春、告ゲシモノ

葵は悶々としていた。
心に鉛が入ったような、何か言い知れぬ不安が胸を占め、どうしていいのかよく分からない。
だからその不安を拭い去りたくて、藻掻くように勉強をする。
しかし、成績は一向に上がらない。
あと1週間を切った転入試験。
これに落ちてしまえば葵は元の学校に行かなければならない。
すなわちそれは父親と暮らさなければならない事を意味する。
それだけは避けたい。

一方で、もうどうでもよいのではという考えも頭の片隅にあった。
それは甘い甘い誘惑。
だけど、それではいけないと頭の片隅で警鐘が鳴り、やはり勉強する。
寝ても覚めても勉強。
どうしてこんなことしているのか。
気づくと葵は螺旋階段をただひたすらに登っていた。
当てもなく、暗闇の階段をひたすら登っている。
光が見えても一向に近づくことが出来ない。
ふと見ると階段の先が崖となり、ガラガラと音を立てて崩れていく。

(やばい!)

そう思って引き返そうとするがそれも後の祭り。
葵の体は宙に浮き、そのまま奈落の底へと落ちていった。

「うわわああ!!」

堪らずに葵は大声を上げ、その自分の声に驚いて意識が覚醒した。
真っ暗な部屋の中、デスクライトだけが煌々と光っている。
葵はその光に一瞬めまいを感じて目を細めた。
まだ意識がはっきりしない。

「葵君、大丈夫かい? うなされていたようだよ」
「あ……叔父さん……」

いつの間にやら部屋のドアを開けた透哉が、廊下に立ったまま声をかけていた。
そのとき自分が眠っていたことに気づき、先ほどのことは夢であることを悟って葵は安堵のため息を漏らした。
どうやら昨日の睡眠不足がたたってか、勉強中に眠ってしまったらしい。

「俺……寝ていました?」
「うん。夕食が出来たからと思って呼びに来たよ」
「あ、すみません!! お手伝いもしないで!」
「いいんだよ。気にしなくて。それよりシャワーを浴びておいで」

透哉に指摘されて気づいたが、体中に汗をかいていて確かに気持ちが悪い。

「分かりました。ありがとうございます」

そういって葵はのろのろと椅子から立ち上がった。
「ねぇ、葵君。そんなに根を詰めていては体に悪いよ。君は焦りすぎだよ。そんなに焦らなくても、大丈夫だよ」
高校進学を提案したことに責任を感じたのか、透哉は苦笑まじりに言った。

「でも……勉強しないと。俺、頭悪いし」
「体を悪くしては元も子もないだろう。顔色が悪いから今日は早く寝たほうが……」
「いえ、大丈夫です。心配かけてすみません」

透哉の言葉を遮ってきっぱりと言った葵を見て、透哉はさらに何かを言おうとしたが止めたようだった。
ただ、早くシャワーを浴びてご飯にしようとだけ言って、そのまま一階へ降りて行った。

(叔父さんにも、俺の不安なんて分からないだろうな)

どこにも属さない焦りや居場所のない不安など、独り立ちし、医者という職業を得ている透哉には無縁だろう。
気を取り直し、葵はタオルを出そうと押入れを開けたとき、思わず声が漏れた。

「あ……」

ソレも葵の姿を認めると、口をあんぐりとあけて葵を見上げている。
体長15cm程度の緑色したソレは、琥珀に光る三白眼にとがった口元を引きつらせていた。
山伏のような格好をし、人間ではないのに二本足で歩く姿はモノノケ以外の何でもないだろう。
暫くお互い直立不動の状態であったが、やがてソレは何事も無かったようにドアをすり抜けて消えて行った。

「……やばい」

葵は顔を強張らせてポツリと呟いた。
ばっちりと目が合ってしまった。こういうときは禄でもないことが起こるのだ。
厄介ごとに巻き込まれない方法はないものかと考えながら、葵は重い体を引きずりつつ風呂へと向かった。