イングリッシュローズの前で嘘をついた


あきらめて帰ろうとしたところで、サイラスの声が聞こえた。

「女子供に暴力をふるおうとしたのは許せない。きっちり責任をとらせろ」

誰に話しているんだろう?

盗み聞きはよくないと思いながらも、庭園の生垣の隙間から向こう側を覗いた。

エルランド王子とサイラス、その前には昨日会った兵士の上官と、更に上の位らしき人がいた。

「お前如きに言われる筋合いはない」

男が文句を言った。
位の高そうな男が、そんな男を睨んで言った。

「エルランド王子の前でなんと無礼な! 決して許されることではないぞ!」

そして深々と頭を下げた。

「エルランド王子、数々の非礼をお許しください。こたびのことは私が責任をもって対応いたします」
「これが昨夜のような正式な呼び出しでなく、このような場所での話であることをありがたく思うんだな」

サイラスの怒った声が響いた。


昨日の男のこと、エルランド王子に言ったんだ……


そっとその場を立ち去ろうとした時、サイラスに見つかってしまった

「盗み聞きはよくないなぁ」
「ごめんなさい。サイラスに昨日のリンゴで作ったアップルパイをあげたくて、探してたんです」
「サイ……サイラスに?」

少し後ろに立っていたエルランド王子が言った。
サイラスが、わたしが持っているアップルパイをただ見ていると、後ろからひょいとエルランド王子がアップルパイを手にとって、パクパクと食べてしまった。

わたしが驚いていると、

「ごめんね、あまりにもおいしそうだったから。」

エルランド王子が申し訳なさそうに言った。
サイラスはそんなエルランド王子を黙って見ていた。

そんなことがあるだろうか?
王子が毒見役も介さずに食べ物を口にするなんて。
もちろん毒など入れてはいないけれど。
唖然としているわたしにサイラスが言った。

「あいつ、見た目通り甘いものに目がないから」
エルランド王子を見送って、わたしが別館に向かって歩いていると、サイラスが追いかけてきた。

「さっきはごめん。エルランドが食べてしまって」
「いいえ、そんなことは。エルランド様があまりに自然に振舞われたので少し驚いてしまいましたが」

サイラスはわたしを見て優しく微笑んだ。

「まずは恋人から始めよう」
「え?」
「セシリアから、なかなか結婚の良い返事がもらえないから、譲歩だ」

譲歩って……

「では、そう決めたから!」

そう言うと、サイラスは行ってしまった。

自分で勝手に決めて、こちらの返事も聞かずに行ってしまうなんて、なんて人なんだろう?

気が付くとわたしは笑っていた。
月明りがぼんやりと部屋の中を照らしていた。

「恋人から始めよう」と言われたことを考えてしまって、寝付けないでいると、鍵を閉めたはずの扉が、カチャリと開く音がした。

こんな夜中に誰が?

ベッドに入ったまま、そっと何か武器になるようなものはないかと、サイドテーブルの上に手をのばす。

その手を、侵入者に掴まれた。
怖くて仕方がなかったけれど、手を掴んだ相手の方を向いた。
薄暗い月明かりに照らされて、ぼんやりと侵入者の顔が見えた。
サイラスだった。

サイラスは、自分の口に人差し指を当て「静かに」と合図すると、

「叫んだりしないで。少し怖い思いをさせるかもしれないけれど、大丈夫だから」

そう小声でささやいた。
わたしがあまりにも驚いて声を出せずにいると、サイラスは自分が着ているシャツのボタンをはずし始めた。

これは、どう考えても『そういうこと』だ。

この国に来て、サイラスと過ごした時間が、楽しいと思ってしまっていた。
だからこそ、いきなりこんなことをするような人だとは想像もしてもいなかった。
ひどく悲しい気持ちに打ちひしがれる。

「恋人から始めよう」というのはそういう意味だったんだ。

わたしが動くこともできずに、ただサイラスを見続けていると、シャツのボタンをはずしたサイラスが、からだに何かを巻き付けているのに気が付いた。
サイラスがその布を紐解くと、その背中には剣を隠し持っていた。

サイラスは、剣をわたしのすぐ側のシーツの下に、そっと隠すと、わたしの上に覆いかぶさってきた。

けれども、そのまま何をする訳でもなく、じっとしている。
しばらくして、再び誰かが部屋に入って来る気配を感じた。

サイラスは、わたしの耳元で

「少しの間、わたしに合わせてくれないか?」

と小さな声で言うと、

「愛してる。君のことばかり考えていたよ」

と言いながら、その目で何かを訴えてくる。

「合わせる」というのは……
意味もわからないまま、言われる通り

「わ、わたしもです」

と答えた。

サイラスはわたしの頬にキスをすると、

「じっとしていて。絶対に君のことは守るから。」

そう言って、その右手で、剣を掴んだ。
「女と一緒に死ぬがいい」

新たな侵入者はそう言うと、剣を振りかざした。

予想に反して、サイラスが隠しておいた剣で反撃をする。

「お前……」

侵入者は隙をつかれて、サイラスの剣によって持っていた自分の剣を弾き飛ばされた。
そのままサイラスが男に切りつける。
侵入者の深く切り付けられた腕から血が流れ落ちた。

「くそっ」

そう言って、男が逃げようとしたしたところを、部屋の外で待ち構えていた兵士たちが抑え込んだ。

「お前のおかげで誰の差し金かわかった。礼を言うよ」

サイラスは、侵入者の前に立つと言い放った。

「連れて行け」

サイラスは兵士たちに命じると、呆然としているわたしのところへ戻って来て言った。

「悪かった、巻き込んで」

今、目の前で起きたことが理解できず戸惑っていると、

「お休み、セシリア。続きはまた今度」

サイラスはそう言って、わたしのおでこにキスをして部屋を出て行った。

何がどうなったのかわからないまま、眠れるわけなどなく、ただただ混乱するばかりだった。

オルグレン王国で過ごす最後の日、昨夜からほとんど眠ることなどできないまま、朝を迎えてしまった。
昨夜のあの出来事がなんだったのか、誰かに説明して欲しい。

自分のような立場で、エルランド王子にお伺いに行くわけにもいかないし……
疑問を抱えたままお昼にはここをたって、レオドル王国に戻らなければならないなんて……

身支度を整え部屋を出ると、その日は誰もかれもがいつもより慌ただしく動き回っているように感じられた。

今日に限って、エルランド王子の姿も、サイラスも見当たらない。


誰の邪魔にもならないよう、借りていた本を返すため、静かに図書室に向かった。
図書室の入り口では、コンラッドが初めて会った時と変わらない様子で職務についていた。

「おはようございます、コンラッドさん」

声をかけると、コンラッドが顔を上げた。

「やあ、おはよう、セシリアさん。昨夜は大変でしたね。セシリアさんもお人が悪い。ああ、でもわたしなどにわざわざ言う話でもないですよね」

コンラッドが言っていることの意味がよくわからない。

「本をお返しに上がりました」
「いかがでしたか?」
「コンラッドさんにおすすめいただいた本は特に面白かったです。ありがとうございました」

コンラッドに本を渡すと、思い切って聞いてみた。

「昨夜のこと、何かご存知なのでしょうか?」

コンラッドは目をぱちくりしとした。

「え? 昨夜のことですか?」
「はい。今朝はどの方もお忙しくされているみたいですし」
「ああ、それは…」

コンラッドは言いかけて、わたしのの背後に目を向けて急に話を止めた。

「おはようコンラッド」

わたしの後ろからサイラスの声がした。

いつからここにいたんだろう?

「おはようございます……」

コンラッドが戸惑ったように返答する。

「仕事に戻ったら?」
「は、はい。失礼します」

コンラッドは一礼すると、図書室の奥へと消えていった。


「セシリア、いろいろ話さなければいけないことがある」

いつになく真面目顔つきでサイラスが言った。
サイラスに連れて来られたのは、王室の居住区にあたる場所で、執務室と思われる部屋だった。
広い部屋の中程には、ソファとテーブルが置かれていて、ラフな格好のエルランド王子の姿もあったが、ソファに座るわけでもなく、横に立っていた。

「セシリア、楽しく過ごせた?」

エルランド王子に声をかけられ、今回の滞在について改めてお礼を言うと、エルランド王子は困ったようにサイラスを見やった。
サイラスはそれを無視して、わたしに、

「座って」

と言った。
しかし、エルランド王子が立っているのに自分が先に座るわけにはいかない。そう思っていると、それを察したのか、サイラスは、エルランド王子に向かって

「座れよ」

と、横暴な言い方をした。
エルランド王子は、それを聞いてソファにちょこんと座った。

こんな態度を許しているなんて、エルランド王子はなんて人がいいんだろう、と思わずにはいられない。

改めて座るように言われ、わたしもソファに座る。
サイラスがわたしの横に座るのを見て、エルランド王子が

「そっちに座るの?」

と口にした。

「悪い?」

と、サイラスがまた感じの悪い態度をとる。
サイラスはからだをわたしの方に向け、ソファの背もたれに肘を置くと、頬杖をつくようにして、顔だけエルランド王子に向けている。
それには流石に怒るかと思われたエルランド王子は、くすりと笑った。

「何?」
「いや、何でもない。いいよ、それで」

そう言いながら、笑うのを我慢しているように見えた。


「さて、どこから話そうか……」

サイラスが思案していると、エルランド王子が言った。

「そりゃあやっぱり、あの舞踏会の夜からでしょう」
「あー……あれはノーカウントだ」
「それでも、そこが始まりなんだから」
「うーん……」

サイラスがなかなか話し始めないので、見かねたエルランド王子が言った。

「セシリア、レオドル王国で行われた舞踏会のあったあの夜、彼が言ったことを覚えていますか?」
「あの夜ですか?」

あの舞踏会の夜、サイラスが発したのはたった一言。


『ここにいるのが、オルグレン王国第一王子エルランドと申し上げてもですか?』


それだけだった。
それがどうしたと言うのだろう?

改めて目の前の2人見比べる。

堂々とした態度のサイラス。
それに反していつも控えめだった、エルランド王子。

サイラスのこれまでの態度……

毒見役も介さずに食べ物を口にしたエルランド王子。

まさか……

まさか……

今、その言葉の意味を、初めて、理解した。