ラララ 【BL】

結論から言うと、優勝はできなかった。
 優勝したのは、俺の前に歌っていたあの弾き語りの女性だった。
 優勝者の発表で自分の名前が呼ばれず、がっくりとうなだれていたが、「審査員特別賞」で俺の名前がコールされた。特に独創的な演奏をした者に贈られる賞だ。

「審査員特別賞おめでとうございます! 早速コメントをいただきましょう。ズバリいまの心境は!」

 騒々しい司会者にマイクを突きつけられたとき、俺はなんと発言したのかよく覚えていない。観客席にいるはずの秀の姿を必死に探していた。
「ラララという歌詞には、どういう思いが込められていたんですか?」という質問にはさすがに苦笑した。それをここで説明しろというのか。
 大会後、俺の演奏に興味を持ってくれたレコード会社と話し、契約を前向きに考えてもらえることになった。デビューに向けて一歩前進、というところだ。
 写真を撮られたり取材を受けたりで、家に帰れたのは夜も更けきった頃だった。結局秀には会えずじまいだった。
 家では祝勝パーティーが開かれた。母さんは奮発して高価なシャンパンをあけ、みんなで乾杯をした。報告の電話をいれると親父も大喜びし、電話口ではしゃいでいた。

「お兄ちゃん、おめでとう!」

 綾がグラスを掲げた。未成年なのでオレンジジュースだ。
 そうこうしている最中に、玄関のインターホンが鳴った。

「あら、誰かしら。こんな夜中に」

 立ち上がろうとする母さんを、「俺が出る!」と制する。走って廊下を抜け、玄関の門扉を勢いよく押し開けた。

「秀……!」

 玄関先に立ちすくむ秀と目が合うと、全身が熱くなった。

「夜分遅くに、申し訳ない」

 律儀に頭を下げる秀の腕を、俺は無言で引っ張った。そのまま二階に駆け上がる。「お、お邪魔します、夜分に失礼します」と秀がリビングに裏返った声を投げた。
 秀を自室に押し込み、後ろ手で扉を閉める。秀は当惑したようにきょろきょろと黒目をさまよわせたあとで、

「薫、この度は本当に、おめで──」

 語尾は俺が遮った。

「そういうのは後でいい。ここに座って」

 秀の右手を奪うように掴み取り、ベッドの傍らに座らせる。そして部屋の壁に立てかけてある数本のギターの中から、一本を手に取った。大会で用いたエレキギターではなく、年季の入ったクラシックギターのほうをチョイスする。ギターを始めたばかりのころに、親父から譲り受けたものだ。
 俺は秀の正面に腰を下ろし、よいしょとギターを抱えなおした。何かを察したように秀が口を開く。

「歌ってくれるのか?」
「うん。大会で歌ったやつを、秀バージョンで」

 秀バージョン? と秀は俺の放った単語をオウム返しにした後、

「大会のときは遠くからしか君の姿を見られなかったから、唇の動きもよくわからなかったんだが……」

 そう。秀の言う通り、舞台から客席まではけっこうな距離がある。最前列でも十メートル以上はあるだろう。舞台と客席のあいだに、取材用のカメラや取材陣、音響の機具やスタッフが陣取っているせいだ。

「大会で君は、『ラララ』としか歌っていなかったんじゃないか?」

 秀の問いかけに、そう、と俺はすんなりと顎を振った。

「歌詞はないんだ。あんなに遠くからじゃ、秀は俺の言葉なんて読み取れないだろ。それに、もし間違って読み取られて、俺の気持ちが正しく伝わらなかったら嫌だと思って」

 でもさ、と俺は続ける。

「歌詞が全然なかったら、やっぱり秀に伝えられるものは少ない。だろ? だから、今から秀一郎バージョンで、歌うから」

 疑問符を浮かべる秀の右手を掴み、「まず、右手をここに」とクラシックギターのサイドに押し付けた。紫檀という木材でできた、ギターの側面の部分だ。

「そんで、左手はここ」

 今度は秀の左手を、自分の口元へ持ってきた。ちょうどマイクの位置だ。

「そのまま、動くなよ」

 目を丸くする秀を尻目に、六弦を軽く親指で弾いた。すると、ぴくりと秀の右手が反応した。

「ギターのボディが震えるだろ。その震えが、伴奏」 
 
 俺はゆっくりとした口調で話す。

「で、俺が喋ると、左手に息がかかるだろ。その息が、歌」

 五感――いや、聴覚がないから四感か――をフルに使って、俺の演奏を「聞いて」ほしい。右手で伴奏、左手で歌を。馬鹿な俺には、こんなことしか思いつかなかった。これが俺なりの、「秀一郎バージョン」だ。
 弦を弾き、前奏から演奏する。息を深く吸って、ラララ、と歌い始めた。大会のときよりも、ゆったりとしたリズムでメロディーラインを辿った。ギターの振動と口から吐き出す息を、秀にしっかり感じ取ってもらえるように。

「ララ……ラララ……」

 ――懐かしいな。
 センチメンタルな気持ちになった。幼少のころ、よくこうして秀と二人きりの演奏会をした。俺が歌い、秀が嬉しそうな笑顔で拍手をする。九年ほど前のその記憶は、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せた。
 胸の奥があたたかくなった。一対一の、ささやかな演奏会。たった一人のためだけに、心をこめて歌う歌。いつだって、これが俺の原点だ。
 Bメロから最初のサビに差し掛かったあたりで、秀が焦った声音で言った。

「……か、薫」
「ん?」

 しみじみと感慨に耽っていた俺は、間の抜けた声を出しながら、ギターに落としていた目線を上げた。どこか気まずそうにしながら、やや頬を上気させた秀がそこに居る。

「これは、その……とても嬉しいんだが、」

 俺の唇のすぐそばに添えられている秀の左手が、かすかに震えていた。

「嬉しいが、それ以上に……、なんというか」

 俺に断りもなく秀はギターから手を離し、軽い溜息とともに眉間を押さえた。

「……誘惑されているように、感じる」
「ゆ、」

 そこで初めて、自分があまりにもデリカシーにかけた行動をとっていることに気がついた。俺は本当に、こういうところでも頭の血の巡りが悪い。ギターを間に挟んで、二人して赤面する。

「わ、悪い……そんなつもりじゃ」
「いや、謝らないでくれ。悪いのはこっちだ。薫がよかれと思ってしてくれていることを、私が勝手に、過剰に……邪に解釈して……」
「よ、邪って」

 耳の後ろが熱くなるのを感じる。すまない、と秀も短く頭を下げてきた。

「……君がせっかく私の為に、こうして工夫してまで歌を披露してくれたのに。でもこれは――ちょっと、無理だ」
「あ、はい」なぜか敬語になってしまった。「す、すみませんでした」
「好きだから」

 一切の躊躇いも、まごつきもなく発されたその言葉に、心臓が大きく跳ねた。

「君が好きだから、無理だ」

 言葉を失う俺の目を、秀は射止めるようにまっすぐ見つめてきた。

「私は、ずっと君が――君だけがすべてだった」
 
 ドク、ドク、と肋骨の内側で心臓が暴れている。抱えたギターを床に横たえ、秀の言葉の続きを待った。

「薫がプロになったら、君の歌を聞いて、一番に感想を伝える。小学校のころ、君とそう約束した。もしかしたら、薫は覚えていないかもしれないが……」

 そんなの、覚えてるに決まってるだろ。

「耳を失ったとき、通訳という夢よりも先に、君との約束を思い出した。私にとって、人生で一番大切な約束だった。絶対に……絶対に、守りたかった」

 秀が折った膝の上で拳を握りしめる。

「だから君にだけは、耳のことを知られたくなかった。知られるわけには、いかなかった」

 何年もかけて必死に読唇術を勉強したのもそのためだ、と秀は捲し立てる。

「耳が聞こえないとわかれば、きっと君は私を相手にしてくれなくなる。そう思って今日まで……薫に会う日のためだけに、読話を学んできた。君のために生きてきたと言ったって、いいくらいだ」
「……どうして、相手にされなくなると思った?」
「耳の聞こえない者に、ミュージシャンは歌ったりしないだろう?」

 胸の奥がぎゅうと苦しくなった。事故で世界の音を失ったという事実だけで、その苦悩は想像を絶するというのに――子どもの頃に無邪気に交わした約束が、更に彼を苦しめる要因になった。常に俺の希望となっていたあの約束は、秀にとっては絶望の化身だった。

「苦しめて……ごめん」

 俺はベッドから降り、秀と同じように床に正座した。目線の高さが同じになる。美しい秀の頬に、右手を伸ばした。
 大会で、スタッフを押し退けて関係者エリアにまで乗り込み、「君には、才能がある!」と叫んだ秀を思い出した。
 人の顔を見て話すようになった秀。頑固な部分が増えた秀。そんな彼を見て、「変わりすぎた」と以前思った。
 だけど全然、そんなことなかった。
 秀は秀のままだ。あの頃の、まっすぐで綺麗な彼と何一つ変わっていない。

「でも、歌うよ。いつでも、どんなときでも――一生、秀に向けて歌う。今はまだ、他に方法が思いつかないから……さっきのやり方で」
 秀がほとほと困ったように肩を下げる。「だから、さっきのは」
「俺も好きだから」

 澄んだ聡明さを湛えた秀の瞳が、驚きに揺らいだ。一拍呼吸を整えて、俺は続ける。

「だから、その……よ、邪に――解釈しても、いいよ」

 掌に汗が滲んだ。目線が複雑に絡み合う。透明な糸で引き寄せられるように、どちらからともなく、ゆっくりと唇が重なった。
 相手の反応を確認するような軽く触れ合うキスから、少しずつ深くなっていく。そのうちに秀の体の重心がこちらにのしかかってきて、カーペットの上に押し倒された。

「えっ」

 つい頓狂な声を上げてしまう。予想外の事態に目が白黒する。
 これは――あ、つまり?

「お、俺が、抱かれる側の感じ……?」

 秀が我に返ったように静止し、至近距離からこちらを見下ろしている。

「……嫌か? すまない、自分の想像の中では、いつもこうだったから――」
「想像してたのかよ!」

 そんな西洋人形みたいな上品な顔で――意外に中身は、えげつないのか?

「もし、薫がどうしても嫌だったら」

 熱っぽい声で議論を進めようとする秀を制する。

「ちょ、ちょっと待った。良いも悪いも、まだそこまで考えたことないんだって!」

 秀への気持ちをはっきりと自覚したのは、つい先日のことだ。大会のこととか、耳の問題とか、考えることが色々あって、まだ秀の立っている場所まで思考が追いついていない。
 うろたえる俺を見て、秀がちょっといたずらっぽい笑い方をした。

「……じゃあ、早い者勝ちということで」
 秀の暴論に刃向かう。「こういうのって、先着順とかじゃないだろ!」

 うーん、と秀が空惚けるように首を傾げた。

「ちょっとよく聞こえない。実は私は、耳が悪いんだ」
「た、タチ悪ぃぞ、その冗談!」

 ちゃんと俺の唇の動きを読んでいたくせに。
 初めて知る秀の意地悪な部分に面食らったが、それ以上の反論はキスで封じられた。