ヘブンリーブルー・スター【BL増補版/期間限定公開】

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 宵が好き。宵が嫌い。宵が好き。
 いや、嘘。やっぱり、嫌いはない。イラっとする瞬間はあるし、もうやめたつもりで嫉妬をすることもあるけど、それでも。
 今の俺は、血反吐を吐きながら(被害妄想のたまものだけど)、小説を書いていた俺じゃない。だから、宵の書いた小説を、そこそこフラットな気持ちで読むこともできる。
 宵が好き。
 じっと背中を見つめたまま、俺は心の中で繰り返した。めちゃくちゃ小さかったころにした覚えのある、花占いの要領で。
 ……でも、花占いって、自分でコントロールできるんだよな。
 花びらの枚数が少なければ、スタートにする言葉を選んだ時点で未来は決まる。結末が確定しかけた段階で、握りつぶして放棄することもできる。
 あるいは、もっと単純に。結論を得た際の心境で、答えはすでに自分の中にあったと知ることもできる。
 その理論で行くと、俺は「好きじゃない」で終わったとき。もやりとするんだろうな、と思う。
 だって、宵と同じ好きになりたかった気持ちは本当だ。でも、だからこそ、簡単に同じ好きと言うのは駄目な気がするんだよな。
 あーあ、という溜息を呑み込んで、ごろりと転がる。
 場所はすっかり馴染みになった、宵のマンション。
 宵はリビングの座卓でノートパソコンを叩いていて、俺はと言えば、三年生の前期の履修登録をどうしようかと考えていた。
「宵さぁ」
 あいかわらずにぎやかで、でも、昔に比べるとほんの少し静かになったタイピング音を聞きながら、呼びかける。
 返事があったらオッケーのときだし、なかったら集中してるとき。後者であっても、はい、はいで割り切ることができるので、俺は、たぶん、宵とうまくやることに向いている。
「履修科目の登録どうすんの? 簡単なやつ教えてやろうか?」
「簡単なやつはいいですけど」
 俺のほうは見ないまま、宵が言う。文字を打つ音も続いているけれど、これはオッケーのやつだ。
「日生さんがおもしろかったやつがあったら教えてください。受けれるやつだったら受けたいんで」
「単位ギリギリとは無縁そうな人生だね、マジで」
「大学は、知識を増やすために通ってるので」
「ふぅん」
 かわいいけど、かわいくねぇな。しらっとした横顔を見上げ、俺は目を細めた。もちろん、からかう目的で。
「経験は?」
 再会したばかりのころの宵が言った台詞だ。
 思い当たる節があったのか――そりゃ、宵が自分が言った言葉を忘れることはないだろうけど――、規則的だったタイピング音が止まる。
「あれは、その」
「うん」
「日生さんがいなかったから」
 バツの悪い声で言い訳を紡いだ宵が、だから、と続けた。さらりとした髪の隙間から覗く耳朶が、かすかに赤い。
「日生さんがいたら、十分です、もう」
「ふぅん」
 そういうとこ、かわいいね、本当。そう告げる代わりに、俺はにこりとした笑みを返した。タイピング音が徐々に再開する。
 きっと、頭の中にずっとなにかが流れているんだろうな。宵の横顔を見つめながら想像する。
 ……そういうとこも、かわいいとは思うんだけどな。
 何年経っても、本が売れる作家になっても、文章を書くことが好きという顔をしているところ。
 そのままでいてほしい、と。あの夜の俺が願ったもの。あーあ、という気分で、俺は立ち上がった。
「そうだ、宵。ちょっとペン借りていい?」
「いいですよ」
「どこ?」
「あっちの部屋の、机の引き出し」
「ほーい」
 大学の提出物はアプリで完結するものが多いけど、そうじゃないものもある。宵の部屋に入って、俺は机の前に立った。
 そうして、引き出しを開けた瞬間。見覚えのある冊子に、目が吸い付いた。
「これ……」
 小さくひとりごちて、手を伸ばす。
 岡崎南高等学校文芸部。そう記された紫色の冊子は、高校三年生の文化祭で発行したものだ。宵が所持しているはずのないもの。
 いや、なんであいつ持ってんの?
「ちょ、日生さん!」
 ドアが開く音と同時に響いたらしくない焦った声に、部屋の入口に視線を向ける。
「ごめん。やっぱり、待っ……」
 中途半端に途切れた宵の制止に、俺はしかたなく笑いかけた。
 なにに焦っていたのか、それで、今、なにを見たのかなんて。まったくもって明白すぎる。
「なに、これ。おまえ、持ってたの?」
「…………駄目なんですか、俺が持ってたら」
「べつに駄目だとは言わないけど」
 そんな拗ねた子どもみたいなことを言わなくても。ふつうに文化祭で販売した部誌なのだから。苦笑ひとつで、ぱらりと冊子をめくる。
 いったい何度開いたのか。宵の読み癖がついているせいで、すんなり俺のページに行き当たってしまった。
 俺が書いた、最後の小説。今はもう、書けないだろうな。そんな苦笑ひとつで、俺は言葉を継いだ。
「おまえが買いに来たって知らなかったから」
「日生さんは知らないと思います。佐畑先輩に貰ったんで」
「え」
 宵の口から飛び出した名前に、ぱっと視線を上げる。二年生だった佐畑さんの、宵を持て余していた笑顔が浮かび、俺は「マジか」と呟いた。
「マジです。……その、『読みたかったんじゃない?』って。文化祭が終わってしばらくしたころに持ってきてくれて」
 マジか。繰り返しそうになった言葉を呑み、冊子に視線を戻す。いや、でも、マジか。佐畑さん。俺の知らないところに、爆弾設置していくなよな。
 ――あ、えっと。日生くんって、蓮見くんのこと本当に好きだったんだね。
 文化祭が終わったあとの部室で聞いた、台詞。印字された文字を見つめていると、宵がふっと笑う気配がした。
「好きなんです、ずっと」
 ストレートな、現在進行形の告白。高校一年生だった宵の緊張した声じゃない、大学生になった宵の声は穏やかだった。
「日生さんのことも、日生さんの書く文章も」
「……うん」
 うつむいたまま、ぎこちなく頷く。胸が詰まって、うまく言葉にすることができなかった。ああ、もう本当になんで。
 無駄に悩んで、考えて。最終的に花占いまで持ち出して。それでも、なかなか認めることのできなかった感情を決定づける最後の一押しが、なんで宵の言う「好き」なんだろう。
 あーあ、と俺は顔を上げた。本当にどうしようもないな、と心底呆れた心地で。
「なぁ、宵」
 どうしよう、と笑いかける。
「おまえのぜんぶが欲しいんだけど」
 宵の瞳が驚いたように揺れた気がした。でも、本当だ。
 腹の立つところも、妬ましいところも、かわいいところも、俺にはない才能も。おまえをかたちづくるものすべてが欲しい。
 宵の純粋な告白とは比べるまでもない、利己的な感情だった。それなのに、宵が言う。
「一緒です、俺も」
「うん」
 びっくりするくらい真面目な宵の顔を見つめ、俺は同じ相槌を繰り返した。
「ずっと、日生さんが欲しかったから」
 ほかに言いようがなく、三度「うん」と頷く。心の片隅で、馬鹿だな、と思いながら。
 なぁ、おまえ。なんで、俺に都合良くそんなに見る目がないんだよ。