「……マイク、止めろ!」
どこかで先生の怒鳴り声が飛ぶ。バタバタといろんなひとの走る音が聞こえる。
「ただいまのは機材トラブルです。大変失礼しました。リレーを再開します」
走ってきた早乙女が、あわてる一年に代わってブースに座る。
俺は、ブースの中で立ち尽くしていた。手のひらが、じっとりと汗ばんでいる。なにをやったのか頭では分かってるのに、現実感がなかった。
部室のほうもやらかしに気づいたのか、本来の曲に戻っていた。
スピーカーからは、何事もなかったみたいに早乙女の実況が流れている。
「第二走者にバトンが渡りました!」
走る選手の光景が、やけにスローモーションに見える。うわっつらのように聞こえる歓声が、どこか遠くのできごとのようだった。
「どういうことなんだ、説明しろ!」
全員が部室に集められた。顧問の先生が怒鳴る。部室の空気が、一瞬で凍りついた。
部長は自分の種目から戻ってきたばかりで、状況が飲み込めていないのか、顔面を真っ青にして立ち尽くしている。
「スピーカー、切れてると思ってたんです……」
部室に残っていた二年のひとりが、うつむいたまま口を開いた。
「……曲のデータ、小出のパソコンに入ってたんで、小出がトイレ行ってる間にちょっといじってたら」
うつむいたまま、ぼそっと言う。
「その……フォルダがいくつかあって」
一瞬、言葉を探すみたいに間が空いた。
「“翔也先輩ボイス”とか、名前ついてて」
何人かが、わずかに息を呑んだ。部員の一番後ろで聞いてた俺は、もうなんの感情も出せなかった。
「前からちょっとネタにしてたっていうか……。こいつ、湊のあとばっかくっついてるから、 “また録ってんじゃね?”って」
言い訳みたいに、言葉が続く。
「いつもヘッドホンしてて、何考えてんのか分かんないし、ちょっと変わってるっていうか……」
誰も、止めない。
「だから、その……今回も、ちょっとふざけて」
部室がしん、となる。みんな、否定したりしない。
千隼がそうやってネタにされてたのを、誰も、何も言わない。
庇うやつもいなければ、怒るやつもいない。それが、きつかった。
でもなにより一番きつかったのは、俺が、千隼の思いを全否定するようなことを言ってしまったことだ。
俺は、自分が言い放った言葉を噛み締めていた。
「こんなバカみてぇなもん、流してんじゃねぇよ!」
俺は、全校生徒の前で、そう言ったんだ。
会ってすぐに、「好きな声」だと言ってくれた。ソノリティがいいって、すげぇ本気の目で話してくれた。
その思いを俺は踏みにじったんだ。
視線の端に千隼がいた。ヘッドホンを外したまま、ただ立っている。指先が、小さく震えているのが見えた。
俺は、千隼と目が合うのが怖くて、思わず下を向いた。そのとき、顧問の先生から名前を呼ばれた。
「湊、お前も体育祭の進行を大きく妨げたな。今回は市議会議長も来ている中でのトラブルだ。分かっているな?」
低い声だった。怒鳴るでもない淡々とした言い方が、重くのしかかる。
「……はい」
うまく声が出ない。喉がぴったり張り付いているのを無理やり引きはがす。
「しばらく放送部の活動は自粛だ。部長はあとで職員室に来るように」
それだけ言うと、先生は部室を出て行った。
重苦しい空気が流れる。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、千隼だった。
「……すいませんでした。俺が悪いです」
誰もそれに答えなかった。千隼はぺこりと小さく頭を下げると、振り返ることもなく、ドアへ向かった。ドアの閉まる音だけが、小さく響いた。
千隼の猫背が、目に焼き付いて離れない。あいつを、このまま行かせてしまっていいのか。俺は──。
考えるより先に、体が動いていた。足が、勝手に前に出る。
「待てよ」
部室を飛び出す。廊下に、足音が響いた。
角を曲がろうとしていた背中に声を投げたけど、千隼は止まってくれなかった。
「待てって」
もう一度、声を張る。今度は強く。
千隼の足が、ゆっくりと止まった。でも、振り返らない。
いつもの猫背が少しだけ小さく見えて、俺は言葉に詰まる。だけど言わなくちゃいけない。謝らなくちゃいけない。
「千隼……」
「……音声データ、そのままにしててすいませんでした。ちゃんとしてなかった俺が悪いです」
振り返らないまま、千隼が言った。声は、驚くほど静かだった。
「ちは」
「先輩の声、好きでした」
遮られるように言われて、呼吸が止まる。……でした、って。今。
「でも──」
千隼は静かに続けた。
「データ消します」
俺は息を呑んだ。千隼は背中を向けたまま、言った。
「先輩の声、……もう録りません」
そこで、ほんの少しだけ声が揺れた。
「……さっきので、分かりました」
千隼。ごめん。俺、お前のこと傷つけた。俺のことを認めてくれたお前を、俺は傷つけてしまったんだ。合宿のときも、今も。千隼は俺がマイクの前に立つのを待っててくれたっていうのに。
お前は悪くない。俺がまた、失敗したんだ。
「ごめん……」
なんとか声を絞り出そうとしたけど、カラカラに乾いた喉からはそれしか言葉が出てこなかった。それだけじゃ足りないのに。全然足りないのに。
千隼は「いえ」と短く答えて、大股で階段を下りていった。足音が遠ざかっていく。
追いかけなきゃいけないと思うのに、体が動かなかった。
放送事故の件は、職員会議にかけられた。放送部の電波を私物化したこと。体育祭の進行を大きく妨げたこと。来賓の前で不適切な音声を流したこと。
ミーティングの場で、先生の口から淡々と事実が並べられていく。
結果、放送部は無期限の活動停止。関係者は、反省文の提出と、保護者への連絡。
「あんた……なんであんなこと言ったのよ」
体育祭を見に来ていた母さんが、呆れたように言う。俺はなにも言えずに、自分の部屋に閉じこもった。
ミーティングを終えた部長が、沈んだ顔で言ったことを思い出す。
「無期限てことは、もしかしたら放送コンにも出られないかもしれない。俺ら、最後のチャンスなのに……」
責任を感じた。事を大きくしたのは俺だ。
それだけじゃない、千隼が大切にしてたものを真正面からぶち壊した。
あいつは、俺の声をちゃんと聞いてくれていたのに。俺は、あいつの声を聞こうともしなかった。
俺には声を扱う資格がない。
学校からもらってきた届け出用紙を机の上に広げた。退部届。椅子に座って向き合う。
ボールペンをノックする。ペン先を紙に乗せて、自分の名前を書こうとした。
──手が、震えた。
指先が小刻みに動いて、文字がぐにゃぐにゃに歪む。俺はペンを置いて、両手で顔を覆った。
「……くそ」
どこかで先生の怒鳴り声が飛ぶ。バタバタといろんなひとの走る音が聞こえる。
「ただいまのは機材トラブルです。大変失礼しました。リレーを再開します」
走ってきた早乙女が、あわてる一年に代わってブースに座る。
俺は、ブースの中で立ち尽くしていた。手のひらが、じっとりと汗ばんでいる。なにをやったのか頭では分かってるのに、現実感がなかった。
部室のほうもやらかしに気づいたのか、本来の曲に戻っていた。
スピーカーからは、何事もなかったみたいに早乙女の実況が流れている。
「第二走者にバトンが渡りました!」
走る選手の光景が、やけにスローモーションに見える。うわっつらのように聞こえる歓声が、どこか遠くのできごとのようだった。
「どういうことなんだ、説明しろ!」
全員が部室に集められた。顧問の先生が怒鳴る。部室の空気が、一瞬で凍りついた。
部長は自分の種目から戻ってきたばかりで、状況が飲み込めていないのか、顔面を真っ青にして立ち尽くしている。
「スピーカー、切れてると思ってたんです……」
部室に残っていた二年のひとりが、うつむいたまま口を開いた。
「……曲のデータ、小出のパソコンに入ってたんで、小出がトイレ行ってる間にちょっといじってたら」
うつむいたまま、ぼそっと言う。
「その……フォルダがいくつかあって」
一瞬、言葉を探すみたいに間が空いた。
「“翔也先輩ボイス”とか、名前ついてて」
何人かが、わずかに息を呑んだ。部員の一番後ろで聞いてた俺は、もうなんの感情も出せなかった。
「前からちょっとネタにしてたっていうか……。こいつ、湊のあとばっかくっついてるから、 “また録ってんじゃね?”って」
言い訳みたいに、言葉が続く。
「いつもヘッドホンしてて、何考えてんのか分かんないし、ちょっと変わってるっていうか……」
誰も、止めない。
「だから、その……今回も、ちょっとふざけて」
部室がしん、となる。みんな、否定したりしない。
千隼がそうやってネタにされてたのを、誰も、何も言わない。
庇うやつもいなければ、怒るやつもいない。それが、きつかった。
でもなにより一番きつかったのは、俺が、千隼の思いを全否定するようなことを言ってしまったことだ。
俺は、自分が言い放った言葉を噛み締めていた。
「こんなバカみてぇなもん、流してんじゃねぇよ!」
俺は、全校生徒の前で、そう言ったんだ。
会ってすぐに、「好きな声」だと言ってくれた。ソノリティがいいって、すげぇ本気の目で話してくれた。
その思いを俺は踏みにじったんだ。
視線の端に千隼がいた。ヘッドホンを外したまま、ただ立っている。指先が、小さく震えているのが見えた。
俺は、千隼と目が合うのが怖くて、思わず下を向いた。そのとき、顧問の先生から名前を呼ばれた。
「湊、お前も体育祭の進行を大きく妨げたな。今回は市議会議長も来ている中でのトラブルだ。分かっているな?」
低い声だった。怒鳴るでもない淡々とした言い方が、重くのしかかる。
「……はい」
うまく声が出ない。喉がぴったり張り付いているのを無理やり引きはがす。
「しばらく放送部の活動は自粛だ。部長はあとで職員室に来るように」
それだけ言うと、先生は部室を出て行った。
重苦しい空気が流れる。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、千隼だった。
「……すいませんでした。俺が悪いです」
誰もそれに答えなかった。千隼はぺこりと小さく頭を下げると、振り返ることもなく、ドアへ向かった。ドアの閉まる音だけが、小さく響いた。
千隼の猫背が、目に焼き付いて離れない。あいつを、このまま行かせてしまっていいのか。俺は──。
考えるより先に、体が動いていた。足が、勝手に前に出る。
「待てよ」
部室を飛び出す。廊下に、足音が響いた。
角を曲がろうとしていた背中に声を投げたけど、千隼は止まってくれなかった。
「待てって」
もう一度、声を張る。今度は強く。
千隼の足が、ゆっくりと止まった。でも、振り返らない。
いつもの猫背が少しだけ小さく見えて、俺は言葉に詰まる。だけど言わなくちゃいけない。謝らなくちゃいけない。
「千隼……」
「……音声データ、そのままにしててすいませんでした。ちゃんとしてなかった俺が悪いです」
振り返らないまま、千隼が言った。声は、驚くほど静かだった。
「ちは」
「先輩の声、好きでした」
遮られるように言われて、呼吸が止まる。……でした、って。今。
「でも──」
千隼は静かに続けた。
「データ消します」
俺は息を呑んだ。千隼は背中を向けたまま、言った。
「先輩の声、……もう録りません」
そこで、ほんの少しだけ声が揺れた。
「……さっきので、分かりました」
千隼。ごめん。俺、お前のこと傷つけた。俺のことを認めてくれたお前を、俺は傷つけてしまったんだ。合宿のときも、今も。千隼は俺がマイクの前に立つのを待っててくれたっていうのに。
お前は悪くない。俺がまた、失敗したんだ。
「ごめん……」
なんとか声を絞り出そうとしたけど、カラカラに乾いた喉からはそれしか言葉が出てこなかった。それだけじゃ足りないのに。全然足りないのに。
千隼は「いえ」と短く答えて、大股で階段を下りていった。足音が遠ざかっていく。
追いかけなきゃいけないと思うのに、体が動かなかった。
放送事故の件は、職員会議にかけられた。放送部の電波を私物化したこと。体育祭の進行を大きく妨げたこと。来賓の前で不適切な音声を流したこと。
ミーティングの場で、先生の口から淡々と事実が並べられていく。
結果、放送部は無期限の活動停止。関係者は、反省文の提出と、保護者への連絡。
「あんた……なんであんなこと言ったのよ」
体育祭を見に来ていた母さんが、呆れたように言う。俺はなにも言えずに、自分の部屋に閉じこもった。
ミーティングを終えた部長が、沈んだ顔で言ったことを思い出す。
「無期限てことは、もしかしたら放送コンにも出られないかもしれない。俺ら、最後のチャンスなのに……」
責任を感じた。事を大きくしたのは俺だ。
それだけじゃない、千隼が大切にしてたものを真正面からぶち壊した。
あいつは、俺の声をちゃんと聞いてくれていたのに。俺は、あいつの声を聞こうともしなかった。
俺には声を扱う資格がない。
学校からもらってきた届け出用紙を机の上に広げた。退部届。椅子に座って向き合う。
ボールペンをノックする。ペン先を紙に乗せて、自分の名前を書こうとした。
──手が、震えた。
指先が小刻みに動いて、文字がぐにゃぐにゃに歪む。俺はペンを置いて、両手で顔を覆った。
「……くそ」



