好きです、先輩!!!

好きです、先輩!!!



 ――全身に、雷に打たれたような衝撃が走る。

 高校の文化祭、体育館のステージで繰り広げられる軽音楽部のライブは、迫力があるものだった。
 観客も全員スタンディングで、床を揺らすドラムの振動に合わせて飛び跳ねている。
 俺が目を奪われたのは、中央にあるスタンドマイクの前でギターを勢いよくかき鳴らすその人だ。
 緩く一つに結んだ黒髪の長髪が、身体が動くリズムに合わせて揺れている。
 音楽に乗る掠れた甘い声が、鼓膜を震わせる。
 垂れ気味の瞳が細められた瞬間に、心臓が射抜かれた。
 俺は、その場を動くことができなかった。




 「やーっぱサイコーだったね、ビークワ!」
 体育館が割れんばかりの拍手を最後に、ライブが終わった。
 ライブなんて興味もなかった俺がここに足を運んだのは、中学生の妹にねだられたからだ。
 どうやら、その『ビークワ』(『Be Quiet』)というバンドがSNSでバズっていて、妹は特に、ドラマーのファンらしい。
 オレンジ色のメッシュが入った短髪の細マッチョなドラマーは、確かに一番、女の子からキャーキャー言われていた。
「まさかお兄の高校の人と思わなかったよー。たまには役に立つもんだね」
 妹がSNSで、そのバンドが高校の文化祭に出ると知り、どうにかして文化祭に行きたいと思案していたところ、ここって俺の高校じゃん! と気付いたらしい。お役に立てて何よりです。
 一人で来る勇気がないのはまだ中学生の可愛らしさがある。
 俺も写真部の展示はあるけれど、午後からはほとんど仕事がなかったから、こうして付き合ってやっているというわけだ。
「あのさ」
 満足そうな妹に声を掛ける。
「なに?」
「ボーカルの人」
「うん?」
「ボーカルの人、なんていうの」
 あの歌声と、あの人がかき鳴らすギターの音、そしてその姿のシルエットが、俺の頭から離れなかった。
 





 香嶋真雪、高三、個人のSNSは開設していない。ドラマーのクラスメイトで、ドラマーのSNSにたまに登場しているが、そこまで主張が強くない。
 以上が、妹の芽生から入手したボーカルの情報だ。
 SNS経由での交流はできない。
 じゃあ、俺ができることといえば――。
「失礼します! 写真部二年、咲坂です! 取材させてもらってもいーですか!!」
 放課後、練習中の軽音楽部の部室のドアを叩くこと、だ。
 部活の道具である一眼レフカメラを携えて、真面目な顔でそう宣言してみる。
 軽音楽部の部室では、それぞれバンドメンバーで分かれて打ち合わせをしていたり練習をしていたりしたようだ。
 一気に怪訝そうな視線を受けて、思わず後退りたくなると同時に、その中にボーカルの先輩がいないかなって目を走らせてしまう。
「なに、学校新聞とか?」
「いや、超個人的なんすけど」
「無断でネットに上げたりしなければいいよ」
 短髪メガネの部長らしき人が近付いてきて、声を掛けてくれた。
「特にあの辺ね。最近人気だから」
 そう言って示されたのは、まさに、『ビークワ』の皆さんだった!!!
 オレンジメッシュのドラマー先輩と、ギターボーカルの香嶋先輩、あとキーボードの人と三人で談笑している。
 俺は思わず、カメラを持つ手に力が入った。
「きょ」
「?」
「許可があれば、撮っていいですか……!!」
「撮るだけならいいんじゃない?」
 部長らしき人は、割と緩そうだ。
 バンドメンバーの方へと戻る部長(仮)にぺこりと頭を下げて、俺はおずおずと『ビークワ』の皆さんの方へと近付く。
 その間も軽音楽部の皆さんの視線は俺に向いていたし、なんなら勝手にピースをしてくる人もいるから、へらっと笑ってカメラを構える真似をしてみせた。シャッターは切らねーけども。
「新曲いつになりそ?」
「もうちょいかかるかなー」
「焦んないでも大丈夫っしょ」
 うおお、バンド内の打ち合わせをしている様子を聞いてしまった。
 『ビークワ』の皆さんに近付いたのに、俺は思わず壁に背をつけて壁と一体化した。
 ごめんな、妹よ。兄ちゃんの方が先にプライベートに踏み込んじまったぜ……。
「あ、部外者の人」
 あ、早速気付かれた。三人の視線が一気に俺に向かう。
「最近多いよね、マサキ人気すぎ」
 小柄なキーボードの人が辟易したように言った。
「悪ィ悪ィ、思ったよりハネちゃってさ。で、誰?」
 妹がファンなんです、とは言わないでおこう……。
 マサキと呼ばれたオレンジメッシュの細マッチョが俺を見て片目を細めた。警戒されている!
「いやっ、俺、写真部の咲坂っていいます」
「写真部」「写真部だって」
 細マッチョとキーボードが顔を見合わせている。
「文化祭のライブ、すげえ、めっちゃくちゃ、かっこよかったです!!!」
 が、ガマンできなかった……!!
 ボーカルの香嶋先輩を前にして、込み上げてくる思いの丈をそのまま直球ストレートでぶつけてしまった。
「はあ」
 香嶋先輩は気の抜けた返事をして、「真雪派ね」「なるほどなあ」とキーボードと細マッチョが頷き合っている。
「せっ、先輩の、写真、撮ってもいいですか……!!?」
 カメラを持つ手に力が入る。
 香嶋先輩の瞳を見て俺が尋ねると、先輩は思いっきり眉を顰めて、こう言った。
「無理。俺、男に興味ないから」
 ばっさり言われて、頭の中が真っ白になった。
 ――写真を撮るのを、断られた!!
「どんまい」「どーんまい」
 そして細マッチョとキーボードに慰められて笑われる。
 そのまま三人は、楽器の元へ行き、練習を始めてしまった。
 軽音楽部への潜入は、失敗だったのか!?





 ――だが、一度断られたぐらいで諦める俺ではない。
 良い写真を撮るのに必要なのは、一に根気、二にセンス、三に根性、だ。
 俺はセンスにあまり自信がないから、根気と根性に全振りしないといけない。
 今日も今日とて、写真部の部長に「取材行って来ます!」と断ってから一眼レフカメラを抱え、軽音楽部にお邪魔している。
 ちなみに、かれこれ一週間ぐらい、部活の時間は軽音楽部に顔を出すのが習慣になった。
「お、写真部だ」
「俺らの写真撮ってよ」
「今度のライブのポスターにして」
「いいっすけど、次の『ビークワ』さんのライブがいつか教えてくれますか!」
 軽音楽部の人たちが俺を見つけて話しかけてくるから、交換条件なんかを出してみる。
 黒髪長身と茶髪の先輩二人組は顔を見合わせて、そして笑った。
「そんなの、あいつらのSNSフォローすりゃいいじゃん」
「いやっ、それは、なんか、負けた気になるっていうか」
「なんじゃそりゃ。じゃあ俺らに聞いても負けじゃね?」
「たしかに!!? それじゃ、香嶋先輩の好きなもので手を打ちます!」
 もしかしたら、その好きなものを渡したら写真撮らせてくれるかもしれないし!?
 俺が出した交換条件に二人組は吹き出して笑った。
「それこそ本人に聞けよ、――あ、香嶋ー」
「先輩!!?」
 二人組の片方が声を掛ける方を見たら、ちょうど、香嶋先輩が部室に来るところだった。
 食い気味に言うと、俺を見つけた香嶋先輩が、面倒そうな顔をしている。あからさまだ!!
「なんで今日もいんの」
「写真を! 撮らせてください!」
「無理無理、絶対無理」
「じゃあ好きなもの教えてください!!」
「教えねーけども」
「香嶋あれすきじゃなかった、チョコミント」
「ずっと食ってるよな。ミントガムも」
「おまえら……」
 香嶋先輩はミント系が好きなんだ!!!
 笑い混じりに情報を教えてくれた二人組の先輩を香嶋先輩はギロリと睨む。
「いいじゃん、減るもんじゃねーし」
「約束通り写真撮ってくれよな、写真部くん」
「お任せください先輩方!! 香嶋先輩、俺、諦めませんから!!!」
 俺の肩に気安く腕を乗せてくる二人組の片方の言葉に大きく頷きながら、楽器の練習スペースに向かう香嶋先輩の背中に向けて言う。
 香嶋先輩は、わざとらしく耳を塞ぐ仕草をしていた。
 きっと先輩、シャイなんだな。
 でも、いつか絶対、写真を撮らせてもらう!!
 あのステージ上の輝きを残せないなんて、勿体ない!!!






 黒髪と茶髪の先輩二人組は、デュオをやっているようだ。二人のリクエストで、ギターやドラムやキーボードの楽器に囲まれているところを写真に撮った。二人は「俺らギターしかやらねえのに」と笑っていたけれど、カメラのプレビュー画面を見せると満足してくれた。写真を印刷して渡しに来ることを約束して、最後に香嶋先輩を一目見ようと軽音楽部の練習場所であるホールに顔を出す。
 ――うわ!!
 なんと、『ビークワ』の皆さんが、ちょうど練習しているところだった。
 ホールの中央で、ドラムとキーボードとギターボーカルの三人が演奏し、有名なラブソングにアレンジを入れて歌っている。
 うわあ。
 周囲の部員たちも、そのときは自分たちの練習の手を止め、三人の演奏に聞き入ったり、盛り上げたりと、軽音楽部らしい楽しみ方をしていた。
 文化祭のときには激しいロック調の曲が多かったけれど、今回はしっとりとした曲調だ。
 香嶋先輩の甘く掠れた声色がマッチしていて、ぞくりとした。
 マイクに唇を近付けて歌う仕草もなんだかセクシーで、思わずカメラを構えた指に力が入るけれど、ここでファインダーを覗くわけにはいかない。
 だってまだ、許可を得ていないから。
 勝手に撮ることはできなくて、じっと見つめて、瞳にその姿を焼き付ける。
 かっこいい。
 一瞬、顔を上げた香嶋先輩と、バチッ、と視線が合った気がしたけれど、すぐに逸らされてしまった。残念!!
「写真部くん、写真撮らねーの」
「超シャッターチャンスじゃん」
 同じく戻ってきた、二人組の先輩が、俺の肩に肘を乗せながら三人の方を見て聞いてくる。
「まだ許可もらってないんで!」
「律儀かよー!」「真面目か!」
 先輩ふたりは吹き出して、俺の頭をわしゃわしゃとしてきた。同時にはやめてもらっていいすか!
 手を離されて乱れた髪を、軽く頭を振って戻す。
「次の祝日にさ」
「はい?」
「ライブ、やるみてえよ」
「おまえ、ネタバレすんなよ」
 茶髪の先輩が教えてくれるのに、黒髪の先輩が笑って止めた。
「祝日!!!」
 俺の目がぱっと輝く。
 またライブが見られるのは、すごく、うれしい。
 できれば、香嶋先輩の口から直接聞きたかったけれど、仕方ない。
「学校じゃねーけどな。駅前のライブハウスで」
「俺らも行くし、なんかあったら言って」
「まじすか! 先輩たち神、超神!!」
「おー、感謝してイケメンに加工しといて」
「それな」
 頼もしい先輩たちを拝み倒すと、撮った写真の期待値が爆上がりしてしまった。
 写真部エース・咲坂睦生、本気を出させていただきます。
 『ビークワ』の皆さんの練習も終わり、大きな拍手に包まれていた。俺も思わず両腕を挙げて激しい拍手をする。
 ライブハウスでのライブが観られるなんて、楽しみすぎる!!






 「お兄もファンになるなんてね~」
 『ビークワ』の皆さんが出るライブに行こうとした日、偶然にもオシャレをして家を出る妹と時間帯が重なった。「デート?」と聞くと妹は鼻で笑い、「神聖なるライブです~」と言い返してきて、まさかと思いながら確認すると、行き先は同じライブハウスだった。
 文化祭の出演まで網羅するほどのガチファンだったことを失念していた。
 別行動するのも不自然だし、妹と一緒に電車に乗って、昼過ぎの開場を目指してライブハウスまで向かう。
 正直、ライブハウスなんて行くのは初めてだったから、一人じゃなくてよかった、とも思う。芽生には口が裂けても言えねーけども。
 今日が来るまで毎日軽音楽部に通っては、香嶋先輩に写真を撮らせてほしいと頼んでは玉砕していた。
 チョコミント系のお菓子を差し入れても、ミントガムを差し出しても写真は拒否だったが、お菓子とガムはもらってくれた!!
 しかもそのとき、ちょっと笑っていた気がする。
 これは、少しずつ、好感度が上がっているかもしれない……!!?
 まあ、「写真」の言葉を出すと「無理」と即答されるのも相変わらずなんだけど。
 なかなかツレない人だ。
 ここ数週間軽音楽部に通って、わかったことがある。
 香嶋先輩は、モテる。超モテる。女の子だけじゃなくて男のファンも多く、女の子には少し優しいが、それでも基本は塩対応だ。
 ドラマーのマサキ先輩はSNSをやっているだけあってファンサが多い。
 キーボード先輩も愛想がいい。
 ボーカルが一番塩対応っていうのも、かっこいいな……。
 俺は軽音楽部に顔を出しすぎて、二人組の先輩以外にも、ポスターやSNSに載せる写真を頼まれることが多くなり、軽音楽部専属カメラマンみたいな扱いになってきた。評判も悪くないから、そろそろ『ビークワ』の皆さんも乗っかって来てくれないかと思ってるんだけど、なかなか難しい。
「ワンドリンク制ね、って写真部くんじゃん」
「彼女連れかよ~!」
 地下のライブハウスに繋がる階段を下りた先、受付に差し掛かると、知った声が出迎えてくれた。
「妹っす。バイトですか?」
「今日だけな」
「ノンアル券どーぞ」
「あざす」
「ありがとうございます」
 黒髪と茶髪の二人組先輩が、代金と引き換えにドリンクチケットを渡してくれた。
 一枚を芽生に渡して、芽生と共に軽く頭を下げる。
 一歩踏み込むと、狭い空間の中央にステージがあり、入り口の傍にはバーカウンターがあっていろいろなボトルが置かれている。
 まだ準備中のようで、ステージ上ではスタッフTシャツを着た人が忙しなく動いていた。
「お兄、ほら、ドリンクのチケット見せるんだよ」
 芽生に服を引っ張られて促された。
 どうやらこの妹、こういう場所、慣れているようだ。
「オレンジジュース」
「同じので」
 すっとノンアルのドリンクチケットを差し出すと、カウンターの向こうにいるお姉さんがにこっと笑って、グラスにジュースを注いでくれる。
 それを受け取って、芽生に連れられて最前列まで向かった。
 一応、私物のカメラを持っては来たけれど、きっと今日も使えない。
 ストロー越しに飲んだオレンジジュースは、濃い甘さだ。
 次々と、主に若い女の子が入場してきて、なんとなく肩身が狭い。
「もしかして、すげー人気だったりする?」
 芽生にこそっと尋ねると、呆れた視線が返ってくる。
「何いってんの。超、めちゃくちゃ、スーパーすげー人気、だよ!」





 芽生の言葉通り、開演時刻が迫るにつれてどんどん客が多くなってきて、最前列とは言え、押し出されそうだ。ファンの子は女の子が多い。もしかして、最前列にいたら、邪魔ですか。ちらりと後ろを見ると、俺よりも頭一つ分小さい、オシャレした女の子たちが囁き合いながら開演を心待ちにしていた。芽生に声を掛けてから、最前列は最前列でも、端の方に移動する。写真を撮るなら中央の方が撮れ高が良いだろうけれど、どうせ今日は写真禁止だ。一応黒い斜め掛けのデイバッグには私物のカメラを入れているが、出番がなくて終わるんだ。
 ちらほらと軽音楽部の人たちの姿もあり、目が合うと手を振ってくれたり、「写真部くーん」と声を掛けてくれたりするから、笑って手を振り返した。俺の名前、覚えてる人いないんじゃないかな。
 不意に、ライブハウスの照明が落ちる。それと同時に、ギュイン、という音が鳴り響き、照明がステージの上を照らした。
 ステージの上には、『ビークワ』の皆さんが立っている。
 一気に歓声が上がった。
 いつも学校で見ている着崩した制服姿ではない。
 オレンジメッシュのマサキ先輩は、細マッチョな身体が映えるタンクトップに、オレンジ色のツナギの上半身を脱いで腹部で袖を結んでいた。
 茶髪マッシュのキーボード先輩は、白いツナギのジッパーを首元まで上げて着こなしている。
 そして中央に立つのは、ギターを構えた香嶋先輩だ。先輩は、紺色のツナギのジッパーを胸元まで下げて、黒いタンクトップを見せていた。
 今日も、長い黒髪を、緩く後ろで一つに縛っている。
 もうそれだけでかっこいい。
 くっ、写真を撮りたい。
 この照明の下で、ギターを構える先輩の姿、絶対に構図として映えると思うんだよな。
「今日は祝日なのに来てくれてありがとー!」
 マサキ先輩が大声を出すと、「きゃああぁ」と一気に黄色い歓声が飛び交う。芽生も飛び跳ねて喜んでいた。
「とりま静かに聞いちゃって! 新曲! いっきまーす」
 ドラムを打ち鳴らした後、バンド名にあるように、一気に静寂が訪れる。
 そのタイミングを見計らって、前奏なしで、マイクが香嶋先輩の息を吸う音を拾う。
 次の瞬間、掠れた甘い声が、ライブハウス中に響き渡った。
 ――ああ、先輩。
 このソロパート、どうしても、撮っちゃダメですか。
 そもそもライブ中は動画や写真の撮影が禁止されている。
 それでも俺は、焦れずにはいられなかった。





 ライブは、あっという間に終わってしまった……。
 新曲プラス既存曲二曲、更にコピー曲を二曲、アンコールで新曲をもう一回披露してくれるという大サービスのライブだった。
 その中でも香嶋先輩はずっとかっこよくて、俺の頭の中で、この構図だったらこういう風に撮りたいとか、こんな編集してポスターにできるとか、いろんなデザイン案が思い浮かんでは、先輩の歌声に現実に戻されるということが何度もあった。
 MCはマサキ先輩に任せきりで、歌声以外はほとんど喋らない香嶋先輩が、最後に、「ありがとうございました!」と言ってステージからはけたときには、鳥肌が立った。他の観客も同じだったようで、一瞬の間のあとに、「きゃああぁあ」「ビークワあいしてる~~!!」という大声がライブハウスを揺らした。
 感想を言い合いながら続々とお客さんは帰って行くけれど、俺は、その場からすぐに動き出すことができなかった。
「お兄、だいじょーぶ?」
 近付いてきた芽生が、ひらひらと俺の目の前で手を振るから、はっとして顔を上げた。
「大丈夫大丈夫、全然大丈夫」
「ならいいけど。超最高だったね~、あっという間すぎたー」
 高揚した様子でライブを振り返る芽生に、その通りだと深く頷く。
 あと一回と言わず、何回でも観たいし、聞きたい。
 やっぱり写真じゃなくて動画で残して、永久保存版のデータを作るべきなのでは。
「写真部くん、彼女連れじゃん」
「わあほんとだ」
「えっ、本人!?!」
 ステージ上で聞こえていた声が不意に近くで聞こえて振り返ると、俺より先に芽生が反応して口許を手で抑えていた。
 そう、ドラマー先輩ことマサキ先輩と、キーボード先輩が、ツナギ姿のままフロアに下りて来たのだ。
 いきなりの推しの登場に、芽生は目を白黒させている。
 二人がいるってことは、と、思わず俺はフロアをきょろきょろして、香嶋先輩の姿を探した。
 いた!!
 思いっきり目が合って、そして逸らした先輩は、歩き始めてしまう。
「あ、待ってください! せんぱーい!!」
「ほんと一直線だねえ」
「ブンブン見えんな、尻尾が」
「ああああああのわわわわわわたし」
 キーボード先輩とマサキ先輩が俺を見てそう評しているのも、芽生がなんとか勇気を振り絞って推しに話しかけようとしているのも気付けないまま、俺は香嶋先輩の背中を追った。
 ――今日こそ、許可をもらうんだ!!








 「先輩!!!」
 ライブハウスに続く階段を駆け上がって、色んな店が並ぶ通りに出たところに、香嶋先輩はいた。「げ」と顔が物語っている。
「なんで来るんだよ」
「先輩にお願いがあって!!」
「とりあえずこっちな」
「わっ」
 生憎、嫌そうな先輩の顔には、もう免疫がついている。
 ぐんぐん距離を詰めようとすると、パーカーのフードを掴まれて、そのままライブハウス横の路地裏へと連れ込まれた。
「声でけーんだよ、おまえ」
「さーせん!!!」
「だからな」
 確かに、今ライブに出演したばかりのバンドマンが、なんかよくわからない声がでかい男に迫られている、っていうのは、人目につかない方がいいのかもしれない。勢いよく謝ると、呆れたように言う先輩が口許を手で覆っている。笑ってる?
「先輩、写真、撮らせてください!」
「だから無理だって」
「なんでっすか!」
 もうこのやり取りも、数え切れないぐらいした。
 その理由は、「男に撮られる趣味はない」とか「撮られんのが嫌い」とか「疲れたから」とか「とにかく無理」とか、日によって変わる。
 だから今日は、答えを聞く前に、俺から続けた。
「絶対!! 絶対にいい写真にします!!! 先輩たちがメジャーデビューしたときのCDジャケットになるぐらい、めちゃくちゃすげーの撮るから!!」
「ぶはっ」
 俺が熱弁すると、顔を背けて口許をツナギの肩口で抑えていた先輩が、堪えきれなかったというように吹き出した。
「なんで!?」
 笑うとこじゃないんすけど、今!!
「――俺たちさ」
 先輩、目に涙を溜めている。先輩の涙は貴重だから目に焼き付けておきたい。でも、なんで今!?
「今年でバンド辞める予定なんだけど」
「ええええええっ!!!???」
 今日一番の大声が出てしまった。実際、先輩も、耳を押さえて「うるせー」と言っている。すんません!
「なっ、なんで?!」
「受験とかあるし」
「現実的っっ!!」
 そうか、先輩は三年生だった。
 文化祭は十月の頭にあって、今日は十一月の頭。年内っていうと、あと一ヶ月しかない。
「先輩なら絶対絶対絶対プロになれるし、紅白にも出られるし、ハリウッドデビューだって夢じゃないのに!!??」
「ふはっ、考えたこともねーよ紅白とかハリウッドとか」
 先輩がまた笑った。
 もう堪えるのを止めたのか、路地裏の壁に背をつけて寄りかかって、俺の方を見る。
 わ。
 先輩の笑顔、初めて見たかもしれない。
「なんでそんな一生懸命なの」
 香嶋先輩が少し身体を起こして、俺と距離を詰めた。
 ステージ上で見ていた先輩が、こんなに近くにいるのが、なんだか不思議だ。
 文化祭で初めて先輩を見上げたことを思い出す。
「――俺、文化祭のステージで初めて先輩のこと見て」
 全身に、衝撃が走った。
 それと同時に、あの「画」を、写真として残したいって、すごく強く思ったんだ。
「ビビっときたっていうか、ほんとにすごくて」
 ああ、語彙がないのがもどかしい。
 もっと先輩のかっこよさとか、歌声のよさとか、心に響いたこととか、全部全部、伝えたいのに。
 項垂れている俺に、影ができる。
 俺と先輩の身長差は、数センチだ。
 悔しいけど、先輩の方が少し高い。
 ふ、と、目を細めて笑う先輩が、目の前にいる。

「惚れちゃった?」

「え?」

 ステージ上で歌声を紡いでいた甘く掠れたその声が、歌うようにそう聞いてきた。
 俺は思わず、間の抜けた声を出す。
「え」
「え!!???」
 惚れちゃった、って言った?! 今!!? 先輩が!!!???
「ええっ!!???」
「いや、なんでそんなに驚いてるんだよ」
 驚き足りなくて声が止められないでいたら、先輩が冷静にそう言ってくる。
 俺が、先輩に、惚れた――!!??
「ふ、ふは、」
 まだ自分の中で処理しきれないでいたら、先輩がまた笑った。
 肩を震わせている。
 俺はその様子を見て、瞬いた。
「先輩って、笑うとかわいーっすね」
 そして思わず伝えていた。
 じゃなくて、俺は、そんな先輩に、惚れ……!!??
 た、確かに、寝ても覚めても先輩のことを考えているし、どうしたら先輩のことを写真に撮れるんだろうって、最近はそればっかりだったけれど!!
「これ」
 一頻り笑って落ち着いた様子の先輩が、ツナギのポケットから、一枚のチケットを取り出した。
 差し出されて、思わず両手で受け取る。
「これ……?」
「最後のライブのチケット」
「ええっ!!??」
 確かに日付は、十二月の頭になっている。
 場所は、こことは違うライブハウスだ。
「被写体としてじゃなくてさ」
 先輩が、とん、と俺の肩を押して、俺は路地裏の壁に背をつく形になる。
 先輩はそのまま肘を壁につけるから、距離が近い。
 うっ。やたら胸がドキドキするのは、ライブの後の高揚感を引きずっているからか……!!?
「俺のこと、見に来て」
「しゃ、写真は」
「禁止です」
 先輩は頑なだ。
 ふっと笑って、先輩が俺の頭をぽんと撫でて、身体を離した。
 せ、先輩に、頭を、撫でられた……!!!
「写真部としてじゃなくて、おまえとして来いよ」
 つまりそれは、絶対的、カメラ禁止令。
 手にしたチケットを見つめると、ひら、と香嶋先輩が手を振った。
「じゃあな、咲坂」
「!!」
 そして、俺の名前を、呼んでくれた!!?
 軽音楽部の皆さんにすら認識されていないと思っていた、俺の名を……。
 力が抜けて、へにゃへにゃとその場に座り込む。
「ど、どーしよ」
 先輩の笑顔や、近い距離で感じた先輩のにおいとか、囁かれた声とか、その全部がまだ残っていて、やたら心臓が速く脈打っている。
 ――俺って、先輩のこと、好きだったの!!!???





 推しのドラマーと言葉を交わしてホクホクしている芽生と家に帰る途中、「俺って香嶋先輩のこと好きだと思う?」と聞いてみた。俺としては、憧れだとか、被写体としての興味だとか、そういうのでしょ、という言葉が返ってくるのを期待していたんだ。
「は? 今更?」
 しかし妹の反応は、怪訝そうなものだった。
 どういうこと!!??
 問い詰めようにも、「ああ~近くで見たマサキさんほんっとサイコーだった~」と目をハートにして浸ってしまっている様子に、それ以上何も言えなくなる。
 いやっ。
 俺だって、推し?! に対する気持ちみたいなもんだし!!
 そう言い訳しながら家に入る頃には、すっかり、空は夕焼け色に染まっていた。










 ――次の日の放課後。
 俺は、写真部の部室にいた。
「あれ、咲坂いるの珍しくね?」
「通い妻やめたの?」
 編集用のパソコンの前に座っていると、後からやってきた先輩と同級生が俺の姿を見て意外そうな声を出した。
 通い妻ってなんだ。通ってはいたけれど妻ではねーっての!
 頭の中で突っ込むと、香嶋先輩が『惚れちゃった?』と聞いてくる場面が一瞬で浮かんできて、俺は勢いよく頭を振った。
「わっ、なに」
「絶賛悩み中!」
 俺がそう答えると、二人は顔を見合わせて、一人ずつ俺の頭と肩をぽんと軽く叩いてきた。
「ま、無理すんなよー」
「たまには別のもん撮ったら」
 先輩の励ましと、同級生の提案が優しい。
 それぞれ自分のカメラを取りに行く後ろ姿を、その場で見送る。
 たまには、別のもん。
 ――確かに!!
 俺はピンと閃いて、ダッシュでカメラを取りに行った。
「それだぁ! 取材! 行ってきまーす!!」
 自分のカメラを持って走って部室を出て行くときに、目を丸くする二人とすれ違った。「切り替え早すぎ!」「気をつけろよー」という声に手を挙げて答えて、俺は放課後の校内へと飛び出した。




 昨日、香嶋先輩と話したあとから、俺の身体が変なんだ。
 やたら香嶋先輩のことを思い出して心臓がバクバクするし。
 記憶だけでこんな風になっちゃったら、本物の香嶋先輩に会ったらどうなっちゃうの!!??
 そんな心配が先立って、軽音楽部に足を運ぶ気にはなれなかった。
 もらったチケットは、自分の部屋の机の上、しかも透明カバーの下に大事に飾っている。万が一失くしたら困るからな! 行くかまだ決めてねーけど!
 そもそも、バンドマンの歌う姿っていうのが俺にとっては非日常すぎて、先輩を神格化しちゃって、どうしても写真を撮りたくなったのかもしれないし。
 今日は他の色んな部活を見学に行って、ベストショットを探そう。
 そう、部活は、軽音楽部だけじゃない。
 校庭では、サッカー部の皆さんや、野球部の皆さんが、今日も元気に運動しています。
 校庭を仕切るフェンスの前に立って、カメラを構えてみる。
 ファインダー越しに見る景色は、――男くさい練習風景だ。
 青春って感じで悪くない。
 サッカー部のエースらしき人が華麗にシュートを決めて、部員たちとハイタッチして汗を輝かせている様子を、試しに一枚撮ってみた。
 このエースらしき人だって、十分かっこいい。確か、女子に人気があったはずだ。
 うーん。
 ピンと来なくて、次は野球部のフェンスの前に行く。
 バッターボックスに立っているのは、体格の良い人だ。ピッチャーの人もかっこいい。
 ファインダー越しに、その真剣な眼差しを見つめてみる。
 うーん。
 いいんだけど。
 いいんだけどお。
 全身がびりびりっとして、ぐわっと『撮りたい!!』となる感覚は、来ない。
 いや、まだだ。
 一日目で諦めるのは、まだ早い。
 良い写真を撮るのには、根気が必要なんだから。






 次の日も、次の日も、俺は部活という部活を回ってカメラを構えた。
 バスケ部やバレー部にもかっこいいエースがいたし、テニス部女子の揺れるスコートなんて男子からは人気抜群間違いなしの被写体だ。
 文化部だって負けていない。美術部の真剣な眼差しや、演劇部のステージの上での立ち回りも、写真映えがする。
 でも、俺の心は、ピクリとも反応しなかった。
 カメラには、無数のデータだけが溜まっていく。
 ――やっぱり、香嶋先輩を撮りたい。
 先輩がマイクの前に立って、歌い出す直前に口を少し開く表情を思い浮かべてしまって、俺は思い切り頭を振って打ち消した。
 今日は、吹奏楽部に顔を出してみよう。
 軽音楽部と同じ音楽系の部活だし、新たな発見があるかもしれない……。
 写真部に寄ってカメラを持ち出し、音楽室に向かった。




 吹奏楽部は、それぞれのパートに分かれて練習をしているところだった。
 部長に撮影の許可を取って、全体の様子を見させてもらう。
 軽音楽部とは楽器の種類も違うし、部員の雰囲気も違う気がする。
 軽音楽部はその名の通り軽い感じの人が多かったが、こっちは、真面目な感じの女子が多い。
 俺の存在を気にも留めずにスルーして練習をしているか、迷惑そうに見るかのどっちかだ。
 ファインダー越しに見つめてみても、やっぱり、燃え上がるものは何もない。
 でも、真剣に楽器を扱う姿は、いいな、と思う。
 はあ。
 大きく息を吐いて、「失礼しました」と音楽室を後にしようとしたときだ。
 音楽室に入ろうとしている人とぶつかりそうになって「ごめんなさい!」をして顔を上げたら、そこには。
 ここ数日避けていた、香嶋先輩の姿があった。
「うわっ」
「うわってなんだよ」
「いやあのええと、失礼します!!」
 香嶋先輩の声が聞こえる!!
 俺は何も言えなくて早口でそう言って立ち去ろうとするが、制服の首根っこを掴まれた。
「ひえ」
「丁度いいや、話があんだけど」
「ななななんですか」
「こっち来い」
「先輩吹奏楽部に用があったんじゃ」
「後でいいんだよ後で」
 先輩はそう言って、俺の首根っこを持ったまま、音楽室の傍の非常階段まで向かった。
 吹奏楽部の合奏が始まった音が聞こえる。
 誰もいない階段の入り口で、やっと先輩は、俺の首根っこを離した。
「な、なんですか」
 先輩の目を見ることもできずに視線を思い切り逸らしながらそう尋ねると、先輩は俺をじっと見た。
「それ」
「それ?」
「カメラ」
 首から下げたカメラを指摘されて、俺は瞬いた。
「今度は吹部撮ってんのかよ」
「あ、ええと、最近色んなとこ見て回ってて」
「ふうん」
 うっ、香嶋先輩からの視線が痛い。
 いやでも先輩、俺から撮られるの嫌がってたから丁度いいんじゃあ……。
 ちらりと視線だけ上げると、先輩が、何も言わずに俺を見ている。
 うう、視線が痛いっす……。
「せ、先輩はなんで吹奏楽部に」
「チューナー借りに来た」
 普通の用事だった!
 音楽つながりでやっぱり交流があるみたいだ。
 でも、先輩は、トランペットでもサックスでもなくて、やっぱりギターが似合う。
「――手、出せよ」
「へ?」
 促されて、思わず片手をパーにしてしまう。
 その手の上に、個包装の小さな飴玉が落とされた。
「これ、」
「ミントのど飴」
「のどあめ」
「おまえさ」
「はい」
 せ、先輩から飴玉もらっちゃった。
 どうしよ。
 神棚に飾るしかないかな!?
「写真、どっか出すの」
「どっか、とは」
「コンテストとか」
「今んとこ予定ないすけど」
 いい写真が撮れたら公募のものに出すとか、次の展示会の作品にするとかはあるけれど、このために撮ろう! っていうのはない。
 先輩の写真は、そういうのとは別に、いつでも撮らせてもらいたいんだけど。
「ふうん」
 先輩はその答えにそれだけ言って、不意に腕を伸ばして俺の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
「わっ」
「――あいつらが寂しがってる、写真部くんが最近来ないってな」
「えっ」
「俺は撮らせてやらねえけど」
「えーっ!」
「じゃあな」
 口角を持ち上げて笑う先輩はそう言い残して、片手を挙げて音楽室へと向かって行った。
 残されたのは、俺と、手のひらの上にある飴玉。
 そして、頭に触れられた感覚。
「う」
 ど、どーしよ。
 今まで以上に、心臓が、うるさい。









 結局それから軽音楽部に顔を出すことはできなくて、俺の部屋の机の上に、開けることのできないミントのど飴が仲間入りした。チケットと並んで置いてある。だって、食べたらなくなっちゃう。せっかく、香嶋先輩からもらったものなのに。
 色んな部活の写真を撮ったり、もういっそ人物から離れようって風景を撮ったりしたのだけれど、香嶋先輩以上にビビッとくる被写体は見つけられなかった。
 時間はあっという間に過ぎて、いよいよ、『ビークワ』の最後のライブの日になってしまった。
 香嶋先輩からチケットをもらったことを芽生には言えていない。でもきっと芽生もライブに行くんだろう。バレないように時間帯をズラして家を出る。
「あ、お兄!」
 ライブハウスに近付いたら、すぐにバレた。
 芽生は友達と来ている。
 前回よりも大きな場所で、開場前だというのに、待っているファンが大勢いた。
「来るなら言ってよー」
「いや、うん」
「でも私友達と見るからね!」
「どうぞどうぞ」
 なんとなく、芽生の目を見ることができないまま曖昧に頷く。芽生は不審そうにしていたが、「行こ!」と友達の腕を引いて行ってしまった。
 ――俺は今日、カメラを持って来ていない。
 黒いデイバッグには財布とスマホしか入っていなくて、こんな身軽に外に出たのはいつ振りだろうと少し落ち着かない。
 持って来たところでどうせ撮れないんだけれど、先輩と約束をしたからだ。
 入場時間になって、周辺で待っていたファンたちが、次々とライブハウスの中に入って行く。
 俺は、ライブハウスの中に入るのが、まだ怖かった。
 香嶋先輩のステージがまた観られる嬉しさと、感情が爆発しちゃうんじゃないかなって恐怖が同時に存在している。
 軽音楽部に行くのを我慢していたから、『ビークワ』の皆さんが三人揃うのを見るのは一ヶ月振りだ。
 うう。
 俺の心臓、持ってくれ。
 香嶋先輩からもらったチケットをそっと手にして、ライブハウスの入り口を潜った。





 「写真部くん!」「久しぶりだな~! なんで来なかったんだよ」
 受付には、相変わらず黒髪と茶髪の二人組の先輩がいた。
 客の流れが落ち着いてから入場したからか、二人が俺を見つけてそう声を掛けてくれた。
「いや~、色々ありまして」
「なんだそれ」
「香嶋がすげえ寂しがってたよ」
「えっ!?」
「つーか機嫌悪かったっていうか」
「ええっ!!?」
「はい、ドリンクチケットね」
 チケットと引き換えに、ノンアルコールのドリンクチケットを受け取るけれど、俺の意識は二人が言う言葉に持っていかれた。
 香嶋先輩が、寂しがってた!?
「ちなみに俺らも出るんだよ今日」
「良ければ聞いてって」
「う、うす!」
 そういえばこの先輩たちもデュオを組んでいるんだ。
 歌声を聞いたことはないけれど、写真を撮ったことはある。
 頷いて、次の人の受付をし始める先輩たちの邪魔にならないように、ドリンクチケットをオレンジジュースに引き換えてから、ホールに入った。






 『ビークワ』の皆さんのラストライブということもあり、前回よりも広いライブハウスなのに、今日は前回よりも人口密度が高い。
 やっぱり女性客が圧倒的に多いから、俺は邪魔にならないように端っこに身を寄せる。
 アイドルのライブではないからウチワやペンライトはないけれど、ファンの子それぞれが、誰のファンなのかわかるように何かしらで主張している。
 芽生をはじめとして、マサキさんのファンはオレンジの何かを身に付けている。
 キーボード先輩のファンは、白いものを。
 そして香嶋先輩のファンは、紺色のもの。
 俺も一応、紺色のパーカーを着て来てみた。
 すごいかわいい子も紺色のアイテムを身に付けていて、やっぱり先輩はモテるんだな……と当たり前のことを思う。
 軽音楽部の人たちもちらほらいて、その人たちはわかりやすいように、高校名の入った部活Tシャツを着ていた。文化祭のときに、香嶋先輩も着ていたものだ。
 不意に、フロアの照明が落とされる。ざわざわとしていた会場が、一瞬で静かになった。
 その後、ギュイン、という音が鳴り響いて、ステージ上が照らされる。
 三人の姿が浮かび上がると、割れんばかりの歓声が響いた。
 今日は、オレンジメッシュのマサキ先輩はオレンジ色の開襟シャツ、キーボード先輩は白い開襟シャツ、そして香嶋先輩は紺色の開襟シャツを着ていた。全員、下は黒いスラックスだ。うっ、かっこいい……。
 香嶋先輩は微かに口角を持ち上げて、マイクに唇を近付ける。
 前回のライブとは違い、MCなしで、いきなり曲が始まった。
 甘く掠れた声が、ライブハウス全体に響き渡る。
 これだ。
 この歌声にまず撃ち抜かれた。
 そして、ギターを構える姿に目を奪われる。
 この後のドラムパートで段々曲調が激しくなっていって、香嶋先輩の長い髪が揺れるんだ。
 周りはリズムに合わせて身体全体で乗っているが、俺は、動くことができなかった。
 香嶋先輩のこの姿を、目に焼き付けておきたい。
 あわよくばカメラのシャッターを切りたいが、それは許されていないのだった……。
 有名なバンドのコピー曲を歌い始めたときだ。
 間奏に入る前に、不意に、ステージの上の香嶋先輩と目が合った、気がする。
 いやいや、自意識過剰だろ、と思ったその直後に、香嶋先輩が、笑った。
 更に、指で、バン、と撃ち抜く仕草をする。
「きゃあ」と、俺の周りの女の子たちが歓声を上げた。
 か、香嶋真雪の、ファンサをもらってしまった……!?!
 たとえそれが流れ弾であったとしても、俺の心臓を射抜くには、十分以上のものだった。
 ドキドキと心臓がうるさくて、ステージの音とかぶるのが、勿体ないぐらいだった。






 アンコールの曲を披露した後に、汗だくになった三人が、改めてステージの中央に立った。
「はい、重大発表しまーす」
 いつもMC担当のマサキ先輩が、片手を挙げて軽く始める。ファンの子が「なーにー?!」と黄色い声で返した。
「『ビークワ』、本日で活動休止! 皆さん応援あざっしたー!」
「ありがとー」「っす」
 キーボード先輩が手を振って頭を下げ、香嶋先輩も軽く頭を下げる。
 香嶋先輩は、バンド内では無口キャラで通しているらしい。
「えーーーーー」「やだあ」「やめないでえ~~!」と、ファンたちが涙目で大声を出している。芽生の姿も想像できる。
「まあまあ、あくまで休止なんで。ほら俺たち高校生だから? 大人になったら戻ってくるかもね、なーんて」
「戻ってきてえええ」「ずっと待ってるから!!!」「大好きーーー!!!」
 マサキ先輩が軽い調子を崩さないで言うのに、被り気味にファンの子たちが伝えている。
 ――そうか。
 これが、最後のライブなんだ。
 香嶋先輩のステージを観るのも、これが、最後。
 ライブの時間があっという間に感じて、やっぱり、最後なのはやだなって思った。
 涙ながらに叫んでいる女の子たちと、俺も、同じ気持ちだ。
 やめないでほしい。
「んーじゃ、改めて。ありがとーございました!」
 声援を一頻り受けたあと、改めてマサキ先輩が言って、残りの二人も頭を下げた。
 三人がステージからはけても、暫く、鳴り止まない拍手と、歓声が、ライブハウスを包んでいた。







 俺はやっぱり、中々動き出せなくて、ファンの子たちが涙を拭いながらライブハウスを後にする波の流れに乗り切れないまま、フロアに立ち尽くしてしまう。その間にステージの片付けは進んで、受付をしていた黒髪と茶髪の先輩ふたりのライブが始まろうとしている。軽音楽部のメンバーはほとんど残っていて、あとは入れ替わった二人組のファンの人たちが、フロアにやって来ている。
 芽生は、友達とまだ残っていた。
 もしかしたら、この前みたいに偶然マサキ先輩と話ができるタイミングを狙っているのかもしれない。なんて妹だ。
 俺は、先輩ふたりのライブを観たら帰ろう……。
 香嶋先輩のライブをもう観られないという喪失感が、胸の中を大きく占めていた。
 ――ん!?
 待てよ。
 ライブにもう出ないってことは、軽音楽部にも行かないってことで、それってもしかして、部活に行っても香嶋先輩に会えないってこと!!?
 衝撃の事実に気付いてしまった。
 どうしよう。
 ミントののど飴が、俺と香嶋先輩の接点の唯一の証拠になってしまう。
「おい」
 こんなことなら、嫌がられても、ときめいても、軽音楽部に顔を出しておけばよかった。
「おいって」
 うう、香嶋先輩……。
 ついに、香嶋先輩の声の幻聴まで聞こえてきました。
「咲坂!」
「ひえっ」
 そう思った直後、名前を呼ばれて首根っこを掴まれた。
「せ、せんぱい?」
「無視すんな」
「ご、ごめんなさい」
 いや俺、幻聴だと思ったんです……。
 ライブが終わった後の、開襟シャツ姿のままの香嶋先輩が、そこにはいた。
 ついでにマサキ先輩とキーボード先輩もフロアに下りてきていて、残った『ビークワ』のファンが「きゃあ」と歓声を上げている。芽生も例外じゃない。
「写真部くんじゃん」
「よかったねえ、真雪ィ」
「うるせ」
 俺に気付いた二人がそう言うので、俺まで注目されてしまう。
 うっ、芽生、ごめんな。
 ずるい、と顔全面に出ている芽生に心の中で謝っていると、香嶋先輩が眉を寄せて、俺の腕を引っ張った。
「来い」
「え?」
「いいから」
「は、はい」
 俺、先輩たちのライブ、観るつもりだったんですけど。
 とは、絶対に言えない雰囲気だ。
 それよりもなによりも、香嶋先輩に腕を掴まれているだけで全身が熱くなる気がする。
 ――今日で終わりなのが、いやだな、と、強く思った。






 引っ張り出されたのは、やっぱり、ライブハウス横の路地裏だ。ここなら人の気配もない。
 高校生バンドらしく昼過ぎからの開演だったから、冬とはいえ、まだ日は差していた。
 周囲に人がいないのを確認した後にやっと腕を離されて、香嶋先輩が俺を見た。
「あのさ」
「はい」
 先輩にしては珍しく、何か言いづらそうだ。
 な、なんだろう。
 ていうか、紺色のパーカー着てるの見られるの、結構恥ずかしいな!
「あの子、彼女?」
「へ?」
「さっき見てた子」
「ああ」
 多分、芽生のことだろう。
 前もマサキ先輩に聞かれた気がする。
「妹です。マサキ先輩の大ファンで」
「あ、そ」
 小さく息を吐いたと思ったら、先輩が、俺の肩に顔を預けてきた!!
 ちっ、近いです、香嶋先輩!!
 汗と香水が混ざったにおいも、心臓に悪い。
 動くことができなくて固まっていると、先輩が、ふ、と笑って顔を上げた。
「どうだった、ライブ」
「め、ちゃくちゃよかったです!!!」
 俺も顔を上げて、興奮冷めやらないままライブの感想を伝える。
「やっぱり先輩の歌声超かっこいいし、今日の衣装も似合ってるし、ファンサもやばかったし、ギターもいいし、もう全部まるごとやっぱり写真に撮って残しておきたいんですけど!!!!」
「ぶはっ、」
 勢いよく言ったら、香嶋先輩が吹き出した。
 ああ、そうだ。
 この笑顔は、ライブのステージ上では、絶対に見られない顔だ。
 もう、軽音楽部に行っても先輩に会えない。
 それどころか、三月になったら先輩は卒業して、学校で見かけることもなくなってしまう。
 それを想像しただけで、自然と眉が下がってしまう。
「どーした」
 急に大人しくなった俺に気付いた先輩が、顔を覗き込んできた。
 うっ。
 やっぱり先輩、かっこいいです……。
「俺、先輩のこと、ずっと、写真撮りたくて」
「うん」
「ステージの上のかっこいい一瞬を残しておきたいと思ってて」
「そうだな」
「でもずっと断られてて」
「うん」
「こないだ、先輩に、惚れちゃった? って聞かれて」
「……うん」
「俺先輩のこと好きなの!!?? ってすげー衝撃で自分の中でも整理できなくて、うまく顔見れる自信ないから軽音楽部にも行けなかったんですけど」
 どんどん言葉が溢れてくる。
 目の奥も熱くなってきて、一度、呼吸をして落ち着けた。
 泣くとかカッコ悪すぎる。
 香嶋先輩は、瞳を細めて、何も言わずに続きを待ってくれていた。
 意を決して、口を開く。
「でも、先輩ともう会えなくなるの、すげーいやで」
「へえ」
「写真とか、そういうの抜きにして、俺、」
 言葉が途中で途切れる。
 先輩が、俺のことを、抱き締めてきたからだ。
 えっ!?
 先輩に、抱き締められている!?
「おまえさ」
「は、はい!?」
「鈍くねえ?」
「えっ!?」
 背中に腕を回されてぎゅっと抱き締められているから、先輩が笑っているのも伝わってくる。
「あんだけ毎日熱心に通ってんのに自覚なかったのかよ」
「だって、それは」
「――最初はさ、」
 先輩が、俺の肩に顔を埋めた。
 甘く掠れた声が、鼓膜を擽る。
「いつものファンかと思って、鬱陶しかったんだよ」
 あっ、だから、常時塩対応で、絶対に写真を撮らせてくれなかったんだ。
 先輩の手が、俺の後頭部に触れてくる。
「でも諦めねえし。律儀に写真撮らねえし。でも他のヤツらのことは撮るし」
「えっ」
「そんで急に顔見せなくなるしな。気になって腹立ってたんだわ」
「ええっ」
 言葉とは裏腹に、先輩の声は優しい。
「練習も身が入んねーしさ。なあ咲坂、」
 うっ、耳元で囁かれると、ぞくぞくする。
 しかも名前を呼ぶのはずるい。
「この責任、取ってくれんの?」
 目を細めてそう尋ねる先輩は、笑っている。
 ステージ上で俺の心臓を射抜いてきた先輩は、ステージを下りてからも、俺の胸をこれでもかというほどかき回してくる。
 誤魔化すこともできないぐらいに、顔が赤い自覚がある。
 俺は眉を下げて、目をうろうろさせて、それから、渾身の想いを込めて、伝える。

「好きです、先輩!」
「ぶはっ、」

 俺が精一杯、誠心誠意気持ちを込めて告白したというのに、目の前の香嶋先輩は、吹き出して笑った。なんでだ!!!
「責任って、そういうつもりじゃなかったんだけど」
「ええっ」
「まあ、いいか。咲坂、」
 じゃあ一体どんな責任の取り方があるんだ……。
 戸惑っていると名前を呼ばれて、顔を上げる。
 すぐ近くに香嶋先輩の顔があって、目を丸くした。
「こういうときは、目瞑るんだよ」
 あ、そうなんだ。
 香嶋先輩の囁きに納得してすぐに目を瞑ったら、唇に柔らかい感触がした。
「――ええっ!?」
「いや、察しろよ」
「え、ええええええ」
 すぐに目を開けてしまう。
 い、今、香嶋先輩が、俺に!!?
 唇の感触が残っている気がして、口をぱくぱくしていると、香嶋先輩がふっと笑う。
 優しくて色っぽくてかっこいい、俺の好きな笑顔だ。
「今日で終わり、にするつもりねーから」
「え」
「――おまえは、今日で終わり、でいいんだっけ?」
 片目を細めてそう聞かれて、俺は、思いっきり首を横に振る。
 それだけは、ウソをつけなかった。
「ぜ」
「ぜ?」
「絶対、や、です」
「上等」
 香嶋先輩が、褒めるみたいに俺の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
 それだけでめちゃくちゃ嬉しいの、どうにかなんねーかな。
 離れるのもなんだか寂しくて、先輩のシャツの裾をぎゅっと握ったら、先輩がまた笑って、強く抱き締められる。
 ――これ、夢ですか、かみさま。
 現実味がないまま、俺も、そっと、先輩を抱き締め返した。











 ライブハウスに戻るという香嶋先輩と連絡先を交換して、芽生と合流して家に帰る間もずっとふわふわしていた。
 香嶋先輩に触れられたところが、ずっとじんじんしているみたいだ。
 ずっと夢を見ているみたいな心地だったけれど、その日の夜に、香嶋先輩からスタンプが送られてきて、連絡先を交換したのが夢じゃなかったと知る。
 そ、っか。
 俺、香嶋先輩と……。
 唇に触れて、ベッドの上でじたばたして、布団をぎゅっと抱き締めた。
 やっぱり香嶋先輩の顔をうまく見られる気がしないから、活動休止でちょうどよかったな、とも思ってしまう。
 うう、他のファンの皆さん、すみません……。
 心の中で謝罪して、落ち着かない気持ちをどうにか鎮める俺だった。





 ――あっという間に、三ヶ月が経った。
 その間にも、『ビークワ』の皆さんが無事に大学に合格したからあっさり『ビークワ』が活動再開するというニュースがSNS上で飛び交って、芽生が涙を流して喜んでいたり、俺は俺で、あんなに執着していた軽音楽部のイケメン先輩の写真を撮りたがらなくなったと周囲から不審がられたりしていた。
 いや、まだ撮りたい。撮りたい気持ちはあるんだ。でも、学校でどうやって香嶋先輩と関わればいいかわかんないだけで。
 心の中で言い訳をしながら、待ち合わせの場所に来る。
 今日は、卒業式だ。
 三年生の先輩たちが、制服をちゃんと着こなして、胸に『祝・卒業』の造花を着け、巣立って行く。
 卒業式でもマサキ先輩のオレンジメッシュは目立っていた。
 そして先輩たちは、式が終わった後に、後輩たちに囲まれている。
 待ち合わせ場所は、校庭の中にある、桜の木の下だ。
 まだ花は咲いていないけれど、少しずつ芽吹いてきている。
 胸から下げたカメラを持つ手に、力が籠もる。
「先輩!」
 その木の下にいるのは、香嶋先輩だ。
 今日は先輩も、ブレザーをしっかり着こなしている。
 受験だからとバッサリ切ってしまった黒髪が、勿体ない。
 俺が傍に寄ると先輩は笑って、まず俺の髪を撫でた。最近、それが先輩の癖になっている。
「卒業おめでとうございます」
「本気で思ってる?」
「いやだー先輩ーさみしいー」
 建前のお祝いを言ってはみたけれど、すぐに見透かされる。
 式の最中もずっと思っていたことを口にすると、泣きそうになって口を結んだ。
 ぶは、と香嶋先輩は吹き出して笑う。付き合ってからわかったけど、この人意外と、笑い上戸だ。
「まあ、大学もすぐそこだしな。ライブも再開するし」
「せ、先輩が」
「あ?」
「モテちゃう……」
 大学生になって更に世界が広がって、あのライブパフォーマンスが世に知れ渡ったら、今以上に『ビークワ』が認知されてしまう。
「はっ、遂に紅白とかハリウッドデビューとか!?」
「しねえよ」
 先輩は笑って、俺の肩を引き寄せた。
 こつ、と頭同士が触れ合う。
「で、どーすんの」
「撮る! 撮ります! 撮らせてください!」
 食い気味に俺が言うと、先輩がまた笑った。
「はい、どーぞ」
 初めての撮影許可に、震える。
 そう。
 付き合ってからも何回かデートをしたが、やっぱりそれでも先輩は撮影拒否だった。そのくせ、俺の写真は自分のスマホで何枚も撮っている。なんでだ。
 しつこく許可を求めると、「卒業式ならいいよ」と、やっと言ってくれたんだ!!
 だからこその、この、待ち合わせである。
「じゃあ失礼して……」
 桜の木の下に立つ先輩の姿を撮ろうとカメラを構えたら、また、先輩が俺の肩を引き寄せた。
「わっ、」
「誰が一人の撮れって言った?」
「え?」
「一緒に、だろ?」
 まさかの、ツーショットをご所望だった。
 このカメラ、自撮りには向いてないんすけど……。
 俺は小さく息を吐いて、撮影道具を入れているバッグから、三脚を取り出す。
「ガチなヤツかよ」
「写真部ですから」
 組み立てて、桜の木の前に立てて置く。
 至る所で卒業生と在校生の別れが行われている。
 俺たちのことも、誰も、気にしていないだろう。
 三脚の上にカメラを設置して、セルフタイマーをセットした。
 慌てて走って先輩の元へ行く。
 シャッターが切れる前にポーズを取ろうとしたのに、先輩が、俺を抱き締めてキスしてきた!
「ちょっ、」
 パシャ!
「ご馳走さん」
 止めようとしたと同時にシャッター音が鳴り響いて、先輩は悪戯っぽく笑って舌を出している。
 うっ。
 そんな姿さえかっこいいなんて、ずるすぎます、先輩!!!


 
 

 ――桜の木の下で、先輩に抱き締められてキスされている写真は誰にも見せられないけど、俺の宝物の一枚になったのは、間違いない。