「記憶が、ないって…」
頭が、真っ白になる。
お互い、何も発せず、時計の針がカチカチ音を鳴らす音だけが空間に響く。
さっきの、暗闇が何か関係しているのか。上を見上げ、蛍光灯を見た。今は正常に動いているが、いつまた消えるか分からない。
「とりあえず、ここを出よう」
南は、コクっと頷いた。
準備室を出て、誰もいなくなった教室の窓に、二人で寄りかかる。
ポツリと、ゆっくり、南が音を発する。
「真は小学校の頃の記憶がないって堺から聞いたけど、僕は逆で、小学校までの記憶しか、ない。」
真は、開いた口がふさがらない。
南はうつむいて、ため息をついた。前髪が顔にかかり、表情がわからない。こんなに弱気な南を、初めて見る。
「ちょっと、暗い話だけど、聞いてくれる?」
泣きそうな声に、鼻の奥がズキンとした。
真は、ゆっくり、頷いた。
南は、チャイムが鳴ってすぐに、大好きな親友のもとに、小さい体を駆使して、机をヒョイヒョイと避けながら走って行く。
「明日の予定、作ってきた!」
「なに?見せて!」
親友に、明日やるゲームの計画表を見せる。
「まずね、南の島に行って、虫とか、魚とか取って、お金を貯めるの!それでね、明日にはジャングルジムの寄付を全部終わらせる!」
「いいね、ツアーにも行こうよ!コイン貯めたいし」
「その次はね、ちょっと時間を進めて、エイプリルフールのイベントやろう!」
親友の顔が目と口がぱっと開き、笑顔が溢れ出す。楽しみ!楽しみ!と体全体像で表現する。くるくるのポニーテールが飛び跳ねている。
「なにしてるのー?」
隣から顔を覗き込んできた、丸い顔の少年は、南が描いた予定表に視線を移す。
まずいっと反射で紙を覆った。
「これはハルちゃんとの秘密なんですー」
「そうだよ!見ないで!!」
ちぇ、なんだよと、ふいっと顔をそむけ少年はどかどかと去っていった。
親友との秘密の計画。誰にも邪魔はされない、二人だけの神聖な空間だ。目を合わせて、同じタイミングでニカッと笑い合った。
これが、南の最後の楽しい記憶だった。
次の日、約束の時間までゲームをしていると、母がお父さんの言動がおかしい、救急車を呼ぼうかと相談してきた。
三日前から、四十度の熱があり、最近流行っているウイルスではないか、と家では隔離をし、時々母が様子をみていた。
ちょっと来てみて、というので、仕方なくゲームを閉じ、どうせ、いつもみたいにふざけてるんでしょと父の元へ向かう。
立ち上がった父は、目が半分閉じており、変な歩き方をした。ゆっくり、引きずるように足を動かし、しまいには壁にぶつかった。肩を叩いても、反応が遅い。ノロマに動く、ロボットのようだった。
明らかに、いつもと違う。おかしいと言い、そのまま救急車ではなく車で、母は父を連れて病院に行った。
遊びの時間まで、あと少し。遊びたいけど、ここで遊びに行くのはモヤモヤし、親友に電話をした。
「さっきさ、お父さんの様子が変でさ、今日無理そうかも」
「えー、そっかぁ。んー、それはしょうがないね、じゃあ、また月曜日、学校でね」
だいぶぐっすり眠っていた妹が、寝室から降りてきた。
母は帰ってくると、今すぐに来なさいと、いつもは命令口調ではないのに、そう言ったので、悪い予感がした。
脳の病気。もうだいぶ侵食していて、左目は見えていない。明日すぐに手術するけど、成功率は60%。万が一が、ある。
母は淡々と説明し、椅子に座って頭を抱えた。妹は、何も知らなかったため、急な出来事にうろたえ、やがてポロポロと涙を流しはじめた。
万が一ということは、死ぬ可能性があるということだ。急に三人だけの未来を想像した。
風景は変わらないが、見えない大きな穴が空いている。
偏っている。生と死のボーダーラインに、三人と、一人。
笑ってる、三人。いない、一人。
二度と、戻らない。
リビングで四人、日曜日の夜だけ、みんなで食べる、楽しいご飯が。
目の前には、太い管で何本も繋がれた父親が、横たわっている。口元には呼吸器があるため、顔はほとんど見えない。隣には心臓の動きを測る機械が、一定速度で音を鳴らす。後ろの方で、異常音が鳴り響き、バタバタと人が移動する気配がしていた。待合室にいた時よりも一段と濃い消毒液の匂い。壁が水色と緑を混ぜたような寒い色だからか、体に熱が感じられない。
目線を前にすると、妹はすすり泣き、見ていられないと母親に抱きついた。母親も、口をギュッとしめ、目を細めている。
この時、南は泣かなかった。
幼いながらも、自分が二人を支えるんだと強く誓った。
手術は無事成功した。待合室で宿題をしていたところに、ベッドで運ばれてきた父親。眠っているが、いつか目を覚ますと考えると、安心した。母親が頭を下げる。
真似して、ありがとうございましたと頭を下げた。
その日の夜に、病院で痙攣を起こし、亡くなった。
お葬式で学校を休まなければいけないので、次の日、朝の会が終わって、先生のもとに行った。亡くなったことを、身内の不幸と言うらしい。
「どうしたの?二ノ瀬くん」
自分の口で言うと、これが紛れもない現実だ、ということを実感して、こらえていた涙は、声を上げながら、たくさんあふれてきた。
春の嵐って、かっこいい名前だなと思っていたのに、実際に起こると、もう台風と一緒だ。
窓に細かい粒が打ち付け、風で少し家が軋む音がする。いつもは月があるから少し明るいのに、今夜は雲で隠れていて、この部屋は真っ暗闇だ。たまに一瞬光る。音がなるまで何秒か数え、遠いところだと確認すると、ゆっくり布団に横たわった。
この部屋は何も変わらない。もともと母と妹と三人で寝ていた。
地球も、今日は泣いている。
この悲鳴を聞いているみたいな状態で、寝れるのか不安だったが、目を閉じると、徐々に意識が遠のいていった。
南も、泣きつかれていたようだ。
ある髪の短い少年に出会う。
「こっちに来て」
誰かは分からないが、そのままついて行った。どうせ夢なんだから、と何も疑わずに。
見覚えのあった景色から、徐々に暗闇に入る。いつの間にか手を繋いでいた。
「ここ、座って」
手を離されたので、言う通りに座った。匂いはない。暗いけれど、どこかに松明があるのだろう。ぼんやりと、顔は見える。
少年はそのまま、離れていく。
「どこ行くの!」
追いかけようとしても、座った足は固まって動かなくなっている。
少年はゆっくり止まり、振り返って見下ろしながら、
「おまえ、いらない」
真っ直ぐな瞳だった。
見えないはずの扉がゆっくり閉まった。少年の姿が見えない。松明の灯りも、一緒に消える。
閉じ込められて、真っ暗闇で、何も見えない。
のどが乾いた気がする。でも、ここには水がない。乾いているかもと意識すると、より乾いた気がする。のどに、大きな飴がつっかかる感覚、だんだん気道がふさがっていく。
お腹が空いたらどうする。トイレに行きたくなったらどうする。誰か人はいないのか。
寒い。お腹の下の方が、ズンと痛む。
身体をぎゅっと、まとめた。耳からツーと、一定音が響く。悪い未来しか見えなくて、冷や汗が止まらない。目をゆっくりつぶった。
二人がいる。
母と、妹が、笑って、こっちを見ている。
僕はここで、死ぬのか。
こんな暗闇で、お腹が空いて、喉が渇いて、苦しみながら死ぬのか。
いや、夢だから、大丈夫。
深呼吸を1回。
早く起きろ、自分。
早く、
早く、
はやく!!!
頭が、真っ白になる。
お互い、何も発せず、時計の針がカチカチ音を鳴らす音だけが空間に響く。
さっきの、暗闇が何か関係しているのか。上を見上げ、蛍光灯を見た。今は正常に動いているが、いつまた消えるか分からない。
「とりあえず、ここを出よう」
南は、コクっと頷いた。
準備室を出て、誰もいなくなった教室の窓に、二人で寄りかかる。
ポツリと、ゆっくり、南が音を発する。
「真は小学校の頃の記憶がないって堺から聞いたけど、僕は逆で、小学校までの記憶しか、ない。」
真は、開いた口がふさがらない。
南はうつむいて、ため息をついた。前髪が顔にかかり、表情がわからない。こんなに弱気な南を、初めて見る。
「ちょっと、暗い話だけど、聞いてくれる?」
泣きそうな声に、鼻の奥がズキンとした。
真は、ゆっくり、頷いた。
南は、チャイムが鳴ってすぐに、大好きな親友のもとに、小さい体を駆使して、机をヒョイヒョイと避けながら走って行く。
「明日の予定、作ってきた!」
「なに?見せて!」
親友に、明日やるゲームの計画表を見せる。
「まずね、南の島に行って、虫とか、魚とか取って、お金を貯めるの!それでね、明日にはジャングルジムの寄付を全部終わらせる!」
「いいね、ツアーにも行こうよ!コイン貯めたいし」
「その次はね、ちょっと時間を進めて、エイプリルフールのイベントやろう!」
親友の顔が目と口がぱっと開き、笑顔が溢れ出す。楽しみ!楽しみ!と体全体像で表現する。くるくるのポニーテールが飛び跳ねている。
「なにしてるのー?」
隣から顔を覗き込んできた、丸い顔の少年は、南が描いた予定表に視線を移す。
まずいっと反射で紙を覆った。
「これはハルちゃんとの秘密なんですー」
「そうだよ!見ないで!!」
ちぇ、なんだよと、ふいっと顔をそむけ少年はどかどかと去っていった。
親友との秘密の計画。誰にも邪魔はされない、二人だけの神聖な空間だ。目を合わせて、同じタイミングでニカッと笑い合った。
これが、南の最後の楽しい記憶だった。
次の日、約束の時間までゲームをしていると、母がお父さんの言動がおかしい、救急車を呼ぼうかと相談してきた。
三日前から、四十度の熱があり、最近流行っているウイルスではないか、と家では隔離をし、時々母が様子をみていた。
ちょっと来てみて、というので、仕方なくゲームを閉じ、どうせ、いつもみたいにふざけてるんでしょと父の元へ向かう。
立ち上がった父は、目が半分閉じており、変な歩き方をした。ゆっくり、引きずるように足を動かし、しまいには壁にぶつかった。肩を叩いても、反応が遅い。ノロマに動く、ロボットのようだった。
明らかに、いつもと違う。おかしいと言い、そのまま救急車ではなく車で、母は父を連れて病院に行った。
遊びの時間まで、あと少し。遊びたいけど、ここで遊びに行くのはモヤモヤし、親友に電話をした。
「さっきさ、お父さんの様子が変でさ、今日無理そうかも」
「えー、そっかぁ。んー、それはしょうがないね、じゃあ、また月曜日、学校でね」
だいぶぐっすり眠っていた妹が、寝室から降りてきた。
母は帰ってくると、今すぐに来なさいと、いつもは命令口調ではないのに、そう言ったので、悪い予感がした。
脳の病気。もうだいぶ侵食していて、左目は見えていない。明日すぐに手術するけど、成功率は60%。万が一が、ある。
母は淡々と説明し、椅子に座って頭を抱えた。妹は、何も知らなかったため、急な出来事にうろたえ、やがてポロポロと涙を流しはじめた。
万が一ということは、死ぬ可能性があるということだ。急に三人だけの未来を想像した。
風景は変わらないが、見えない大きな穴が空いている。
偏っている。生と死のボーダーラインに、三人と、一人。
笑ってる、三人。いない、一人。
二度と、戻らない。
リビングで四人、日曜日の夜だけ、みんなで食べる、楽しいご飯が。
目の前には、太い管で何本も繋がれた父親が、横たわっている。口元には呼吸器があるため、顔はほとんど見えない。隣には心臓の動きを測る機械が、一定速度で音を鳴らす。後ろの方で、異常音が鳴り響き、バタバタと人が移動する気配がしていた。待合室にいた時よりも一段と濃い消毒液の匂い。壁が水色と緑を混ぜたような寒い色だからか、体に熱が感じられない。
目線を前にすると、妹はすすり泣き、見ていられないと母親に抱きついた。母親も、口をギュッとしめ、目を細めている。
この時、南は泣かなかった。
幼いながらも、自分が二人を支えるんだと強く誓った。
手術は無事成功した。待合室で宿題をしていたところに、ベッドで運ばれてきた父親。眠っているが、いつか目を覚ますと考えると、安心した。母親が頭を下げる。
真似して、ありがとうございましたと頭を下げた。
その日の夜に、病院で痙攣を起こし、亡くなった。
お葬式で学校を休まなければいけないので、次の日、朝の会が終わって、先生のもとに行った。亡くなったことを、身内の不幸と言うらしい。
「どうしたの?二ノ瀬くん」
自分の口で言うと、これが紛れもない現実だ、ということを実感して、こらえていた涙は、声を上げながら、たくさんあふれてきた。
春の嵐って、かっこいい名前だなと思っていたのに、実際に起こると、もう台風と一緒だ。
窓に細かい粒が打ち付け、風で少し家が軋む音がする。いつもは月があるから少し明るいのに、今夜は雲で隠れていて、この部屋は真っ暗闇だ。たまに一瞬光る。音がなるまで何秒か数え、遠いところだと確認すると、ゆっくり布団に横たわった。
この部屋は何も変わらない。もともと母と妹と三人で寝ていた。
地球も、今日は泣いている。
この悲鳴を聞いているみたいな状態で、寝れるのか不安だったが、目を閉じると、徐々に意識が遠のいていった。
南も、泣きつかれていたようだ。
ある髪の短い少年に出会う。
「こっちに来て」
誰かは分からないが、そのままついて行った。どうせ夢なんだから、と何も疑わずに。
見覚えのあった景色から、徐々に暗闇に入る。いつの間にか手を繋いでいた。
「ここ、座って」
手を離されたので、言う通りに座った。匂いはない。暗いけれど、どこかに松明があるのだろう。ぼんやりと、顔は見える。
少年はそのまま、離れていく。
「どこ行くの!」
追いかけようとしても、座った足は固まって動かなくなっている。
少年はゆっくり止まり、振り返って見下ろしながら、
「おまえ、いらない」
真っ直ぐな瞳だった。
見えないはずの扉がゆっくり閉まった。少年の姿が見えない。松明の灯りも、一緒に消える。
閉じ込められて、真っ暗闇で、何も見えない。
のどが乾いた気がする。でも、ここには水がない。乾いているかもと意識すると、より乾いた気がする。のどに、大きな飴がつっかかる感覚、だんだん気道がふさがっていく。
お腹が空いたらどうする。トイレに行きたくなったらどうする。誰か人はいないのか。
寒い。お腹の下の方が、ズンと痛む。
身体をぎゅっと、まとめた。耳からツーと、一定音が響く。悪い未来しか見えなくて、冷や汗が止まらない。目をゆっくりつぶった。
二人がいる。
母と、妹が、笑って、こっちを見ている。
僕はここで、死ぬのか。
こんな暗闇で、お腹が空いて、喉が渇いて、苦しみながら死ぬのか。
いや、夢だから、大丈夫。
深呼吸を1回。
早く起きろ、自分。
早く、
早く、
はやく!!!
