石橋は二人で渡れば怖くない

この季節は北風が有利なのだろう。眩しい日差しと、風が耳に突き刺さる。少し口を動かすと、肌に薄く広がった氷がピキッと割れたような感じがして、ヒリヒリする。
「こんなさみー日にマラソンとか、ついてねー」
「夏にやるよりマシだろ」
「つーか、何でウィンブレ駄目なんだよ、ジャージじゃ寒いって」
顔をジャージに半分埋めながら、堺(さかい)はぶつぶつ文句を言う。
「せんせーはネックウォーマーに、手袋でずりぃ」
「先生は走らないから、仕方ないだろう」
「相変わらず、二ノ瀬(にのせ)は真面目だな」
木がしなるほどの風がふくと、あちこちから、さみー!という声が上がった。早く始まれよーと、体を動かしていると、堺は目線の先に何かを見つけたようだ。
「あ、吉原(よしはら)じゃん!」
そっか、今日C組と合同だもんね〜と、堺は同じ部活の仲間のもとへ走っていった。

早く始まってくれ。そうでないと凍る。
視界の端で堺を見つつ、堺を見習って、真(まこと)はジャージの襟を立たせ顔を埋め、チャックを上げてみた。自分の息が跳ね返ってきて、少し温かく感じた。しかし、眼鏡が白く曇る。
ポケットに手を入れ、この後のために、なるべく体力を温存する。

「キミ、何ていうの」
急に右側に気配を感じ、反射で振り向く。体の軸がずれ、左に重心が行き過ぎた。バランスを崩し、急いでポケットから手を出そうとすると、ガッと右腕を掴まれる。
「危な」
「…あ、ありがとう、ございます」
柔らかい、今というより、もう少し先の温かくなったお日様の香り。
ポケットに手を入れると危ないんだよ、とわざと子どもを諭(さと)す口調で言われた。背の高さと優しそうな顔も相まって、保育園の先生みたいだ。

「それは、歩いている時の話ですよね」
急に話しかけてきた方が悪い。その感じが表れるように、すかさず反論するとククッと声が漏れる。キミ、面白いねーと眉を八の字にして笑われた。
「で、名前教えて」
「…二ノ瀬、真です」
おお、と目を丸くしている。
「何で、急に」
「僕も二ノ瀬なの」
ほら見て、とジャージの左上を引っ張った。深緑の布に白の刺繍で、二ノ瀬と刻まれている。
「え、本当だ、同じ」
「知らなかったー、同じ苗字いるの」
おーい、そろそろ始めるぞーと、おじいちゃんがストップウォッチを見ながら発する。

「じゃ、またね」
ポケットに手入れて走っちゃダメだよーと言いながら、隣のクラスの列に去っていった。







薬を飲んだというのに、鼻水は止まらないし、目はかゆい。地味に体力を消費される。体育館を出た、渡り廊下の花壇の横を通る際、息を止めた。
そのまま階段で2階に上がった。去年は4階だったため、だいぶ楽だ。
体育館近くの階段から、一番最初に現れたのは3-B組。他学年が、同じ階だというのが変な感じだ。
教室に入らず、人がざわざわと集まり、離れ離れになることを惜しんでいる。逆に、出会いに喜んでいる者もいる。

そこから二つ教室を通り過ぎ、2-Gと書かれた教室に入る。すでに半分ほどは入室していた。
黒板には、座席と番号、名前が書かれた紙が貼られており、それを写真に収める。
拡大し、自分の名前を探す。見つけた場所を、教室に置き換えて見ると、案外すぐそこにあった。

リュックを降ろして机の右側に置き、椅子に座る。机を少し揺らしてみると、非常に安定していた。同じように椅子も試すが、こちらも安定。机を全体的に触ってみると、傷は見当たらない。当たりだ。
今年の出席番号順は25番らしい。どの月も25日はあるから、毎月一回は授業で当てられるだろう。
「よ!二ノ瀬、今年もよろしくな」
「よろしく」
颯爽と教室に入ってきた堺は、オレの席はどこだーと、黒板の紙を凝視する。
「げ、一番前かよ!」
「お揃いだな」
「うれしくねーよ」
そのまま真の二つ左の席に荷物を置き、真の前に戻ってくる。
「てか、今年二ノ瀬って呼べないじゃん」
「二人いるから?」
「そうだよ、どっち呼んでるか紛らわしいだろ」
なんて呼ぼうか、と堺は口に手を当てた。

ほら、あの人!と隣から、有名人を見つけたように、女子二人で興奮する声が聞こえた。
気になって目線をたどると、前の教室のドアにもう一人の二ノ瀬がいた。
「やっほー、真くん」
「…どうも」
真くんがここなら僕はその後ろだね、と荷物をおろしながら通り過ぎ、席につく。
「一応聞くけどさ、双子?」
堺が興味深そうに聞いてきた。
「違う」
「じゃあ親戚?」
「ぜーんぜん」
今度は後ろが否定した。
「すげーな!佐藤とかならわかるけど、二ノ瀬で被るのは珍しくね?」
「そうだな」
真は体を半分後ろに向けた。
「どこ出身?」
「新潟」
「やっぱり」
何が?ともう一人の二ノ瀬は、頬杖をつきながら聞く。
「二ノ瀬って苗字は新潟に多いらしい」
「まこっちも新潟なの?」
まこっち?と首を傾げている。堺は、どうやら新しい真の呼び名が決まったらしい。
「苗字が被るから、あだ名」
「なるほど」
「そっちの二ノ瀬は、下の名前何ていうの?」
「南(みなみ)」
じゃあ、みなみんでいいや!と、こっちは秒で決まった。
「真くんは新潟出身?」
「いや、全然こっち。おばあちゃんが新潟」
なるほどー、と頷いている。
「真でいいよ」
「マジー?じゃあ南って呼んで」
ライン交換しよー、とスマホを手に取った。真は体を前に戻し、リュックからスマートフォンを取り出した。
オレも〜と堺が南の席に行くと、うちらもいい〜?と、さっきの二人が小走りに南の席に集まる。
「ちょっと待ってね、順番に」
三人が終わってからでいいやと、スマートフォンを元の位置に戻すと、右肩をトントンと叩かれた。叩かれた方向に体を向けると、早く交換しよ、とスマホを差し出された。ラインのQRコードが表示されている。
「え、みんながやってからでいいよ」
「ダメ、真が一番」
早く、と急かされたので、リュックに手を突っ込み、スマートフォンを取り出した。あれ、どこで読み取るんだっけ、と表示されているボタンをあれこれ押してみる。三つ目で、やっと読み取る画面が出てきたので、南のスマホに重ねた。
シンプルな猫の絵がアイコンになっている、みなみというアカウントが出てきた。タップすると、背景画像には美味しそうなハンバーグが二つ並んでいる。
「初期画像なの?アイコン」
すぐに南からメッセージが送られてきた。トーク画面を開くと、よろしく、と謎の生き物が、こっちに向かって走ってくるスタンプが送られてきた。クマだけど、人間みたいなシュールな動きをしている。
自分のスタンプ一覧を表示し、ラインをインストールした時に元々入っていたスタンプを送信した。すぐに既読がつく。
スマートフォンを閉じ、体を前に向け、リュックにしまった。

「こんにちは〜」
おかん風の大人が入ってきて、長いスカートを束ね、そのまま教壇に上がった。
「は〜い、席について〜」
ホームルーム始めるよ〜と声をあげると、ざわざわした雰囲気が締まり、各々が自席に移動し始める。あとで!と堺は調子よく去っていった。
交換しちゃった!と興奮気味の女子は、真横を通って右隣に座った。



「…39、40。よし、みんないるね〜」
さてと、と一息つくと、黒板に大きく文字を書いた。
「藤田希美(ふじたのぞみ)です。皆さんの担任と、現代文を担当します。一年間よろしくお願いしま〜す」
真は軽く会釈をした。
「今日は新学期初日、クラス替えでしたね。いかがでしたか?、新しいクラスは」
「サイコーでーす!」
後ろから声が放たれた。振り返ると、肌が焼けた茶髪の男子が、椅子を後ろに傾けながら隣の女子と笑っている。一年の時も、よく廊下で見かけた顔だ。
それはよかった、と笑い、先生は話をもとに戻す。
「今日は自己紹介と係決めを、次の時間にやって終わりで〜す。話すことはこれくらいかな〜、じゃあ、休み時間にしましょう」
先生が、号令と言いかけたところで、まだ号令の係がいないことに気づいた。じゃあ、堺くん、号令お願い!と、目の前の堺が任命された。
「起立!」
立ち上がり、椅子を机にしまった。
「気をつけ、礼」
ありがとうございましたーと、生徒が一斉に軽く頭を下げる。


真は、ゆっくり振り返って教室全体を見渡した。何人か見たことがある顔がいる。さっきの茶髪男子の周りには、同じような背丈の黒髪男子と、スカートが膝より短い女子が二人。あそことは、なるべく関わらないようにしようと決めた。

貴重品をもって廊下に出ると、どっちのトイレを使うか迷った。体育館側は三年生がいるので、なんとなく下駄箱側の階段横のトイレを使うことにした。廊下を歩いていると、朝まで同じ空間にいた人たちが、知らない人たちと喋っていて、新鮮な空気だった。

教室に戻ってくると、後ろの席もいない。
少しあたりを見渡すと、さっきの男女グループに南も混ざっていた。
一瞬なにかが光った。
そのあたりをよく見たら、南の横顔にピアスがついているのに気がついた。





さっきラインを交換したことを、後悔した。