月曜日の昼の校内放送は、ミニ朗読をやることになっている。週替わりで部員が短い原稿を読む、五分くらいのコーナーだ。
今日読むのは一年だった。音響は早乙女。俺は今日、当番じゃないから、弁当を急いでかきこむこともないし、午後の授業開始に慌てることもない。これが平和ってやつだ。
教室のスピーカーから、少し緊張した声が流れていた。
「──これで、月曜日の昼の校内放送を終わります」
声は硬かった。言葉の切り方もぎこちないし、ところどころで息が大きく入る。
俺だったら……そんなことをちらっと考えて、途中でやめた。考えたところで、一度諦めた俺が、マイクの前にまた立つ資格なんてない。
放送が終わり、教室はまた昼休みのざわめきに戻る。
……今日のは、ちょっとテンポ早かったな。
また考えそうになって、止める。
月曜の放課後は、定例ミーティングだ。部室に行くと、ブースの前で早乙女と千隼がパソコンをのぞき込んでいた。
画面には、さっきのミニ朗読の波形が表示されている。
「ここ」
千隼がマウスで波形を指した。
「この間、ちょっと空きすぎてます。コンマ五秒削ってください」
早乙女はヘッドホンを少しずらして、千隼がマウスで示した部分をのぞき込む。
「……ここか。なるほどね」
「この間、少し詰めた方が流れいいと思います」
「さすが小出だな。ありがとう、これで直してみるよ」
「はい」
そのやり取りは、ごく普通だった。早乙女は正面から千隼のアドバイスを聞いていて、千隼もそれにちゃんと答えていた。ちゃんと会話になっている。
俺は拍子抜けした……なんだ、なんでもないじゃん。
昨日、深刻な顔で耳鼻科に入って行った千隼の横顔がちらついて、もやもやしてた自分がバカみたいだ。
別に俺がいなくても、ちゃんとやっていけるじゃん。
俺はそっと部室のドアを閉めた。誰にも気づかれないように足音を消しながら、廊下を歩き出す。
……今日、ミーティングさぼろ。どうせ俺なんか、いてもいなくても変わらない。
校庭では野球部とサッカー部が声を張り上げている。音楽室では、吹奏楽部が練習していた。学校が奏でる音を背中にして、校門を出る。
車の音、信号機の電子音、笑いながら道を歩いてる中学生。宣伝カーの音、遠くのパトカー、踏切の警報機。
どこか静かな場所に行きたかった。誰もいない場所。
そのまま駅とは逆の道に曲がり、気づけば川の方へ足は向かっていた。
──この道、久しぶりだな。
堤防に続く階段を上ると、きらきらと光る川面が一望できる。俺のお気に入りの場所だ。
平日のこの時間、犬の散歩をしてる人と、ランニングしてるおっさんくらいしかいない。とっておきの穴場スポット。
俺はポケットに手を突っ込んだまま、しばらく川を眺めた。
ここは、去年までよく自主練をしに来た場所だ。人一倍やらなきゃと思って、ここで発声練習をしたり、ジョギングをしたりしてたっけ。
早乙女に負けたくないのもそうけど、何より頑張ってきた自分に負けたくなかった。
今の俺が持つマイクはない。俺の声は、どこにも届かない。
……ここでなら、出してもいいだろうか。俺だけが聞くなら。
久しぶりに喉を開いてみる。
「……あー」
風に混じって、声が川の方へ流れていく。聞いているやつは誰もいない。少しだけ気が楽になって、今度は大きく息を吸う。
「あー、えー、いー……」
少しずつ、昔の感覚を思い出してくる。そうだ、自分の内側から出てくる音だ。しばらく声を出してなかったから、ちょっと違和感はあるけど、この気持ちよさは身体が覚えてる。
「……以上で、今日のお昼の放送を終わります。二年、湊翔也でした」
パチパチパチパチ。
え?
背中からふいに拍手されて、俺はあわてて振り向いた。そこには千隼が立っていた。
「お、おまっ、なんでここに」
「先輩のあとつけてきたの、気づかなかったですか?」
全然気づかなかった。こんなに存在感あるのに、忍者かよ。
「先輩がミーティング出ないで、そのまま回れ右したから、俺も今日は急用思い出したって出てきたんです。ここ、先輩の練習場所ですか?」
「……練習場所だった、な」
「なんで。先輩、今のめちゃくちゃいいアナウンスだったじゃないですか。最高の波形でしたよ」
「……そうかよ」
「湊翔也のお昼の放送、聞きたいですよ」
めずらしく、千隼の猫背が伸びた。
「俺、先輩の音響やりたいです。俺なら先輩の声、一番いい音で出せます」
千隼の目は真剣そのものだった。いつもなら録音ランプがついてるはずのICレコーダーもない。本気で言ってるのが分かった。
「……先輩に見せたいものがあるんです」
「なんだよ」
「俺ん家に来てもらえませんか?」
千隼の真剣さに押されて、ついて来てしまった。家は、川沿いの一軒家だった。
「おじゃまします……」
人ん家来るなんていつぶりだろう。ちょっと緊張する。
「誰もいないんで、適当にしてください。あ、俺の部屋こっちです」
猫背に戻った千隼を追って、階段を上る。
ドアが開いた瞬間、俺は言葉を失った。
ベッドがくっついてる壁の反対側には、机がぎちぎちに並んでいる。椅子は、長時間作業ができそうなゲーミング椅子。
机の上には、モニターが三台。その下に並ぶ大容量の外付けハードディスク。机の横には録音機材とケーブルが山のように積まれている。
……スタジオかよ。
高校生の部屋とは思えない。
千隼は慣れた手つきでパソコンを立ち上げた。ハードディスクのファンが静かに回り始め、三台のモニターにびっしりとフォルダが現れた。
「こっちは雨、風、川。外で録ったやつです」
雨音だけでも、「秋の雨」「夕立」「梅雨」みたいに細かく分かれている。
「……全部お前が録ったのかよ」
「はい」
当然のように、千隼は答える。
二台目のモニターにカーソルを動かした。
「こっちは環境音です」
「環境音?」
「電車の走行音とか、教室の雑音とか、体育館の残響とか」
そこにもフォルダが並んでいた。
俺は思わず画面を覗き込む。千隼が音オタクだとは思ってたけど、ここまでガチだとは思わなかった。
「で、こっちが先輩に見せたいやつです」
三台目のモニターにカーソルを動かす。並んだフォルダを見た瞬間、俺は固まった。
「翔也先輩 朝」「翔也先輩 昼休み」「翔也先輩 放課後」「翔也先輩 部活」……。
俺はゆっくり振り返る。
「おい!」
「はい」
「なんだよ、これ」
千隼は何を言ってるのか、とでもいうように首をかしげて言った。
「集めました」
「見りゃ分かるわ。つーか、いつ集めた」
「先輩にバレないように頑張りました」
マジで忍者なのか、こいつは。
「なんで俺ばっかりなんだよ」
「好きなんで」
「……声だろ。主語ちゃんとしろや」
「わかりました」
少し沈黙してから千隼は続ける。
「先輩の声が」
ドキッとした。
そういえば、前にも言われた。
「先輩の声、好きなんで」
でも今のはなんだか違って聞こえて、俺の耳がおかしくなったかと思った。
「これなんか、お気に入りですね」
千隼は、満足そうな表情で、再生ボタンをクリックした。スピーカーから聞き慣れた声が流れる。
「あ、違った。ごめん、もう一回喋って」
部活のときの俺の声だ。失敗したやつまで録ってんのかよ。
「このへん」
千隼は波形を指さす。
「ソノリティがいいんです」
「ソノ……?」
千隼は椅子をくるっと回して、俺のほうを向いた。めずらしく、千隼が俺を見上げる形になる。
「音の響きです。きれいな音だけじゃできない。ノイズとか、揺れとかそういうの全部混ざって一つの響きになる。すげぇワクワクする。先輩の声、そういう声なんです」
きらきらした目で、熱っぽく俺の声について語ってる。普通ならドン引きもいいところのはずなのに、なぜか胸の奥がざわついた。
──なんだ、これは。
今日読むのは一年だった。音響は早乙女。俺は今日、当番じゃないから、弁当を急いでかきこむこともないし、午後の授業開始に慌てることもない。これが平和ってやつだ。
教室のスピーカーから、少し緊張した声が流れていた。
「──これで、月曜日の昼の校内放送を終わります」
声は硬かった。言葉の切り方もぎこちないし、ところどころで息が大きく入る。
俺だったら……そんなことをちらっと考えて、途中でやめた。考えたところで、一度諦めた俺が、マイクの前にまた立つ資格なんてない。
放送が終わり、教室はまた昼休みのざわめきに戻る。
……今日のは、ちょっとテンポ早かったな。
また考えそうになって、止める。
月曜の放課後は、定例ミーティングだ。部室に行くと、ブースの前で早乙女と千隼がパソコンをのぞき込んでいた。
画面には、さっきのミニ朗読の波形が表示されている。
「ここ」
千隼がマウスで波形を指した。
「この間、ちょっと空きすぎてます。コンマ五秒削ってください」
早乙女はヘッドホンを少しずらして、千隼がマウスで示した部分をのぞき込む。
「……ここか。なるほどね」
「この間、少し詰めた方が流れいいと思います」
「さすが小出だな。ありがとう、これで直してみるよ」
「はい」
そのやり取りは、ごく普通だった。早乙女は正面から千隼のアドバイスを聞いていて、千隼もそれにちゃんと答えていた。ちゃんと会話になっている。
俺は拍子抜けした……なんだ、なんでもないじゃん。
昨日、深刻な顔で耳鼻科に入って行った千隼の横顔がちらついて、もやもやしてた自分がバカみたいだ。
別に俺がいなくても、ちゃんとやっていけるじゃん。
俺はそっと部室のドアを閉めた。誰にも気づかれないように足音を消しながら、廊下を歩き出す。
……今日、ミーティングさぼろ。どうせ俺なんか、いてもいなくても変わらない。
校庭では野球部とサッカー部が声を張り上げている。音楽室では、吹奏楽部が練習していた。学校が奏でる音を背中にして、校門を出る。
車の音、信号機の電子音、笑いながら道を歩いてる中学生。宣伝カーの音、遠くのパトカー、踏切の警報機。
どこか静かな場所に行きたかった。誰もいない場所。
そのまま駅とは逆の道に曲がり、気づけば川の方へ足は向かっていた。
──この道、久しぶりだな。
堤防に続く階段を上ると、きらきらと光る川面が一望できる。俺のお気に入りの場所だ。
平日のこの時間、犬の散歩をしてる人と、ランニングしてるおっさんくらいしかいない。とっておきの穴場スポット。
俺はポケットに手を突っ込んだまま、しばらく川を眺めた。
ここは、去年までよく自主練をしに来た場所だ。人一倍やらなきゃと思って、ここで発声練習をしたり、ジョギングをしたりしてたっけ。
早乙女に負けたくないのもそうけど、何より頑張ってきた自分に負けたくなかった。
今の俺が持つマイクはない。俺の声は、どこにも届かない。
……ここでなら、出してもいいだろうか。俺だけが聞くなら。
久しぶりに喉を開いてみる。
「……あー」
風に混じって、声が川の方へ流れていく。聞いているやつは誰もいない。少しだけ気が楽になって、今度は大きく息を吸う。
「あー、えー、いー……」
少しずつ、昔の感覚を思い出してくる。そうだ、自分の内側から出てくる音だ。しばらく声を出してなかったから、ちょっと違和感はあるけど、この気持ちよさは身体が覚えてる。
「……以上で、今日のお昼の放送を終わります。二年、湊翔也でした」
パチパチパチパチ。
え?
背中からふいに拍手されて、俺はあわてて振り向いた。そこには千隼が立っていた。
「お、おまっ、なんでここに」
「先輩のあとつけてきたの、気づかなかったですか?」
全然気づかなかった。こんなに存在感あるのに、忍者かよ。
「先輩がミーティング出ないで、そのまま回れ右したから、俺も今日は急用思い出したって出てきたんです。ここ、先輩の練習場所ですか?」
「……練習場所だった、な」
「なんで。先輩、今のめちゃくちゃいいアナウンスだったじゃないですか。最高の波形でしたよ」
「……そうかよ」
「湊翔也のお昼の放送、聞きたいですよ」
めずらしく、千隼の猫背が伸びた。
「俺、先輩の音響やりたいです。俺なら先輩の声、一番いい音で出せます」
千隼の目は真剣そのものだった。いつもなら録音ランプがついてるはずのICレコーダーもない。本気で言ってるのが分かった。
「……先輩に見せたいものがあるんです」
「なんだよ」
「俺ん家に来てもらえませんか?」
千隼の真剣さに押されて、ついて来てしまった。家は、川沿いの一軒家だった。
「おじゃまします……」
人ん家来るなんていつぶりだろう。ちょっと緊張する。
「誰もいないんで、適当にしてください。あ、俺の部屋こっちです」
猫背に戻った千隼を追って、階段を上る。
ドアが開いた瞬間、俺は言葉を失った。
ベッドがくっついてる壁の反対側には、机がぎちぎちに並んでいる。椅子は、長時間作業ができそうなゲーミング椅子。
机の上には、モニターが三台。その下に並ぶ大容量の外付けハードディスク。机の横には録音機材とケーブルが山のように積まれている。
……スタジオかよ。
高校生の部屋とは思えない。
千隼は慣れた手つきでパソコンを立ち上げた。ハードディスクのファンが静かに回り始め、三台のモニターにびっしりとフォルダが現れた。
「こっちは雨、風、川。外で録ったやつです」
雨音だけでも、「秋の雨」「夕立」「梅雨」みたいに細かく分かれている。
「……全部お前が録ったのかよ」
「はい」
当然のように、千隼は答える。
二台目のモニターにカーソルを動かした。
「こっちは環境音です」
「環境音?」
「電車の走行音とか、教室の雑音とか、体育館の残響とか」
そこにもフォルダが並んでいた。
俺は思わず画面を覗き込む。千隼が音オタクだとは思ってたけど、ここまでガチだとは思わなかった。
「で、こっちが先輩に見せたいやつです」
三台目のモニターにカーソルを動かす。並んだフォルダを見た瞬間、俺は固まった。
「翔也先輩 朝」「翔也先輩 昼休み」「翔也先輩 放課後」「翔也先輩 部活」……。
俺はゆっくり振り返る。
「おい!」
「はい」
「なんだよ、これ」
千隼は何を言ってるのか、とでもいうように首をかしげて言った。
「集めました」
「見りゃ分かるわ。つーか、いつ集めた」
「先輩にバレないように頑張りました」
マジで忍者なのか、こいつは。
「なんで俺ばっかりなんだよ」
「好きなんで」
「……声だろ。主語ちゃんとしろや」
「わかりました」
少し沈黙してから千隼は続ける。
「先輩の声が」
ドキッとした。
そういえば、前にも言われた。
「先輩の声、好きなんで」
でも今のはなんだか違って聞こえて、俺の耳がおかしくなったかと思った。
「これなんか、お気に入りですね」
千隼は、満足そうな表情で、再生ボタンをクリックした。スピーカーから聞き慣れた声が流れる。
「あ、違った。ごめん、もう一回喋って」
部活のときの俺の声だ。失敗したやつまで録ってんのかよ。
「このへん」
千隼は波形を指さす。
「ソノリティがいいんです」
「ソノ……?」
千隼は椅子をくるっと回して、俺のほうを向いた。めずらしく、千隼が俺を見上げる形になる。
「音の響きです。きれいな音だけじゃできない。ノイズとか、揺れとかそういうの全部混ざって一つの響きになる。すげぇワクワクする。先輩の声、そういう声なんです」
きらきらした目で、熱っぽく俺の声について語ってる。普通ならドン引きもいいところのはずなのに、なぜか胸の奥がざわついた。
──なんだ、これは。



