※ ※ ※
「くっそ!!」
一向に見つかる気配の無い〝桜の花〟に葵は少々焦りを覚えていた。午前中はあっという間にすぎ、窓から差す光がオレンジ色を帯び始めていることで、もう時間は夕方近いことが分かった。
睡眠不足のせいかもしれないが、葵はとうとう切れた。
「絶対に突き止めてやる!!」
そう言いながら家中の物置という物置、押入れという押入れの中をくまなく探し回ったが、〝桜の花〟に関係するようなものは僅かだった。
見つけられたのは、桜の描かれた数枚の食器と、ポストカード、それにアルバムの写真だった。
「もしかして、卒業アルバムの写真とか……か?」
桜の花が写った写真など山ほどある。どれがモノノケの求める代物なのかまったくもって見当がつかなかった。
「だいたい、これらにどんな約束があるってんだよ……」
頭を掻き毟りながら葵は必死に考えた。
モノノケの言う夜がいつからなのかは分からないが、日が沈む前には見つけなければならないだろう。日没まであと1時間。それまでに見つけられなければならないと思うと余計に焦りが募った。
「落ち着け、もう一度考えよう」
自分を励ますつもりで言い、葵は大きく深呼吸をした。
まず、桜の花は間違いないだろう。
そして、それはモノノケたちが花見ができるようなもののはずだ。
ということは、それなりの大きさを持っていると考えられる。
ならば、現在葵の前に並べられた〝桜の花〟に関するものはすべてモノノケの求める物とは異なってしまう。
一方で、〝かの人〟は透哉と何かを約束したのだ。〝かの人〟がいなくなってから〝桜の花〟を見れなくなったようだったから、〝かの人〟は透哉に〝桜の花〟を出すように言っていたはずだ。
「出す……どこから何を出すんだ?」
もう、家中のものを引っ張り出している。だが、モノノケの反応は何も無い。
その時だった。またあのモノノケが姿を現したのだった。
昨日と同じ、三白眼に緑の顔をしたモノノケは、山伏の格好でひょこひょこと歩きながら、鼻歌まじりに外に出て行く。
——さてさて、そろそろ夕刻じゃ
——松尾大社へ参ろうぞ
「ちょっと待て!!」
今度こそ逃がさないぞとばかりに葵がモノノケ達に声をかけると、モノノケは驚き顔でこちらを見つめた。
——またじゃ!!
——こいつ、我等が見えるぞ
驚くモノノケに反応することなく、葵は彼らに詰め寄って尋ねた。
「お前たちは何が欲しいんだ?」
——桜の花じゃ
——かの人の縁者よ。もう一人の縁者は忘れてしまっておるが、お主は知っているか?
「何をだよ? 約束のことなら詳しくは分からない」
何の都なのかさっぱり分からないし、モノノケもまた肝心なことを言わない。
葵は渋い顔でそう答えると、モノノケは深く頷いた。
——そうであろう
——あと、もうじき。黄昏時が終わり、夜の帳が下りる頃、我等は松尾大社へ祈願に行くぞ
——祈願に行くぞ
「もう少しだ! もう少し詳しく教えてくれたらお前らの欲しがっているものを出してやる!」
葵はモノノケ達に言ったが、モノノケ達は聞く耳を持たないらしく、そのまま小躍りしてどこかに消えようとした。
「おいこら! 逃げるな!」
葵が、モノノケを追おうとした矢先、居間のほうからリンリンと電話が鳴る音が聞こえた。
電話を無視してモノノケを追いかけようかとも考えたが、透哉の留守を預かる身である以上、この家にかかってきた電話を無視することはできなかった。
内心舌打ちしながら急いで電話を取ると、それは意外な人物からの電話だった。
「と、父さん……」
『葵か?』
「あぁ」
一気にテンションが下がる。
父親からの電話ならば無理にとることもなかったのに。
父親の声はいつもと同じ感情がない、ぼそぼそとしたものであった。正直、あまり好んで聞きたい声ではない。
「……叔父さんなら今いないよ」
葵は早く電話が切りたくて冷たく言い放った。しかし、親父の返答は葵の予想外の内容だった。
『いや、お前に用事があって電話した』
「……何?」
『変わりはないか?』
研究一筋に生きてきて、家族のことなど省みない父親が、突然息子を気遣う言葉を言ったことに、葵は衝撃を受けた。
この間押しかけて来た時でさえ、「元気だったか?」の一言もなく、一方的に家に連れて帰ろうとし、葵の気持ちを聞こうとすることも無かったのに。
父親の突然の言葉に、葵は一瞬口を噤んでから小さく答えた。
「うん……」
これ以上何と言っていいか分からなかった。
お互いしばし電話口で無言だった。
何をどう話せばいいのか、お互いが戸惑っている、そんな感じだった。
ふと、父親が思いついたように話題を振ってきた。
『そっちは……もう桜が咲いているのか?』
「は……? あ、うん」
突然変わった話題について行けず、葵は戸惑いつつそう答えた。
『そうか……』
「そっちは?」
『まだ蕾だと思うが。しばらく外に出ていないから分からないな』
「相変わらずだね」
『……桜といえば、今年はもう屏風を出したのか?』
突然のことで父親が何を言っているか、葵は理解できず間の抜けた返事をした。
「は? 屏風?」
『お前の母さんが好きだった屏風だ。桜の花に……確か亀の絵が描かれている屏風だ。あいつは春になるとそれを好んで飾っていた。丁度……そう今くらいの時期だ。桜が満開を迎える頃に』
この父親の一言で、すべての点が繋がったと葵は思った。
興奮でどうしていいか分からず、葵は父親に何か言って慌ただしく電話を切った。
何を言ったかよく覚えていない。「ありがとう」なんて、柄にも無いことを言ったような気がする。
とにかくこれで全ての謎は解けた。後はその屏風を探すだけだ。
※ ※
もう一度部屋中に並べたものを確認するが、屏風は見つからなかった。
屏風なんて大きなものを見落とすはずは無いと思いつつ、何度も何度も確認する。
「どうしてないんだ!!」
絶対の確信を持ったのに、肝心の屏風がどこにも見つからない。葵は焦りで震える声で叫ぶように言った。
「おやおや。こんなに引っ張り出して、葵君も骨董が好きになったかい?」
振り返ると仕事を終えた透哉が、電気をつけるところであった。
時計を見ると、もう間もなく日没という時刻だ。
葵は藁にも縋る思いで透哉に迫り、懇願するように言った。
「叔父さん、覚えている? 桜の花の描かれた屏風を! 母さんが好きだった屏風だよ!!」
「姉さんの好きだった……あ!!」
透哉は始め訝しげな表情をしたが、何かを思い出して雷に打たれたように走り出した。
葵も透哉の後に続いて走った。
この家の敷地はこんなに広かったのだと思うくらい全力疾走で結構な距離を走ると、葵と透哉が辿り着いたのは、敷地の奥にある小さな蔵だった。
透哉は手際よく蔵の鍵を開ける。ぎいという重い音とともに、扉が開き、中からは埃くさい饐えた匂いがする。
葵にとっては暗闇の蔵の中は得体の知れない空間で、一歩足を踏み出すこともできない状態だった。
だが透哉はそのまま無言で蔵に入ると、まるで導かれるかのように最奥へと進む。そして、大きな何かを抱えて戻ってきた。
「葵君、これだよ!!」
息を切らして戻ってきた透哉が抱えてきたのは大きな屏風だった。
もう、まもなく日が沈む。その寸前に葵はその屏風を受け取るとそのまま庭に広げた。
瞬間突風が吹く。
その風とともに黒いものが屏風に向かって行き、そして消えた。
同時に庭に大きな歓喜の声が響く。
——あな、嬉しや!
——20年ぶりの花ぞ!!
——久方振りの花見じゃ!
——あな嬉しや!
——あな嬉しや!
「い、今……なんか黒いものが屏風に吸い込まれたように見えたんだけど……」
新調したばかりの眼鏡を取り、目をこすりつつ透哉は言った。そんな透哉に葵は少し悪戯っぽい笑みで答えた。
「そうですね。きっとこの桜を待ちわびていたもの達ですよ」
視線を戻すと屏風には見事な桜が描かれていた。
淡くて儚くて、今が盛りの満開の桜。
その屏風の端には2匹の亀が仲良く桜を見ようと首を伸ばしている。
確かに屏風が畳まれた状態では、左端に描かれている亀達からは右端に描かれた桜が見えないのだろう。
「すっかり忘れていた」
屏風を見つめながら、透哉がポツリと呟くように言った。
「この屏風、姉さんが好きだったんだ。春になるといつもこうして飾っていた。丁度、桜が咲く時期にあわせてね。……約束も、思い出したよ」
「どんな約束だったんですか?」
「年に一度、春にはこの屏風を必ず出すってことだよ。出さないと亀達が悲しがって化けて出るわよと言っていたなぁ」
「母さんが……そんなことを?」
驚く葵に対し、透哉は懐かしそうに屏風を見ながら話を続けた。
屏風に向けられた眼差しは、亡くした姉の面影を思い出しているようにも見えた。
「あぁ。姉さんはよく不思議なものを見る人だった。僕にはそういう力はないからよく分からないけど、物や植物の気持ちが分かるっていうか、精霊とか見えたみたいだったよ。よく、そういう話を聞いたなぁ。僕がまだ小さい頃だったから、そういうものが見れる姉さんがとても羨ましかった」
その話を聞いて、自分の能力に納得がいった。突然変異だと思っていたモノノケを見る力は母譲りのものだったのか。
ふと、母はどんな思いでこの家で過ごしていたのだろうと思った。
確かにこの家には骨董品も多く、さまざまなモノノケの存在を感じる。
——あな、嬉しや!
こんなモノノケの姿を見て、母は嬉しかったのかもしれない。
だから毎年出し続けていた桜の屏風。その屏風絵の桜の花は、葵になぜか優しい母を思い出させた。
だからだろうか。屏風の桜を見ていると不思議と心が落ち着き、今までの不安が嘘のように消えていた。
「その様子だと、葵君にもそういったモノが見えるみたいだね」
「葵君、君もそういう能力があるんだよね?」
確信を持って言われる言葉に、葵は否定が出来ずに小さく頷いた。
「……はい」
「そっか」
透哉は納得した様子で頷くと、更に言葉を続けた。
「姉さんが君のお父さんと結婚したのも、その力のお陰だって姉さんが言ってたよ」
「え?」
驚いて目を瞠る葵を見た後、微笑みを浮かべた透哉は屏風を見つめながらゆっくり語り始めた。
「不思議な力があった姉さんは、周囲から孤立しがちでね」
そうして語られたのは葵の知らない母の話だった。
話を聞くと幼い頃から不思議な力を持つ母の周囲には、物の怪や人ならざる者たちが集まり、それらによって不思議な事がよく起こっていたという。
それは例えば誰もいないところから声が聞こえたり、物が動いたり、鏡に人ではないモノが映ったり。
時には背中を押されて車に轢かれそうになることもあったらしい。
家族や友人達にもその被害が出て、小学生になったあたりから虐められ、母もまた友達を巻き込みたくないと周囲から距離を取り始めた。
そして母が15歳の頃、交通事故が起きた。
家族で旅行に行く途中、車の突然ブレーキが効かなくなって電信柱に衝突したのだ。
その事故により両親を亡くした母は、透哉に「事故の直前悪い霊が見えたの。だからあの事故は自分のせいで起こったんだわ」と言って自分を責めた。
親族に引き取られることになった母と幼い透哉だったが、いつものように起こる怪現象に恐れをなし、たらい回しにされた。
『あの娘に近づくと不幸になる』と言われて。
やがて大学に進学した母はそこで父と出会った。
その日、物の怪によって腕を引っ張られ転ばされた母に手を差し伸べたのが父だったと言う。
『大丈夫か?』
『ありがとうございます』
『時に、君はどうして後ろに倒れたんだ? 誰かに引っ張られでもしたのか?』
『それは……』
言葉に詰まっていると父は『何故あんな不自然な体勢で人が転んだのか』ということを疑問に持ち、『科学的にあの現象をどう説明すべきか』を考えたと言う。
その後、母に興味を持った父は『君の周りには常に科学では証明できないことが起こるな。だからこそ、それを科学で証明したい』と言って交際を申し込んだらしい。
何とも父らしい理由である。
父を巻き込みたくない母は何度も父親との交際を拒んだが『君が両親の死に責任を持つ必要はない。きっと俺が科学で証明する』と言ってくれたと言う。
『だからずっと傍にいてほしい』と告げられた母は、こうして父との結婚を決めた。
そこまで説明した透哉は、全てを話し終えたとばかりに口を閉じた。
かと思うと、すっと葵に視線を向けた。
「義兄さんは姉さんの罪悪感を消すために科学で超現象を解決しようとした。そして葵君、君を守るために研究に没頭したんだ。それが分かってたから姉さんは何も言わなかったんじゃないかな?」
父が研究一筋になった理由は、葵にとって意外な理由だった。
そしてそのことを初めて知った。
(まさか母さんと俺を守るためだった? 変な罪悪感を抱かせないために?)
透哉はさらに意外なことを告げた。
「それとね。葵君は誤解しているかもしれないけど、君の父方の祖父母を姉さんが看護していたのは、義兄さんに強要されたからじゃない」
「そう……なんですか?」
母親は義理の両親の介護を一人でずっとしていた。
親族に罵られようと、睡眠時間が減ろうと、祖父母に尽くしていた。
それは父親が母にそれを押し付けていると葵は思っていただけに、その事実に驚いた。
「うん。早くに両親を亡くした僕と姉さんに、彼らはまるで本当の子供のように良くしてくれた。不思議な力を持っていることを知ってもなお、注いでくれる愛情は変わらなかった。だから僕は医者になって彼らを診ることで恩返しをして、姉さんは二人を看護することで恩返ししようとしたんだ」
葵は今までの自分の考えが全て否定されたことに衝撃を隠せなかった。
一つの面しか見ることなく、それだけで父を詰り続けた。
自分は何一つ知らなかったのだと、真実を突きつけられた気分だった。
「少しは義兄さんの事、分かったかな?」
透哉の言葉には「だから父親と一緒に住んではどうか」という提案が含まれていることに、葵は気づいた。
だがそれでも「はい分かりました」と言って、父親と暮らすのも踏ん切りがつかない。
これまでの確執を考えると、素直に家には帰り辛いし、家に帰って二人きりの生活が始まっても息が詰まるのは目に見えている。
寡黙な父と何をどう話せばいいのかも分からなかった。
答えないでいる葵に対し、透哉はそれ以上何も言わなかった。
葵も答えなかった。
長い話を聞いた葵の頬を、春の暖かさを孕んだ風が撫でていく。
見上げるとすっかり夜の帳が下り、柔らかく光る月が見えた。
気づけば蔵のそばには大きな桜があり、まさに今は盛りと咲き誇っている。
「ねぇ叔父さん。今夜はここで花見をしようよ」
丁度今夜は満月。
夜桜の下で屏風を眺めるのもいいと思ったのだ。
透哉はそんな葵の提案に意外そうに笑って言った。
「でも、勉強はいいのかい?」
「えぇ……そうですね。たまの気分転換ですし」
「そっか。そうだね」
そう言って透哉はいつものように柔らかく笑った。
葵は周りが見えていなかったのかもしれない。
その証拠に、自分の部屋から見える位置に蔵があるというのに蔵の存在にも気づかなかったし、桜が満開に咲いていることにも気づかなかった。
同じように葵の体調を本気で心配してくれた透哉や、母に対する父の想い、そして葵を気にしていた父の心境にも気づかなかったのかもしれない。
いろいろと反省することは多い。
試験まであと僅かという時間の中で、勉強しなくてはならないという思いはあるが、今日くらいはいいだろう。
今日は亡くなった母の愛した桜を、それを待ちわびていたモノノケと共に愛でよう。
そして今はただ、告げられた春の訪れを感じよう。
完
「くっそ!!」
一向に見つかる気配の無い〝桜の花〟に葵は少々焦りを覚えていた。午前中はあっという間にすぎ、窓から差す光がオレンジ色を帯び始めていることで、もう時間は夕方近いことが分かった。
睡眠不足のせいかもしれないが、葵はとうとう切れた。
「絶対に突き止めてやる!!」
そう言いながら家中の物置という物置、押入れという押入れの中をくまなく探し回ったが、〝桜の花〟に関係するようなものは僅かだった。
見つけられたのは、桜の描かれた数枚の食器と、ポストカード、それにアルバムの写真だった。
「もしかして、卒業アルバムの写真とか……か?」
桜の花が写った写真など山ほどある。どれがモノノケの求める代物なのかまったくもって見当がつかなかった。
「だいたい、これらにどんな約束があるってんだよ……」
頭を掻き毟りながら葵は必死に考えた。
モノノケの言う夜がいつからなのかは分からないが、日が沈む前には見つけなければならないだろう。日没まであと1時間。それまでに見つけられなければならないと思うと余計に焦りが募った。
「落ち着け、もう一度考えよう」
自分を励ますつもりで言い、葵は大きく深呼吸をした。
まず、桜の花は間違いないだろう。
そして、それはモノノケたちが花見ができるようなもののはずだ。
ということは、それなりの大きさを持っていると考えられる。
ならば、現在葵の前に並べられた〝桜の花〟に関するものはすべてモノノケの求める物とは異なってしまう。
一方で、〝かの人〟は透哉と何かを約束したのだ。〝かの人〟がいなくなってから〝桜の花〟を見れなくなったようだったから、〝かの人〟は透哉に〝桜の花〟を出すように言っていたはずだ。
「出す……どこから何を出すんだ?」
もう、家中のものを引っ張り出している。だが、モノノケの反応は何も無い。
その時だった。またあのモノノケが姿を現したのだった。
昨日と同じ、三白眼に緑の顔をしたモノノケは、山伏の格好でひょこひょこと歩きながら、鼻歌まじりに外に出て行く。
——さてさて、そろそろ夕刻じゃ
——松尾大社へ参ろうぞ
「ちょっと待て!!」
今度こそ逃がさないぞとばかりに葵がモノノケ達に声をかけると、モノノケは驚き顔でこちらを見つめた。
——またじゃ!!
——こいつ、我等が見えるぞ
驚くモノノケに反応することなく、葵は彼らに詰め寄って尋ねた。
「お前たちは何が欲しいんだ?」
——桜の花じゃ
——かの人の縁者よ。もう一人の縁者は忘れてしまっておるが、お主は知っているか?
「何をだよ? 約束のことなら詳しくは分からない」
何の都なのかさっぱり分からないし、モノノケもまた肝心なことを言わない。
葵は渋い顔でそう答えると、モノノケは深く頷いた。
——そうであろう
——あと、もうじき。黄昏時が終わり、夜の帳が下りる頃、我等は松尾大社へ祈願に行くぞ
——祈願に行くぞ
「もう少しだ! もう少し詳しく教えてくれたらお前らの欲しがっているものを出してやる!」
葵はモノノケ達に言ったが、モノノケ達は聞く耳を持たないらしく、そのまま小躍りしてどこかに消えようとした。
「おいこら! 逃げるな!」
葵が、モノノケを追おうとした矢先、居間のほうからリンリンと電話が鳴る音が聞こえた。
電話を無視してモノノケを追いかけようかとも考えたが、透哉の留守を預かる身である以上、この家にかかってきた電話を無視することはできなかった。
内心舌打ちしながら急いで電話を取ると、それは意外な人物からの電話だった。
「と、父さん……」
『葵か?』
「あぁ」
一気にテンションが下がる。
父親からの電話ならば無理にとることもなかったのに。
父親の声はいつもと同じ感情がない、ぼそぼそとしたものであった。正直、あまり好んで聞きたい声ではない。
「……叔父さんなら今いないよ」
葵は早く電話が切りたくて冷たく言い放った。しかし、親父の返答は葵の予想外の内容だった。
『いや、お前に用事があって電話した』
「……何?」
『変わりはないか?』
研究一筋に生きてきて、家族のことなど省みない父親が、突然息子を気遣う言葉を言ったことに、葵は衝撃を受けた。
この間押しかけて来た時でさえ、「元気だったか?」の一言もなく、一方的に家に連れて帰ろうとし、葵の気持ちを聞こうとすることも無かったのに。
父親の突然の言葉に、葵は一瞬口を噤んでから小さく答えた。
「うん……」
これ以上何と言っていいか分からなかった。
お互いしばし電話口で無言だった。
何をどう話せばいいのか、お互いが戸惑っている、そんな感じだった。
ふと、父親が思いついたように話題を振ってきた。
『そっちは……もう桜が咲いているのか?』
「は……? あ、うん」
突然変わった話題について行けず、葵は戸惑いつつそう答えた。
『そうか……』
「そっちは?」
『まだ蕾だと思うが。しばらく外に出ていないから分からないな』
「相変わらずだね」
『……桜といえば、今年はもう屏風を出したのか?』
突然のことで父親が何を言っているか、葵は理解できず間の抜けた返事をした。
「は? 屏風?」
『お前の母さんが好きだった屏風だ。桜の花に……確か亀の絵が描かれている屏風だ。あいつは春になるとそれを好んで飾っていた。丁度……そう今くらいの時期だ。桜が満開を迎える頃に』
この父親の一言で、すべての点が繋がったと葵は思った。
興奮でどうしていいか分からず、葵は父親に何か言って慌ただしく電話を切った。
何を言ったかよく覚えていない。「ありがとう」なんて、柄にも無いことを言ったような気がする。
とにかくこれで全ての謎は解けた。後はその屏風を探すだけだ。
※ ※
もう一度部屋中に並べたものを確認するが、屏風は見つからなかった。
屏風なんて大きなものを見落とすはずは無いと思いつつ、何度も何度も確認する。
「どうしてないんだ!!」
絶対の確信を持ったのに、肝心の屏風がどこにも見つからない。葵は焦りで震える声で叫ぶように言った。
「おやおや。こんなに引っ張り出して、葵君も骨董が好きになったかい?」
振り返ると仕事を終えた透哉が、電気をつけるところであった。
時計を見ると、もう間もなく日没という時刻だ。
葵は藁にも縋る思いで透哉に迫り、懇願するように言った。
「叔父さん、覚えている? 桜の花の描かれた屏風を! 母さんが好きだった屏風だよ!!」
「姉さんの好きだった……あ!!」
透哉は始め訝しげな表情をしたが、何かを思い出して雷に打たれたように走り出した。
葵も透哉の後に続いて走った。
この家の敷地はこんなに広かったのだと思うくらい全力疾走で結構な距離を走ると、葵と透哉が辿り着いたのは、敷地の奥にある小さな蔵だった。
透哉は手際よく蔵の鍵を開ける。ぎいという重い音とともに、扉が開き、中からは埃くさい饐えた匂いがする。
葵にとっては暗闇の蔵の中は得体の知れない空間で、一歩足を踏み出すこともできない状態だった。
だが透哉はそのまま無言で蔵に入ると、まるで導かれるかのように最奥へと進む。そして、大きな何かを抱えて戻ってきた。
「葵君、これだよ!!」
息を切らして戻ってきた透哉が抱えてきたのは大きな屏風だった。
もう、まもなく日が沈む。その寸前に葵はその屏風を受け取るとそのまま庭に広げた。
瞬間突風が吹く。
その風とともに黒いものが屏風に向かって行き、そして消えた。
同時に庭に大きな歓喜の声が響く。
——あな、嬉しや!
——20年ぶりの花ぞ!!
——久方振りの花見じゃ!
——あな嬉しや!
——あな嬉しや!
「い、今……なんか黒いものが屏風に吸い込まれたように見えたんだけど……」
新調したばかりの眼鏡を取り、目をこすりつつ透哉は言った。そんな透哉に葵は少し悪戯っぽい笑みで答えた。
「そうですね。きっとこの桜を待ちわびていたもの達ですよ」
視線を戻すと屏風には見事な桜が描かれていた。
淡くて儚くて、今が盛りの満開の桜。
その屏風の端には2匹の亀が仲良く桜を見ようと首を伸ばしている。
確かに屏風が畳まれた状態では、左端に描かれている亀達からは右端に描かれた桜が見えないのだろう。
「すっかり忘れていた」
屏風を見つめながら、透哉がポツリと呟くように言った。
「この屏風、姉さんが好きだったんだ。春になるといつもこうして飾っていた。丁度、桜が咲く時期にあわせてね。……約束も、思い出したよ」
「どんな約束だったんですか?」
「年に一度、春にはこの屏風を必ず出すってことだよ。出さないと亀達が悲しがって化けて出るわよと言っていたなぁ」
「母さんが……そんなことを?」
驚く葵に対し、透哉は懐かしそうに屏風を見ながら話を続けた。
屏風に向けられた眼差しは、亡くした姉の面影を思い出しているようにも見えた。
「あぁ。姉さんはよく不思議なものを見る人だった。僕にはそういう力はないからよく分からないけど、物や植物の気持ちが分かるっていうか、精霊とか見えたみたいだったよ。よく、そういう話を聞いたなぁ。僕がまだ小さい頃だったから、そういうものが見れる姉さんがとても羨ましかった」
その話を聞いて、自分の能力に納得がいった。突然変異だと思っていたモノノケを見る力は母譲りのものだったのか。
ふと、母はどんな思いでこの家で過ごしていたのだろうと思った。
確かにこの家には骨董品も多く、さまざまなモノノケの存在を感じる。
——あな、嬉しや!
こんなモノノケの姿を見て、母は嬉しかったのかもしれない。
だから毎年出し続けていた桜の屏風。その屏風絵の桜の花は、葵になぜか優しい母を思い出させた。
だからだろうか。屏風の桜を見ていると不思議と心が落ち着き、今までの不安が嘘のように消えていた。
「その様子だと、葵君にもそういったモノが見えるみたいだね」
「葵君、君もそういう能力があるんだよね?」
確信を持って言われる言葉に、葵は否定が出来ずに小さく頷いた。
「……はい」
「そっか」
透哉は納得した様子で頷くと、更に言葉を続けた。
「姉さんが君のお父さんと結婚したのも、その力のお陰だって姉さんが言ってたよ」
「え?」
驚いて目を瞠る葵を見た後、微笑みを浮かべた透哉は屏風を見つめながらゆっくり語り始めた。
「不思議な力があった姉さんは、周囲から孤立しがちでね」
そうして語られたのは葵の知らない母の話だった。
話を聞くと幼い頃から不思議な力を持つ母の周囲には、物の怪や人ならざる者たちが集まり、それらによって不思議な事がよく起こっていたという。
それは例えば誰もいないところから声が聞こえたり、物が動いたり、鏡に人ではないモノが映ったり。
時には背中を押されて車に轢かれそうになることもあったらしい。
家族や友人達にもその被害が出て、小学生になったあたりから虐められ、母もまた友達を巻き込みたくないと周囲から距離を取り始めた。
そして母が15歳の頃、交通事故が起きた。
家族で旅行に行く途中、車の突然ブレーキが効かなくなって電信柱に衝突したのだ。
その事故により両親を亡くした母は、透哉に「事故の直前悪い霊が見えたの。だからあの事故は自分のせいで起こったんだわ」と言って自分を責めた。
親族に引き取られることになった母と幼い透哉だったが、いつものように起こる怪現象に恐れをなし、たらい回しにされた。
『あの娘に近づくと不幸になる』と言われて。
やがて大学に進学した母はそこで父と出会った。
その日、物の怪によって腕を引っ張られ転ばされた母に手を差し伸べたのが父だったと言う。
『大丈夫か?』
『ありがとうございます』
『時に、君はどうして後ろに倒れたんだ? 誰かに引っ張られでもしたのか?』
『それは……』
言葉に詰まっていると父は『何故あんな不自然な体勢で人が転んだのか』ということを疑問に持ち、『科学的にあの現象をどう説明すべきか』を考えたと言う。
その後、母に興味を持った父は『君の周りには常に科学では証明できないことが起こるな。だからこそ、それを科学で証明したい』と言って交際を申し込んだらしい。
何とも父らしい理由である。
父を巻き込みたくない母は何度も父親との交際を拒んだが『君が両親の死に責任を持つ必要はない。きっと俺が科学で証明する』と言ってくれたと言う。
『だからずっと傍にいてほしい』と告げられた母は、こうして父との結婚を決めた。
そこまで説明した透哉は、全てを話し終えたとばかりに口を閉じた。
かと思うと、すっと葵に視線を向けた。
「義兄さんは姉さんの罪悪感を消すために科学で超現象を解決しようとした。そして葵君、君を守るために研究に没頭したんだ。それが分かってたから姉さんは何も言わなかったんじゃないかな?」
父が研究一筋になった理由は、葵にとって意外な理由だった。
そしてそのことを初めて知った。
(まさか母さんと俺を守るためだった? 変な罪悪感を抱かせないために?)
透哉はさらに意外なことを告げた。
「それとね。葵君は誤解しているかもしれないけど、君の父方の祖父母を姉さんが看護していたのは、義兄さんに強要されたからじゃない」
「そう……なんですか?」
母親は義理の両親の介護を一人でずっとしていた。
親族に罵られようと、睡眠時間が減ろうと、祖父母に尽くしていた。
それは父親が母にそれを押し付けていると葵は思っていただけに、その事実に驚いた。
「うん。早くに両親を亡くした僕と姉さんに、彼らはまるで本当の子供のように良くしてくれた。不思議な力を持っていることを知ってもなお、注いでくれる愛情は変わらなかった。だから僕は医者になって彼らを診ることで恩返しをして、姉さんは二人を看護することで恩返ししようとしたんだ」
葵は今までの自分の考えが全て否定されたことに衝撃を隠せなかった。
一つの面しか見ることなく、それだけで父を詰り続けた。
自分は何一つ知らなかったのだと、真実を突きつけられた気分だった。
「少しは義兄さんの事、分かったかな?」
透哉の言葉には「だから父親と一緒に住んではどうか」という提案が含まれていることに、葵は気づいた。
だがそれでも「はい分かりました」と言って、父親と暮らすのも踏ん切りがつかない。
これまでの確執を考えると、素直に家には帰り辛いし、家に帰って二人きりの生活が始まっても息が詰まるのは目に見えている。
寡黙な父と何をどう話せばいいのかも分からなかった。
答えないでいる葵に対し、透哉はそれ以上何も言わなかった。
葵も答えなかった。
長い話を聞いた葵の頬を、春の暖かさを孕んだ風が撫でていく。
見上げるとすっかり夜の帳が下り、柔らかく光る月が見えた。
気づけば蔵のそばには大きな桜があり、まさに今は盛りと咲き誇っている。
「ねぇ叔父さん。今夜はここで花見をしようよ」
丁度今夜は満月。
夜桜の下で屏風を眺めるのもいいと思ったのだ。
透哉はそんな葵の提案に意外そうに笑って言った。
「でも、勉強はいいのかい?」
「えぇ……そうですね。たまの気分転換ですし」
「そっか。そうだね」
そう言って透哉はいつものように柔らかく笑った。
葵は周りが見えていなかったのかもしれない。
その証拠に、自分の部屋から見える位置に蔵があるというのに蔵の存在にも気づかなかったし、桜が満開に咲いていることにも気づかなかった。
同じように葵の体調を本気で心配してくれた透哉や、母に対する父の想い、そして葵を気にしていた父の心境にも気づかなかったのかもしれない。
いろいろと反省することは多い。
試験まであと僅かという時間の中で、勉強しなくてはならないという思いはあるが、今日くらいはいいだろう。
今日は亡くなった母の愛した桜を、それを待ちわびていたモノノケと共に愛でよう。
そして今はただ、告げられた春の訪れを感じよう。
完



