「絶対の絶対に、大丈夫なんだよな?」
「大丈夫だから、僕を信じて。つーか手、握りすぎだし」
受付の前のソファに座って、こそこそと確認すると、隣に座る温人はふふっと笑った。いつもならその笑顔で俺の気持ちも和らぐけど、今日はそんなことも言ってられない。
「おい、こっちは真剣なんだよ」
「わかってるよ。でもほんとにひとりで大丈夫?僕、付いていこうか?」
温人が善意で言ってくれているのはわかっている。
「いや、いい」
さすがに断った。だって絶対に見られたくない。
虫歯の治療を受けているところなんて。
なんとなく、最近アイスを食べると歯がキーンとする気がする。という話を、おかんにぽろっと言ったのがよくなかった。
「歯医者に行きなさい!」
「……いやだ」
眼光鋭くにらまれたが、俺は小刻みに顔を横に振った。行きたくない。俺はあの歯医者のキュイーンとかギュイーンとかの音が嫌いだ。あとなんかこわい。
絶対に行きたくないとフルフルしていると、ビンポーンと玄関の呼び鈴が鳴った。
「あ、温人きたから。行ってきます!」
「あ、こら待ちなさい!」
逃げるように鞄を持って玄関の扉を開けると、門扉の外で温人が待っていた。
「おはよ、一香」
「はよ」
今日も朝から穏やかな笑みを俺に向ける温人。別に約束してるわけじゃないけど、温人は毎日俺を迎えに来る。
「あ、温人!おはよう!いい歯医者知らない?」
追いかけたきたおかんも、元気に温人に挨拶した。
「おはよう、ゆみちゃん。歯がどうかしたの?」
「あたしじゃなくて一香!絶対に虫歯なのに歯医者行かないって!」
「もういいから……」
行こう温人、と温人の袖を引っ張ったが
「わかった。じゃあ週末、僕の行ってる歯医者に連れてくよ」
「え?」
袖を引っ張る俺の手をつかんだ温人は、有無を言わせない笑みを俺に向けた。
「虫歯、放っておいたら良くないから。ちゃんと行けたら、ご褒美あげるから。ね?」
こういうときの温人は、いつもの優しさはどこに行ったんだろうと思う。絶対に逆らえない圧のある声と冷たい笑みに
「……はい」
思わず返事をしてしまった。だって、こわいんだよ~。
いつもの笑みに戻った温人に、じゃあ行こうかと言われて俺達は学校に向かった。
そうして週末、俺は温人の通っている歯医者まで来さされた(逃げようと思ってたけど、朝起きたら温人がリビングにいた)。さっきから子どもの「イヤー!」という甲高い声と、奥から微かに聞こえる気がする治療中のキュイーンという音(幻聴)にだんだん帰りたくなってきていた。けど帰れない。壁側のソファに座らされて、出入り口に行くには温人を超えないといけない。
嫌すぎる。歯医者なんて10年ぶりくらいだから、そのせいだと思う。小さい頃に虫歯を治療してこわかった記憶が、今の俺をこわがらせている。げんなりしてソファに頭をもたれかけていると、温人が手を握った。
「なにっ?」
「ん?一香が落ち着くかと思って」
小首傾げて笑いかけてくる温人。もうそうなると治療は嫌だし、温人はよくわからないしで、感情が忙しい。でもその優しさと、なんでこんなときに手をつないでくるんだっていう謎の不満で、ぎゅーっと強く温人の手を握り返した。若干、温人も痛そうにしている。
「温人君、こんにちは。今日はどうしたの?」
「今日は友達の付き添いで」
通りかかった顔見知りの歯科助手の人に、にこやかに温人が挨拶をすると、その人が俺に目を向けた。
「……っす」
それだけで、歯科助手の人の笑顔がひきつったのがわかった。
人見知りな俺は、こういうとき顔が余計強張る。どんな顔してたかはわからないけど、とりあえずにらんだように見えてないことを祈る。多分、そうじゃないんだろうけど。
「すみません、こいつ人見知りで。でも中身はいい子なんで」
そうすると温人が反対に傾けていた俺の頭を自分の肩にもたせかけた。
「そうなのね、急に話しかけてごめんなさいね。あと10分くらいで治療受けられると思うから」
10分──。良くも悪くも、大変な情報を手に入れてしまった。
そこからは気分が下がってしまい、温人の肩にだらりともたれかかっていた。
「はい、じゃあここ座って。今日はどうしたのかな?」
ジャムが似合いそうなマスコットフォルムのおじさん歯医者のマスクに、ウサギやリスのシールが貼ってあった。子どもを恐がらせないようにしているんだなとジーンとしてしまった。
「その、左の歯がアイス食べたら沁みて」
「そうかぁ。じゃあ少し見てみるから、お口開けてくれる?」
そこからしばらく「ふむふむ」と口の中を見られ、俺はただひたすら口を大きく開いて先生からの判決を天井を見上げながら待った。
「はい、いいよー。じゃあお口ゆすごうか」
いよいよ、口をゆすいだら始まるのか。さすがに覚悟を決めねば──。
口をゆすいだ俺は、気持ちを新たに背もたれにもたれかかった。
「あ、おつかれー」
受付に戻ると、温人は雑誌を読んで待っていてくれた。気のせいかもしれないが、受付からもお客さんからも温人に視線が集まっているように見えた。それがなぜだか、すごく嫌だった。
「出よ」
温人の腕をつかんで、なる早で会計をして、温人と一緒に歯医者を後にした。
「それで?どうだった?」
土手沿いの歩道を歩きながら聞いてきた温人に、俺は胸に手をあて、そっと告げた。
「運命の歯医者に、出会ってしまった」
神聖な気持ちでいっぱいだった。
「なにそれ?」
俺がじーんと感動していると、温人がきょとんとした目を俺に向けていた。
『はい、いいよー』
そう言われてから俺の緊張はピークに達していた。
けど驚くことに、そう言われた時には虫歯の治療がすでに終わっていた。
「あのおじさんはきっと、神の手を持っているに違いない。あんなに治療を受けているなんて思いもしないスピードと技術で俺の歯を治してくれるなんて、奇跡」
俺は指を組んで、空に向かって、あのおじさんを思い浮かべながら感謝の思いをはせた。
「いい歯医者だったってことね?」
「俺、これからあそこ通う」
あのおじさんに、俺は心を奪われていた。
「じゃあ次は親知らず抜くときかな?」
「親知らず……?」
きょとんとしながら温人を見上げると、温人は小さく頷いた。
「こないだ奥歯の後ろからなんか生えてきてるって言ってたでしょ?抜いたほうがいいっていうし」
なんでそんな、いつ言ったかもわからない余計な情報を覚えているんだろう。
「温人もある?親知らず」
「僕まだ親知らず知らずだもん」
なんだよそれ。思わずぶーっと頬が膨れる。
「俺も知らん」
「一香は生えてるから。さっき会計の時にパンフレットもらってたでしょ?」
そんなこと言われたって、嫌なもんは嫌だ。親知らずは抜いたら痛いみたいだから、いくらあのおじさんがスペシャルな腕前であったとしても、治療してからしばらく痛いのなら嫌だ。
「まぁいいよ。先のことだからね。とりあえず、今日のごほうび」
「……え?」
急に温人に顔に手をかけられ、目だけで温人を見上げると、温人が俺の頬にキスをした。
「……」
「よくできました」
そう言いながら俺の頭を撫でる温人。気づけば、キスされたところに俺は手をあてていた。
「いや、これ保育園のときの……」
保育園のとき、俺のことを褒めるときに温人はいつも俺の頬や額にキスしてきた。いつの間にか、しなくなってた。だから急すぎて、頭が追い付かない。
「僕と一香とでごほうびって言ったら、これでしょ?」
こともなげに話す温人。
「……普通に、お菓子買うとか」
柔らかな温人の唇の感触に、俺はもうパニック過ぎる。
「あー、そういうのもあるね。でも虫歯の後だからよくないでしょ?」
「それは、そうかもしれないけど……」
思わず、温人から視線を外してしまう。
「一香、顔赤いよ。もしかして照れちゃった?」
人差し指で俺の頬を撫でる温人の手を、軽く払った。
「こっちが恥ずかしくなってるだけだし!しかも外でとか」
「そう?そんな気にしないでいいのに」
そう言いながら、温人は「危ないから」と俺の肩に腕をまわした。うつむいてるから、とてもじゃないけど顔を上げて、前を向いて歩けないからだろうけど。
これはこれで困る。体温が急激に上がっているのが、肩越しに温人の手に、伝えわっていないだろうか。
両手で顔を隠しながらも、ちらりと見た温人はとても楽しそうで、鼻歌まで歌っていた。俺はこんなにどうしたらいいのかわからないのに、ひどすぎる。
「なに?もっかいしようか?」
上機嫌に俺を見つめる温人が顔を近づけてくるから
「けっこうでーす!」
かわいげなく返すだけでも精一杯な俺は、温人と俺の顔の間に両手を出した。
「なんだ。残念」
俺の手の中でもごもごと言った温人は、俺の手に顔を近づけたかと思ったら、そのまま俺の掌にまたキスをした。偶然唇があたったとかじゃない。だってしっかりと俺を見ながら、顔を押しつけるように俺の掌に近づけたから。
「おまっ……、なんなの!?」
もうなんなの!?いつからこんなことしてくるようになったんだ温人は!?いや、保育園の時にも頬にキスされたりしてたけど、それとはまた違うだろ!?
心臓がもう、胸から飛び出してくるんじゃないかってくらいに鼓動を打つ。
すると温人が俺の手を引き、抱き寄せて言った。
「なんなのかは、一香が自分で考えて?もうそろそろわかるでしょ?」
俺は真上にある温人の顔を見上げながら、頭が真っ白になってしまった。
「ま、今日はいいよ。今日はって言うか、今日もって感じだけど。僕は気が長いから」
じゃあ帰るよ、と温人が俺の手を引いて前を歩く。いつも間にか俺より背も高く、大きくなった温人の背中が夕陽に照らされるのを見つめながら、俺は鼓動を静めながら家に帰った。手を離してくれていたら、落ち着けたかもしれないのに。
「大丈夫だから、僕を信じて。つーか手、握りすぎだし」
受付の前のソファに座って、こそこそと確認すると、隣に座る温人はふふっと笑った。いつもならその笑顔で俺の気持ちも和らぐけど、今日はそんなことも言ってられない。
「おい、こっちは真剣なんだよ」
「わかってるよ。でもほんとにひとりで大丈夫?僕、付いていこうか?」
温人が善意で言ってくれているのはわかっている。
「いや、いい」
さすがに断った。だって絶対に見られたくない。
虫歯の治療を受けているところなんて。
なんとなく、最近アイスを食べると歯がキーンとする気がする。という話を、おかんにぽろっと言ったのがよくなかった。
「歯医者に行きなさい!」
「……いやだ」
眼光鋭くにらまれたが、俺は小刻みに顔を横に振った。行きたくない。俺はあの歯医者のキュイーンとかギュイーンとかの音が嫌いだ。あとなんかこわい。
絶対に行きたくないとフルフルしていると、ビンポーンと玄関の呼び鈴が鳴った。
「あ、温人きたから。行ってきます!」
「あ、こら待ちなさい!」
逃げるように鞄を持って玄関の扉を開けると、門扉の外で温人が待っていた。
「おはよ、一香」
「はよ」
今日も朝から穏やかな笑みを俺に向ける温人。別に約束してるわけじゃないけど、温人は毎日俺を迎えに来る。
「あ、温人!おはよう!いい歯医者知らない?」
追いかけたきたおかんも、元気に温人に挨拶した。
「おはよう、ゆみちゃん。歯がどうかしたの?」
「あたしじゃなくて一香!絶対に虫歯なのに歯医者行かないって!」
「もういいから……」
行こう温人、と温人の袖を引っ張ったが
「わかった。じゃあ週末、僕の行ってる歯医者に連れてくよ」
「え?」
袖を引っ張る俺の手をつかんだ温人は、有無を言わせない笑みを俺に向けた。
「虫歯、放っておいたら良くないから。ちゃんと行けたら、ご褒美あげるから。ね?」
こういうときの温人は、いつもの優しさはどこに行ったんだろうと思う。絶対に逆らえない圧のある声と冷たい笑みに
「……はい」
思わず返事をしてしまった。だって、こわいんだよ~。
いつもの笑みに戻った温人に、じゃあ行こうかと言われて俺達は学校に向かった。
そうして週末、俺は温人の通っている歯医者まで来さされた(逃げようと思ってたけど、朝起きたら温人がリビングにいた)。さっきから子どもの「イヤー!」という甲高い声と、奥から微かに聞こえる気がする治療中のキュイーンという音(幻聴)にだんだん帰りたくなってきていた。けど帰れない。壁側のソファに座らされて、出入り口に行くには温人を超えないといけない。
嫌すぎる。歯医者なんて10年ぶりくらいだから、そのせいだと思う。小さい頃に虫歯を治療してこわかった記憶が、今の俺をこわがらせている。げんなりしてソファに頭をもたれかけていると、温人が手を握った。
「なにっ?」
「ん?一香が落ち着くかと思って」
小首傾げて笑いかけてくる温人。もうそうなると治療は嫌だし、温人はよくわからないしで、感情が忙しい。でもその優しさと、なんでこんなときに手をつないでくるんだっていう謎の不満で、ぎゅーっと強く温人の手を握り返した。若干、温人も痛そうにしている。
「温人君、こんにちは。今日はどうしたの?」
「今日は友達の付き添いで」
通りかかった顔見知りの歯科助手の人に、にこやかに温人が挨拶をすると、その人が俺に目を向けた。
「……っす」
それだけで、歯科助手の人の笑顔がひきつったのがわかった。
人見知りな俺は、こういうとき顔が余計強張る。どんな顔してたかはわからないけど、とりあえずにらんだように見えてないことを祈る。多分、そうじゃないんだろうけど。
「すみません、こいつ人見知りで。でも中身はいい子なんで」
そうすると温人が反対に傾けていた俺の頭を自分の肩にもたせかけた。
「そうなのね、急に話しかけてごめんなさいね。あと10分くらいで治療受けられると思うから」
10分──。良くも悪くも、大変な情報を手に入れてしまった。
そこからは気分が下がってしまい、温人の肩にだらりともたれかかっていた。
「はい、じゃあここ座って。今日はどうしたのかな?」
ジャムが似合いそうなマスコットフォルムのおじさん歯医者のマスクに、ウサギやリスのシールが貼ってあった。子どもを恐がらせないようにしているんだなとジーンとしてしまった。
「その、左の歯がアイス食べたら沁みて」
「そうかぁ。じゃあ少し見てみるから、お口開けてくれる?」
そこからしばらく「ふむふむ」と口の中を見られ、俺はただひたすら口を大きく開いて先生からの判決を天井を見上げながら待った。
「はい、いいよー。じゃあお口ゆすごうか」
いよいよ、口をゆすいだら始まるのか。さすがに覚悟を決めねば──。
口をゆすいだ俺は、気持ちを新たに背もたれにもたれかかった。
「あ、おつかれー」
受付に戻ると、温人は雑誌を読んで待っていてくれた。気のせいかもしれないが、受付からもお客さんからも温人に視線が集まっているように見えた。それがなぜだか、すごく嫌だった。
「出よ」
温人の腕をつかんで、なる早で会計をして、温人と一緒に歯医者を後にした。
「それで?どうだった?」
土手沿いの歩道を歩きながら聞いてきた温人に、俺は胸に手をあて、そっと告げた。
「運命の歯医者に、出会ってしまった」
神聖な気持ちでいっぱいだった。
「なにそれ?」
俺がじーんと感動していると、温人がきょとんとした目を俺に向けていた。
『はい、いいよー』
そう言われてから俺の緊張はピークに達していた。
けど驚くことに、そう言われた時には虫歯の治療がすでに終わっていた。
「あのおじさんはきっと、神の手を持っているに違いない。あんなに治療を受けているなんて思いもしないスピードと技術で俺の歯を治してくれるなんて、奇跡」
俺は指を組んで、空に向かって、あのおじさんを思い浮かべながら感謝の思いをはせた。
「いい歯医者だったってことね?」
「俺、これからあそこ通う」
あのおじさんに、俺は心を奪われていた。
「じゃあ次は親知らず抜くときかな?」
「親知らず……?」
きょとんとしながら温人を見上げると、温人は小さく頷いた。
「こないだ奥歯の後ろからなんか生えてきてるって言ってたでしょ?抜いたほうがいいっていうし」
なんでそんな、いつ言ったかもわからない余計な情報を覚えているんだろう。
「温人もある?親知らず」
「僕まだ親知らず知らずだもん」
なんだよそれ。思わずぶーっと頬が膨れる。
「俺も知らん」
「一香は生えてるから。さっき会計の時にパンフレットもらってたでしょ?」
そんなこと言われたって、嫌なもんは嫌だ。親知らずは抜いたら痛いみたいだから、いくらあのおじさんがスペシャルな腕前であったとしても、治療してからしばらく痛いのなら嫌だ。
「まぁいいよ。先のことだからね。とりあえず、今日のごほうび」
「……え?」
急に温人に顔に手をかけられ、目だけで温人を見上げると、温人が俺の頬にキスをした。
「……」
「よくできました」
そう言いながら俺の頭を撫でる温人。気づけば、キスされたところに俺は手をあてていた。
「いや、これ保育園のときの……」
保育園のとき、俺のことを褒めるときに温人はいつも俺の頬や額にキスしてきた。いつの間にか、しなくなってた。だから急すぎて、頭が追い付かない。
「僕と一香とでごほうびって言ったら、これでしょ?」
こともなげに話す温人。
「……普通に、お菓子買うとか」
柔らかな温人の唇の感触に、俺はもうパニック過ぎる。
「あー、そういうのもあるね。でも虫歯の後だからよくないでしょ?」
「それは、そうかもしれないけど……」
思わず、温人から視線を外してしまう。
「一香、顔赤いよ。もしかして照れちゃった?」
人差し指で俺の頬を撫でる温人の手を、軽く払った。
「こっちが恥ずかしくなってるだけだし!しかも外でとか」
「そう?そんな気にしないでいいのに」
そう言いながら、温人は「危ないから」と俺の肩に腕をまわした。うつむいてるから、とてもじゃないけど顔を上げて、前を向いて歩けないからだろうけど。
これはこれで困る。体温が急激に上がっているのが、肩越しに温人の手に、伝えわっていないだろうか。
両手で顔を隠しながらも、ちらりと見た温人はとても楽しそうで、鼻歌まで歌っていた。俺はこんなにどうしたらいいのかわからないのに、ひどすぎる。
「なに?もっかいしようか?」
上機嫌に俺を見つめる温人が顔を近づけてくるから
「けっこうでーす!」
かわいげなく返すだけでも精一杯な俺は、温人と俺の顔の間に両手を出した。
「なんだ。残念」
俺の手の中でもごもごと言った温人は、俺の手に顔を近づけたかと思ったら、そのまま俺の掌にまたキスをした。偶然唇があたったとかじゃない。だってしっかりと俺を見ながら、顔を押しつけるように俺の掌に近づけたから。
「おまっ……、なんなの!?」
もうなんなの!?いつからこんなことしてくるようになったんだ温人は!?いや、保育園の時にも頬にキスされたりしてたけど、それとはまた違うだろ!?
心臓がもう、胸から飛び出してくるんじゃないかってくらいに鼓動を打つ。
すると温人が俺の手を引き、抱き寄せて言った。
「なんなのかは、一香が自分で考えて?もうそろそろわかるでしょ?」
俺は真上にある温人の顔を見上げながら、頭が真っ白になってしまった。
「ま、今日はいいよ。今日はって言うか、今日もって感じだけど。僕は気が長いから」
じゃあ帰るよ、と温人が俺の手を引いて前を歩く。いつも間にか俺より背も高く、大きくなった温人の背中が夕陽に照らされるのを見つめながら、俺は鼓動を静めながら家に帰った。手を離してくれていたら、落ち着けたかもしれないのに。



