帰りの馬車の中で、ミラベルが言った。
「そう言えば、結局どなたがエルランド様なのか、わからないままだったのよ。一体どんな方だったのかしら? お噂では、とってもお綺麗なお顔立ちの方だと言う人もいれば、あまりぱっとしない人って言う人もいるし……でも、わたしは絶対にかっこいい人だと思うのよね! 誰もお顔を知らないなんて、ますます神秘的で素敵」
わたしは、人の良さそうなぽっちゃりとした男の笑顔を頭に思い浮かべていたけれど、ミラベルの夢のためにも、これは黙っておこう、と心に決めた。
舞踏会から数日して、ミラベルがザカリー王子のお茶会に呼ばれたので、侍女として同行することとなった。
ザカリー王子とミラベルが楽しそうに過ごすのを離れた場所で見守っていると、すぐ横に人がやってきた気配を感じた。
「へぇ、こんなところでまた会うとは」
皮肉をこめた物言いに、横にいる人を見上げると――
すぐに正面を向いて、なんとか平静を保とうとするも動揺を隠せない。
とんでもなくまずい状況だった。
明らかに侍女と見てわかる身なりの自分ではもう言い逃れができない。
わかってはいたけれど、それでも一縷の望みをかけて言ってみた。
「あの、どこかでお会いしましたか?」
「『お会いしたこと』をこっちはよく覚えてるよ、ローズ」
横に立っていたのは、あの舞踏会の日、中庭で会ったエルランド王子の従者の男だった。
「さて、どう言うことか説明してもらおうか?」
男は意地悪そうな笑みを浮かべて言った。
ドナフィー公爵家には絶対に迷惑をかけるわけにはいかない。
「わたしがミラベル様に無理やりお願いして、舞踏会に連れてっていただきました。お噂のエルランド王子を間近で拝見したくて。だから、ミラベル様はわたしの願いを聞き入れてくださっただけで、国王の命に背いたのはわたしです。全てわたしが頼んだことなんです」
一気に話終えてから、そっと男の顔を見上げた。
男は、少し眉を顰めると言った。
「で、実際のところはどうなの? エルランドには興味持ってなかったよね?」
バレてる……
「それは……」
「ここだけの話にすると約束するから。真実を聞かせてくれる?」
仕方がなく、自分が男爵家の娘であり、今はドナフィー公爵家の侍女であることと、今回舞踏会に行った経緯を話した。
「ふうん」
男はようやく納得したようだった。
「それで、君の本当の名は?」
もう隠す必要がなくなったので正直に答えた。
「セシリア・エディントンです」
「セシリア……偶然とはいえ、本当にローズだったんだ」
「こんなところにお一人でいらしていいんですか? エルランド王子は?」
男は少し黙っていたけれど、初めて微笑んだ。
「エルランドは……疲れて休んでいる。だから僕には時間がたっぷりあってね。セシリア、少し話し相手になってくれる?」
「それは出来かねます。わたしはミラベル様のお近くにいないと」
「なんだ、それなら」
男は、すたすたとザカリー王子とミラベルのところに歩いて行った。
そして、いきなり声をかけた。
「ザカリー…様」
その一言で、ザカリー王子が驚いた顔をした。
「失礼します。エルランド……様がお休みで、時間をもてあましているんです。ミラベル様へ、話し相手にセシリアをお借りして良いか、許可をもらっていただけませんか?」
男のあまりにも堂々とした態度に、ザカリー王子は唖然としながら返事をした。
「あ、ミ、ミラベル、いいかな?」
「もちろんです」
ミラベルはにっこりと微笑んだ。
男は一礼すると、こちらに戻ってきた。
「いいってさ」
わたしは男とザカリー王子とのやりとりをはらはらとしながら見ていた。
王子に声をかけてもらう前に自分から話かけるなんて……ザカリー王子もあまりの無礼な振る舞いにひどく驚いていた。
それでもお咎めがないのは、彼が客人であるエルランド王子の従者であるからに他ならない。
オルグレン王国ではこういったことは問題にはならないのだろうか?
それにこの男は、エルランド王子のことも呼び捨てにして……
「おいで」
男はそう言って、わたしの手をとると、ザカリー王子とミラベルのところから離れた場所に連れて行った。
イングリッシュローズの咲き誇る中庭にある、ガゼボのベンチにわたしを座らせると、自分はその向かいに腰掛けた。
「さっきの、ザカリー様がお声をかけられる前に話し始めるなんて、ダメです」
男はそんなわたしの注意を楽しそうに聞いていた。
「セシリア、君は勉強が好き?」
「いきなり……なんですか? 勉強は、嫌いではないです。本を読むことが好きですから」
「そう。だったら、オルグレン王国の図書室には、めずらしい本がいぱいあるからぜひ遊びに来たらいい」
何を言い出すかと思えば、そんな簡単に隣国に訪問なんてできるわけがない。ことごとくずれた人だと、あきれてしまう。
「君はあのエルランドのことをどう思った?」
「エルランド様ですか? お優しくて、博識で、とても素敵な方だと思いました」
「へぇ」
男は面白そうに言った。
「お話すればそのお人柄がわかります」
男はますます面白そうに言った。
「では、あのエルランドが君を妃に迎えたいと言ったらどうする?」
「それは、無理です。身分が違いすぎます」
「身分の問題? お世辞にも見た目がいいとは言えないからじゃなくて?」
自分の主人をそんな風に言うなんて、なんて失礼な人なんだろう。
しかもまた主人を呼び捨てにしている。
わたしは無意識に男を睨んでいた。
「そんな怒った顔しないで。君にはわからないかもしれないけど、僕と、あのエルランドは小さな頃から兄弟のように育ったから、身分がどうとかも考えた事がなくて。とても仲がいいんだ。何もかも悪気があって言ってるわけじゃない」
「そう……なんですか?」
「セシリア、だったら僕と結婚しないか?」
「あの、今なんて?」
「僕だったら、身分も気にしなくていいだろ? それにもう、こうやって話だってしてる。全然知らない人ではなくなった」
「お断りします」
「どうして?」
「どうしてって、名前も知らない人と結婚しようなんて思えません」
「名前か……僕の名はフィートだよ」
「それは嘘です」
「なんでそう思う?」
「フィートはラテン語で『偽り』と言う意味です」
男はそれを聞いて微笑んだ。
そして、ひざまづくと、わたしの手をとり、その手の甲にキスをして言った。
「セシリア、君をオルグレン王国に招待すると約束するよ」
「ねぇねぇねぇ、あの素敵な人は誰?」
お茶会の帰り、ミラベルはそのことばかり聞いてきた。
わたしが
「ザカリー様とのお茶会はいかがでした?」
と話を変えようとしても、ミラベルはわたしを質問攻めにした。
「あんなかっこいい人とどこで知り合ったの?」
「どこのお方?」
「名前はなんておっしゃるの?」
ミラベルに何を聞かれても、男の名前すら聞いていないので答えようがない。
2回しか会った事がなくて、ちゃんと話したことなんて今日が初めてだったのに、いきなり結婚だなんて……冗談にも程がある。
黙っていれば、本当に綺麗な顔立ちの人だけど……つくづく変な人。
そう思いながらも、手にキスをされたことを思い出すと、どきどきしてしまった。
エルランド王子は、舞踏会で妃を選ぶことなくレオドル王国を後にしたということだった。
ミナベルはお茶会の後も、ザカリー王子から何度も城に招待された。どうやらいい雰囲気のようで、ミラベルが幸せそうにしているのを見てるとこっちまで嬉しくなってしまう。
そんな日が続いていたある日、いつものように、出かける用意をしていると、ミナベルが言った。
「ねぇ、セシリア、ザカリー様がね、今度オルグレン王国に訪問されるんだけど、どうやらお付きの侍女が足らないらしいの。怪我しちゃったりとか、ちょうど子供が産まれたりとか……それでね、セシリア、ザカリー様の侍女として、オルグレン王国に行ってもらえないかしら?」
どうう考えてもおかしな話だった。
一国の王子の侍女が足らないなんて事があるだろうか? ましてや他の家の侍女を借りるなんてあり得ない。
わたしのそんな様子を見て、ミナベルが再び口を開いた。
「と言うのは表向きの話でね、ザカリー様が、なんとかセシリアをオルグレン王国に連れて行けるようにしたいって。私にお願いされたの」
「それは、どういう意味なんでしょう?」
「ふふっ」
ミナベルは意味深な笑みを浮かべた。
「エルランド様から、内内にセシリアを連れて来て欲しい、って言ってこられたんですって。きっと、あの舞踏会でセシリアのことを知ったのよ!」
「ミナベル様、色々わからないことがいっぱいなんですけど?」
「なあに?」
ミラベルが無邪気に答えた。
「まず、どうしてザカリー様のそんなご予定を、ミラベル様がご存知なんですか?」
その質問にミラベルの頬がぱっと赤くなった。
それでミナベルの返事を待つまでもなく、一つ目の疑問の答えはわかってしまった。
「まだ正式なお申し込みをいただいたわけではないから……」
ミラベルは、はっきりとは言わなかったけれど、その様子から、近いうちに良い知らせが来ることは想像できた。
「良かったですね、ミラベル様」
幸せそうなミラベルを見ると、やっぱり自分のことのように嬉しい。
けれどもまだ疑問が残っている。
「それで、どうしてエルランド様がわたしを連れて来て欲しいだなんて……」
そこまで言って、あの男の言ったことを思い出した。
「セシリア、君をオルグレン王国に招待すると約束するよ」
「招待」と言うのとは少し違うけれど、公爵家の侍女にすぎない自分が他国に行くには、一番最もな理由かもしれない。
あの男は、エルランド王子と兄弟のように仲がいいと言っていた。
きっと、彼がエルランド王子に頼んだんだ。
わたしの顔をずっと見ていたミラベルは微笑んでいた。
ミラベルの言った通り、ザカリー王子から正式にドナフィー公爵家にわたしのことで通達があり、準備に追われた。
それからの数日は目まぐるしいほどの忙しさだったけれど、それでも初めて他国を訪れることへの期待の方が大きくまさっていた。



