞かれていた。
色々手続きが面倒らしい。
だからこれは理科部であって理科部ではない。

「ん? 一時間はかからないよ」

はー、涼しい。とTシャツをぱたぱたさせながらせんぱいが言った。
それからせんぱいは俺の首筋をみてごくんと唾を飲み込む様なしぐさをした。

不思議に思ってると先輩はハンカチを取り出して、「首元汗けっこうすごいよ」と言った。

「うわ! 本当ですか?」

自分の手の甲で首を触るとせんぱいがいうように雫の感触がするくらい濡れている。

「はい。使って」

せんぱいの申し出をありがたく受け取って、ハンカチで首元を拭く。
なんだか、僕ばかりせんぱいの事を気にしているみたいだ。

バンガローに荷物を置いて時にはもう夕方という時間は過ぎていた。

「テント持ってきて本格的にキャンプするのも、面白そうだよね」

先輩は長い足を延ばしながらそう言う。
テントはちょっとあこがれる。
あとあのランタン。ああいうのは結構好きだ。
それから焚火もしてみたいし、マシュマロを焼くのはありだろうか。
本格キャンプも今度二人で行ってみたい。

「夏はペルセウス座流星群が見れるんだけどね」

極大はもう少し先だけど。
と言いながら先輩は笑った。

「流れ星ですか?」
「そう。八月の十三日頃が一番多いんだよ」

その日は親戚のうちに行く予定になっていた。
せんぱいもそのことは知っているので何も言わない。
流れ星を一緒に見れたらななんて、柄にもないことを考えてしまう。

「まあ、出現時期には入ってるから今日見れるかもしれないよ」

ニコリと先輩が笑う。

「先輩は十三日はこうやって」

誰かと見に来るんですか?とは上手く言葉にできなかった。

「こう?」
「せんぱいはどうするのかなって」
「ん? ああ、流星電波観測する予定だよ」
「電波?」
「FM放送の電波を受信するんだよ。流星が通ったあとって、一瞬だけ電波を反射するんだ。普段は届かない遠くの電波が、その時だけ受信できることがある」


流星が残した跡に電波が反射して、受信機に一瞬だけ変化が出るらしい。

「この方法なら昼間でも流星が観測が出来て楽しいんだよ」

せんぱいの言葉に興味がひかれる。

「流れ星って昼間もながれてるんですか!?」

流れ星は夜だけじゃなくて昼間も流れているのか。
月だって昼間も見えるのだから当たり前かもしれないけれど、考えたことが無かった。

「真昼の流星なんて、ロマンチックですね」

俺が言うと、せんぱいはきょとんとした真顔で俺の事を見た後、「ロマンチック。そう、だね……。きみっぽい」と言って笑った。

僕っぽいはぼくにもよくわからない。
でも十三日に会えないことはわかっている。

「FMって家のラジオでもできるんですか?」
「残念だけど、普通のラジオだと難しいね。受信機とかアンテナが必要」
「じゃあ僕も十三日は、と思ったけど無理なんですね」

残念だ。
せんぱいと同じ何かが聞けたかもしれないのに。


せんぱいは持ってきた望遠鏡を丁寧に組み立てていた。
専用ケースに入れられたそれを取り出して、三脚を開いて、そこに架台を固定する。
それから架台に鏡筒を取り付けている。
僕が望遠鏡だと思っていた部分は鏡筒という。
手慣れている様に見えるそれを見ているのは理科室と同じで楽しい。
それから先輩は望遠鏡を見るためのレンズをつけている。
接眼レンズというらしい。

それから先輩は方角とかを確認して接眼レンズを覗いて何かを調整していた。
めがねを外してみるのかと思いながら先輩を見ていた。

それから俺に見せてくれた。
覗き込んだものはなんでかぼやぼやしてぼやけている。

恐る恐るそれを先輩に伝えると「人によって見やすいピント位置はちょっと違うからね。ここをちょっとずつ回してピントが合うところを探して」と言われる。
回したというより少し触っただけでピントがあった。

土星の環を見て、西に傾きはじめていた月のクレーターを初めて見た。
まるで子供みたいにはしゃいでしまって、せんぱいが面白そうに笑うのをみて、慌てて我に返る。

小学生じゃないんだからと自分でも思ってしまった。
せんぱいが今日この場所に来るために何を戸惑っていたのかが分からない位、せんぱいも楽しそうに笑っている。

会話が多かったわけではない。
この人とは会話が無くても居心地がいい。

その後もいくつか見せてもらった夏の星は金色の星に青色の星が寄り添っていた。
見上げた星は一つに見えるのに、望遠鏡を通すと二つの星が寄り添っている。

そのまませんぱいはそれがはくちょう座の一部なのだと教えてくれた。
銀河鉄道の夜の一説を思い出す。
青宝玉と黄玉と言われていた透き通った星がこれなのかと気が付く。

「アルビレオの観測所ですね」

俺がそう言うと、せんぱいは「そうアルビレオだ。あれ? 星は結構詳しい?」と聞いた。

「銀河鉄道の夜をよく読んでいたので」

俺がそう言うと、せんぱいはああ、と納得したようにうなずいていた。

「まるで恋人みたいに寄り添っている星だとは思っていませんでした」

望遠鏡をのぞきながら俺が言うと、せんぱいは「恋人か。きみらしいね」と言った。
けれどその二つ寄り添う星を他にどう伝えたらいいのかが分からなかった。

望遠鏡で星を見た後、二人で寝袋を持って少し歩いた。
キャンプ場を離れて少し行ったところにその場所はあった。
少しずつキャンプ場の明かりが小さくなっていく。
懐中電灯で照らされた舗装されていないけもの道みたいなところを歩いた。
空地というかもしかしたら昼間は駐車場とかに使われている場所なのかもしれない。
平で、そこだけぽっかりと草が生えていない。
草むらのど真ん中という感じではない。
夏とはいえ、結構山の上なので結構涼しい。

二人で寝袋を広げてその中に入る。
夏とはいえ、夜は涼しくなるし、それに肌を出していなければ虫にも刺されにくい、らしい。
見上げるといつも見上げる空よりも星が多い。

「民家が無いところの方が、星は沢山みえるよね」

横で寝転んでいるせんぱいが言う。
途中で買ったお弁当をバンガローで食べてから二人で空を眺める。
花火の日の約束が叶ったのがそもそも嬉しかった。

綺麗だと言いたかったけれど言葉にできなかった。

「流れ星みつかると思いますか?」

せんぱいがこちらをちらりとみる。

「どうだろうね」

そうせんぱいが言う。

「流星体が大気に突っ込んで、周りにプラズマを作って光るのを見るのは楽しいよ」
「せんぱいらしいですね」

さっきせんぱいが俺に言った『きみらしい』。

俺はせんぱいらしいなってこういう瞬間思う。
別に難しいのが嫌だとか、そういう話じゃなくて、嬉しそうに、楽しそうに話すせんぱいはとても彼らしい。

ああ、この人の事が好きなのかもしれないと思った。

ミノムシみたいな恰好をして何を、と自分でも思う。
けれど、今俺の横で穏やかな顔をして一緒に星を眺めているぼさぼさの髪のせんぱいが好きなのだと思った。
そのせんぱいらしい、というらしさが好きなのかもしれないと、唐突に思ってしまった。

別に、せんぱいがゲイだって俺にいったから気になってるっていうのとは違うと思う。
そもそも、せんぱいがそうだと言ったとき碌な言葉を伝えられなかった俺が、それに期待するなんてそもそもおかしい。
なんだろうね。自分でもよく分からない。

それに、自分で自覚して初めて気が付く。
今の関係はとても心地よい。
そういう風にせんぱいがしてくれた部分と、せんぱいが元々持っている気質の関係もあるのだろう。
理科部は僕にとってとても居心地がいい。
僕がここでいつもみたいに、今気が付いたんですけど僕せんぱいが好きですって言ったらそれが全部ぶち壊しになってしまうかもしれない。
僕は先輩がゲイだと言った時にもそのままにしている。
この柔らかな雰囲気を壊すのは怖い。
そしてせんぱいを傷つけるのも怖い。

視線をせんぱいから空に戻す。
自宅の近くで見るよりも星は沢山沢山見える。
綺麗な星をぼんやりと眺めてると、不意に北の空から南の空に向かって、一瞬光が流れた。

「あっ!」

思わず声を上げるとその流星は一瞬で消えてしまう。
願い事をする暇なんて全くない。

「見えた?」

隣からせんぱいの声がする。
真っ暗闇の中先輩が俺の事見えてるのかなんてわからないのに思わず何度もうなずきながら「見た!見えました流れ星!!」と答える。
せんぱいはどうだろうねって言っていたし、流れ星を見られるとは思ってなかった。

プラネタリウムみたいな星をただ二人で眺められるだけで充分だったのに、目の前を星が通り過ぎてくれた。

「でも、ほんと一瞬なんですね」

願い事を三回なんて話を聞いた事があるけれど到底無理だ。
せんぱいの方を見ると、せんぱいはこちらを見ていた。

「もしかして、流れ星見れるって分かってたんですか?」
「いや。極大期じゃないし、俺にも分かんなかったよ」

だから、自分の中で賭けてたんだ――
不思議なことを言った後、先輩が笑った気配がした。

「賭けてた?」
「そう、もしも二人で星を見てるときに流星を見つけられたら言おうと思ってた」

今日二人で空を見上げて、流れ星を見られる確率がどの位かは俺には分からない。
だけどさっき、流星をみれるか聞いたとき『どうだろうね』って返したせんぱいを思い出した。

「俺さ、君の事が好きなんだ」

先輩は、いつもの声で、そっとそう言った。

言い終わると、先輩はすぐに顔を空の方に向けてしまった。
暗闇になれた目とはいえ、彼の細かな顔色までは見れない。

まるで、返事なんてものを求めていないだろう態度と、その直前まで言っていた賭け。
流れ星を見れなかったら言わなかったであろう言葉。

「俺さ、君にゲイだって伝えたときに、普通の報告を聞くみたいに『そうですね』って返してくれたの嬉しかったんだ」

ぽつり、とせんぱいが言う。

「……あれは、ただ気の利いた事が何も言えなかっただけですよ」

俺がそう言うと、せんぱいは「そっか」と呟いた。
俺も空を見上げる。

「でも、嬉しかったものは嬉しかったんだ」
「それで俺の事好きになったんですか?」
「ん? 違う。一目ぼれだよ」

いつもの彼の言葉に質問するみたいに聞くと、せんぱいはいつもの様に答えてくれた。
先輩があの日の事を嬉しいと思ってくれてるとは思わなかった。

気の利いた事なんて何も言えなかった俺の言葉を嬉しいって思っていたとは知らなかった。
だけど、どうしたらいいのか分からなくて答えた言葉で好きになったわけじゃないと聞いて少しだけ安心してしまった。
結果として先輩が嬉しい言葉になったのは多分偶然で、それを愛してるのだとしたらと思ってしまったから。

「俺もせんぱいの事好きですよ」

空を眺めながら言った。
とてもじゃないけど、せんぱいの顔を見ながらは言えそうになかった。

「友達として?」
「いや、そういうんじゃなくて」
「俺のは粘膜接触したい的なやつなんだけど」

ねんまく、という言葉が一瞬どういう言葉かが分からなかった。
でも、それがどういう意味か分かってから、やっぱり先輩らしいなって思った。

「多分せんぱいと同じやつです」

「え!?」

僕の横のミノムシの形の寝袋がばたっと跳ねた。

「いつから!?」
「多分、いまさっきから」

だから、それが本当にいろんな欲をはらむものなのかは自分でもよく分からない。
というかよく分からないから多分好きなのかもしれないとも思う。
僕の隣でぼさぼさの髪の毛で「え?……ええ!?」って言ってる人は俺にはよく分からない人で、でもせんぱいはせんぱいらしいと思う。

何かもごもごと言葉にならない声を出している先輩から、視線を空に戻す。
また、一筋の星が流れた。
何が嬉しいのか、よく分からないけれど、嬉しい気持ちがお腹の中でじわじわと膨らんでいくようだった。

* * *

夜半まで二人で星を見た後、二人で並んで戻る。

何度か先輩の指先が触れるのが気配で分かる。
せんぱいの手は少し熱い。
偶然かなと思っていると、ぎゅうと握られる。
せんぱいに握られた手は汗ばんでいて、その汗が自分の物なのかせんぱいのものなのかよく分からなかった。
会話はなにも無かった。

付き合おうかとも言われなかったけれど、俺はそれはどちらでもよかった。
せんぱいの、そのじっとりと濡れた手が熱くて、それだけが現実な気がして、ふわふわした気持ちのまま、バンガローに戻ってそれからすぐに寝てしまった。

* * *

翌朝目を覚ます。

「おはようございます」

僕が言うと先輩は一瞬体を固くしたように硬直した。
今日は後はほぼ帰るだけの予定だ。
荷物が多くなりすぎてしまうから。

せんぱいは少し疲れている様に見えた。

「大丈夫ですか?
お腹すきましたか?」

僕が聞くと、せんぱいはほっとしたように笑った。

「そうだね。朝ごはんにしようか」

そう言った。
本当はほんの少しだけ、気恥ずかしい様な決まずい気持ちはあった。
せんぱいもたぶんそうなのだろう。
だけど、その部分は少しずつ今までの延長にしていきたい。

* * *

帰りのバスでせんぱいは、隣の席で眠ってしまった。
うつらうつらする、せんぱいを見るのはこれで二回目。
多分昨日はあまり眠れなかったのかもしれないと察することくらい僕だってできる。
多分一昨日もあまり眠れてなかったのかもしれない。

賭けとせんぱいは言っていたけれど、それに願いをのせなければならなかったのだろうというのは分かる。
僕も同じ位理科部は居心地がよかった。

それを壊してしまうのは怖い。

眠ってしまった先輩の頭が僕の肩にのる。
やっぱり前と同じでせんぱいの髪の毛はかなりさらさらしている。

少し汗のにおいがするけど、あまり気にならなかった。
僕がせんぱいを好きだと気が付いたからかもしれない。

温かくて重い先輩の体重の一部を感じながら僕はいったいいつから先輩のことを好きになったのか考えて、思い出してもよくわからないことに気が付いた。
だけど、先輩の隣の居心地がとてもいい事だけは確かだった。