ヘブンリーブルー・スター【BL増補版/期間限定公開】

 夏休みが終わって、後期の授業が始まると、構内は一気に秋の気配が強くなる。
 少しずつ風の心地が良くなった、十月半ば。翌月に控えた学祭の準備に、みんなが勤しみ始めたころ。
 俺はと言えば、宵を見かけるたびに声をかける日々を送っていた。

「あ、宵じゃん」
 四限目の授業への移動中。遠目に見えた姿に、俺はひらりと手を振った。
 俺の声に、少し遠くを歩いていた宵の視線が動く。でも、それだけ。あっさりと宵の視線は外れ、人混みを歩き去っていく。
 いや、かわいくねぇな。中途半端な笑顔で固まった俺の肩を、一緒にいた長谷がぽむと叩いた。
「また振られてるけど。洸平、今月これで何回目?」
「またじゃねぇし。最近は三割くらいになってるよ」
「三割って、振られる確率が?」
「そうだけど?」
 長谷に言い返し、軽く唇を尖らせる。
 そう。宵を見かけるたびに声をかける日々を送ること、四ヶ月(まぁ、あいだに夏休みが挟まってるんだけど)。
 はじめのころは「うぜぇです」みたいな顔ばかりだった宵も、最近は俺の雑談に付き合ってくれる回数も増えていたんだけど――。
 さっき見た宵の顔を思い返し、俺は、うーん、と首をひねった。
「なんか、あいつ体調悪かった?」
「え~……」
 宵が立ち去った方向に視線を飛ばした長谷が、俺と同じように首をひねる。
「いつものクールな顔にしか見えなかったけどな」
「いや、それは、まぁ、あいつわかりくいし。長谷がそう思うのはしょうがないんだけど」
「なに、そのマウント」
「いや、マウントっていうか……」
 事実っていうか、ちょっと気になったというか。……わかってますよ、という顔をしたいわけではないというか。
 もごもごと呟いた俺を一瞥すると、長谷は生温かい顔で頷いた。
「そっか、そっか。愛だねぇ」
 いや、べつに、愛とかじゃねぇし。

 ※

 そうだ。俺が宵に対して抱いている感情は、愛なんて仰々しいものじゃない。強いて言うなら、情。ついで、最悪な罪悪感。
 それで、ほら。どこに住んでるとかはいっさい知らないわけだけど、ひとり暮らし中らしいし。生活能力があるとも思えないし。だから、なんだ。
 心配のひとつくらいしても、べつに許されるだろ。

 ……でも、俺、あいつの今の連絡先とか、なにも知らないんだよな。
 なに、そのマウント、と。長谷に評された日から数日後。俺はうんうんと悩みながら、構内をひとりで歩いていた。
 ちなみに、長谷は莉愛ちゃんとデートの真っ最中だ。夏休みにようやくくっついて、今日が二ヶ月記念らしい。これぞ愛だよ。
「…………」
 宵にもちゃんとした彼女がいたら、よけいな心配をしなくてもすんだのかな。
 あーあ、と溜息を吐いたところで、俺は「あ」と呟いた。
「咲菜ちゃんじゃん」
「あ、洸平くん。なんかひさしぶりだねー。もう帰り?」
 にこりと笑った咲菜ちゃんの隣に、宵の姿はない。まぁ、べつに、いつも一緒にいるわけじゃないけど。
「うん、もう終わり。咲菜ちゃんも?」
「あたし、四限あるんだよねー。代弁無理なやつでさー」
「あ、そうなんだ。おつかれ」
「ねー。今度、飲みに行こうねー」
「あ、……あのさぁ」
 立ち止まった咲菜ちゃんが、微妙に不審そうな顔で俺を見る。
「いや、その、えーと。咲菜ちゃんって、あいつと連絡取ったりしてる? 宵。元気?」
「ああ、宵くん?」
 へらりと笑った俺に、咲菜ちゃんはスマホに視線を落とした。長い爪で器用にスクロールしながら言う。
「そういえば、風邪とか言ってたかなー。ドタキャンされたんだよねー、昨日。あ、うん。やっぱり風邪だって」
「風邪」
「ねー、あの子も人間だね」
「人間て」
 いや、そりゃ、人間だわ。あいつも一応。と指摘する代わりに、俺はへらりと笑った。
 あいつに人間っぽくない箇所があることは同意するけど。
「っていうか、じゃあ、咲菜ちゃん。お見舞いとか行ったりした?」
「なんで。っていうか、あの子、ぜんぜん家に入れてくれないし。ま、べつにお互いキープしてるだけだからいいんだけどねー」
 あっさり笑った咲菜ちゃんが、「じゃ、行くねー」と踵を返した。きれいにセットされた髪が、人混みに揺れる。
 細い背中を見送り、俺は、あーあ、と髪を掻きやった。そうしてから、スマホを取り出す。
 ……本当に見る目ないよな、あいつ。
 宵の今の連絡先を知らないと言ったのは、半分は本当だけど、もう半分は本当じゃない。
 高校生の宵が使っていたIDは、そのままアプリに残っている。でも、それだけで。すでにブロックされているんじゃないかな、とそういうこと。
 三年前で止まっているトーク画面を凝視すること、数秒。俺は通話のマークをタップした。勢いだったけど、繋がらなかったら、それはそれで諦めがつく。そう思ってたんだけど――。
「はい」
「え、……あ、宵?」
 思っていた以上に早く届いた宵の声に、心臓が鳴る。どうにか呼びかけたものの、返事はない。俺は慌てて言葉を継いだ。
「あの、えーと、大丈夫? 風邪って聞いたけど」
「…………間違えました」
「いや、なに。間違えましたって」
 痛恨と言わんばかりの返答を、へらりと笑う。でも、これ、ガチで調子悪いってことなんだろうな。俺はそう判断した。
 だって、そうでもなければ、『間違えない』だろう。
「あのさ」
 いつもどおりの軽薄さを装って、宵に提案する。
「調子悪いときくらい、頼れよな。居座ったりしないから」
「…………」
「なんか欲しいものない? ないなら、適当にポカリとか買ってくけど。住所どこ?」
 尋ねると、またすこし間があった。
 宵は、自分のテリトリーに他人が入ることを極端に嫌がる節がある。そういう意味では、咲菜ちゃんが「家に入れてくれない」と言ったとき。ああ、宵だなって安心した。
 じゃあ、今の俺は? 判決を待つ気分でいると、宵がぽつりと呟いた。
「飲み物がいい。……住所送ります」
 ほとんど同時に通話が切れ、ぽんと住所のURLが届く。マップを開くと、大学から歩いて十分もかからないところだった。
 ……っていうか、あいつ、ブロックしてなかったんだな。
 でも、そっか。正門に向かって歩きつつ、俺は心の中で呟いた。
 宵が俺をブロックしていなかったというのなら。もっと早く連絡をしてやればよかったのかもしれない。
 今回の一件に限った話じゃなくて、もっと、ずっと前に。
 宵のマンションまでの通り道にあったドラッグストアで物資を購入し、外に出る。
 心地の良い風を感じながら、そういえば、と俺は昔を思い出した。
 宵がまだ小学生か、中学生になったばかりで、不登校だったころ。風邪を引いた宵の家に、ポカリを届けに行ったことがあった。
 宵は「お見舞い」と言った俺に驚いた顔をして。でも、うれしそうに笑ったんだ。
 ――うちの親は、よっぽどの熱じゃないと休んでくれないんで。ちょっと新鮮です。風邪を引いたときに、誰かが隣にいてくれるの。
 いや、べつに。だから、同情して、宵に優しくした、とかじゃないけど。
 心の中で言い、俺はマンションのインターホンを鳴らした。