キスの仕方がわかりません

 月曜日の朝、目が覚めると体調はすっかり良くなっていて。
 いつもの通り、松川と食堂で朝食を取って学校へ行って。他学年の介入がない授業時間は何も気にすることのない、穏やかな時間だった。

 そして放課後。
 僕はSHR後、部活へ行く松川と別れて一人、生徒会室の前まで来た。

「少年、ここに用があるのか?」

 ドアをノックするか迷っていると、後ろから声がした。

「ひっ」

 緊張していたところに突然声がかかり僕は飛び上がりそうな程驚いて。

「驚かせて悪い。中に入りたいんだが」

 振り返ると会長さんでも近藤さんでもない人が立っていた。

「す、すみませんっ」

 僕はドアの真ん前に立ってこの人の邪魔をしていたらしい。慌てて横にずれて前を空けた。

「別に構わないが、お前も入るのか?」

 よく日焼けした人だった。外で運動系の部活をやってる人だろうか。

「え、は、はい」

 ここまで来て帰るわけにはいかない。この人によって僕がここまで来たことが会長さんにバレてしまうだろう。敵前逃亡みたいなことは嫌だった。自分でやりますと言ったのだし。

「一緒に入るか、少年」

 少年て……僕が一年生だとまるわかりで、だからなんだろうけど。

「一年生がドアの前にいたが、呼んだの誰だ?」

 三年生だろうこの人がドアを開けてそう言うと、中にいた人たちが、机で作業をしていた人たちが一斉にこちらを見た。三人、かな。

「あ、僕だよ。どうぞ入ってー」

 そう言った一番奥の机にいた人が手を挙げた。生徒会長の桜野さんだった。
 日焼けした人が僕を先に生徒会室の中へ入れてくれた時、三人のうちの桜野さんじゃない残りの二人の一人が、驚いた顔で僕を見ていた。
 いや、貴方が勝手に言ったのでしょう? 僕が先に驚きましたが? それとも来ないと思っていたのですか?

「いらっしゃい、エツミちゃん」
「お、お世話になります」

 いきなりのその呼び方が嬉しかったわけでも面白いと思ったわけでもなかったけど、僕なんかが異議を唱えられるわけもなく。やはり三年生は大人びた、物理的に視線を上げる状態もあって体格もしっかりしていて雲の上に近いような存在で。気後れする。

「今日からお手伝いしてくれる一年の市原悦己君。優しくしてあげてね。エツミちゃん、僕たち四人が生徒会執行部のメンバー」
「よろしくお願いします」

 取りも直さず頭を下げて。

「雑用係、ありがたいなあ。よろしく、エツミちゃん」
「なるほど。よろしくな、少年」

 二人には歓迎されたけど。

「お前」

 残りの人、驚いた顔で僕を見ていた副会長の近藤さんに腕を掴まれた。

「!」

 結構強い力だったのとトラウマめいたもので体が小さく震えて。

「はいはいはい、それまで。離れてー」

 桜野さんはニコニコしながら近藤さんの手を僕から解き、引き離した。

「和臣君、それから他のみんなもエツミちゃんにお触りなしね。触れたら都度罰金ね」
「了解したけど、エツミちゃんは桜野の秘蔵っ子なわけ?」

 僕を雑用係と呼んだ、ちょっとだけチャラく見えるくだけた人が僕の頭にぽんぽんと軽く触れた。あまりにも自然で避けることもできず。

「多田さん、罰金ですよ」

 と、多田さんなる人の腕を取ったのは近藤さんだった。

「近藤は厳しいなあ」

 多田さんは両手を挙げて降参のポーズをとった。

「桜野さん(会長)がルールです」

 近藤さんは二年生なのに副会長だからか、全く三年生に遠慮がない。

「んーまあ秘蔵っ子と言えばそう。だからみんなで大切に育てようかなと」
「親戚の子かなんかか?」

 日焼けの人が言う。

「違うけど、可愛いは正義だからね。みんなに愛でられないと」

 ……少年とか、可愛いとか。僕は小学生じゃないんだけど。

「あれ? 御本人は不服そうだけど?」
「えっ、いやっ、違いますっ」

 多田さんの、まあ図星な指摘に僕は慌てた。顔に出ていたのはヤバい。

「ジョークだから大丈夫だよ、ちょっとアクが強いけど悪い奴らじゃないから」

 桜野さんはくすくすと笑った。

「多田のことは気にせずスルーしてくれ、少年」
「スルーはないでしょ、そんなことされたら俺泣いちゃうよ。北見はイヤな奴だよねー、エツミちゃん」

 ……圧倒されて。僕はどう返したらいいのか。僕を少年と呼ぶ人、北見さんという名前らしい。

「市原、お前何しに来たんだ」

 そんな和気藹々?な空気を見事バッサリ切ったのは近藤さんのキレたような声。

「何しにって、お手伝いですよ。あな……こ、近藤さんが会長さんに言ったんでしょう!?」

 頭ごなしに怒られるのは面白くないし、どうして僕が怒られなきゃいけないんだ。

「何の話だ。俺は何も言ってないぞ」

 え……どういうこと? 桜野さんが勝手に?
 二人してそれぞれ桜野さんを見ると、こっちを見て相変わらずニコニコしていて。否定も肯定もしなかったけど。僕たちは嵌められたのか。

「帰れ」

 一層ムッとした顔になって近藤さんは顎でドアを指した。
 その言い方はない。一方的に。

「僕は手伝いがほしいって言うから。それに、昨日の……意味を……」
「意味?」
「だから、その……」
「こらこら、痴話ゲンカは後でやって。ここは仕事をする場ですよ」

 桜野さんが再び間に入る。

「お。近藤とエツミちゃん、そういうことなの?」

 そういう……?

「違います」

 近藤さんが即答した。

「あらそうなんだ。エツミちゃん、穢れを知らなそうだもんね」
「……ですから触れないでください」
「ごめんなさーい」

 多田さんは思ってもないだろう言葉を口にした。

「お前、少年のナイトのつもりか」

 日焼けの人、北見さんはじっと近藤さんを見る。硬派な感じでかっこいい人だ。

「そんなんじゃないです」
「あのさあ、僕はさっき仕事って言ったんだけどね。みんなパキパキやる! エツミちゃんは多田について資料のホチキス留めね」

 どこまでが本気の会話なのか遊びの会話なのか全然わからない。喧嘩腰に見えてそうでもない。僕はとんでもないところへ足を踏み入れたのか。

「ああ、じゃあ文房具のある場所先に教えとくかな。エツミちゃんこっち来て」
「はい」

 多田さんは壁にあるスチール棚の前に立ってガラス戸を開けると、至って真面目に細かく棚の中を説明してくれた。大変真面目に、さっきのくだけ感はなかったかのように。

「ぽかんとしてどうしたのかな、エツミちゃん」

 多田さんの豹変?ぶりもだけど、他の三人も机に向かって私語一切なく黙々と仕事を始めていた。今の今まで緩んだ空気だったのに。

「いえ、あの、集中力すごいなって……すみません先輩なのに」

 多田さんはニヤリと笑って。

「ウチのウリだよ。ふざけるけど馬鹿じゃない。エツミちゃんは真面目だね。桜野が買ってるのもわかるな」

 その言葉は嬉しいけど、それは違う、多分。僕にも説明がつかない。桜野さんとは昨日会ったばかりで。僕の顔は知ってたみたいだけど。

「さ、説明が終わったところで一緒にポチポチしましょうかね」
「はい」

 多田さんは僕にホチキスの針とホチキスを手渡した。

 松川の言う通り、みんないい人の部類だ。一人を除いて、なんて言ってたけどそこは未確定だ。一応。
 黙々とホチキスを鳴らして。

 役員じゃないから一時間だけだよ、と桜野さんは時計の長い針が一周した時、僕を生徒会室から追い出した。