スマホのアラームが遠くから聞こえてきた。なんか夢を見てたような気もするけど、覚えてない。
寝ぼけながらアラームを止めると、
「あ、先輩。おはようございます」
と、隣から声がして、一瞬で意識がはっきりした。そうだ。昨日から合宿で、俺は後輩の千隼と同室で──。
「……はよ」
短く返して、上半身を起こす。
千隼はもう完全に起きていた。Tシャツとチノパンに着替えて、ヘッドホンを首にかけたままノートパソコンを開いている。画面には、見慣れた波形が並んでいた。
朝からそれかよ。……いや、通常運転か。その様子に、少しだけ肩の力が抜ける。
「何時?」
「六時五十分です。集合は七時ですよね」
着替えて下のロビーに行かなきゃいけない。
俺は布団をはいで立ち上がろうとして、ふと、隣の布団との距離が目に入る。昨日のやり取りが一瞬よぎった。
「……お前、寝れたのかよ」
「はい。問題なかったです。よく眠れました」
即答だった。
……なんだよ。こっちだけ意識してるみたいで、なんかバカみたいだな。意識? なんの意識だか、俺もよく分かんねぇけど。
少し間を置いてから、なんとなく気になって口に出す。
「……まさか、俺のいびき、録ってねぇだろうな」
千隼の手が、一瞬だけ止まった。
「……実は、少しだけ」
「は?」
思わず振り返る。
「いびきはかいてなかったですけど、寝言言ってたんで」
「おい」
嫌な予感しかしない。
「なんか夢を見てたみたいで、『喉が開いてる』って……」
そこで言葉を切って、千隼がこっちを見る。
「……」
「……」
「喉、開いてるんですか?」
「……やめろ、それ以上言うな」
即座に遮る。
千隼は「はい」と素直に頷いたけど、ほんの少しだけ口元が緩んでいる気がして、なんか腹が立つ。
顔に熱が集まるのを感じて、ごまかすように布団を乱暴にたたんだ。
「お前も布団、たためよ」
「はい」
「……あとデータは消しとけよ」
「えー。はい、分かりました」
返事が軽い。どうせバックアップ取ってるな、こりゃ。
小さくため息をついて、頭をかく。
さっきまでの気まずさは、いつの間にかどこかに消えていた。その代わりに残ってるのは、寝言を聞かれた気恥ずかしさと、妙に意識してしまう感じ。
……俺、なんの夢見てたんだよ。
ロビーに下りて、食堂に向かう。二年の集団の席には、もう早乙女が座っていた。
「おはよ、湊」
「……はよ」
食堂の大きな窓からは、日差しが差し込んでいた。昨日の雨が嘘みたいに、空はすっかり明るい。
今日から本格的に合宿メニューをこなすことになりそうだ。外での発声練習、トレーニングルームでの基礎練。午後からは、セミナーハウスの周りの森で録音実習。なかなかハードな二日目だ。
「午後からの録音、何録るつもり?」
早乙女が目玉焼きに醤油をかけながら言った。
「……まだ決めてない。適当に」
「作品の素材にするのか?」
「それも決めてない」
「そっか」
それだけ言って、早乙女はそのまま食べ始めた。あっさり引いた様子に、なんでか少し引っかかる。
「お前は?」
「だいたい考えた」
やっぱりか。
「森の音、いろいろ拾えそうだし。せっかくだから、ここの素材使うつもり」
きっぱりした言い方は早乙女らしい。自分がどうしたいかちゃんと分かってる。俺とは違う。
「へぇ」
適当に返して、水を飲む。それ以上、会話は続かなかった。
ふと視線をずらすと、一年のテーブルが目に入った。千隼はパンをかじりながら、片手で何かメモを取っていた。テーブルの端にはしっかりICレコーダーが置いてある。朝食の音も何パターンだって録りたいんだろうな。
「湊、眠そうだけど、眠れた? 小出が夜ふかししてたとか?」
不意に早乙女が言った。その目が、いつも通り穏やかだけど、どこか探ってる気がして、俺はなんとなく視線を逸らした。
「別に。あいつも早く寝たよ」
「そっか」
また思い出す。寝る前のやり取りとか、雨の中で録った音とか、変な寝言とか……布団の距離とか。
打ち消すように、コップの水を一気飲みした。
今日は今日だ。なるようになれ。そうやって無理やり区切りをつけて、俺は朝食に手をつけた。
朝食を終えて外に出る。朝の空気はひんやりしていて、パーカーを一枚羽織ってちょうどいいくらいだった。
セミナーハウスの裏手にある大きな広場に集まって、軽くストレッチをする。
「はい、肩回してー。声出す前にちゃんと体ほぐせよー」
部長の声が飛ぶ。
腕を回しながら、周りを見ると、みんなそれなりに慣れた動きで体を動かしている。慣れてない一年は先輩の真似をする。俺も去年はそうだった。
視線の端で、千隼の動きが引っかかった。
なんか、ぎこちない。同じようにやってるつもりなんだろうけど、微妙にズレてる。タイミングも、可動域も。なんでなんだろう。
「次、発声いくぞー」
全員が列を整える。千隼もワンテンポ遅れて、あわてて位置についた。
「腹から声出せよー。喉で押すなー」
言われた通りに息を吸って、声を出す。
「おはようございます!」
森に向かって声を放つ。空気に乗って、音が遠くまで伸びていく感じがする。──そう。この感じ。ちゃんと体に入ってるときの声。
少しだけ、気分が軽くなる。やっぱり声を出すと、これが俺って感じがする。
何本か続けて出していると、後ろのほうで小さくざわつく声が聞こえた。
「え、今の誰?」
「湊先輩だ」
「え、こんなだったの?」
「はじめて聞いた。すごくない?」
……ああ、一年か。
聞こえてないふりをして、もう一度声を出す。
「いい声出てるぞー、その感じ忘れんなよー」
部長の声が飛ぶ。
ふと視線を感じて横を見ると、千隼がこっちを見ていた。まるで音を拾ってるときみたいな視線で刺してくる。
「おい、千隼。お前も出せ」
「……はい」
千隼は前を向いて、息を吸う。
「おはようございます」
声は出てる。でも、どこか浅い。上だけで鳴ってる感じがする。
「もっと腹から」
小さく言うと、千隼は少しだけ眉を寄せた。
「……同じ音にしたいのに、ならないです」
「同じってなんだよ」
「さっきの先輩の声です。響き方が、全然違くて。すごかった」
──ああ、そういうことか。
「音で合わせようとすんな。体で出せ」
「体……」
千隼は自分の耳に手を当てる。でも、いまいちピンときてない顔だ。今は耳じゃない、腹を意識するんだ。腹の奥の方。自分が楽器になったみたいな感じで。
少し考えてから、千隼が分かるように言い直す。
「息、ここに入れる感じ」
自分の腹を軽く叩く。
「で、そのまま押し出す」
もう一度やって見せる。
「おはようございます!」
千隼はそれを見て、ほんの一瞬止まってから、同じように息を吸った。
「……おはようございます!」
さっきよりも出た。まぁそんなもんだ。それに、千隼は音響専門だから、できてもできなくても問題はない。
「……むずいですね」
音の話してるときは、あんなに迷いないのに。こいつにも苦手なものってあるんだな。
千隼はもう一度、小さく口の中で声をなぞる。まるでさっきの音を確かめるみたいに。
──やっぱこいつ、聞くほうから入ってんだな。
俺は小さく笑った。
「続けろよ」
「はい」
さっきより少し大きい声が、森に広がった。
寝ぼけながらアラームを止めると、
「あ、先輩。おはようございます」
と、隣から声がして、一瞬で意識がはっきりした。そうだ。昨日から合宿で、俺は後輩の千隼と同室で──。
「……はよ」
短く返して、上半身を起こす。
千隼はもう完全に起きていた。Tシャツとチノパンに着替えて、ヘッドホンを首にかけたままノートパソコンを開いている。画面には、見慣れた波形が並んでいた。
朝からそれかよ。……いや、通常運転か。その様子に、少しだけ肩の力が抜ける。
「何時?」
「六時五十分です。集合は七時ですよね」
着替えて下のロビーに行かなきゃいけない。
俺は布団をはいで立ち上がろうとして、ふと、隣の布団との距離が目に入る。昨日のやり取りが一瞬よぎった。
「……お前、寝れたのかよ」
「はい。問題なかったです。よく眠れました」
即答だった。
……なんだよ。こっちだけ意識してるみたいで、なんかバカみたいだな。意識? なんの意識だか、俺もよく分かんねぇけど。
少し間を置いてから、なんとなく気になって口に出す。
「……まさか、俺のいびき、録ってねぇだろうな」
千隼の手が、一瞬だけ止まった。
「……実は、少しだけ」
「は?」
思わず振り返る。
「いびきはかいてなかったですけど、寝言言ってたんで」
「おい」
嫌な予感しかしない。
「なんか夢を見てたみたいで、『喉が開いてる』って……」
そこで言葉を切って、千隼がこっちを見る。
「……」
「……」
「喉、開いてるんですか?」
「……やめろ、それ以上言うな」
即座に遮る。
千隼は「はい」と素直に頷いたけど、ほんの少しだけ口元が緩んでいる気がして、なんか腹が立つ。
顔に熱が集まるのを感じて、ごまかすように布団を乱暴にたたんだ。
「お前も布団、たためよ」
「はい」
「……あとデータは消しとけよ」
「えー。はい、分かりました」
返事が軽い。どうせバックアップ取ってるな、こりゃ。
小さくため息をついて、頭をかく。
さっきまでの気まずさは、いつの間にかどこかに消えていた。その代わりに残ってるのは、寝言を聞かれた気恥ずかしさと、妙に意識してしまう感じ。
……俺、なんの夢見てたんだよ。
ロビーに下りて、食堂に向かう。二年の集団の席には、もう早乙女が座っていた。
「おはよ、湊」
「……はよ」
食堂の大きな窓からは、日差しが差し込んでいた。昨日の雨が嘘みたいに、空はすっかり明るい。
今日から本格的に合宿メニューをこなすことになりそうだ。外での発声練習、トレーニングルームでの基礎練。午後からは、セミナーハウスの周りの森で録音実習。なかなかハードな二日目だ。
「午後からの録音、何録るつもり?」
早乙女が目玉焼きに醤油をかけながら言った。
「……まだ決めてない。適当に」
「作品の素材にするのか?」
「それも決めてない」
「そっか」
それだけ言って、早乙女はそのまま食べ始めた。あっさり引いた様子に、なんでか少し引っかかる。
「お前は?」
「だいたい考えた」
やっぱりか。
「森の音、いろいろ拾えそうだし。せっかくだから、ここの素材使うつもり」
きっぱりした言い方は早乙女らしい。自分がどうしたいかちゃんと分かってる。俺とは違う。
「へぇ」
適当に返して、水を飲む。それ以上、会話は続かなかった。
ふと視線をずらすと、一年のテーブルが目に入った。千隼はパンをかじりながら、片手で何かメモを取っていた。テーブルの端にはしっかりICレコーダーが置いてある。朝食の音も何パターンだって録りたいんだろうな。
「湊、眠そうだけど、眠れた? 小出が夜ふかししてたとか?」
不意に早乙女が言った。その目が、いつも通り穏やかだけど、どこか探ってる気がして、俺はなんとなく視線を逸らした。
「別に。あいつも早く寝たよ」
「そっか」
また思い出す。寝る前のやり取りとか、雨の中で録った音とか、変な寝言とか……布団の距離とか。
打ち消すように、コップの水を一気飲みした。
今日は今日だ。なるようになれ。そうやって無理やり区切りをつけて、俺は朝食に手をつけた。
朝食を終えて外に出る。朝の空気はひんやりしていて、パーカーを一枚羽織ってちょうどいいくらいだった。
セミナーハウスの裏手にある大きな広場に集まって、軽くストレッチをする。
「はい、肩回してー。声出す前にちゃんと体ほぐせよー」
部長の声が飛ぶ。
腕を回しながら、周りを見ると、みんなそれなりに慣れた動きで体を動かしている。慣れてない一年は先輩の真似をする。俺も去年はそうだった。
視線の端で、千隼の動きが引っかかった。
なんか、ぎこちない。同じようにやってるつもりなんだろうけど、微妙にズレてる。タイミングも、可動域も。なんでなんだろう。
「次、発声いくぞー」
全員が列を整える。千隼もワンテンポ遅れて、あわてて位置についた。
「腹から声出せよー。喉で押すなー」
言われた通りに息を吸って、声を出す。
「おはようございます!」
森に向かって声を放つ。空気に乗って、音が遠くまで伸びていく感じがする。──そう。この感じ。ちゃんと体に入ってるときの声。
少しだけ、気分が軽くなる。やっぱり声を出すと、これが俺って感じがする。
何本か続けて出していると、後ろのほうで小さくざわつく声が聞こえた。
「え、今の誰?」
「湊先輩だ」
「え、こんなだったの?」
「はじめて聞いた。すごくない?」
……ああ、一年か。
聞こえてないふりをして、もう一度声を出す。
「いい声出てるぞー、その感じ忘れんなよー」
部長の声が飛ぶ。
ふと視線を感じて横を見ると、千隼がこっちを見ていた。まるで音を拾ってるときみたいな視線で刺してくる。
「おい、千隼。お前も出せ」
「……はい」
千隼は前を向いて、息を吸う。
「おはようございます」
声は出てる。でも、どこか浅い。上だけで鳴ってる感じがする。
「もっと腹から」
小さく言うと、千隼は少しだけ眉を寄せた。
「……同じ音にしたいのに、ならないです」
「同じってなんだよ」
「さっきの先輩の声です。響き方が、全然違くて。すごかった」
──ああ、そういうことか。
「音で合わせようとすんな。体で出せ」
「体……」
千隼は自分の耳に手を当てる。でも、いまいちピンときてない顔だ。今は耳じゃない、腹を意識するんだ。腹の奥の方。自分が楽器になったみたいな感じで。
少し考えてから、千隼が分かるように言い直す。
「息、ここに入れる感じ」
自分の腹を軽く叩く。
「で、そのまま押し出す」
もう一度やって見せる。
「おはようございます!」
千隼はそれを見て、ほんの一瞬止まってから、同じように息を吸った。
「……おはようございます!」
さっきよりも出た。まぁそんなもんだ。それに、千隼は音響専門だから、できてもできなくても問題はない。
「……むずいですね」
音の話してるときは、あんなに迷いないのに。こいつにも苦手なものってあるんだな。
千隼はもう一度、小さく口の中で声をなぞる。まるでさっきの音を確かめるみたいに。
──やっぱこいつ、聞くほうから入ってんだな。
俺は小さく笑った。
「続けろよ」
「はい」
さっきより少し大きい声が、森に広がった。



