穢れた龍神と生贄の花嫁

「そ、そんな……!翔澪様はすでに私に居場所をくださいました。これ以上望むことは何もありません」

 水夜が慌ててそう言うと、翔澪は撫でていた水夜の頬を優しくつまむ。

「欲が無い花嫁だな。そんなだとむしろ与えたくなるだろう。水夜はもっと欲を持っていいのだぞ」

(欲……そんなもの持っていいなんて言われたことなかったから、よくわからないわ)

 いつだって欲に忠実なのは妹の珠奈だった。水夜はその生い立ちのせいで、何かが欲しいという気持ち自体が欠落している。

「さて、可愛い水夜が安らげる場所を早くつくらないとな。掃除には何が必要だ?」
「えっ、えっと、箒にちりとり、あとは雑巾とバケツに水、でしょうか。掃除用具一式あればありがたいです」
「なるほど、それくらいなら今の俺でも創りだせる」

 そう言って翔澪が両手をかざすと、キラキラと光り何かが形つくられていく。そしてそれは水夜が言っていた掃除道具になった。

「わあ!すごい!」

 水夜が目を輝かせて掃除用具を手に取ると、翔澪は満足そうに微笑む。

「これでも神だからな。水夜のおかげで力も少しだが戻ってきている今、何かを創りだすことはたやすい」

(神様ってやっぱりすごいのね!)

「これで掃除に取りかかれます!ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらの方だ。俺も手伝おう」

 翔澪が掃除用具に手を伸ばすと、水夜は慌ててそれを制した。

「神様にお掃除をさせるわけにはいきません!私に任せてください」
「いや、花嫁だけに仕事をさせるような愚夫にはなりたくないからな。俺は勝手に手伝うだけだ、気にしなくていい」

 当然のようにそう言って、翔澪は腕をまくった。

(翔澪様は本当にお優しい神様だわ)

 翔澪のさりげない優しさに、水夜の心はぽかぽかと温かくなる。

「そうだ、せっかくの綺麗な着物が掃除で汚くなるのは困るな。水夜、いつも掃除をする時はどんな服装をしている?頭の中に思い浮かべてみろ」
「掃除の時、ですか?」

 水夜はいつもの服装を頭の中に思い浮かべる。それを見た翔澪が片手を水夜の前にかざすと、澪の着物がキラキラと輝きだす。

「えっ!?」

 驚く水夜の着物はいつの間にかいつものボロボロで質素な着物に変わっていた。

「いつもの服装になってる……!」
「水夜は掃除の時こんな服装をしているのか」

 少し不服そうに翔澪が言うと、水夜は苦笑する。

「掃除の時と言いますか、いつもこの服装です。着物は同じ柄のものを二着しか持っていません」
「はあ!?」

 翔澪は盛大に顔を顰め、大声を出す。驚いて水夜が肩を揺らすと、翔澪はこほん、と咳ばらいをした。

「大声を出してすまない。だが、その柄の着物が二着だけ?そんなボロボロになるまで……お前は本当に苦労して生きていたのだな」

 悲し気に翔澪は水夜の頬を優しくなでる。

「よし、普段用に綺麗な着物をあとで創ろう。どんな色でどんな柄がいいか後で教えてくれ」
「えっ、そんな!私はこれでじゅうぶんです」
「だめだ!神の花嫁ともあろう人間が、そんな服装では俺が許さない。綺麗なお前には綺麗なものが似合うのだからな。……そうだ」

 そう言って、翔澪は片手を水夜の前に出す。すると、翔澪の掌が輝きだし、そこには美しいオーロラ色のリボンが現れた。

「掃除をするなら髪の毛が邪魔になるだろう」

 翔澪は水夜の背後に回り、水夜の髪の毛を優しく集め一束にし、リボンで結ぶ。そして水夜の前に来ると満足そうに微笑んだ。

「うん、似合っている」
「ありがとうございます……!」
「よし、では始めるか」

 そう言って掃除道具に手を伸ばす翔澪を見ながら、水夜は言いようのない高揚感と多幸せ感で胸がいっぱいになる。

(こんなによくしていただくなんて、私は幸せ者だわ。お礼のためにも精一杯掃除しよう。神様の住むところなのだから、うんと綺麗にしなくちゃ!)

 水夜は周囲を見渡すと、張り切って掃除を始めた。



*



「まさか今日のうちに俺の部屋の掃除まで終わるなんて思わなかった。水夜は本当にすごいな」

 玄関、リビング、水夜の部屋、そして翔澪の部屋の掃除が終わると、翔澪は感心したように頷く。

「翔澪様が手伝ってくださったおかげです」
「俺は何もしていない。少し手伝っただけだ。逆に邪魔になっていなかったか?」

 気遣うように翔澪が言うと、水夜は嬉しそうに微笑んだ。

「邪魔だなんてとんでもない!かゆいところに手が届くといいますか、私が後でやろうと思っていたところを翔澪様がいつの間にか掃除してくださっているんですもの。本当にありがとうございます」

 水夜が嬉しそうに微笑むと、翔澪は頬を少し赤らめて水夜を見る。

「水夜は本当に可愛いな」

 そう言って、翔澪は水夜の額に小さくキスをした。

「!?しょ、翔澪様!?」
「はは、顔が真っ赤だ、本当に可愛いな。ずっと愛でていたいほどだ」

(は、恥ずかしい……!)

 水夜が俯くと、翔澪は水夜の頭を優しく撫でる。それから周囲を見渡して嬉しそうに微笑んだ。

「綺麗な部屋の中で自分以外の存在と一緒にいるのは久しぶり過ぎて不思議な感じがするな。だが、悪くない」
「そういえば、翔澪様はこの屋敷でお一人なのですか?おつきの方は?」

 この屋敷に翔澪と水夜以外の誰かがいる気配はどこにもなかった。ふと水夜が尋ねると、翔澪は悲し気に眉を下げる。

「俺に力があった頃は、精霊が自然と具現化して側に仕えていた頃もあった。力がなくなり穢れが生じるようになってからは、ここに精霊は存在できなくなったからそれ以来ずっと一人だ」
「そうだったんですか……」

(あんなに薄暗く汚れた場所にたった一人でいた翔澪様……とても心細かったんじゃないかしら)

 神様にそういう感情が果たしてあるのかと言われればわからない。だが、人の姿をした翔澪は思った以上に表情豊かで、だからこそ水夜は翔澪のこれまでについても気になってしまうのだ。

「これからが私がずっと一緒にいます。だから、寂しくありません。もう大丈夫ですよ」

 水夜は両手をグーにして大きく頷き、微笑む。その笑顔はその場を明るく照らす光のように見えて翔澪の胸は大きく高鳴った。

「水夜……!」

 翔澪は水夜の両頬を両手で包みこみ、額と額をくっつけて嬉しそうに微笑む。

「たった一人の人間にこれほどまで心を揺り動かされ胸が高鳴ることは初めてだ。水夜は俺にとって特別だ。ありがとう、水夜」

 そう言って水夜を愛おしそうに抱きしめると、よし!と気合をいれる。

「今日の掃除はここまでにしよう。掃除したままの体でいるのは嫌だろう?人間は確か風呂に入るのだよな。水夜のおかげで俺の力が戻って来たから、浴室くらいは俺の力を使えば一瞬で掃除できる。綺麗にして湯を沸かして来るから、少し待っていてくれ」

 そう言って水夜から体を離すと、嬉しそうに別の部屋へ向かっていった。

「翔澪様……」

 翔澪がいなくなると、水夜は一人になった。綺麗になったリビングを見渡して、水夜は満足げに頷く。

(綺麗になってよかった!来た時とは場の気が全然違う。これだけ清らかなら、神様がいるのにふさわしい空間だと胸を張って言えるわ)

 水夜がそう思っていると、近くで何か物音が聞こえた。

(翔澪様かしら?)

 この屋敷には翔澪と水夜しかいないはずだ。そう思っていると、今度はさらにドンッ!と大きな物音がする。

(な、何!?)