恋のソノリティ

 翌日の昼休み、放送部へ行ったら三年の部長に怒られた。
「副部長のお前がさぼったら、他の部員に示しがつかないだろ。どこ行ってたんだよ」
「ちょっと用を思い出して……」
「休むなら、言え」
「すいません」
「小出も途中で、急用だっつっていなくなるしさぁ」
 ──こいつ、俺のことなんも言わないでおいてくれたんだな。
 ブースの端っこで、千隼はこっちを見ることもなく、黙々とケーブルを巻いていた。昨日の土手や千隼の部屋で見せた態度とは温度差がある。
 ……ああ、そっか。俺、ラジオドラマの素材だもんな。俺のことが必要、ってことか。
「湊、ぼけっとすんな。ミキサー準備しろ」
「はい」
 先輩に言われて、ミキサーの電源を入れる。基本的にはいつもスライダーは同じところに設定していて、誰でもわかるように、数字のところにテープを貼ってある。
 マイクをいじっていた千隼が、ふと顔を上げた。
「先輩」
「ん?」
「ちょっと待ってください」
 千隼は俺のところに来ると、スライダーを微調整して、またマイクのところに戻る。
「……何してんの」
 千隼はヘッドホンをつけて、軽くマイクを叩いた。コン、という音がモニターから返る。またミキサー卓でボリュームをミリ単位でいじって、マイクに戻る……を何回か繰り返した。
「今日は午後から雨だから、少し重たいですね」
「いや、わかんねぇし」
「さっきより綺麗に出ますよ、音」
 千隼は、真剣そのものの顔で言う。
 後ろで誰かが笑った。
「小出また始まった」
「細かすぎ」
 千隼は聞こえていないみたいに、今度はマイクの角度を直している。
「先輩差し置いて音量直すとか、メンタル強いよな」
「気にしてないだけだろ」
「いや、音しか見えてないんだって」
 また笑いが起きた。
 千隼はやっとヘッドホンを外して、こっちを見た。
「先輩、テストしていいですか」
 さっきの部員の会話なんてはなから聞いてないみたいで、たしかにメンタル強いよな、とは俺も思う。
 だけど、千隼の家で見た膨大な量の効果音。あれだけ努力してりゃ、外野の声なんか気にならないのかもしれない。
「テスト、テスト」
 千隼のマイクテストを聞きながら、俺は思った。こいつの努力を、他のやつらは知らない。
「じゃあ本番行くぞ」
 今日のアナウンスを担当する部長が、マイクの前に立つ。もう変更はなしだ。オープニング曲を流そうとしたそのとき。
「あ、ちょっと待ってください。もう一センチ離れてください。今日は音がこもるんで」
 部長が、眉をひそめた。
「小出、やり過ぎだぞ」
「でも、この位置だと——」
「もういい」
 部長にぴしっと言われて、千隼が口を閉じた。俺は慌ててとりなすように口を開いた。
「すいません、こいつ音のことになると細かくて」
「知ってるよ」
 部長は短く言った。
「でもな」
 部長は、俺に向かって諭すように言った。
「放送はチームだから」
「……はい」
 俺はもう、何も言えなかった。
 放送は無事終わった。俺はミキサー卓の電源を落とす。千隼は黙ったまま、マイクとケーブルを片付けていた。
「忘れ物ないか。電気消すぞ」
 部室を出ようとした瞬間、後ろの方で、誰かが小声で言った。
「さっきの、さすがにやりすぎだろ」
「部長も困ってたじゃん」
「音オタクすぎ」
 くすっと笑いが混じる。
 千隼はいつもと同じようにヘッドホンをつけて、みんなのあとから部室を出てきた。
 今の、聞こえてないはずないよな。でも、千隼は何も言わないで、自分のクラス階へと降りて行った……なあ。お前、こういうの平気なのかよ。
 猫背の背中が、階段の向こうに消えていく。

 一学期を終える頃には、部室の空気は変わっていた。
「一年、そのケーブル取って」
 誰かが言う。
 手に持っていたケーブルを差し出そうとした千隼より先に、別のやつが手を伸ばしてケーブルを取り、先輩に渡した。
「使ってください」
「サンキュー」
 ケーブルを渡しそこねた千隼の手が、宙に残る。
 千隼は何も言わず、音響用のヘッドホンをつけた。フィールド録音に使う用のハンディレコーダーのスイッチを入れると、反響を確かめるように、部室の壁を軽く叩いて回る。
 千隼がうろうろしているのが目に入らないような様子で、部員たちは違う話を始めた。
「昨日のドラマ見た?」
「あれな、あの俳優——」
 クラスで見たときと同じだ。千隼は、輪の外にいる。
 別に追い出されてるわけじゃない。でも、誰も千隼の方を見ない。千隼も周りに馴染もうとはしない。
 千隼の周りだけ、音が静かだった。俺は少しだけ視線をそらした。
「おい、ちょっと集まれ」
 部長が手を叩いた。ばらばらに散らばっていた部員が、なんとなく集まる。
 千隼は顔を上げて周囲を見渡すと、ヘッドホンを外して、少し遅れて輪の端に立った。俺はそれを確かめて、千隼の後ろに立った。
「一学期の放送、これで一通り終わりな」
「おつかれー」
 三年の誰かが言う。
「二学期になったら、運動会や放送コン、文化祭と続くけど、その前に」
 部長がプリントを机に置いた。
「毎年やってる合宿、今年もやるから」
 部室が少しざわつく。
 放送部の合宿は、運動部のやつらみたいに朝から走らされたりするわけじゃない。ただ、フィールドワークで外の音を録りに行ったり、発声練習や体力づくりをやらされたりして、結局それなりに忙しい。飯食って風呂入ったら、あっという間に熟睡だ。
「日にちと場所はどこですか」
 今回の合宿がはじめての一年が聞いた。
「来月はじめで二泊三日。いつものセミナーハウスだ」
 部長の言葉に、二年と三年が反応する。
「また山かー」
「蚊に刺されるのが嫌だよね」
「夜の肝試し録音、またやるのかな」
 そのとき、早乙女が手を上げた。
「部長」
「ん?」
「一つ提案してもいいですか」
 部長が顎をしゃくる。早乙女は頷いて立ち上がり、部員を見回した。
「合宿中に作品を一本作って、次の放送コンのプレゼンにするっていうのはどうでしょう」
「プレゼン?」
「三分くらいのラジオ作品です。ドラマでも、ドキュメントでも」
 部員たちが顔を見合わせる。早乙女は続けた。
「せっかく録音機材も持っていくわけですし」
 それから、ふと俺の方を見る。
「副部長も、ぜひ一本」
「……は?」
 思わず声が出た。俺は、合宿でも機材の準備とか部長のフォローとか、裏方に回るつもりでいた。
「湊の作品、聞いてみたいからさ。久しぶりに」
「俺は……」
「文化祭が終わったら、二年が中心になるわけだしな。よし、いいんじゃないか。スケジュールに組み込もう」
 部長の一言であっさり決まった。早乙女は、俺の方を振り向いて、小さくガッツポーズを寄越してきた。……くそ。早乙女のやつ、俺を試すつもりなんだ。
 三分。たった三分だ。だけど、俺にとっては長い。またページをめくり間違えたら。また原稿の行を見失ったら。
 だけど、千隼が「ソノリティがいい」って言ってくれて、目を輝かせていたこと。あの目は忘れられなかった。
 俺の声にソノリティがあるって? 本当かよ、千隼。
 千隼の猫背を睨む。背中に目がついてるみたいに、千隼は俺のほうを振り向いた。
「先輩、俺と組んでもらえませんか」
 部長がプリントを配っている隙に、小声で俺に問いかけてきた。
 決めきれない。俺は、一度負けた人間だし。
「……その気になったらな」
 かすれた声がかろうじて出た。やるなんて言ってないのに、千隼はめずらしく嬉しそうに笑った。