……そりゃ、あいつがいたら、大変だったとは思うけどさ。
でも、少なくとも、西さんは喜んだだろうし、一年生の刺激にもなったんじゃないかな、と思う。
自信のあった上級生にはプライドに障る存在でも、下級生にとっては純粋な憧れになる、みたいな。まぁ、俺のストレスは桁違いだっただろうけど。
文化祭が終わった夜の、自室で。俺は勉強机に向かい、ぱらぱらと部誌をめくっていた。
その指が、自分の書いた短編小説で止まる。読むともなしに眺めたまま、俺はぽつりとひとりごちた。
「……来なかったな、宵」
――日生くん、去年「時間がない」って言って、書評に逃げたでしょ。今年は部長なんだし、ちゃんと書いたほうがいいと思うけど?
という佐畑さんのお説教に負けたわけではないけれど。俺はこの秋、ひさしぶりに小説を書いた。
きちんとエンドマークを打ったのは、たぶん、二年ぶり。高校一年生のときに部誌に寄稿した短編以来だった。
あのときは、中学生の宵が買いに来てくれたんだよな。わざわざ高校まで、ひとりで。読むの、楽しみです、と笑った、きらきらとした幼い笑顔。
頭に過った懐かしい記憶を封印し、俺は、あーあ、と小さく呟いた。部誌を閉じて、机の一番下の引き出しに放り込む。
もう、やめようと思った。このときはじめて、明確に。
宵の才能を知って、じわじわと苦しいだけのものに成り果てていた、創作からの解放。
「あーあ」
もう一度言葉にして、俺は視界を覆う前髪をうしろに掻きやった。
うん、やめだ、やめ。でっけー大学でも行って、人生やりなおそ。自分に言い聞かせ、机の棚から参考書を取り出す。
そう。小説家なんて、なりたくてなることのできる職業じゃないんだし。それだったら、デカい大学に入って、そこそこ良い企業に就職して、プライベートを充実させたほうがいいに決まっている。
要領が良くて世渡り上手、としか褒められない俺にとっては、間違いのない最適解。
……よかったじゃん。修正可能なうちに目が覚めて。
もっとヤバい年になってから、目が覚めなくて。静かに息を吐いて、参考書を開いて、ペンを握る。
――日生さんが好きだから。
緊張していた、宵の声。一年前のあの日。自分の中の屈託に負けず、いつもどおりへらりと笑っていたら。あるいは、断るにせよ、ちゃんと宵の本気を受け取っていたら。
今日も、宵は、俺と同じ空間にいたのかもしれない。
林先輩がいなくなって、佐畑さんの遠慮がちょっとなくなって。素直な後輩が入って、少し和やかになった文芸部の部室に。
「…………」
まったく集中できていない自分に呆れ、シャーペンの頭でこんと額を叩く。高校受験のときの記憶が、いまだに残っているせいなのか。耳の奥では、聞こえるはずのないタイプ音が響いていた。
やかましくて、軽快で、楽しそうだった宵だけの音。
幻聴を打ち払うように頭を振り、ペンを握り直す。
受験勉強をがんばろう、と思った。受験勉強をがんばって、ちゃんと大学に行って、就職して。
そうやって、自分にできるあたりまえを積み重ねていけば。いつか、きっと、ぜんぶ忘れる。
罪悪感も、焦燥感も、小説の書き方も、宵の笑顔も。なにもかもを。そうしたら、俺はもっと楽になることができるのだろうか。
その答えを、あの日から二年と半年が経って。あの日の目標どおり、でっけー大学に入った今も、俺は見つけることができずにいる。
でも、少なくとも、西さんは喜んだだろうし、一年生の刺激にもなったんじゃないかな、と思う。
自信のあった上級生にはプライドに障る存在でも、下級生にとっては純粋な憧れになる、みたいな。まぁ、俺のストレスは桁違いだっただろうけど。
文化祭が終わった夜の、自室で。俺は勉強机に向かい、ぱらぱらと部誌をめくっていた。
その指が、自分の書いた短編小説で止まる。読むともなしに眺めたまま、俺はぽつりとひとりごちた。
「……来なかったな、宵」
――日生くん、去年「時間がない」って言って、書評に逃げたでしょ。今年は部長なんだし、ちゃんと書いたほうがいいと思うけど?
という佐畑さんのお説教に負けたわけではないけれど。俺はこの秋、ひさしぶりに小説を書いた。
きちんとエンドマークを打ったのは、たぶん、二年ぶり。高校一年生のときに部誌に寄稿した短編以来だった。
あのときは、中学生の宵が買いに来てくれたんだよな。わざわざ高校まで、ひとりで。読むの、楽しみです、と笑った、きらきらとした幼い笑顔。
頭に過った懐かしい記憶を封印し、俺は、あーあ、と小さく呟いた。部誌を閉じて、机の一番下の引き出しに放り込む。
もう、やめようと思った。このときはじめて、明確に。
宵の才能を知って、じわじわと苦しいだけのものに成り果てていた、創作からの解放。
「あーあ」
もう一度言葉にして、俺は視界を覆う前髪をうしろに掻きやった。
うん、やめだ、やめ。でっけー大学でも行って、人生やりなおそ。自分に言い聞かせ、机の棚から参考書を取り出す。
そう。小説家なんて、なりたくてなることのできる職業じゃないんだし。それだったら、デカい大学に入って、そこそこ良い企業に就職して、プライベートを充実させたほうがいいに決まっている。
要領が良くて世渡り上手、としか褒められない俺にとっては、間違いのない最適解。
……よかったじゃん。修正可能なうちに目が覚めて。
もっとヤバい年になってから、目が覚めなくて。静かに息を吐いて、参考書を開いて、ペンを握る。
――日生さんが好きだから。
緊張していた、宵の声。一年前のあの日。自分の中の屈託に負けず、いつもどおりへらりと笑っていたら。あるいは、断るにせよ、ちゃんと宵の本気を受け取っていたら。
今日も、宵は、俺と同じ空間にいたのかもしれない。
林先輩がいなくなって、佐畑さんの遠慮がちょっとなくなって。素直な後輩が入って、少し和やかになった文芸部の部室に。
「…………」
まったく集中できていない自分に呆れ、シャーペンの頭でこんと額を叩く。高校受験のときの記憶が、いまだに残っているせいなのか。耳の奥では、聞こえるはずのないタイプ音が響いていた。
やかましくて、軽快で、楽しそうだった宵だけの音。
幻聴を打ち払うように頭を振り、ペンを握り直す。
受験勉強をがんばろう、と思った。受験勉強をがんばって、ちゃんと大学に行って、就職して。
そうやって、自分にできるあたりまえを積み重ねていけば。いつか、きっと、ぜんぶ忘れる。
罪悪感も、焦燥感も、小説の書き方も、宵の笑顔も。なにもかもを。そうしたら、俺はもっと楽になることができるのだろうか。
その答えを、あの日から二年と半年が経って。あの日の目標どおり、でっけー大学に入った今も、俺は見つけることができずにいる。



