カナダ帰りの転校生がやってくる。そんな噂が流れると、田舎の小学校はたちまちその話題で持ち切りになった。
四年生の時、秀は隣のクラスに編入してきた。五人ほどで群れをなして、「転校生」を興味津々で見に行ったことを、今でも覚えている。「どんなやつかな」「生意気そうだったら、からかってやろうぜ」――俺たちはやかましく騒ぎあって、隣のクラスへ向かった。
しかし、転校生を目にした瞬間、全員水を打ったように静まり返った。
転校生は、窓際の席で本を読んでいた。
はじめ、女の子かと思った。髪は栗色で、まつ毛が長くて、肌は雪みたいに白い。でも転校してくるのは男の子だと聞いていたし、新品の名札には「椎木秀一郎」と書かれていた。
――男の子、なんだ……。
間違いなく、俺が見たことのある子どもの中で、秀は一番綺麗だった。上品な人形のような横顔を見るだけで、どきどきと胸が高鳴った。きっとその場にいた誰もが同じ気持ちだったろう。
編入から一年が経っても、秀には親しい友人がいないようだった。内向的で無口、さらに暇さえあれば読書。そんな秀が、周囲に「近寄りがたい」と思われてしまうのも無理はなかった。
秀とは、五年生で同じクラスになった。席が前後だったこともあって、俺と秀は急速に親しくなった。
「俺、沢入薫っていうんだ。よろしく」
自己紹介すると、秀は、
「……椎木、秀一郎だ」
よろしく、と丁寧に頭を下げる。俺と目すら合わせない。またすぐ文庫本に視線を戻そうとするので、俺は慌てて話の接ぎ穂を探した。
「秀一郎って、かっこいい名前だな!」
「……そうか? 普通だと思うが」
「そうだよっ」
俺は必死に会話を繋いだ。きっと彼と仲良くなりたかったのだ。こんなに綺麗な子がどんなふうに笑うのか、見てみたかった。
「なあ、秀って呼んでもいい?」
彼は一瞬きょとんとしたが、すぐに頷いた。俺のことはなんとでも呼んでよ、と俺は半ば浮かれたように言う。
「秀って、なんか変わったしゃべり方するんだな。大人みたいな、先生みたいな話し方だな。なんで?」
「それは」
秀は思案するように顎に手を当て、
「これまで、周りに日本語を話す人物が両親くらいしかいなかったんだ。父親の話し方がうつったんだろう」
「そっか。秀ってずっとカナダにいたんだもんな」
大好きな読書の邪魔をされているのに、秀は迷惑そうではなかった。
「ところで秀、それ、何の本?」
「シェークスピアだ」
「シェイク?」マクドナルドの話かと思った。
「どうもありがとう」
俯き加減で秀は言う。突然礼を言われてびっくりした。
「え、なにが?」
「……話しかけてくれて」
それが、初めて見た秀の笑顔だった。
秀が笑うと、俺は幸せな気持ちになる。今も昔も、それはずっと変わらない。俺がミュージシャンを目指すようになったのも、元をたどれば秀の笑顔がきっかけだ。
ギターを弾きだしたのは六歳のころ。よく親父がリビングで弾いていたのを見て、見よう見まねでやりだした。遊びの感覚でスコアを弾き、うまくできると親父が褒めてくれた。それが嬉しくて、どんどんギターにのめりこんだ。
あるとき、「家でよくギターを弾くんだ」と秀に話したら、聞きたいとねだられた。断る理由もなかったので、秀を家に呼んで弾いて聞かせた。覚えたばかりのスコアに、適当に歌もつけた。弾き語りができるようになったばかりのころだ。
それまで家族以外の前で弾いたことはなかったから、へんに緊張して、歌いきったら手が汗でびっしょりだった。
パチパチという乾いた音が、俺の部屋に大きく響いた。秀が拍手をしていた。
「すごい」
言いながら、秀は手を叩き続けている。本当にすごい、ともう一度繰り返す。
「そ、そうかな」俺は照れて、奇妙な笑い方をした。
「すごい才能だ、薫」
秀の頬が淡い赤に染まっていた。興奮していたのかもしれない。
「とても感動した」
にっこりと笑った秀の唇の下から、小さな八重歯がのぞく。彼に八重歯があるなんて知らなかった。
「君は歌手になるべきだ」
秀に強い口調で勧められ、俺は調子に乗った。プロになったら一番に聞かせてやる、という安直な約束を交わしたのも、その時だ。
安直な約束――でも俺にとっては、大切な約束だった。デビューの可能性さえ見えず、植田にぼろくそに罵られ、それでも挫けずにいられたのは、この約束があったからだ。
いつか、自分の歌を聞かせたい人がいる……それだけで、どれほど強くなれたか。
不特定多数の人間ではなく、たった一人の親友に向けた気持ち。だからこそ、「夢」をイメージしやすかった。一万人からの喝采より、十年前に秀からもらったあの拍手が、あの笑顔が、もう一度欲しかったのだ。
「約束だ」と言い合って、俺たちは指切りをした。秀の指や手はひんやりとして、冷たかった。
***
ゆっくりと目を開けると、空になった粥の土鍋が視界に入った。窓の外はすっかり日が暮れている。
秀は傍らに座り、頭だけをベッドに載せて眠り込んでいた。手はしっかりと繋いだままだ。それを見て、こっそり笑った。
上半身を起こしてみる。だるさは抜け切らないものの、体調はだいぶ楽になった。続けて「アー」と発声をし、ほっと胸をなでおろす。喉は壊れていないようだ。大会が近いため、声の調子が気がかりだったのだ。
水分を摂ろうとテーブルのコップを掴む。
そういえば。
コップのスポーツ飲料を飲み干し、俺はふと思う。
小学校を卒業し、俺たちは別々の中学へ進学した。もちろん寂しかったけれど、永遠の別れというわけじゃない。顔を合わせる頻度は減るだろうけど、連絡先も知っているし、会おうとすればいつだって会える。そんなふうに思っていた。
でも、急に連絡がつかなくなったのだ。
中学のころ、何度か秀の家へ電話をかけた。しかし応対した秀の母親はいつも、「秀一郎は家におりません」の一点張りで、秀本人が電話に出ることはなかった。
一度だけ、街中で秀を見かけたこともあった。中学二年生のときだ。大声で秀の名を呼び、目だって合ったのに、秀は踵を返して人ごみに紛れてしまった。
秀に避けられている。そのとき、そう確信した。ショックだった。嫌われていたのだろうか、仲が良いふりをしてくれていただけなんだろうか、そんなふうに考えては落ち込んだ。
どうして秀の態度が豹変したのか、当時の俺にはさっぱりわからなかった。小学校の卒業式では、「近いうちまた遊ぼうな」と言い合って別れたのだ。あれも嘘だったのか、と悲しくなった。
ともあれ、「歌手になる」という決意がより固くなったのは、その一件があったからだった。本当に歌手になって、夢を叶えて、秀との約束を果たす。そうすれば、また秀が振り向いてくれるかもしれない。以前のように、笑いかけてくれるかもしれない。そう思った。
だから、この夢を諦められなかった。
それはそのまま、秀を――一番の親友を、諦めることと同じだから。
秀の規則正しい寝息は乱れない。熱っぽい俺の手のせいで、繋いだ秀の手も温かくなっていた。
彼の右耳を見遣る。この耳が聞こえないというのは、本当なのかな。傷どころかピアスの穴ひとつない、綺麗な形の耳だった。
事故で失われた右耳の機能。秀の豹変は、その事故と関係があるのだろうか。事故には中一の頃に遭ったと言っていた。
どうして俺を避けたのか、その本当の理由を聞きたかったけれど、やめた。怖かったというのもあるが、正直、もうどうでも良かった。こうして以前のように、自然に笑い合える二人に戻ることできた。わざわざ、いやな思い出を蒸し返すこともない。
「……秀」
声をかけても、秀の瞼は閉じられたままだ。ニキビの痕すら見当たらない白い頬に、俺は空いていた左手をそうっと載せた。そうすると何故か、心臓がぎゅっときつくなった。
「……薫」
秀の口元がかすかに動いて、俺は急いで頬から手を離した。起こしてゴメン、と言いかけたが、秀は目を覚ましたわけではないようだった。
「ね、寝言……」
どき、と身体の中心が疼く。なんだ、と妙に焦った。耳や頬が熱い。また熱がぶりかえしてきたのだろうか。
秀が起きたのは、それから数分後だった。寝ぼけ眼で俺を見ると、「体調はどうだ」と真っ先に尋ねてくる。
「あ、うん。だいぶ良いよ」俺の頬はまだ火照っていた。「秀のおかげだ。ありがとう」
「それは何よりだ」
秀は穏やかに言う。
俺の夢を見てた? と訊いてみようかと思ったけれど、なんだか照れたので俺は口を閉ざした。身体の奥のほうで、心臓がどきどきいっている。あばら骨を殴るみたいに脈を打っている。
「お兄ちゃん、体調どう?」
いきなり部屋の扉が破るように開かれた。セーラー服の綾が入ってくる。学校から帰ったのだろう。
「あ、秀一郎さん! 看病に来てくれたんですかあ」
秀の姿を認めると、綾の声があからさまに高くなる。
「……どうして二人、手繋いでるの?」
首を傾げた綾のつぶやきを聞き、俺たちは慌てて手を離した。カッと顔が熱くなる。秀も俺と同じ反応をしていた。
「秀一郎さん、あんまりお兄ちゃんに近づかないほうがいいですよ」わざと俺に聞こえるように綾は言う。「風邪と、馬鹿がうつるから」
「なんだと、コラ」
俺がこめかみに青筋をたてると、あは、と綾は悪びれもせずにはしゃぐ。
「そうだ、秀一郎さん、よかったら勉強教えてくれませんか? 明日、古典のテストがあって」
面倒な申し出にも、秀は「もちろん」と答えて立ち上がった。綾は瞳を爛々とさせている。下心が見え見えだぞ、と俺はげんなりした。
部屋を出る二人の背中を複雑な心境で眺めながら、ふてくされるようにベッドに倒れこんだ。
ゲホゲホ、と何度か咳き込む。
やっぱりマスクが欲しかったな。
四年生の時、秀は隣のクラスに編入してきた。五人ほどで群れをなして、「転校生」を興味津々で見に行ったことを、今でも覚えている。「どんなやつかな」「生意気そうだったら、からかってやろうぜ」――俺たちはやかましく騒ぎあって、隣のクラスへ向かった。
しかし、転校生を目にした瞬間、全員水を打ったように静まり返った。
転校生は、窓際の席で本を読んでいた。
はじめ、女の子かと思った。髪は栗色で、まつ毛が長くて、肌は雪みたいに白い。でも転校してくるのは男の子だと聞いていたし、新品の名札には「椎木秀一郎」と書かれていた。
――男の子、なんだ……。
間違いなく、俺が見たことのある子どもの中で、秀は一番綺麗だった。上品な人形のような横顔を見るだけで、どきどきと胸が高鳴った。きっとその場にいた誰もが同じ気持ちだったろう。
編入から一年が経っても、秀には親しい友人がいないようだった。内向的で無口、さらに暇さえあれば読書。そんな秀が、周囲に「近寄りがたい」と思われてしまうのも無理はなかった。
秀とは、五年生で同じクラスになった。席が前後だったこともあって、俺と秀は急速に親しくなった。
「俺、沢入薫っていうんだ。よろしく」
自己紹介すると、秀は、
「……椎木、秀一郎だ」
よろしく、と丁寧に頭を下げる。俺と目すら合わせない。またすぐ文庫本に視線を戻そうとするので、俺は慌てて話の接ぎ穂を探した。
「秀一郎って、かっこいい名前だな!」
「……そうか? 普通だと思うが」
「そうだよっ」
俺は必死に会話を繋いだ。きっと彼と仲良くなりたかったのだ。こんなに綺麗な子がどんなふうに笑うのか、見てみたかった。
「なあ、秀って呼んでもいい?」
彼は一瞬きょとんとしたが、すぐに頷いた。俺のことはなんとでも呼んでよ、と俺は半ば浮かれたように言う。
「秀って、なんか変わったしゃべり方するんだな。大人みたいな、先生みたいな話し方だな。なんで?」
「それは」
秀は思案するように顎に手を当て、
「これまで、周りに日本語を話す人物が両親くらいしかいなかったんだ。父親の話し方がうつったんだろう」
「そっか。秀ってずっとカナダにいたんだもんな」
大好きな読書の邪魔をされているのに、秀は迷惑そうではなかった。
「ところで秀、それ、何の本?」
「シェークスピアだ」
「シェイク?」マクドナルドの話かと思った。
「どうもありがとう」
俯き加減で秀は言う。突然礼を言われてびっくりした。
「え、なにが?」
「……話しかけてくれて」
それが、初めて見た秀の笑顔だった。
秀が笑うと、俺は幸せな気持ちになる。今も昔も、それはずっと変わらない。俺がミュージシャンを目指すようになったのも、元をたどれば秀の笑顔がきっかけだ。
ギターを弾きだしたのは六歳のころ。よく親父がリビングで弾いていたのを見て、見よう見まねでやりだした。遊びの感覚でスコアを弾き、うまくできると親父が褒めてくれた。それが嬉しくて、どんどんギターにのめりこんだ。
あるとき、「家でよくギターを弾くんだ」と秀に話したら、聞きたいとねだられた。断る理由もなかったので、秀を家に呼んで弾いて聞かせた。覚えたばかりのスコアに、適当に歌もつけた。弾き語りができるようになったばかりのころだ。
それまで家族以外の前で弾いたことはなかったから、へんに緊張して、歌いきったら手が汗でびっしょりだった。
パチパチという乾いた音が、俺の部屋に大きく響いた。秀が拍手をしていた。
「すごい」
言いながら、秀は手を叩き続けている。本当にすごい、ともう一度繰り返す。
「そ、そうかな」俺は照れて、奇妙な笑い方をした。
「すごい才能だ、薫」
秀の頬が淡い赤に染まっていた。興奮していたのかもしれない。
「とても感動した」
にっこりと笑った秀の唇の下から、小さな八重歯がのぞく。彼に八重歯があるなんて知らなかった。
「君は歌手になるべきだ」
秀に強い口調で勧められ、俺は調子に乗った。プロになったら一番に聞かせてやる、という安直な約束を交わしたのも、その時だ。
安直な約束――でも俺にとっては、大切な約束だった。デビューの可能性さえ見えず、植田にぼろくそに罵られ、それでも挫けずにいられたのは、この約束があったからだ。
いつか、自分の歌を聞かせたい人がいる……それだけで、どれほど強くなれたか。
不特定多数の人間ではなく、たった一人の親友に向けた気持ち。だからこそ、「夢」をイメージしやすかった。一万人からの喝采より、十年前に秀からもらったあの拍手が、あの笑顔が、もう一度欲しかったのだ。
「約束だ」と言い合って、俺たちは指切りをした。秀の指や手はひんやりとして、冷たかった。
***
ゆっくりと目を開けると、空になった粥の土鍋が視界に入った。窓の外はすっかり日が暮れている。
秀は傍らに座り、頭だけをベッドに載せて眠り込んでいた。手はしっかりと繋いだままだ。それを見て、こっそり笑った。
上半身を起こしてみる。だるさは抜け切らないものの、体調はだいぶ楽になった。続けて「アー」と発声をし、ほっと胸をなでおろす。喉は壊れていないようだ。大会が近いため、声の調子が気がかりだったのだ。
水分を摂ろうとテーブルのコップを掴む。
そういえば。
コップのスポーツ飲料を飲み干し、俺はふと思う。
小学校を卒業し、俺たちは別々の中学へ進学した。もちろん寂しかったけれど、永遠の別れというわけじゃない。顔を合わせる頻度は減るだろうけど、連絡先も知っているし、会おうとすればいつだって会える。そんなふうに思っていた。
でも、急に連絡がつかなくなったのだ。
中学のころ、何度か秀の家へ電話をかけた。しかし応対した秀の母親はいつも、「秀一郎は家におりません」の一点張りで、秀本人が電話に出ることはなかった。
一度だけ、街中で秀を見かけたこともあった。中学二年生のときだ。大声で秀の名を呼び、目だって合ったのに、秀は踵を返して人ごみに紛れてしまった。
秀に避けられている。そのとき、そう確信した。ショックだった。嫌われていたのだろうか、仲が良いふりをしてくれていただけなんだろうか、そんなふうに考えては落ち込んだ。
どうして秀の態度が豹変したのか、当時の俺にはさっぱりわからなかった。小学校の卒業式では、「近いうちまた遊ぼうな」と言い合って別れたのだ。あれも嘘だったのか、と悲しくなった。
ともあれ、「歌手になる」という決意がより固くなったのは、その一件があったからだった。本当に歌手になって、夢を叶えて、秀との約束を果たす。そうすれば、また秀が振り向いてくれるかもしれない。以前のように、笑いかけてくれるかもしれない。そう思った。
だから、この夢を諦められなかった。
それはそのまま、秀を――一番の親友を、諦めることと同じだから。
秀の規則正しい寝息は乱れない。熱っぽい俺の手のせいで、繋いだ秀の手も温かくなっていた。
彼の右耳を見遣る。この耳が聞こえないというのは、本当なのかな。傷どころかピアスの穴ひとつない、綺麗な形の耳だった。
事故で失われた右耳の機能。秀の豹変は、その事故と関係があるのだろうか。事故には中一の頃に遭ったと言っていた。
どうして俺を避けたのか、その本当の理由を聞きたかったけれど、やめた。怖かったというのもあるが、正直、もうどうでも良かった。こうして以前のように、自然に笑い合える二人に戻ることできた。わざわざ、いやな思い出を蒸し返すこともない。
「……秀」
声をかけても、秀の瞼は閉じられたままだ。ニキビの痕すら見当たらない白い頬に、俺は空いていた左手をそうっと載せた。そうすると何故か、心臓がぎゅっときつくなった。
「……薫」
秀の口元がかすかに動いて、俺は急いで頬から手を離した。起こしてゴメン、と言いかけたが、秀は目を覚ましたわけではないようだった。
「ね、寝言……」
どき、と身体の中心が疼く。なんだ、と妙に焦った。耳や頬が熱い。また熱がぶりかえしてきたのだろうか。
秀が起きたのは、それから数分後だった。寝ぼけ眼で俺を見ると、「体調はどうだ」と真っ先に尋ねてくる。
「あ、うん。だいぶ良いよ」俺の頬はまだ火照っていた。「秀のおかげだ。ありがとう」
「それは何よりだ」
秀は穏やかに言う。
俺の夢を見てた? と訊いてみようかと思ったけれど、なんだか照れたので俺は口を閉ざした。身体の奥のほうで、心臓がどきどきいっている。あばら骨を殴るみたいに脈を打っている。
「お兄ちゃん、体調どう?」
いきなり部屋の扉が破るように開かれた。セーラー服の綾が入ってくる。学校から帰ったのだろう。
「あ、秀一郎さん! 看病に来てくれたんですかあ」
秀の姿を認めると、綾の声があからさまに高くなる。
「……どうして二人、手繋いでるの?」
首を傾げた綾のつぶやきを聞き、俺たちは慌てて手を離した。カッと顔が熱くなる。秀も俺と同じ反応をしていた。
「秀一郎さん、あんまりお兄ちゃんに近づかないほうがいいですよ」わざと俺に聞こえるように綾は言う。「風邪と、馬鹿がうつるから」
「なんだと、コラ」
俺がこめかみに青筋をたてると、あは、と綾は悪びれもせずにはしゃぐ。
「そうだ、秀一郎さん、よかったら勉強教えてくれませんか? 明日、古典のテストがあって」
面倒な申し出にも、秀は「もちろん」と答えて立ち上がった。綾は瞳を爛々とさせている。下心が見え見えだぞ、と俺はげんなりした。
部屋を出る二人の背中を複雑な心境で眺めながら、ふてくされるようにベッドに倒れこんだ。
ゲホゲホ、と何度か咳き込む。
やっぱりマスクが欲しかったな。

