自分と同じ男を好きになるって、どんな気持ちなんだろう。
俺の中にあるなにかは、どうしたら宵と同じになるんだろう。
そんなことを、俺は考え続けている。
「洸平。あんた、また宵くんのとこに行くの?」
家を出ようとしたタイミングでかかった母さんの声に、「うん」と振り返る。
「そうだけど。サインは勘弁してよ~」
「違うわよ。そうじゃなくて、宵くんひとり暮らしなんでしょ? あんたもよく泊まらせてもらってるんだから。ほら、これ」
渡された保冷バックの重さに、俺は軽く固まった。
この重さ、何個タッパー入ってるんだろ。ちなみに、先々週。同じように押し付けられた保冷バックには、山盛りの作り置き入りタッパーが三つ入っていた。
宵も喜んでた、とか言うもんじゃねぇな。
……いや、まぁ、喜んでなかったわけじゃないと思う、けど。
あいかわらずのもそもそとした顔だったけど、「うまい?」って聞いたら、素直に頷いてたし。
「あー……、うん」
こくんと揺れた丸っこい頭を思い出し、俺はへらりとした笑みを浮かべた。
「ありがとね。宵に渡しとく」
「うん、宵くんによろしくね。それと、昔みたいに遊びにおいでって言っておいてあげて」
「はい、はい。じゃあ行ってきます」
ひらりと手を振って、家を出る。
暦の上では春に近づいていようとも、二月の風は冷たい。いつもの駅に向かいながら、俺は小さくひとりごちた。
「……また遊びに、か」
中学生だった一時期、俺はよく宵と遊んだし、宵が俺の家に来たこともあったけど。でも、その何十倍もの時間を、俺は宵の部屋で過ごしたんじゃないかな。
あのころは自転車で三十分。今は、電車で一時間。通学用の定期を使って、宵の家に行く。
後期試験も終わり、大学生活二回目の春休みも後半にさしかかったころ。宵のマンションに顔を出すことは、俺の日課になりつつあった。
でも、べつに、その、なんだ。
特別ななにかをしているわけではなく。小説を書く宵のそばで、本を読むだけの日々なんだけど。
三年分の空白を埋め直す、ちょうどいい時間なんだろうな、と思う。
「宵ー、来たよ」
合鍵で開錠して、廊下の奥の扉の向こうに声をかける。
まぁ、返事はなかったんだけど。いつものことと言えば、いつものことだ。
――集中してると気づかないことがあるんで。勝手に入ってもらったほうが助かります。
なんて。宵らしすぎる台詞と一緒に合鍵を押し付けられたのが、一ヶ月ほど前のこと。最初は躊躇があったけど、はっきり言って大正解。だって、あいつ、本当に気づかないんだもん。
なんていうか、宵だよな。
リビングに続くドアを開けて、「宵」と声をかける。最近の宵は、自室の机でなく、ここの座卓でパソコンを開いていることが多いのだ。
小さなころから変わらない、眉間にしわの寄った真剣な横顔。目に留まった表情に、俺はふっと目元をゆるめた。
あーあ、という気持ちで、もう一度呼びかける。あいかわらずの過集中。でも、べつに、俺はこれも嫌いではなかったんだよな。
「宵」
「あ……、来てたんだ」
タイピング音が止まり、ようやく宵の顔が上がる。
「うん、今ね」
歓迎しているのか、いないのか。微妙なラインの言い方だったものの、他意がないことは知っている。あっさりと頷き、俺はコートを脱いだ。
「あと、ごめん。またうちの親が『持ってけ』って惣菜くれてさー。冷蔵庫入れていい?」
「うん」
聞いてねぇな、みたいな返事と同時に、タイピング音が再開する。
なんか、本当に宵だよな。しょうがないなという苦笑ひとつで、惣菜と、途中で買った飲み物やらなにやらを入れる。
これも、完全に俺の自己満なんだけど。なんというか、人間らしい冷蔵庫になったよなぁ、と思う。
――遊びならいいけどさぁ。あれと付き合うのは無理だよ。連絡も急にまったくこなくなったりするし、そもそも人間っぽくないし。
後期試験が終わったあとの飲み会で、咲菜ちゃんはさんざんに宵を評していたけれど。わからなくはない。
あいつとうまくやるには忍耐がいるし、培った対宵専用の経験則がいる。あとは、適度な図太さ。
宵の近くにコーヒーのペットボトルを置いてやって、「本、読んでいい?」と声をかける。
ずっしりとした本棚の前に移動し、俺は背表紙を眺めた。
大昔、俺が子どもだったころ。宵の部屋でやることは小説を書く一択だったけど、今の俺は違う。
……今日はこれかな。
少し前に話題になったミステリー。目についた一冊を抜き取り、俺は宵の近くに腰を下ろした。
いつだったか、宵は、俺が好きな本は間違いない、みたいなことを言ったけど。俺も同じで、宵の本棚に並ぶタイトルを信用している。
商業的に成功している・していないという意味じゃなく、もっと単純に好みの話。つまり、俺と宵の趣味が似ているということなんだけど。
文字を打つ宵の音を耳に読み進めていると、宵が口を開いた。
「おもしろい?」
「うん」
静かな――でも、ちょっとそわそわとした雰囲気の声。自分のおすすめを俺が気に入るかどうか気にしていた幼いころと同じ調子。
ページをめくり、俺は言い足した。
「一時期さぁ、あんまり、俺、本読んでなかったんだけど」
「……うん」
「やっぱりおもしろいな」
「うん」
頷いた宵の横顔、唇がかすかにゆるむ。
本当にしょうがねぇな、なんて。胸中で呟き、宵の肩に頭を預ける。ちらりと宵の視線が動き、でも、宵はなにも言わなかった。
パソコンに向き直った横顔を、そっと窺う。
基本、こうなんだよな、と思う。呆れ半分の気持ちで。宵は、俺がなにをしても受け入れる。
それが宵の「好き」なのだろうか。
「……なぁ」
「はい?」
「あー……、いや。えっと、いまさらだけど、なんでひとり暮らししてんのかなって。実家からも通えるだろ。俺も通いだし」
「通えますけど」
適当に選んだ質問に、宵がゆるく首を傾げる。
「通学時間がもったいないじゃないですか」
「ああ、そういう」
通学する時間を、執筆の時間に充てたいということ。宵らしい答えに、俺は小さな笑い声を立てた。実家の居心地が最悪すぎる、というような理由ではなかったらしい。
……まぁ、でも、喧嘩もしないか。宵の家は。
良い言い方をすれば、理知的。悪い言い方をすれば、感情むき出しの喧嘩をしたり、反抗期になることができるほどの愛着関係が育っていない。
勝手な分析をしていると、宵がぽつりと呟いた。
「でも、俺、日生さんの家は好きです。実家よりずっとほっとする」
「なにが『でも』」
「そういうことが聞きたかったのかなって」
応じた宵の視線が、再び俺のほうに動く。瞬きの聞こえそうな距離で目が合い、俺は静かに息を呑んだ。
その俺に、宵が問い重ねる。
「違いました?」
「あー……」
曖昧に呟き、俺は前髪を掻きやった。宵の瞳から視線を外した仕草が、自然に映るように。
「そうだな、うん。違わない」
まぁ、もうひとつ。ほかに聞こうと思ったことを誤魔化した上での問いかけではあったんだけど。明かす代わりに、俺は笑った。
「宵が来たいんだったら」
「はい」
「いつでも来たらいいよ。うちの母さんもそう言ってたし」
「うん」
衒いのない調子に、ふっと苦笑してページをめくる。本当に、なんでこういうとこばかりかわいいんだろうな。
俺の中にあるなにかは、どうしたら宵と同じになるんだろう。
そんなことを、俺は考え続けている。
「洸平。あんた、また宵くんのとこに行くの?」
家を出ようとしたタイミングでかかった母さんの声に、「うん」と振り返る。
「そうだけど。サインは勘弁してよ~」
「違うわよ。そうじゃなくて、宵くんひとり暮らしなんでしょ? あんたもよく泊まらせてもらってるんだから。ほら、これ」
渡された保冷バックの重さに、俺は軽く固まった。
この重さ、何個タッパー入ってるんだろ。ちなみに、先々週。同じように押し付けられた保冷バックには、山盛りの作り置き入りタッパーが三つ入っていた。
宵も喜んでた、とか言うもんじゃねぇな。
……いや、まぁ、喜んでなかったわけじゃないと思う、けど。
あいかわらずのもそもそとした顔だったけど、「うまい?」って聞いたら、素直に頷いてたし。
「あー……、うん」
こくんと揺れた丸っこい頭を思い出し、俺はへらりとした笑みを浮かべた。
「ありがとね。宵に渡しとく」
「うん、宵くんによろしくね。それと、昔みたいに遊びにおいでって言っておいてあげて」
「はい、はい。じゃあ行ってきます」
ひらりと手を振って、家を出る。
暦の上では春に近づいていようとも、二月の風は冷たい。いつもの駅に向かいながら、俺は小さくひとりごちた。
「……また遊びに、か」
中学生だった一時期、俺はよく宵と遊んだし、宵が俺の家に来たこともあったけど。でも、その何十倍もの時間を、俺は宵の部屋で過ごしたんじゃないかな。
あのころは自転車で三十分。今は、電車で一時間。通学用の定期を使って、宵の家に行く。
後期試験も終わり、大学生活二回目の春休みも後半にさしかかったころ。宵のマンションに顔を出すことは、俺の日課になりつつあった。
でも、べつに、その、なんだ。
特別ななにかをしているわけではなく。小説を書く宵のそばで、本を読むだけの日々なんだけど。
三年分の空白を埋め直す、ちょうどいい時間なんだろうな、と思う。
「宵ー、来たよ」
合鍵で開錠して、廊下の奥の扉の向こうに声をかける。
まぁ、返事はなかったんだけど。いつものことと言えば、いつものことだ。
――集中してると気づかないことがあるんで。勝手に入ってもらったほうが助かります。
なんて。宵らしすぎる台詞と一緒に合鍵を押し付けられたのが、一ヶ月ほど前のこと。最初は躊躇があったけど、はっきり言って大正解。だって、あいつ、本当に気づかないんだもん。
なんていうか、宵だよな。
リビングに続くドアを開けて、「宵」と声をかける。最近の宵は、自室の机でなく、ここの座卓でパソコンを開いていることが多いのだ。
小さなころから変わらない、眉間にしわの寄った真剣な横顔。目に留まった表情に、俺はふっと目元をゆるめた。
あーあ、という気持ちで、もう一度呼びかける。あいかわらずの過集中。でも、べつに、俺はこれも嫌いではなかったんだよな。
「宵」
「あ……、来てたんだ」
タイピング音が止まり、ようやく宵の顔が上がる。
「うん、今ね」
歓迎しているのか、いないのか。微妙なラインの言い方だったものの、他意がないことは知っている。あっさりと頷き、俺はコートを脱いだ。
「あと、ごめん。またうちの親が『持ってけ』って惣菜くれてさー。冷蔵庫入れていい?」
「うん」
聞いてねぇな、みたいな返事と同時に、タイピング音が再開する。
なんか、本当に宵だよな。しょうがないなという苦笑ひとつで、惣菜と、途中で買った飲み物やらなにやらを入れる。
これも、完全に俺の自己満なんだけど。なんというか、人間らしい冷蔵庫になったよなぁ、と思う。
――遊びならいいけどさぁ。あれと付き合うのは無理だよ。連絡も急にまったくこなくなったりするし、そもそも人間っぽくないし。
後期試験が終わったあとの飲み会で、咲菜ちゃんはさんざんに宵を評していたけれど。わからなくはない。
あいつとうまくやるには忍耐がいるし、培った対宵専用の経験則がいる。あとは、適度な図太さ。
宵の近くにコーヒーのペットボトルを置いてやって、「本、読んでいい?」と声をかける。
ずっしりとした本棚の前に移動し、俺は背表紙を眺めた。
大昔、俺が子どもだったころ。宵の部屋でやることは小説を書く一択だったけど、今の俺は違う。
……今日はこれかな。
少し前に話題になったミステリー。目についた一冊を抜き取り、俺は宵の近くに腰を下ろした。
いつだったか、宵は、俺が好きな本は間違いない、みたいなことを言ったけど。俺も同じで、宵の本棚に並ぶタイトルを信用している。
商業的に成功している・していないという意味じゃなく、もっと単純に好みの話。つまり、俺と宵の趣味が似ているということなんだけど。
文字を打つ宵の音を耳に読み進めていると、宵が口を開いた。
「おもしろい?」
「うん」
静かな――でも、ちょっとそわそわとした雰囲気の声。自分のおすすめを俺が気に入るかどうか気にしていた幼いころと同じ調子。
ページをめくり、俺は言い足した。
「一時期さぁ、あんまり、俺、本読んでなかったんだけど」
「……うん」
「やっぱりおもしろいな」
「うん」
頷いた宵の横顔、唇がかすかにゆるむ。
本当にしょうがねぇな、なんて。胸中で呟き、宵の肩に頭を預ける。ちらりと宵の視線が動き、でも、宵はなにも言わなかった。
パソコンに向き直った横顔を、そっと窺う。
基本、こうなんだよな、と思う。呆れ半分の気持ちで。宵は、俺がなにをしても受け入れる。
それが宵の「好き」なのだろうか。
「……なぁ」
「はい?」
「あー……、いや。えっと、いまさらだけど、なんでひとり暮らししてんのかなって。実家からも通えるだろ。俺も通いだし」
「通えますけど」
適当に選んだ質問に、宵がゆるく首を傾げる。
「通学時間がもったいないじゃないですか」
「ああ、そういう」
通学する時間を、執筆の時間に充てたいということ。宵らしい答えに、俺は小さな笑い声を立てた。実家の居心地が最悪すぎる、というような理由ではなかったらしい。
……まぁ、でも、喧嘩もしないか。宵の家は。
良い言い方をすれば、理知的。悪い言い方をすれば、感情むき出しの喧嘩をしたり、反抗期になることができるほどの愛着関係が育っていない。
勝手な分析をしていると、宵がぽつりと呟いた。
「でも、俺、日生さんの家は好きです。実家よりずっとほっとする」
「なにが『でも』」
「そういうことが聞きたかったのかなって」
応じた宵の視線が、再び俺のほうに動く。瞬きの聞こえそうな距離で目が合い、俺は静かに息を呑んだ。
その俺に、宵が問い重ねる。
「違いました?」
「あー……」
曖昧に呟き、俺は前髪を掻きやった。宵の瞳から視線を外した仕草が、自然に映るように。
「そうだな、うん。違わない」
まぁ、もうひとつ。ほかに聞こうと思ったことを誤魔化した上での問いかけではあったんだけど。明かす代わりに、俺は笑った。
「宵が来たいんだったら」
「はい」
「いつでも来たらいいよ。うちの母さんもそう言ってたし」
「うん」
衒いのない調子に、ふっと苦笑してページをめくる。本当に、なんでこういうとこばかりかわいいんだろうな。



