千隼が入部して、全員が面食らっていた。耳にヘッドホンをつけたまま、ほとんど喋らない。喋るとしたら俺か早乙女くらい。ほかの部員が話しかけても、だいたい無言で終わる。
そのくせ、音のことになると急に口数が増える。
「今んとこ、ちょっとノイズ入ってました」
「うそだ。全然おかしいとこなかったぞ」
「距離もう三センチ離してください。それで直らなかったらノイズ除去かけます」
「勝手に決めんな。三年の指示待てよ」
「まぁまぁ、先輩。小出の言うことは当たってると思いますよ」
早乙女が笑顔で間に立つと、三年はしぶしぶといったふうにマイクを少しだけ引いた。
毎日がそんな感じだ。三センチってなんだよ。誰もそんな単位でマイク距離考えてねぇだろ。
変わり者扱いというか、どう接していいのか分からない感じで、みんななんとなく距離を置いていた。
でも、早乙女だけは普通に話していた。
「小出、こないだのバスケのアナウンス、体育館の残響どうだった?」
千隼は「体育館」と口の中で呟いてから、早口で答えた。
「長かったです。三秒くらいでした。言葉少し詰めたほうが聞きやすいと思いました」
早乙女は「ああ、なるほど」と素直にうなずく。
俺はミキサー卓の前からそのやりとりを聞いていた。
早乙女は誰に対してもああだ。後輩だろうが、変なやつだろうが、態度を変えない。何か言われても怒ったりしたところを見たことがない。
俺とは、格の違いを感じる。やっぱり早乙女はすげぇ。
俺がマイクを避けている間も、早乙女はどんどん前に出ていく。大会でも、校内放送でも、行事でも。声も、実力も、全部ちゃんとしている。隙がない。
差は開くばかりだ。
──完成してる声なんで。
ふいに、千隼の言葉が頭をよぎった。そうだろ、完成してる声の方が使いやすいに決まってる。
スピーカーから、早乙女の声が流れる。
「それでは、お昼の放送を始めます。本日の放送は、二年の早乙女潤がお送りします」
俺はミキサー卓に目を落とした。音量は問題ない。早乙女がいれば、放送部は今年も放送コンでいい成績を収められる。
千隼が、いつの間にか俺の横に立っていた。
「俺は、翔也先輩のアナウンスが聞きたいです」
顔は相変わらず真剣で、ほんと何言ってんだこいつ、と思う。
「だーかーらー。俺は、裏方なんだってば」
ずたずたに負けた俺が、また前に出るなんて。そんなこと、できるわけがない。
マイクの準備をするたびに、あの日の沈黙が頭に浮かぶ。
止まった声。動かない時間。審査員のペンが止まる気配。あんなのをもう一回味わうくらいなら、裏方をやってるほうが、よっぽど楽だった。
千隼は何も返さず、お昼の放送が終わるまで、俺の横に立ち続けていた。
午後の選択授業は化学だ。実験の日は移動がめんどくさい。
「湊、早く行かねぇと遅れるぞ」
「分かってる、先行ってて」
放送部をあとにして教室に戻ってきた俺は、ロッカーの中から白衣だけ取って、また廊下へ出た。
部室で食べた昼食はサンドイッチだけだ。いつもはカフェテリアで大盛りうどんを食べているので、物足りない。
あとでなんか買おうと思いながら、売店を横目に早足で歩く。
理科棟は、一年の教室を過ぎたところにある。ふと、教室の中に目をやった。廊下側の一番前の席に、あいつ──小出千隼がいた。
千隼の姿は目立っていた。
周りではクラスメイトが騒いでいた。ふざけてるやつ、笑っているやつ、机に腰掛けて、友だちのスマホを見ているやつ。
千隼はそのどれにも混ざっていなかった。
相変わらず首にはヘッドホン。机の上には小さなICレコーダー。画面に表示された波形を、じっと見つめている。
まるで教室の音が、千隼の周りにだけ届いていないみたいに、ひとりで画面を見ている。
誰とも話していない。笑ってもいない。ただ、そこにぽつんと座っている。
……あいつ、まさか教室でも音オタク発揮してんのか。
クラスではクラスなりの付き合い方ってもんがあるだろう。もしかして、分かってないのか? それとも、分かっててひとりでいるのか?
相変わらずよく分からないやつだ。
千隼はふと視線を上げた。ヘッドホンを両手で押さえて、目を閉じる。じっと、何かを聞いているみたいだった。
教室の中では、相変わらず誰かが笑っている。椅子を引く音、机を叩く音、ガタガタと雑多な音が混ざっている。
だけど千隼は、その全部から切り離されたみたいに動かない。千隼だけ、別の世界にいるみたいに見えた。
数秒して、目を開く。ICレコーダーの画面を覗き込むと、小さくうなずいた。
クラスの一部が、そんな千隼のほうを見て、ひそひそと話をしていた。
そいつらの気持ちが手に取るように分かる。
ひとりで納得して、ひとりで完結してる。周りの連中がどう見てるかなんて、まるで気にしてない。そりゃ浮くよな。
俺はそこでやっと、廊下の真ん中で立ち止まっていることに気づいた。
いけね。実験、遅れる。
別に関係ない。千隼がどんな学校生活を送ってようが、どうでもいい。俺は千隼のクラスから視線をそらして、小走りに駆け出していた。
そのくせ、音のことになると急に口数が増える。
「今んとこ、ちょっとノイズ入ってました」
「うそだ。全然おかしいとこなかったぞ」
「距離もう三センチ離してください。それで直らなかったらノイズ除去かけます」
「勝手に決めんな。三年の指示待てよ」
「まぁまぁ、先輩。小出の言うことは当たってると思いますよ」
早乙女が笑顔で間に立つと、三年はしぶしぶといったふうにマイクを少しだけ引いた。
毎日がそんな感じだ。三センチってなんだよ。誰もそんな単位でマイク距離考えてねぇだろ。
変わり者扱いというか、どう接していいのか分からない感じで、みんななんとなく距離を置いていた。
でも、早乙女だけは普通に話していた。
「小出、こないだのバスケのアナウンス、体育館の残響どうだった?」
千隼は「体育館」と口の中で呟いてから、早口で答えた。
「長かったです。三秒くらいでした。言葉少し詰めたほうが聞きやすいと思いました」
早乙女は「ああ、なるほど」と素直にうなずく。
俺はミキサー卓の前からそのやりとりを聞いていた。
早乙女は誰に対してもああだ。後輩だろうが、変なやつだろうが、態度を変えない。何か言われても怒ったりしたところを見たことがない。
俺とは、格の違いを感じる。やっぱり早乙女はすげぇ。
俺がマイクを避けている間も、早乙女はどんどん前に出ていく。大会でも、校内放送でも、行事でも。声も、実力も、全部ちゃんとしている。隙がない。
差は開くばかりだ。
──完成してる声なんで。
ふいに、千隼の言葉が頭をよぎった。そうだろ、完成してる声の方が使いやすいに決まってる。
スピーカーから、早乙女の声が流れる。
「それでは、お昼の放送を始めます。本日の放送は、二年の早乙女潤がお送りします」
俺はミキサー卓に目を落とした。音量は問題ない。早乙女がいれば、放送部は今年も放送コンでいい成績を収められる。
千隼が、いつの間にか俺の横に立っていた。
「俺は、翔也先輩のアナウンスが聞きたいです」
顔は相変わらず真剣で、ほんと何言ってんだこいつ、と思う。
「だーかーらー。俺は、裏方なんだってば」
ずたずたに負けた俺が、また前に出るなんて。そんなこと、できるわけがない。
マイクの準備をするたびに、あの日の沈黙が頭に浮かぶ。
止まった声。動かない時間。審査員のペンが止まる気配。あんなのをもう一回味わうくらいなら、裏方をやってるほうが、よっぽど楽だった。
千隼は何も返さず、お昼の放送が終わるまで、俺の横に立ち続けていた。
午後の選択授業は化学だ。実験の日は移動がめんどくさい。
「湊、早く行かねぇと遅れるぞ」
「分かってる、先行ってて」
放送部をあとにして教室に戻ってきた俺は、ロッカーの中から白衣だけ取って、また廊下へ出た。
部室で食べた昼食はサンドイッチだけだ。いつもはカフェテリアで大盛りうどんを食べているので、物足りない。
あとでなんか買おうと思いながら、売店を横目に早足で歩く。
理科棟は、一年の教室を過ぎたところにある。ふと、教室の中に目をやった。廊下側の一番前の席に、あいつ──小出千隼がいた。
千隼の姿は目立っていた。
周りではクラスメイトが騒いでいた。ふざけてるやつ、笑っているやつ、机に腰掛けて、友だちのスマホを見ているやつ。
千隼はそのどれにも混ざっていなかった。
相変わらず首にはヘッドホン。机の上には小さなICレコーダー。画面に表示された波形を、じっと見つめている。
まるで教室の音が、千隼の周りにだけ届いていないみたいに、ひとりで画面を見ている。
誰とも話していない。笑ってもいない。ただ、そこにぽつんと座っている。
……あいつ、まさか教室でも音オタク発揮してんのか。
クラスではクラスなりの付き合い方ってもんがあるだろう。もしかして、分かってないのか? それとも、分かっててひとりでいるのか?
相変わらずよく分からないやつだ。
千隼はふと視線を上げた。ヘッドホンを両手で押さえて、目を閉じる。じっと、何かを聞いているみたいだった。
教室の中では、相変わらず誰かが笑っている。椅子を引く音、机を叩く音、ガタガタと雑多な音が混ざっている。
だけど千隼は、その全部から切り離されたみたいに動かない。千隼だけ、別の世界にいるみたいに見えた。
数秒して、目を開く。ICレコーダーの画面を覗き込むと、小さくうなずいた。
クラスの一部が、そんな千隼のほうを見て、ひそひそと話をしていた。
そいつらの気持ちが手に取るように分かる。
ひとりで納得して、ひとりで完結してる。周りの連中がどう見てるかなんて、まるで気にしてない。そりゃ浮くよな。
俺はそこでやっと、廊下の真ん中で立ち止まっていることに気づいた。
いけね。実験、遅れる。
別に関係ない。千隼がどんな学校生活を送ってようが、どうでもいい。俺は千隼のクラスから視線をそらして、小走りに駆け出していた。



