翌日の土曜日。
僕は今日が土曜で本当によかったと思った。日曜日でもまあよかったかもしれないけどそうするともう明日は学校で。それはちょっと嫌だった。何事もなかったかのように振る舞えるようになる時間がほしい。
宣言通り思いっきり朝寝坊して食堂はとっくに閉まっていて、それでもやっぱり気分爽快とは言えなかった。筋肉痛と思われる体の悲鳴が酷くて、ベッドから起きる気になれなかったのだ。空腹も感じなかったから起きる理由もないし。
松川は違うと言ったしそうだと思うけど、あんな人が学校中にいるなんてことは……ないとは言い切れない。ここは田舎と違う。しかも全寮制の男子校なんてどちらかというと閉鎖的な環境だ。みんな仲良く、なんてことはないのかもしれない。暴力一つとっても陰湿なものもあるのかもしれない。
怖い。田舎者ゆえに知らないうちに不興を買ってまたあんなことになったら。僕は何が悪かったのだろうか。何があの人を怒らせたのだろうか。
……そう言えば部屋に人がいる気配が、松川がいない。
ベッドに横になったまま体を反転させて松川側(僕たちの部屋は仕切りはないけど真ん中で真っ二つに分かれていて、ドアを背にして右半分に松川、左半分に僕の、それぞれのベッドや机などがある)を見ればベッドは整えられていて、すぐ横の勉強机も何も広げられてはなかった。つまりトイレなどという近場で部屋を出たわけじゃないということで。
気遣って出て行ってくれたのか、はたまた近藤さんと言う人に話しにいったのか。……やめよう、憶測でそんなことを考えるのは。
と、そこへドアがノックされた。
今日はごめんなさい、誰かわからないけど、居留守を使わせてもらう。月曜日に学校で会うからその時に。寮母さんであるならば最終的には寮内放送がかかる。だからそうなったら出て行けばいい。
すると、カチリと鍵が回って。
ノックは松川だったらしい。僕の部屋でもあり松川の部屋でもあるからいつもはせずにドアを開けるけど、今回は一応ノックしてくれたようだ。そして返事をしない僕が寝てると思い鍵を使って入ろうと判断したのだろう。出て行く時にも鍵をかけてくれてたのは松川だろうから。僕は今の今まで鍵がかかっていることは知らなかったけど。
申し訳ない。松川は何も関わってなくて、なのにこんなに気遣ってくれて。あの人と知り合いというだけで僕は距離をおいて。松川に謝ろう。
そしてドアが開いた。
「市原悦己」
その姿と声に、僕の喉が掠れた音でひゅっと鳴った。
あ……。
生徒会室で僕を。少し威圧的で、少しからかってるような声色で、五センチは高いだろうこの人は狭い部屋で僕を組み敷いた。
躊躇なく中へ入ってきて、鍵がかかる。
「……」
声が出ない。
心臓が口から出るんじゃないかと思うほどにバクバクして。逃げないとと思うのに体が動かない。でも狭い部屋の中でこれ以上逃げようがなくもあった。
咄嗟に下を向いてしまい目は合わなかった。その分、むこうがどんな表情なのかわからず。笑っているのか、怒っているのか。
「いたのか」
いたのかって。ノックして返事がないなら普通入ってこないだろう。鍵まで開けて。
……って。
この人は松川の鍵を使って入ったのか。それしか鍵を開ける方法はない。寮母さんが貸したってことはないだろう。
一体何のつもりで。でもその前に松川は僕が寝ていることを知っていてこの人に鍵を貸した。それはつまり。やっぱり松川は。
「お前の鍵だろう?」
その言葉の後にちりんと小さな鈴の音がした。
え?
恐る恐る顔を、少しだけ上げてみたら、丁度鍵だけが視界に入った。
あ。
「生徒会室に落ちてたから、相部屋の奴のものじゃないよな?」
僕の、この部屋の鍵、だ。僕はほぼ半日鍵を落としたことに気が付いてなかったのか。
どう返事をしたらいいか考えあぐねていたら。
「返してほしかったら俺の部屋に来い」
え?
視界から鍵が消えたかと思うと、ガチャリとドアが開いてすぐさまパタンと閉まる音がした。
何で……。
僕は閉じられたドアを唖然としてベッドから見た。当然もうその人はいないのだけど。
俺の部屋に来いって、一体何しにここへ来たんだ。わざわざ鍵を持って。どうして返してくれないんだ。僕が返事をしなかったからか? 無視したようになってしまったことに激怒したのか? 少しも返してくれる気はなかったのだろうか。
……あの鍵は僕のものだ。寮担当の先生からもらった時についていた勝手に外してはいけない部屋番号のプレートと、家から持ってきた少し大振りの銀色の鈴がついている。落としてもすぐ気付くように。
鍵をなくせば弁償しなければならない。鍵一本ではなく、取り換え。そういう決まりだった。学校生活とは関係のない無駄な出費を親にさせるわけにはいかないから絶対に落とさないでおこうと思って鈴を付けておいたのに。なくしていたことすら気付いていなかったとは。ただ、落としたのが校内であったことは不幸中の幸いだったけど、だけど、でも。
取りに行くだけで鍵の弁償は免れるけど。金銭的ダメージはないけど。行けばどうなるのだろう。僕はまた。
「ただいま」
今度こそノックなくドアが開いて松川が帰ってきた。ジャージ姿で。そうか。部活だったのか。土日に練習があることだってこれまであったのに。僕は駄目な奴だな。疑うばかりで。
「……おかえり」
僕の考えていることがわかるはずもない松川は適度な距離を取って布団に包まっている僕に笑いかけた。
「市原、腹減ったろ。サンドイッチどうぞ」
机に置いてくれた小さなポリ袋にはこの学校の生徒御用達のパン屋さんのロゴがあった。練習が終わった後にわざわざ外へ出て買ってきてくれたのだ。
「ごめん……ありがとう。お金払うよ」
こんなに良くしてくれてるのに布団から見てるだけなんて、あまりにも失礼だ。僕はゆっくりと布団を押しのけ、何とかベッドの縁に座った。
「お金はいらないよ、大した金額じゃないし。それより体は大丈夫なのか?」
体を起こす時にはまだ小さく呻きたくなるし、動きは出来の悪いロボットみたいにギクシャクしている。
「明日には多分良くなってると思う。筋肉痛だから」
「……それだけか?」
「え?」
心なしか松川の声のトーンが低くなった気がする。昨日のような。
「昨日は訊けなかったけど、怪我とか、してないのか?」
松川はスポーツバッグを下ろすと自分の椅子に座って、そのまま僕の方へ気持ち寄った。
それどういう……?
「もちろん無理に答える必要はない。殴られて口の中が切れてるとか、その、後ろ、とか」
「後ろ?」
言いにくそうに言うんだけど、後ろって? 背中?
「いや、いい。お前の反応見てたらそこまで無体じゃなかったってことはわかった」
僕にはなんのことやらわからないけれども。
「松川はさ、この学校の事詳しいよね?」
「ん? いや、そんなことは」
「ああいう嫌がらせって多いの? その……例えば素っ裸にしてスマホで写真撮るだとか、ちょっと陰湿な」
「お前、近藤さんに写真まで撮られたのか!?」
「いやいやいや、そこまでは。例えばの話」
鬼のような形相に僕は慌てて否定した。そんなことはされてない。気を失ってたなんてことはないからされたことは全部わかってる、はず。
「別に詳しいわけじゃないけど、地方組のお前よりは知ってることが多いかもしれない。でも嫌がらせをして喜んでるような奴はこの学校にはいないって聞いてるけどな。生徒の数が少ないから何かあればすぐにわかるし」
じゃああの人はたまたま意地悪な人ってことなのか……。
「市原は悪くないんだろ?」
「多分……」
断言はできない。僕は初対面のつもりだけど向こうはそうじゃないかもしれないし。
「松川は近……藤さんの仲間なの?」
いい加減はっきりしたい。僕は松川を頼ってもいいのかどうか。松川は好きだ。面倒見が良くて快活で。だけど一つだけ。あの人と繋がってるのだとしたら僕はやっぱり少しだけ警戒してしまう。良くないことだとわかってるけど。
「仲間? どういう意味だよ。近藤さんがお前にやったことを俺もやる人間なのかってことか? 俺、あの人とは親しくないって言ったよな?」
キュッと松川の目が吊り上がった。その物言いは険を含んで。……怒らせた。
「言った。ごめん。お前のことはたくさん良くしてもらって好きだけど」
「近藤さんに話が筒抜けだとしたらとてもじゃないけど信用なんかできないってことか」
言葉にすると余計酷い。
「近藤さんを知ってるって俺が言ったからだな。そう思うお前の気持ちはわからないこともない」
「……ごめん」
松川は小さく息を吐いて、いや、と眉間に指を当ててほぐすような仕草をした。
「俺が近藤さんを知ってるのは、あの人が俺の兄貴を捨てたからで、大嫌いだからだよ」
……え? お兄さん? 捨てた?
「だから仲間だとか、親しいだとか、そういう関係じゃない」
「ええと……捨て……るって……?」
「ああ……そこからか。近藤さんと俺の兄貴は付き合ってたんだけど兄貴は捨てられてフラれた」
ん? 何の話?
「うーんと。わかりやすく言うと、恋人同士だったけど、近藤さんが浮気して別れた」
え? 恋人? 浮気!?
「俺の口からはこれ以上言えないけど、そういうことだから俺も近藤さんとは仲良くないわけ」
「えと……うん、わかった」
僕が知りたいことは松川とあの人が深く繋がりがあるのかだけだから理由についての詳細は必要ない。
「じゃ、サンドイッチ食うか? 昼飯もその様子じゃ行きたくないだろ?」
「うん、ちょっと無理かな……」
手渡されたサンドイッチは松川の分もあったようで二人で野菜サンドを頬張った。
でもだとしたら。
さっき近藤さんが来たことは言わない方がいいのかもしれない。嫌っている人がこの部屋に来たなんて知れば松川も気分が良くないだろう。
きっと松川はこれ以上関わらない方がいい。
鍵は一人で取りに行こう。どっちにしろこうなることだったのだ。
近藤さんの部屋がどこかはわからないけど同じ棟の中にはある。玄関の靴箱には部屋番号しか書いてないから無理で、事情を聞かれても困るから寮母さんには訊けない。
入学してまだそんなに経ってないウチのクラスの奴は知らなそうだし。一番知ってそうなのは松川だけど知ってるとも限らないし、言えばついてくると言うかもしれない。
自力で探し出すしかない。名前がわかってるだけマシだろう。
あ。玄関の外出名札。いや……あれは学年ごとの五十音順だった。やっぱり一つ一つ部屋の名札を見て回るしかない。
明日、腹を決めて行ってこよう。
僕は今日が土曜で本当によかったと思った。日曜日でもまあよかったかもしれないけどそうするともう明日は学校で。それはちょっと嫌だった。何事もなかったかのように振る舞えるようになる時間がほしい。
宣言通り思いっきり朝寝坊して食堂はとっくに閉まっていて、それでもやっぱり気分爽快とは言えなかった。筋肉痛と思われる体の悲鳴が酷くて、ベッドから起きる気になれなかったのだ。空腹も感じなかったから起きる理由もないし。
松川は違うと言ったしそうだと思うけど、あんな人が学校中にいるなんてことは……ないとは言い切れない。ここは田舎と違う。しかも全寮制の男子校なんてどちらかというと閉鎖的な環境だ。みんな仲良く、なんてことはないのかもしれない。暴力一つとっても陰湿なものもあるのかもしれない。
怖い。田舎者ゆえに知らないうちに不興を買ってまたあんなことになったら。僕は何が悪かったのだろうか。何があの人を怒らせたのだろうか。
……そう言えば部屋に人がいる気配が、松川がいない。
ベッドに横になったまま体を反転させて松川側(僕たちの部屋は仕切りはないけど真ん中で真っ二つに分かれていて、ドアを背にして右半分に松川、左半分に僕の、それぞれのベッドや机などがある)を見ればベッドは整えられていて、すぐ横の勉強机も何も広げられてはなかった。つまりトイレなどという近場で部屋を出たわけじゃないということで。
気遣って出て行ってくれたのか、はたまた近藤さんと言う人に話しにいったのか。……やめよう、憶測でそんなことを考えるのは。
と、そこへドアがノックされた。
今日はごめんなさい、誰かわからないけど、居留守を使わせてもらう。月曜日に学校で会うからその時に。寮母さんであるならば最終的には寮内放送がかかる。だからそうなったら出て行けばいい。
すると、カチリと鍵が回って。
ノックは松川だったらしい。僕の部屋でもあり松川の部屋でもあるからいつもはせずにドアを開けるけど、今回は一応ノックしてくれたようだ。そして返事をしない僕が寝てると思い鍵を使って入ろうと判断したのだろう。出て行く時にも鍵をかけてくれてたのは松川だろうから。僕は今の今まで鍵がかかっていることは知らなかったけど。
申し訳ない。松川は何も関わってなくて、なのにこんなに気遣ってくれて。あの人と知り合いというだけで僕は距離をおいて。松川に謝ろう。
そしてドアが開いた。
「市原悦己」
その姿と声に、僕の喉が掠れた音でひゅっと鳴った。
あ……。
生徒会室で僕を。少し威圧的で、少しからかってるような声色で、五センチは高いだろうこの人は狭い部屋で僕を組み敷いた。
躊躇なく中へ入ってきて、鍵がかかる。
「……」
声が出ない。
心臓が口から出るんじゃないかと思うほどにバクバクして。逃げないとと思うのに体が動かない。でも狭い部屋の中でこれ以上逃げようがなくもあった。
咄嗟に下を向いてしまい目は合わなかった。その分、むこうがどんな表情なのかわからず。笑っているのか、怒っているのか。
「いたのか」
いたのかって。ノックして返事がないなら普通入ってこないだろう。鍵まで開けて。
……って。
この人は松川の鍵を使って入ったのか。それしか鍵を開ける方法はない。寮母さんが貸したってことはないだろう。
一体何のつもりで。でもその前に松川は僕が寝ていることを知っていてこの人に鍵を貸した。それはつまり。やっぱり松川は。
「お前の鍵だろう?」
その言葉の後にちりんと小さな鈴の音がした。
え?
恐る恐る顔を、少しだけ上げてみたら、丁度鍵だけが視界に入った。
あ。
「生徒会室に落ちてたから、相部屋の奴のものじゃないよな?」
僕の、この部屋の鍵、だ。僕はほぼ半日鍵を落としたことに気が付いてなかったのか。
どう返事をしたらいいか考えあぐねていたら。
「返してほしかったら俺の部屋に来い」
え?
視界から鍵が消えたかと思うと、ガチャリとドアが開いてすぐさまパタンと閉まる音がした。
何で……。
僕は閉じられたドアを唖然としてベッドから見た。当然もうその人はいないのだけど。
俺の部屋に来いって、一体何しにここへ来たんだ。わざわざ鍵を持って。どうして返してくれないんだ。僕が返事をしなかったからか? 無視したようになってしまったことに激怒したのか? 少しも返してくれる気はなかったのだろうか。
……あの鍵は僕のものだ。寮担当の先生からもらった時についていた勝手に外してはいけない部屋番号のプレートと、家から持ってきた少し大振りの銀色の鈴がついている。落としてもすぐ気付くように。
鍵をなくせば弁償しなければならない。鍵一本ではなく、取り換え。そういう決まりだった。学校生活とは関係のない無駄な出費を親にさせるわけにはいかないから絶対に落とさないでおこうと思って鈴を付けておいたのに。なくしていたことすら気付いていなかったとは。ただ、落としたのが校内であったことは不幸中の幸いだったけど、だけど、でも。
取りに行くだけで鍵の弁償は免れるけど。金銭的ダメージはないけど。行けばどうなるのだろう。僕はまた。
「ただいま」
今度こそノックなくドアが開いて松川が帰ってきた。ジャージ姿で。そうか。部活だったのか。土日に練習があることだってこれまであったのに。僕は駄目な奴だな。疑うばかりで。
「……おかえり」
僕の考えていることがわかるはずもない松川は適度な距離を取って布団に包まっている僕に笑いかけた。
「市原、腹減ったろ。サンドイッチどうぞ」
机に置いてくれた小さなポリ袋にはこの学校の生徒御用達のパン屋さんのロゴがあった。練習が終わった後にわざわざ外へ出て買ってきてくれたのだ。
「ごめん……ありがとう。お金払うよ」
こんなに良くしてくれてるのに布団から見てるだけなんて、あまりにも失礼だ。僕はゆっくりと布団を押しのけ、何とかベッドの縁に座った。
「お金はいらないよ、大した金額じゃないし。それより体は大丈夫なのか?」
体を起こす時にはまだ小さく呻きたくなるし、動きは出来の悪いロボットみたいにギクシャクしている。
「明日には多分良くなってると思う。筋肉痛だから」
「……それだけか?」
「え?」
心なしか松川の声のトーンが低くなった気がする。昨日のような。
「昨日は訊けなかったけど、怪我とか、してないのか?」
松川はスポーツバッグを下ろすと自分の椅子に座って、そのまま僕の方へ気持ち寄った。
それどういう……?
「もちろん無理に答える必要はない。殴られて口の中が切れてるとか、その、後ろ、とか」
「後ろ?」
言いにくそうに言うんだけど、後ろって? 背中?
「いや、いい。お前の反応見てたらそこまで無体じゃなかったってことはわかった」
僕にはなんのことやらわからないけれども。
「松川はさ、この学校の事詳しいよね?」
「ん? いや、そんなことは」
「ああいう嫌がらせって多いの? その……例えば素っ裸にしてスマホで写真撮るだとか、ちょっと陰湿な」
「お前、近藤さんに写真まで撮られたのか!?」
「いやいやいや、そこまでは。例えばの話」
鬼のような形相に僕は慌てて否定した。そんなことはされてない。気を失ってたなんてことはないからされたことは全部わかってる、はず。
「別に詳しいわけじゃないけど、地方組のお前よりは知ってることが多いかもしれない。でも嫌がらせをして喜んでるような奴はこの学校にはいないって聞いてるけどな。生徒の数が少ないから何かあればすぐにわかるし」
じゃああの人はたまたま意地悪な人ってことなのか……。
「市原は悪くないんだろ?」
「多分……」
断言はできない。僕は初対面のつもりだけど向こうはそうじゃないかもしれないし。
「松川は近……藤さんの仲間なの?」
いい加減はっきりしたい。僕は松川を頼ってもいいのかどうか。松川は好きだ。面倒見が良くて快活で。だけど一つだけ。あの人と繋がってるのだとしたら僕はやっぱり少しだけ警戒してしまう。良くないことだとわかってるけど。
「仲間? どういう意味だよ。近藤さんがお前にやったことを俺もやる人間なのかってことか? 俺、あの人とは親しくないって言ったよな?」
キュッと松川の目が吊り上がった。その物言いは険を含んで。……怒らせた。
「言った。ごめん。お前のことはたくさん良くしてもらって好きだけど」
「近藤さんに話が筒抜けだとしたらとてもじゃないけど信用なんかできないってことか」
言葉にすると余計酷い。
「近藤さんを知ってるって俺が言ったからだな。そう思うお前の気持ちはわからないこともない」
「……ごめん」
松川は小さく息を吐いて、いや、と眉間に指を当ててほぐすような仕草をした。
「俺が近藤さんを知ってるのは、あの人が俺の兄貴を捨てたからで、大嫌いだからだよ」
……え? お兄さん? 捨てた?
「だから仲間だとか、親しいだとか、そういう関係じゃない」
「ええと……捨て……るって……?」
「ああ……そこからか。近藤さんと俺の兄貴は付き合ってたんだけど兄貴は捨てられてフラれた」
ん? 何の話?
「うーんと。わかりやすく言うと、恋人同士だったけど、近藤さんが浮気して別れた」
え? 恋人? 浮気!?
「俺の口からはこれ以上言えないけど、そういうことだから俺も近藤さんとは仲良くないわけ」
「えと……うん、わかった」
僕が知りたいことは松川とあの人が深く繋がりがあるのかだけだから理由についての詳細は必要ない。
「じゃ、サンドイッチ食うか? 昼飯もその様子じゃ行きたくないだろ?」
「うん、ちょっと無理かな……」
手渡されたサンドイッチは松川の分もあったようで二人で野菜サンドを頬張った。
でもだとしたら。
さっき近藤さんが来たことは言わない方がいいのかもしれない。嫌っている人がこの部屋に来たなんて知れば松川も気分が良くないだろう。
きっと松川はこれ以上関わらない方がいい。
鍵は一人で取りに行こう。どっちにしろこうなることだったのだ。
近藤さんの部屋がどこかはわからないけど同じ棟の中にはある。玄関の靴箱には部屋番号しか書いてないから無理で、事情を聞かれても困るから寮母さんには訊けない。
入学してまだそんなに経ってないウチのクラスの奴は知らなそうだし。一番知ってそうなのは松川だけど知ってるとも限らないし、言えばついてくると言うかもしれない。
自力で探し出すしかない。名前がわかってるだけマシだろう。
あ。玄関の外出名札。いや……あれは学年ごとの五十音順だった。やっぱり一つ一つ部屋の名札を見て回るしかない。
明日、腹を決めて行ってこよう。



