目を覚ますと、見慣れた天井が見えた。
昨日の嵐も、すっかりいなくなり、平穏だ。
よかった、夢だった。
南は、はーっと息を吐いた。肩の力がすっと抜け、布団に沈み込んだ感覚がした。
よいしょと、体を起こそうとすると、重りを乗せたように体が重い。這いつくばりながら何とか上半身を起こすと、違和感を感じた。
手が長い。
足も長い。
視点を二個ほど遠くした感じがした。
理解が追いつかず、頬をつねる。しっかり痛みを感じる。手のひらを見る。小学生の手では無い、長くて、ゴツゴツした手だ。
そのまま慣れない体を引きずり、まっすぐ進んで、洗面台の前に立つ。
鏡を見て、呆然とした。
これは、僕?
昔の南の顔の面影は感じられた。
背は伸び、体もふた周り大きくなっている。
そうだ、日付を確認しよう。
すぐさま寝室に戻り、枕元にあるスマホを手に取った。電源を押すと、つかない。よく見たら、紫だったスマホは、黒くなって、少し大きくて重い。
側面にあるボタンをいくつか押してみると、画面が表示された。
ロック画面には、2021/5/6の文字。
四年後…?
何か手がかりがあるかもと、スマホを開けようとすると、パスワードを要求される。試しに、前に設定していた数字を入れると、簡単に開いた。
とりあえず、ラインを開く。アカウントは、みなみとそのまま引き継がれている。
見覚えのないアイコンがいくつか並んでいる。
下にスクロールすると、知っているアカウントが増えてきた。
とりあえず、誰かと入れ替わったわけでは、なさそうだ。
そのまま適当に、アイコンを押してトーク画面を開く。
全く、見覚えのない会話。何かを確認し合っている。
次のアイコンも押す。分からない。
次も次も、その次も、何も分からない。
背中が強張る。
まだ、きっと、大丈夫。
写真フォルダを開いた。人が写る写真が全然残っていない。もともと、自撮りとかはしないタイプだったな。
一番上の、書類の写真みたいなものをタップした。四角が沢山。名前と、番号が乗っている。
写真の上側に、〈1-c 座席表〉と書かれている。
南は口元に手を当てた。
四年後ということは、中学三年生か?
いや、小学五年生はもうほぼ終わってたから、小学六年生から四年後と考えると、高校一年生。これは、高校のクラスの座席表か?
右下に、二ノ瀬南の文字も見える。全体を見渡すと、倉本の字が自然と目に入った。
南はピンときた。写真フォルダを閉じ、再びラインを開く。
一番上のアイコンのプロフィールをみた。倉本の文字が表れる。
胸に不快感を覚える。
おそらく、予想は間違っていない。
記憶が無くなった。
頭が、真っ白になる。
すぐに、もう一つ、嫌なパターンが、頭を埋め尽くす。
父は脳の病気だった。
自分は、記憶を無くしたのかもしれない。
じゃあ、僕は、脳の病気…?
お父さんみたいに…
胸のあたりに、太い針が刺さった。
次に手が震え出す。すぐに足も感覚がなくなり、布団に倒れ込んだ。
…まだ分からない。
とりあえず、もう疲れた。
怖い夢を見て、起きて安心したら記憶が無くなっていて、病気かも、しれなくて。
目を閉じる。
ふかふかな布団が気持ち良い。
頬に暖かな刺激が走る。そこの窓からだ。
一度と深呼吸をすると、食欲をそそる香りがしてくる。ホットケーキの甘い香りだ。下から、明るい声が聞こえてくる。
「部活終わったら友達とご飯行くね」
「お母さんは出勤するから、夜遅くなる」
まだ降りてこないね、と妹が言う。
休みだからいいじゃない、ゆっくりさせておけば、と母が言う。知らない誰かが、画面の向こうから昨日あった出来事を淡々と喋る。笑い声、食器が当たる音がする。
昔よりも、元気な妹の声。
変わらない、母の声。
もう、部活に入る年齢か。
母はあれから仕事を始めたのか。
「みなみー、お母さん、ご飯食べたら仕事行くし、りおは部活だから、家事よろしくねー」
下から通る声で届いた。
「はーい」
耳に響く音は、ずいぶん低く、喉を震えさせる。
起きてるじゃん、と妹が言う。
起きてたね、と母が笑う。
南は、布団を掴み、声を押し殺して泣いた。
