二つの時計の針は、そろそろ12の数字の上でぴったり重なりそうだ。
お昼前はどうも、集中力が欠けてしまう。リュックから眼鏡ケースを取り出し、眼鏡拭きを取った。
「キミたちは来年受験生デス。私の授業は聞いても聞かなくてもどっちでも良いですけどネー、私のテストが取れないなら受験は落ちますカラ。」
おじいちゃんが日本史図説をペラペラしながら偉そうに放つ。
島先生の評価は二極化している。人間味のある面白おじいちゃんか、ウザいジジイか。
教科書に書いてある説明よりも、図説に書いてある仏像の知識であったり、戦国武将の裏話を教えてくれるのが特徴だ。塾である程度日本史をやっている真は、同じことを2度やるのは苦痛だと感じていたため、そういった塾では習えない知識を教えてくれる存在は、知識も増強できる点でもたいへんありがたかった。生徒によっては、仏像の知識なんて受験に出ないんだから聞かなくていいというヤツもいるが、そういうタイプは教科書の知識の勉強すらやらない。島先生のテストは基本が六割、残りの四割は授業を聞いていないと絶対に知らない初見殺しの問題のため、授業を聞かない、テスト前だけ頑張る生徒は高確率でテストの点数が下がる。そこに島先生の追い打ちがかかる。
「あのネェ、この程度の問題で平均点六割超えていないのはアリエナイですヨ。キミたちネェ、こんなんじゃ日東駒専も平気で落ちるネ」
まあまあ偏差値が高いこの高校で、日東駒専のことを当たり前に安全校だと思っている六割以下のヤツらはプライドにヒビが入る。めでたく“ウザいジジイ”という評価の完成だ。
真は授業が面白くて、ためになるならどんな先生でも良い。さらに、授業を真面目に受けない生徒に厳しい先生だと、なお良し。生徒を容赦なく斬り捨てる先生を見ながら、ざまあみろ、と心の中でニヤけることができる。
「さあさあ、始めようカ。今日はァ室町文化をやりマス。図説の138ページ開いてくだサイ。」
言われたとおりに図説を開き、レンズが鮮明になった眼鏡をかけ直して姿勢を正した。授業中、真のメモをとる手を止めさせないのは、島先生と、イケオジの古文の立花先生くらいである。今年も二人の先生の授業を受けることができてラッキーだ。
文化は同じ時代の政治や事件とは別枠に感じてしまう。塾でやる参考書も文化は文化史として、後回しですべて最後にまとめて勉強するように作られている。政治や事件は流れが掴めるけれど、文化は多少、流派の流れはあっても基本は暗記だと思う。
「まず、能ネ。能っていうのは簡単にいうと劇のことでス。先生はァ京都に行ったときに能を見たんだけどサ。あれはァ、ほんっっとにツマラナイ!」
おじいちゃんは手を頭上で振りながら、あれはきっとキミたちもツマラナイよ。オススメしない、と目を細めて笑いながら説明する。開始五分で外に出ましタとコソッというと、周りの生徒からクスクスっと笑みが溢れる。
「先生は仏像あんなに好きなのに?」
教室の後ろから倉本のツッコミが聞こえた。おじいちゃんは、くらべたらダメ、全然チガウ!と反論した。
初めて島先生の授業を受けた時、
「私は仏像のせいで手フェチになったんですヨ。ほら、この中宮寺半跏思惟像を見てくださいヨォ!この右手。美しいでショ!考えたらね、いまの奥さんもね、手がキレイだったのヨ。だからね、キミたちにもねェ、ぜひ手フェチになってもらいたイ!そしてネ、手がキレイな女性と付き合いまショウ」
と、ユニークな仏像トークであっという間に心を掴まれた。
図説をみて、紙の付箋を貼る。青いボールペンで“能はつまらない”と書き込んだ。本当につまらないかはいつか自分で確かめたい。他のページの付箋も振り返る。中宮寺半跏思惟像には、“先生を手フェチにした仏像”の付箋。織田信長や、お市、豊臣秀吉、明智光秀。それぞれ一言書いてある付箋が貼ってある。どの話もお気に入りだ。
おじいちゃんの止まることを知らない声がすぐそこから聞こえる。それをそのまま再現するように、ひたすら青いボールペンでノートを汚していく。多くの人は一番前はハズレと考えるが、真はむしろ運がいいと感じた。先生との距離が近いから話が入って来やすいし、目を細めなくても黒板を見ることができる。勉強にはうってつけの場所だ。他のクラスメイトが何をしているか観察できないのは残念だが、授業中にスマホをいじるようなヤツが目に入ってイライラしなくて済むのは大きなメリットだ。
ふと、南のことが気になった。校則違反は気になるが、昨日の自己紹介や、地学の教科書を見た時の反応的には、勉強をしなさそうではない。
「···千利休と秀吉の関係はそんなところでしょウ」
やってしまった。急に声が聞こえてきて、慌てて先生が言っていた内容を思い出そうとする。大切そうな部分は右耳から過ぎて随分遠くに行ってしまっていた。
おじいちゃんの授業はあっという間に過ぎ、授業の終わりを告げる鐘がなる。真は背中を伸ばす。ずっとメモを取っていた右手をグーパーし、自分が残したメモを見て、口角をあげた。
「号令」
島先生が声を上げると、あたりは静寂に包まれる。堺は寝ていた。誰でもいいかラ、じゃあキミ、号令。と真と目を合わせてきた。
「あ、はい、起立!」
生徒がゆるゆると立ち上がる。
「気をつけ、礼」
ありがとうございましたーと言う声がしたあと、先生はさっさと教室を出た。
ふー、と息を吐き、ゆっくり椅子に座った。教室には二種類の声が生まれる。
「また島先生で当たりだよね」
「斉藤先生じゃなくてよかったー」
同感。斉藤先生は逆に教科書しかやらないし、いくら内職しても何も言わないから、それなら授業ではなくて自習でいいのではと思ってしまう。申し訳ないが。
スマホをスクロールしながらデカい声で騒ぐ。
「ガチであいつウザくね?ハズレだわ」
「斎藤の方がいいー、ゲームしてても何も言わんし」
こういう意見とは、一生合う気がしない。
南はどうだろうか、と後ろに体を向ける。目線を下げると机には何も置いてない。頬杖をつきながらスマホをスクロールする南が目にはいる。これじゃあ分からない。
「どうした?」
不思議そうにする目とぶつかった。
「授業、ちゃんと受けてる?」
「聞いてはいるよ」
「…教科書は?」
「重いし持って来てない」
授業に教科書を持ってこなくて、どうやって勉強するんだよ。でもまぁ、陽キャだし、そんなものか。
「変な顔してる。どうしたの?」
「なんでもない」
南はスマホを置き、真に目を向けた。
何をそんなに見ていたのかが気になってしまった。真の視線に気づき、南は気になるの?と教えてくれた。
「攻略法を見てた」
「何の」
「ゲーム」
「授業中に?」
「そう」
全く悪気がなさそうで、理解ができない。この話はやめよう。
「なかなかクリアできなくてさ、早く親愛度コミュ見たいのに」
お弁当を取り出そうとしたところで、親愛度コミュという言葉にセンサーが反応した。
「親愛度って···、何のゲーム?」
「ん、アイドルライフ」
「え!やってるの!?」
真は勢いで南に対して前のめりになってしまった。びっくりしたーと南はスマホを真に向けた。
「このカードの使い方難しくて、使い方調べてた」
見せられた画面には、最新のガチャでピックアップされたアイドルがうつる。赤い髪がなびく、スタイルのいい女の子。
「このカード持ってるの?ズルい」
「なに、あかねちゃん好きなの?」
「担当」
そーなんだ、無料10連で出たんだけどなーと余裕な笑みでマウントしてきた。今まで貯めてきた無償のコインを全部投下しても出なかったのに。
真はスマートフォンをリュックのポケットから取り出し、アイドルライフを起動した。
「フレンド交換する?」
「···する」
一瞬ためらったが、交換しておくと設定しているサポートカードをレンタルできるので、交換するメリットは大きい。
「これ?ねぎってやつ」
「うん」
「なんで、ねぎなの」
「···なんとなく」
「ネーミングセンスないね」
「南も地蔵じゃん、変わらないだろ」
「全然違うよ」
真はどこが、と不満をこぼす。わかってないねと南は呆れた声をわざと出す。
「どうせ思いついたもの、そのままユーザーネームにしたんでしょ」
「そういうものだろ」
「じゃあ真は僕がお地蔵さんを思いついたからそのままユーザーネームにしたと思ってるんだ」
「違うの?」
「僕はね、織田信長のお地蔵さんの話が一番好きなんだ」
「え、知ってるのか?」
「島先生が授業で言ってたじゃん」
意外だった。
「え、だって授業中スマホいじってるんだろ?」
「聞いてはいるって言ったでしょ」
僕、器用なんだよね〜とあくびをした。さっき開いた図説の付箋を思い出す。
「···俺もその話気に入ってる」
「面白いよね、でも真はどっちかというと、お市の話の方が好きそうだけど」
すべて見透かした目で見つめてきた。この人がちょっと、怖いかも知れない。
「当たりか〜」
「···何でそうだと分かった」
「だって、担当あかねちゃんでしょ?タイプが分かりやすすぎだよ」
言われて気がついた。確かに、似ている。
「···南は誰が担当なの?」
僕はね、とスマホをスクロールする。
「よく寝たーー」
横から聞き覚えのある声がした。
「堺」
「昼食おうぜ」
堺が弁当と椅子を持って来た。
「堺は島先生好き?」
南はコッペパンを頬張りながら聞いた。
「好きだよ、面白いじゃん、あのじいちゃん」
「さっき寝てただろ」
聞き心地がいいんだよね、と開き直る。目の前で、マシンガントークされてよく寝れるな、と変に感心した。
「何の話が好き?僕は織田信長のお地蔵さんの話」
「俺は、お市」
二人を見て、堺は複雑そうな顔をする。
「何だっけその話」
「覚えてないの?」
「1年のときでしょー、なんか言ってたような気がするけどもう忘れたよ」
あ、言い忘れてたと堺は自分を指差した。
「オレ、授業はちゃんとやる人間だけど、それと頭の良さは比例してないから」
自慢げに宣言してから唐揚げを美味しそうに食べた。寝てたけどな。
真は昨日の夜と同じおかずを食べる。昨日食べて美味しかったから、今日も弁当に入っていて嬉しい。
「真のお弁当って変わってるね」
「···変わってる?」
少し冷たい言い方になってしまった。昔、真の弁当を見て、質素だとバカにしてきたヤツを思い出し、警戒してしまった。
「冷凍食品がなくて、ラップで包んであるの珍しい」
南は、最後の一口を食べながら、真の弁当を指差した。
「昨日の夜ご飯をそのままラップして、詰めてもらってるから」
堺は夢中になって卵焼きを口に入れている。
「ラップしてたら見た目は微妙だけど洗い物楽になるし、傾けても崩れない。おかずは朝作るの面倒だから、夜ご飯と同じやつ詰めるって言われたけど、栄養にはいいから俺は満足してる」
「いい親だね」
そう言って南はおにぎりを開け始めた。バカにされたわけではないと分かり、肩の力が抜けた。
そして、わからないが、普通はしょっぱいおにぎりを食べてから、甘いコッペパンを食べるのでは?
「でさー、織田信長とかお市?って何だっけ」
堺は教えてー!と期待した眼差しで見てくる。
そこからは、真と南が交互に説明した。
織田信長は、超合理的な人。安土城を建てる時、石の階段を作っていたけど、石が足りなくなって。そこで信長はすぐ側にあった地蔵をそのまま石の階段に埋め込んだ。今でも見られるらしい。合理的だけど、地蔵を踏むことになることを躊躇ないのはかなり倫理観が欠如していると思う。
お市はね、信長の妹なんだけど、戦略的結婚として、浅井長政っていう信長の敵と結婚したの。そこからは同盟を組んで、夫婦仲も良かったみたい。けど、浅井長政と組んでるヤツが信長と対立しちゃって、その報復で浅井長政とお市は城で囲まれちゃう。浅井長政はお市を逃がした。そのあと、お市は柴田勝家と再婚することになる。けど、それも信長の部下の豊臣秀吉に攻撃されて、また危機に陥っちゃうんだ。柴田勝家はお市を逃がそうとしたけど、お市は、もう目の前で愛する人は死ぬのは見たくない。私も死ぬ。と言って子どもを逃がして、一緒に自害して亡くなったんだよね。かっこいいよね。
真は、南がここまでちゃんと覚えていることに驚いた。正直にいうと、真もノートを見直さなければ南ほどは話せなかっただろう。
「へー、二人ともすごいね、確かにそんなのあったわ。で、まこっちはお市みたいな人がタイプなの?」
堺は、ニヤリと笑いかけてきた。
「え」
「だってさっき、そんな話ししてたじゃん」
聞かれていたのか。
「まあ、かっこいいと思う。けど、尊敬するだけでタイプかは分からない」
「えー、つまんない!彼女とかいないの?」
「いない。恋人を作る暇があったら勉強したい」
「げ、真面目かよぉー」
半分本当で、半分嘘。本当に好きな人ができたならば普通に付き合いたい。中途半端な付き合いが嫌なだけだ。
「ま、オレはいるんだけどね!」
堺は勝ち誇った顔でピースしてきた。
「ウソだろ···」
「これでまこっちよりは先輩だねー、よしよし、恋愛の相談は堺先生に任せなさい!」
真の首を堺の腕が強引に囲った。
「おい、苦しいって」
「何だよー、オレとまこっちの仲じゃん」
微笑ましそうに南が笑う。
「そういえば、みなみんは彼女いるの?」
「いないよ」
「え、じゃあオレは二人の先輩じゃんか!」
やったー!とガッツポーズをする。楽しそうだな。
しかし南に彼女がいないのは意外だ。顔も良くて、背も高いし、昨日から女子が南の席に寄ってくる。
「意外!みなみんモテそうなのにー」
「そんなことないよ」
うーん、なんでモテないのかなーと堺は考える。堺は素直だ。そんなことないよ、は謙遜だろう。実際はモテてるに違いない。それを堺に教えてやろうと声をかけようとすると、あ、わかった!と立ち上がった。
「気になる子いるんでしょ!」
堺はそうに違いない!だから、きっと告白されても断ってるんだと推理した。
そんなことないだろうと、南の反応を確認する。
「そうかもね」
南はぎこちなく笑い、目線を下げた。
「え、」
「ほら!やっぱり!!」
オレは恋愛のことは鋭いんだと、推理を当てた嬉しさで舞い上がっている。堺は気づいていないのだろう。南の様子を見て、しばらく硬直してしまった。
「ん、どうした?」
「あ、いや、何でもない···」
南は、そう?と言って手を洗いに行ってしまった。
お昼前はどうも、集中力が欠けてしまう。リュックから眼鏡ケースを取り出し、眼鏡拭きを取った。
「キミたちは来年受験生デス。私の授業は聞いても聞かなくてもどっちでも良いですけどネー、私のテストが取れないなら受験は落ちますカラ。」
おじいちゃんが日本史図説をペラペラしながら偉そうに放つ。
島先生の評価は二極化している。人間味のある面白おじいちゃんか、ウザいジジイか。
教科書に書いてある説明よりも、図説に書いてある仏像の知識であったり、戦国武将の裏話を教えてくれるのが特徴だ。塾である程度日本史をやっている真は、同じことを2度やるのは苦痛だと感じていたため、そういった塾では習えない知識を教えてくれる存在は、知識も増強できる点でもたいへんありがたかった。生徒によっては、仏像の知識なんて受験に出ないんだから聞かなくていいというヤツもいるが、そういうタイプは教科書の知識の勉強すらやらない。島先生のテストは基本が六割、残りの四割は授業を聞いていないと絶対に知らない初見殺しの問題のため、授業を聞かない、テスト前だけ頑張る生徒は高確率でテストの点数が下がる。そこに島先生の追い打ちがかかる。
「あのネェ、この程度の問題で平均点六割超えていないのはアリエナイですヨ。キミたちネェ、こんなんじゃ日東駒専も平気で落ちるネ」
まあまあ偏差値が高いこの高校で、日東駒専のことを当たり前に安全校だと思っている六割以下のヤツらはプライドにヒビが入る。めでたく“ウザいジジイ”という評価の完成だ。
真は授業が面白くて、ためになるならどんな先生でも良い。さらに、授業を真面目に受けない生徒に厳しい先生だと、なお良し。生徒を容赦なく斬り捨てる先生を見ながら、ざまあみろ、と心の中でニヤけることができる。
「さあさあ、始めようカ。今日はァ室町文化をやりマス。図説の138ページ開いてくだサイ。」
言われたとおりに図説を開き、レンズが鮮明になった眼鏡をかけ直して姿勢を正した。授業中、真のメモをとる手を止めさせないのは、島先生と、イケオジの古文の立花先生くらいである。今年も二人の先生の授業を受けることができてラッキーだ。
文化は同じ時代の政治や事件とは別枠に感じてしまう。塾でやる参考書も文化は文化史として、後回しですべて最後にまとめて勉強するように作られている。政治や事件は流れが掴めるけれど、文化は多少、流派の流れはあっても基本は暗記だと思う。
「まず、能ネ。能っていうのは簡単にいうと劇のことでス。先生はァ京都に行ったときに能を見たんだけどサ。あれはァ、ほんっっとにツマラナイ!」
おじいちゃんは手を頭上で振りながら、あれはきっとキミたちもツマラナイよ。オススメしない、と目を細めて笑いながら説明する。開始五分で外に出ましタとコソッというと、周りの生徒からクスクスっと笑みが溢れる。
「先生は仏像あんなに好きなのに?」
教室の後ろから倉本のツッコミが聞こえた。おじいちゃんは、くらべたらダメ、全然チガウ!と反論した。
初めて島先生の授業を受けた時、
「私は仏像のせいで手フェチになったんですヨ。ほら、この中宮寺半跏思惟像を見てくださいヨォ!この右手。美しいでショ!考えたらね、いまの奥さんもね、手がキレイだったのヨ。だからね、キミたちにもねェ、ぜひ手フェチになってもらいたイ!そしてネ、手がキレイな女性と付き合いまショウ」
と、ユニークな仏像トークであっという間に心を掴まれた。
図説をみて、紙の付箋を貼る。青いボールペンで“能はつまらない”と書き込んだ。本当につまらないかはいつか自分で確かめたい。他のページの付箋も振り返る。中宮寺半跏思惟像には、“先生を手フェチにした仏像”の付箋。織田信長や、お市、豊臣秀吉、明智光秀。それぞれ一言書いてある付箋が貼ってある。どの話もお気に入りだ。
おじいちゃんの止まることを知らない声がすぐそこから聞こえる。それをそのまま再現するように、ひたすら青いボールペンでノートを汚していく。多くの人は一番前はハズレと考えるが、真はむしろ運がいいと感じた。先生との距離が近いから話が入って来やすいし、目を細めなくても黒板を見ることができる。勉強にはうってつけの場所だ。他のクラスメイトが何をしているか観察できないのは残念だが、授業中にスマホをいじるようなヤツが目に入ってイライラしなくて済むのは大きなメリットだ。
ふと、南のことが気になった。校則違反は気になるが、昨日の自己紹介や、地学の教科書を見た時の反応的には、勉強をしなさそうではない。
「···千利休と秀吉の関係はそんなところでしょウ」
やってしまった。急に声が聞こえてきて、慌てて先生が言っていた内容を思い出そうとする。大切そうな部分は右耳から過ぎて随分遠くに行ってしまっていた。
おじいちゃんの授業はあっという間に過ぎ、授業の終わりを告げる鐘がなる。真は背中を伸ばす。ずっとメモを取っていた右手をグーパーし、自分が残したメモを見て、口角をあげた。
「号令」
島先生が声を上げると、あたりは静寂に包まれる。堺は寝ていた。誰でもいいかラ、じゃあキミ、号令。と真と目を合わせてきた。
「あ、はい、起立!」
生徒がゆるゆると立ち上がる。
「気をつけ、礼」
ありがとうございましたーと言う声がしたあと、先生はさっさと教室を出た。
ふー、と息を吐き、ゆっくり椅子に座った。教室には二種類の声が生まれる。
「また島先生で当たりだよね」
「斉藤先生じゃなくてよかったー」
同感。斉藤先生は逆に教科書しかやらないし、いくら内職しても何も言わないから、それなら授業ではなくて自習でいいのではと思ってしまう。申し訳ないが。
スマホをスクロールしながらデカい声で騒ぐ。
「ガチであいつウザくね?ハズレだわ」
「斎藤の方がいいー、ゲームしてても何も言わんし」
こういう意見とは、一生合う気がしない。
南はどうだろうか、と後ろに体を向ける。目線を下げると机には何も置いてない。頬杖をつきながらスマホをスクロールする南が目にはいる。これじゃあ分からない。
「どうした?」
不思議そうにする目とぶつかった。
「授業、ちゃんと受けてる?」
「聞いてはいるよ」
「…教科書は?」
「重いし持って来てない」
授業に教科書を持ってこなくて、どうやって勉強するんだよ。でもまぁ、陽キャだし、そんなものか。
「変な顔してる。どうしたの?」
「なんでもない」
南はスマホを置き、真に目を向けた。
何をそんなに見ていたのかが気になってしまった。真の視線に気づき、南は気になるの?と教えてくれた。
「攻略法を見てた」
「何の」
「ゲーム」
「授業中に?」
「そう」
全く悪気がなさそうで、理解ができない。この話はやめよう。
「なかなかクリアできなくてさ、早く親愛度コミュ見たいのに」
お弁当を取り出そうとしたところで、親愛度コミュという言葉にセンサーが反応した。
「親愛度って···、何のゲーム?」
「ん、アイドルライフ」
「え!やってるの!?」
真は勢いで南に対して前のめりになってしまった。びっくりしたーと南はスマホを真に向けた。
「このカードの使い方難しくて、使い方調べてた」
見せられた画面には、最新のガチャでピックアップされたアイドルがうつる。赤い髪がなびく、スタイルのいい女の子。
「このカード持ってるの?ズルい」
「なに、あかねちゃん好きなの?」
「担当」
そーなんだ、無料10連で出たんだけどなーと余裕な笑みでマウントしてきた。今まで貯めてきた無償のコインを全部投下しても出なかったのに。
真はスマートフォンをリュックのポケットから取り出し、アイドルライフを起動した。
「フレンド交換する?」
「···する」
一瞬ためらったが、交換しておくと設定しているサポートカードをレンタルできるので、交換するメリットは大きい。
「これ?ねぎってやつ」
「うん」
「なんで、ねぎなの」
「···なんとなく」
「ネーミングセンスないね」
「南も地蔵じゃん、変わらないだろ」
「全然違うよ」
真はどこが、と不満をこぼす。わかってないねと南は呆れた声をわざと出す。
「どうせ思いついたもの、そのままユーザーネームにしたんでしょ」
「そういうものだろ」
「じゃあ真は僕がお地蔵さんを思いついたからそのままユーザーネームにしたと思ってるんだ」
「違うの?」
「僕はね、織田信長のお地蔵さんの話が一番好きなんだ」
「え、知ってるのか?」
「島先生が授業で言ってたじゃん」
意外だった。
「え、だって授業中スマホいじってるんだろ?」
「聞いてはいるって言ったでしょ」
僕、器用なんだよね〜とあくびをした。さっき開いた図説の付箋を思い出す。
「···俺もその話気に入ってる」
「面白いよね、でも真はどっちかというと、お市の話の方が好きそうだけど」
すべて見透かした目で見つめてきた。この人がちょっと、怖いかも知れない。
「当たりか〜」
「···何でそうだと分かった」
「だって、担当あかねちゃんでしょ?タイプが分かりやすすぎだよ」
言われて気がついた。確かに、似ている。
「···南は誰が担当なの?」
僕はね、とスマホをスクロールする。
「よく寝たーー」
横から聞き覚えのある声がした。
「堺」
「昼食おうぜ」
堺が弁当と椅子を持って来た。
「堺は島先生好き?」
南はコッペパンを頬張りながら聞いた。
「好きだよ、面白いじゃん、あのじいちゃん」
「さっき寝てただろ」
聞き心地がいいんだよね、と開き直る。目の前で、マシンガントークされてよく寝れるな、と変に感心した。
「何の話が好き?僕は織田信長のお地蔵さんの話」
「俺は、お市」
二人を見て、堺は複雑そうな顔をする。
「何だっけその話」
「覚えてないの?」
「1年のときでしょー、なんか言ってたような気がするけどもう忘れたよ」
あ、言い忘れてたと堺は自分を指差した。
「オレ、授業はちゃんとやる人間だけど、それと頭の良さは比例してないから」
自慢げに宣言してから唐揚げを美味しそうに食べた。寝てたけどな。
真は昨日の夜と同じおかずを食べる。昨日食べて美味しかったから、今日も弁当に入っていて嬉しい。
「真のお弁当って変わってるね」
「···変わってる?」
少し冷たい言い方になってしまった。昔、真の弁当を見て、質素だとバカにしてきたヤツを思い出し、警戒してしまった。
「冷凍食品がなくて、ラップで包んであるの珍しい」
南は、最後の一口を食べながら、真の弁当を指差した。
「昨日の夜ご飯をそのままラップして、詰めてもらってるから」
堺は夢中になって卵焼きを口に入れている。
「ラップしてたら見た目は微妙だけど洗い物楽になるし、傾けても崩れない。おかずは朝作るの面倒だから、夜ご飯と同じやつ詰めるって言われたけど、栄養にはいいから俺は満足してる」
「いい親だね」
そう言って南はおにぎりを開け始めた。バカにされたわけではないと分かり、肩の力が抜けた。
そして、わからないが、普通はしょっぱいおにぎりを食べてから、甘いコッペパンを食べるのでは?
「でさー、織田信長とかお市?って何だっけ」
堺は教えてー!と期待した眼差しで見てくる。
そこからは、真と南が交互に説明した。
織田信長は、超合理的な人。安土城を建てる時、石の階段を作っていたけど、石が足りなくなって。そこで信長はすぐ側にあった地蔵をそのまま石の階段に埋め込んだ。今でも見られるらしい。合理的だけど、地蔵を踏むことになることを躊躇ないのはかなり倫理観が欠如していると思う。
お市はね、信長の妹なんだけど、戦略的結婚として、浅井長政っていう信長の敵と結婚したの。そこからは同盟を組んで、夫婦仲も良かったみたい。けど、浅井長政と組んでるヤツが信長と対立しちゃって、その報復で浅井長政とお市は城で囲まれちゃう。浅井長政はお市を逃がした。そのあと、お市は柴田勝家と再婚することになる。けど、それも信長の部下の豊臣秀吉に攻撃されて、また危機に陥っちゃうんだ。柴田勝家はお市を逃がそうとしたけど、お市は、もう目の前で愛する人は死ぬのは見たくない。私も死ぬ。と言って子どもを逃がして、一緒に自害して亡くなったんだよね。かっこいいよね。
真は、南がここまでちゃんと覚えていることに驚いた。正直にいうと、真もノートを見直さなければ南ほどは話せなかっただろう。
「へー、二人ともすごいね、確かにそんなのあったわ。で、まこっちはお市みたいな人がタイプなの?」
堺は、ニヤリと笑いかけてきた。
「え」
「だってさっき、そんな話ししてたじゃん」
聞かれていたのか。
「まあ、かっこいいと思う。けど、尊敬するだけでタイプかは分からない」
「えー、つまんない!彼女とかいないの?」
「いない。恋人を作る暇があったら勉強したい」
「げ、真面目かよぉー」
半分本当で、半分嘘。本当に好きな人ができたならば普通に付き合いたい。中途半端な付き合いが嫌なだけだ。
「ま、オレはいるんだけどね!」
堺は勝ち誇った顔でピースしてきた。
「ウソだろ···」
「これでまこっちよりは先輩だねー、よしよし、恋愛の相談は堺先生に任せなさい!」
真の首を堺の腕が強引に囲った。
「おい、苦しいって」
「何だよー、オレとまこっちの仲じゃん」
微笑ましそうに南が笑う。
「そういえば、みなみんは彼女いるの?」
「いないよ」
「え、じゃあオレは二人の先輩じゃんか!」
やったー!とガッツポーズをする。楽しそうだな。
しかし南に彼女がいないのは意外だ。顔も良くて、背も高いし、昨日から女子が南の席に寄ってくる。
「意外!みなみんモテそうなのにー」
「そんなことないよ」
うーん、なんでモテないのかなーと堺は考える。堺は素直だ。そんなことないよ、は謙遜だろう。実際はモテてるに違いない。それを堺に教えてやろうと声をかけようとすると、あ、わかった!と立ち上がった。
「気になる子いるんでしょ!」
堺はそうに違いない!だから、きっと告白されても断ってるんだと推理した。
そんなことないだろうと、南の反応を確認する。
「そうかもね」
南はぎこちなく笑い、目線を下げた。
「え、」
「ほら!やっぱり!!」
オレは恋愛のことは鋭いんだと、推理を当てた嬉しさで舞い上がっている。堺は気づいていないのだろう。南の様子を見て、しばらく硬直してしまった。
「ん、どうした?」
「あ、いや、何でもない···」
南は、そう?と言って手を洗いに行ってしまった。
