今度はトレーニングルームに移動して、マットを敷く。
「はい、腹筋と背筋。フォーム崩すなよー」
部長の声で、みんな一斉に体を倒す。放送部は普段こういうことをしないから、みんな「無理―」とか「きっつー」とか、わぁわぁ言いながらやり始める。
「はい、次はプランクー。三十秒キープな」
今度は体を支える姿勢になる。じわじわきつくなってくるやつだ。やってるうちに暑くなってきて、羽織っていたパーカーを腰に巻いた。
ふと、近くの女子たちの声が耳に入る。
「え、ちょっと待って」
「小出、やばくない?」
なんだ? と思って、ちらっとそっちを見る。千隼がパーカーを脱いでTシャツ一枚になってるところだった。
プランクをしている両腕から、筋肉が覗いている。
ざわざわと空気が動いてたけど、千隼はそんなの気にした様子もなく、淡々と続けている。呼吸も乱れてない。
「え、小出、鍛えてんの?」
「筋肉すごくない?」
女子たちが、千隼のほうへ近寄ってきた。
「ちょっと触ってみてもいい?」
一人が、軽いノリで手を伸ばしかける。
千隼はプランクを止めて、いつもの猫背を、困ったみたいにぎゅっと縮こませた。
「……え、あの」
ああ、こいつこういうの慣れてねぇな。断るタイミングが分かってない顔してる。それを見た瞬間、わけもなくイラッとした。
「そこ、集中」
気づいたら、口が出てた。女子たちが「え?」って顔でこっちを見る。
「トレーニング中」
それだけ言って、視線を外す。
「……あ、ごめん」
「あとでねー」
女子たちは少し戸惑いながらも、すぐに引いた。
千隼はほっとしたみたいに小さく息を吐いて、俺に小さく頭を下げた。
……別に、助けたわけじゃない。ただ、ああいうの、見ててだるいだけだ。
なのに、さっきの光景が妙に頭に残る。パーカーを脱いだときの腕とか、Tシャツ越しのラインとか。
そういうの、わざわざ他のやつに見せるもんかよ。……いや、別に、見せたくてやってるわけじゃないのは分かってる。分かってるけど。
ああもう、なんで俺がこんな引っかかってんだよ。わけのわからない感情に、ますます苛立つ。
軽く舌打ちして、カウントに集中する。やけに汗が吹き出てくる。
──千隼に、振り回されっぱなしだ。
昼食を挟んで、午後は録音実習になった。セミナーハウスの周りの森に入って、素材を集める。
「機材は湊から受け取れ。スマホの電源は必ず入れとけよー」
部長の指示で、部員たちがバラバラと動き出す。
部屋ごとのチームに渡す録音機材を確認していると、
「俺も手伝います」
と、千隼が隣に来て、手際よくケーブルをまとめ始めた。
「別にいいって。お前は自分の準備しとけよ」
「ふたりでやったほうが、すぐ終わるので」
千隼はそう言うと、黙々と作業を続けた。
「これ、電池入ってます?」
「入ってない」
「在庫はどこですか」
「そっちのポーチ」
千隼が機材をセットして、俺がチームに渡す。いつの間にか流れができていた。言わなくても回る。
千隼と呼吸が合ってる感じがして、なんだかくすぐったい。
「機材、ある?」
顔を上げると、早乙女が立っていた。
「あと一台」
千隼からセットを受け取り、早乙女に渡した。
「なぁ、湊。小出と一緒にさ、僕たちと回らない?」
さらっとした調子で誘われた。俺は思わず返事に詰まる。
たぶん、千隼に興味があるんだろう。昨日のレクリエーションのときの音にも食いついてた。ついでに、俺の進み具合も見たいのかもしれない。早乙女はそういうところ、外さない。
だけど、なんか引っかかってしょうがない。
千隼に、興味持ってほしくない。ふと、そんな考えがよぎる。
……は? いやいやいや。なんで俺がそんなこと思うんだよ。
俺が黙ったままでいると、千隼が一瞬俺のほうを見て、それから早乙女に向き直った。
「俺たち、録りに行くところ、もう決まってるんで」
は? そんな話、お前としてたか? 思わず、早乙女の前でツッコみそうになる。だけど、千隼は平然とした顔で早乙女に機材セットを渡した。
勝手に決めんな、とも言えず、俺は無言で予備のケーブルをしまう。
「そっか。じゃいいや。またあとでね」
早乙女はひらひらと手を振ると、さっさと自分の部屋のやつと森へ消えていった。
「じゃ、先輩。俺たちも行きましょう。なに録ります?」
……決まってるって言ったの、お前じゃん。わけわかんねぇ!
森の中は、思っていたより明るかった。木々の間から差し込む光が、地面にまだらな影を落としている。
適当に音を集めながら歩いていると、千隼がふと足を止めた。
「……今の、聞こえました?」
小さな声で言う。耳を澄ますと、遠くで、かすかに鳴き声がした。にゃあ、と高い声がする。
「猫?」
「たぶん」
千隼はすぐにしゃがみこんで、マイクを向ける。そのまま、息をひそめるみたいにじっとする。
背中が少し丸まっていて、いつもの猫背がそのまま出ている。……同類作戦か?
思わず、苦笑する。
木漏れ日の中で、髪に光がかかって、やけに柔らかく見えた。真剣な顔で音を追ってるくせに、姿勢だけ妙に力が抜けてて。なんか──。
……ずるいな。理由もなく、そう思う。
また、にゃあ、と鳴いた。かさかさ、と小さく音がして、尻尾がぴょこんと見えた。今度はさっきより近い。
千隼の指が、わずかに動く。音を逃さないように、そっと位置を調整する。……ほんと、そういうとこだよな。変なやつなのに、目が離せない。
俺は、いつの間にか、尻尾より千隼の猫背を見つめていた。
「……録れました」
尻尾が立ち去って少しして、千隼はひそめていた息を吐いた。満足そうに笑う。
心臓が大きく鳴る。まただ。
あわてて落ち着けるみたいに胸のあたりを掴んだけど、心臓の奥に生まれた熱は、まったく収まる気配がない。
──なんでこんなに、こいつから目が離せないんだろう。
「……先輩? 翔也先輩?」
「え、あ、えっなに?」
「ほかにも録りますか。先輩が録りたいものがあったら」
俺が録りたいもの。千隼とふたりしかいない森の中で、録りたいもの……。考えるより先に、口が動いた。
「……お前の声」
え? 俺、なに言ってんの? 言ってからなんか気恥ずかしくなって、「てのは冗談」なんてごまかしてみたけど、千隼は真面目な顔をして頷いた。
「なに喋ればいいですかね?」
おい、冗談だって言っただろ。なのに、こいつは本気で考えてる。そういうとこなんだよな。
「なんでもいい」
適当にそう返す。すると、千隼はほんの少しだけ考えてから、マイクを構え直した。
「えっと……音響やっててよかったです。先輩に会えたから」
また、そんな距離感バグってることを言う。千隼はそういうことを照れもせずに言うから、調子が狂う。
「……つか、いつからそんなに音響が好きになったんだよ」
音のことを話すときの千隼の表情は、本当に楽しそうだ。ひきこまれるようにして、いつの間にか俺はそんなことを聞いていた。千隼は、少し考えてからマイクを顔に近づけた。
「気づいたら、です。俺にとって、音は特別なものだから」
「特別?」
「はい」
短く答えて、それきり口を閉じる。千隼の横顔に、すっと影が落ちたように見えた。言えないのか、言わないだけなのか、分からないまま。
少しだけ、ふたりの間に沈黙が落ちる。
「録音、そろそろ終わりにすっか」
「そうですね」
森の音が、その隙間を埋めるみたいに流れ込んでくる。さっき録った猫の気配も、もうどこかへ消えていた。
音は特別という理由を聞きたいと思った。でも、ここで踏み込むのは違う気がして、俺は言葉を飲み込んだ。
「……行くぞ」
「はい」
「はい、腹筋と背筋。フォーム崩すなよー」
部長の声で、みんな一斉に体を倒す。放送部は普段こういうことをしないから、みんな「無理―」とか「きっつー」とか、わぁわぁ言いながらやり始める。
「はい、次はプランクー。三十秒キープな」
今度は体を支える姿勢になる。じわじわきつくなってくるやつだ。やってるうちに暑くなってきて、羽織っていたパーカーを腰に巻いた。
ふと、近くの女子たちの声が耳に入る。
「え、ちょっと待って」
「小出、やばくない?」
なんだ? と思って、ちらっとそっちを見る。千隼がパーカーを脱いでTシャツ一枚になってるところだった。
プランクをしている両腕から、筋肉が覗いている。
ざわざわと空気が動いてたけど、千隼はそんなの気にした様子もなく、淡々と続けている。呼吸も乱れてない。
「え、小出、鍛えてんの?」
「筋肉すごくない?」
女子たちが、千隼のほうへ近寄ってきた。
「ちょっと触ってみてもいい?」
一人が、軽いノリで手を伸ばしかける。
千隼はプランクを止めて、いつもの猫背を、困ったみたいにぎゅっと縮こませた。
「……え、あの」
ああ、こいつこういうの慣れてねぇな。断るタイミングが分かってない顔してる。それを見た瞬間、わけもなくイラッとした。
「そこ、集中」
気づいたら、口が出てた。女子たちが「え?」って顔でこっちを見る。
「トレーニング中」
それだけ言って、視線を外す。
「……あ、ごめん」
「あとでねー」
女子たちは少し戸惑いながらも、すぐに引いた。
千隼はほっとしたみたいに小さく息を吐いて、俺に小さく頭を下げた。
……別に、助けたわけじゃない。ただ、ああいうの、見ててだるいだけだ。
なのに、さっきの光景が妙に頭に残る。パーカーを脱いだときの腕とか、Tシャツ越しのラインとか。
そういうの、わざわざ他のやつに見せるもんかよ。……いや、別に、見せたくてやってるわけじゃないのは分かってる。分かってるけど。
ああもう、なんで俺がこんな引っかかってんだよ。わけのわからない感情に、ますます苛立つ。
軽く舌打ちして、カウントに集中する。やけに汗が吹き出てくる。
──千隼に、振り回されっぱなしだ。
昼食を挟んで、午後は録音実習になった。セミナーハウスの周りの森に入って、素材を集める。
「機材は湊から受け取れ。スマホの電源は必ず入れとけよー」
部長の指示で、部員たちがバラバラと動き出す。
部屋ごとのチームに渡す録音機材を確認していると、
「俺も手伝います」
と、千隼が隣に来て、手際よくケーブルをまとめ始めた。
「別にいいって。お前は自分の準備しとけよ」
「ふたりでやったほうが、すぐ終わるので」
千隼はそう言うと、黙々と作業を続けた。
「これ、電池入ってます?」
「入ってない」
「在庫はどこですか」
「そっちのポーチ」
千隼が機材をセットして、俺がチームに渡す。いつの間にか流れができていた。言わなくても回る。
千隼と呼吸が合ってる感じがして、なんだかくすぐったい。
「機材、ある?」
顔を上げると、早乙女が立っていた。
「あと一台」
千隼からセットを受け取り、早乙女に渡した。
「なぁ、湊。小出と一緒にさ、僕たちと回らない?」
さらっとした調子で誘われた。俺は思わず返事に詰まる。
たぶん、千隼に興味があるんだろう。昨日のレクリエーションのときの音にも食いついてた。ついでに、俺の進み具合も見たいのかもしれない。早乙女はそういうところ、外さない。
だけど、なんか引っかかってしょうがない。
千隼に、興味持ってほしくない。ふと、そんな考えがよぎる。
……は? いやいやいや。なんで俺がそんなこと思うんだよ。
俺が黙ったままでいると、千隼が一瞬俺のほうを見て、それから早乙女に向き直った。
「俺たち、録りに行くところ、もう決まってるんで」
は? そんな話、お前としてたか? 思わず、早乙女の前でツッコみそうになる。だけど、千隼は平然とした顔で早乙女に機材セットを渡した。
勝手に決めんな、とも言えず、俺は無言で予備のケーブルをしまう。
「そっか。じゃいいや。またあとでね」
早乙女はひらひらと手を振ると、さっさと自分の部屋のやつと森へ消えていった。
「じゃ、先輩。俺たちも行きましょう。なに録ります?」
……決まってるって言ったの、お前じゃん。わけわかんねぇ!
森の中は、思っていたより明るかった。木々の間から差し込む光が、地面にまだらな影を落としている。
適当に音を集めながら歩いていると、千隼がふと足を止めた。
「……今の、聞こえました?」
小さな声で言う。耳を澄ますと、遠くで、かすかに鳴き声がした。にゃあ、と高い声がする。
「猫?」
「たぶん」
千隼はすぐにしゃがみこんで、マイクを向ける。そのまま、息をひそめるみたいにじっとする。
背中が少し丸まっていて、いつもの猫背がそのまま出ている。……同類作戦か?
思わず、苦笑する。
木漏れ日の中で、髪に光がかかって、やけに柔らかく見えた。真剣な顔で音を追ってるくせに、姿勢だけ妙に力が抜けてて。なんか──。
……ずるいな。理由もなく、そう思う。
また、にゃあ、と鳴いた。かさかさ、と小さく音がして、尻尾がぴょこんと見えた。今度はさっきより近い。
千隼の指が、わずかに動く。音を逃さないように、そっと位置を調整する。……ほんと、そういうとこだよな。変なやつなのに、目が離せない。
俺は、いつの間にか、尻尾より千隼の猫背を見つめていた。
「……録れました」
尻尾が立ち去って少しして、千隼はひそめていた息を吐いた。満足そうに笑う。
心臓が大きく鳴る。まただ。
あわてて落ち着けるみたいに胸のあたりを掴んだけど、心臓の奥に生まれた熱は、まったく収まる気配がない。
──なんでこんなに、こいつから目が離せないんだろう。
「……先輩? 翔也先輩?」
「え、あ、えっなに?」
「ほかにも録りますか。先輩が録りたいものがあったら」
俺が録りたいもの。千隼とふたりしかいない森の中で、録りたいもの……。考えるより先に、口が動いた。
「……お前の声」
え? 俺、なに言ってんの? 言ってからなんか気恥ずかしくなって、「てのは冗談」なんてごまかしてみたけど、千隼は真面目な顔をして頷いた。
「なに喋ればいいですかね?」
おい、冗談だって言っただろ。なのに、こいつは本気で考えてる。そういうとこなんだよな。
「なんでもいい」
適当にそう返す。すると、千隼はほんの少しだけ考えてから、マイクを構え直した。
「えっと……音響やっててよかったです。先輩に会えたから」
また、そんな距離感バグってることを言う。千隼はそういうことを照れもせずに言うから、調子が狂う。
「……つか、いつからそんなに音響が好きになったんだよ」
音のことを話すときの千隼の表情は、本当に楽しそうだ。ひきこまれるようにして、いつの間にか俺はそんなことを聞いていた。千隼は、少し考えてからマイクを顔に近づけた。
「気づいたら、です。俺にとって、音は特別なものだから」
「特別?」
「はい」
短く答えて、それきり口を閉じる。千隼の横顔に、すっと影が落ちたように見えた。言えないのか、言わないだけなのか、分からないまま。
少しだけ、ふたりの間に沈黙が落ちる。
「録音、そろそろ終わりにすっか」
「そうですね」
森の音が、その隙間を埋めるみたいに流れ込んでくる。さっき録った猫の気配も、もうどこかへ消えていた。
音は特別という理由を聞きたいと思った。でも、ここで踏み込むのは違う気がして、俺は言葉を飲み込んだ。
「……行くぞ」
「はい」



