キスの練習相手は幼馴染で好きな人【改稿版】


 公園に着く頃には、空からすっかりと赤みが消えて。残った濃い青も、いつの間にか黒へ変化している。

 星の瞬きを見上げながら考える。オレは柚佳と、これからもずっと一緒にいたい。できれば、一生を共にするパートナーとして。だが、柚佳は……?

 オレと同じように、思っていてくれたなら。問題はないだろう。しかし彼女は、篤を振り向かせたいと言った。柚佳の気持ちが、篤にあるのなら。オレは、ただの邪魔者でしかない。
 ……告白したら。少しは、オレを見てくれるかな?

 小ぢんまりとした公園には滑り台とブランコ、鉄棒がある。もう暗くなったので、誰もいない。
 オレたちは、年季の入った石造りのベンチへ腰を下ろす。
 街灯があるので、夜でも不自由しないくらいに明るい。


「それで。話って、何?」

 首を傾げながら聞いてくる。小さな動きが一々、可愛くて。「それ、わざとやってるの?」と、思ってしまう程に。頭は彼女で支配されている。


「あの……さ」

 一瞬、躊躇したものの。自分の気持ちを伝える。

 左隣でオレの顔を見つめている、大切な幼馴染へ。告白すれば、関係を壊すかもしれない。でも。言わないと。……この気持ちを、知ってほしい。


「柚佳に、ずっと言えなかった事があって。オレさ……」

「私も。海里に言わなきゃいけない事があるの。私……」


 『柚佳が好きだ』と、言葉にする直前。相手が急いた口調で、何かを伝えようとしてくる。シャツの左袖を掴まれている。再び口を開いた幼馴染は、ためらうように視線を彷徨わせて俯く。異変に気付いた。

「柚佳……?」

 眼前の瞳が、潤んでいる。心配になる。何があったのか尋ねようとした時。か細く。絞り出すような声で、告げられる。


「私、今日の昼休みに……桜場君に告白されたの」

「……え?」

 すぐには、内容を理解できなかった。彼女は俯いたまま、黙っている。


「でも、さっき。オレの家で。もうすぐ告白する予定とか、アイツを振り向かせたいって……言ってたよな?」

「告白されたけど、まだ……私の気持ちを伝えてないの。桜場君には、待っててもらってる。十日後に、会う約束をしてて。その時に、言おうと思ってる」

 頭の中が真っ白になったように、柚佳の話が理解できない。いや……理解したくなかった。


「振り向かせたいのは……」

 彼女は言葉を切り、フフッと笑う。

「私が本命なのか、そうじゃないのか分からないから。私より可愛い子なんて、たくさんいるし。本当に好きかなんて分からない。だから言ったの。ほかの子を切ってでも、私を選んでくれるのか。私は、好きな人にとって……ただ一人の人になりたい」

 顔を上げていた柚佳と、視線が合う。間近で見た幼馴染は、ハッとする程に美しかった。

 美人という訳でもなく。ごく普通の……化粧もしていない飾り気のない彼女の、意志を宿した瞳。少し笑った形のよい唇。女の子は恋をすると綺麗になるという話を、いつかどこかで聞いたけど。きっと。こういう事だと、腑に落ちる。


「だから彼が、私以外を考えられなくなるようにしたい」

 柚佳が両手で、オレの頭を押さえてくる。何をしたいのか理解する。導かれるままに、距離を縮める。

 触れる前に言われた。

「九日の内に。全部、教えて」

 憎いので、咬み付くように奪った。


 荒ぶる心に任せた勢いで、口唇を食む。顔を少し右に傾けて、より密着するように。

 身体の奥底に、くすぶった熱のようなものがある。頭の隅にちらつく後ろめたさが、そこに油を注いでいる。仄暗いそれに突き動かされて、自分を制御できない。

 閉じていた瞼を薄く開いて窺う。ぎゅっと目を瞑った様子の柚佳は、体を強張らせて微動だにせず……頑なに口を結んだままだ。唇を離して乞う。


「……柚佳、口を開けて」

「嫌」


 目元を赤くした表情で、上目遣いに拒まれたので。背筋がゾクゾクする。

「もしかして。煽ってるの?」

 意地悪したくなって聞いたら。目を見開いた必死の様相で、弁明してくる。

「ちがっ……! 確かに、教えてとは言ったけど。まだ慣れてないのに、そんな……大人なやつは、早いと思うの!」

 慌てた様子の柚佳が可愛くて、小さく笑う。

「慣れたらいいんだ? そして……慣れる予定なんだ」

 落ち着き払った顔をして言い及ぶ。微笑み掛ける。

「っ……海里……。今に見てなさいよ」

 恨みの籠もった目で、睨んでくる。

 少し前までは、彼女の気持ちが解らなくて。知らない人のように見えて、焦ったけど。柚佳は、やっぱり柚佳だ。オレの大事な幼馴染で、誰よりも可愛い。

 傍にいられるんだったら、何だってする。篤と柚佳が付き合うようになったら、きっともう「キスの練習相手」という関係も。彼女には必要ない。だから、わざわざ。『あと九日』だと、オレに教えたのだろう。

 「篤との仲を応援する」……。この関係は、そんな綺麗なもんじゃない。ただ、オレが。柚佳を繋ぎ止めておきたいだけの。不毛な関係だ。目が覚めたら、それまで見ていた夢を忘れてしまうみたいに。彼女も、オレの元から去ってしまう。

 ――嫌だと。叫んでいる自分が、この身の内に存在する。

 残りの九日で、彼女の気持ちを変えたいと。意識の深くで、閃く思考を捉まえる。
 続け様に。「篤をイチコロにするキス」の練習という建前で「柚佳をイチコロにするキス」を、秘密裏に探るという……下衆な計略に思い至る。


 眉根を寄せて沈黙しているオレを、心配そうに見上げてくる。囁きが聞こえる。

「海里?」

 薄目で見る。柚佳がいけないのだ。

 こんなに頭を悩ませなきゃならないのも。篤に後ろめたく思うのも。自分が、とんでもなく……心の汚れた奴だと、気付いてしまったのも。全部全部。柚佳が可愛いのがいけない。篤と両想いの癖に、オレとキスをする……何を考えているのか分からない、柚佳が悪いのだ。

 相手の両手を、自分の両手で握る。

 視線を注ぐ。
 滑らかな甲や、細い指先へと。

 少なからず緊張する。思えば、手を繋ぐのも。これが、初めてかもしれない。

「覚悟を決めたよ」

「覚悟?」

 伝えると、顔をきょとんとして聞いてくる。可愛くて笑う。

「もちろん……オレたちの、この関係は。篤やクラスの奴らには、秘密なんだろ? バレた時に、きっと。お前は、振られるからな。オレも絶対に、篤に殴られるだろうな。まぁ、バレた時は。一緒に地獄へ堕ちてやるよ」

 ああ、ダメだな。柚佳と篤が付き合い出して、独りになっても。彼女を、忘れられる気がしない。

 苦笑する。

 目の前の、柚佳は。僅かに息を止めるような呼吸をした後に。眉尻を下げて、微笑んでくる。

「うん。ありがとう海里」



 それから。たわいない話をしながら、アパートへ帰って来た。

「また明日ね」

「また明日な」

 階段の手すり越しに、手を振る。柚佳の後ろ姿を見送って、オレも自分の家へと向かう。


「海里!」

 名前を呼ばれて、振り返る。柚佳が……階段の側まで、戻って来ている。

「どうした?」

 驚いて、急いで階段を下りる。

「あの……えっと」

 視線を彷徨わせ、口籠もっている姿が。何かを、ためらっているように見える。


「何か、言いたい事がある?」

 疑問に思いながら口にする。動きを止めた幼馴染を見守る。少しだけ、彼女の頭が前に傾く。

「何?」

 尋ねてみるけど。柚佳は下を向いたままで、無言だ。オレも黙って、話してくれるのを待つ。

 アパートの敷地に、細い道路が隣接している。道路の街灯からの明かりに、ぼんやりと照らされる。階段下で二人、向かい合って立ち尽くす。
 隣の空き地からだろう。ささやかに虫の音が響いている。少し肌寒く感じるようになった夜風に、柚佳の髪がサラサラと揺れる。


「っ……」

 彼女が何か、言い掛ける。

「……海里は、何で……」

「柚佳? 今、何て?」

 呟きが小さくて、よく聞き取れない。視線を上げた彼女と、目が合う。

 少し悲しみの混じったような、何かを必死に切望しているような……蠱惑的にも思える瞳に見入る。さっき、公園へ行く途中にも。こんな眼差しを、向けられていたと思い出す。

 そんなに見られると、落ち着かない。何だか、まるで――……柚佳もオレの事が、好きなんじゃないかって……勘違いしそうになる。

 見つめ合う、相手の瞳が。泣き出しそうに歪んでいく。



 家に帰ると、陽介が居間から出て来た。靴を脱ぐオレの横で、腕組みしたポーズをしている。さっそく、告白の結果を聞かれた。

「あー……。や……結局、告白できなかった。ははは」

「ははは、じゃねーよ! こんな時間まで、何しに行ってたんだよ! ……ん? 何だ、それ?」

 目ざとい。シャツの染みが見付かった。胸元が少し、濡れているのは。柚佳が泣いた跡だ。

 何も聞けなかった。
 彼女も、何も言わなかった。

 胸に抱きしめた柚佳は、静かに涙を流していた。


「ふーん? 一応、何かあったみたいだな?」

 陽介がニヤニヤと笑っている。……勘の鋭い奴め。

 根掘り葉掘り、聞き出された挙げ句。最後には「結局。状況は、あんまり変わってねーじゃんか!」と、理不尽に怒られた。


「だけど。柚姉ちゃんの言動が謎だな。行動と……何となく、矛盾してると思わねぇ?」

 陽介は「不可解だ」と、顔をしかめる。弟に言われるまでもなく、オレも気になっている。

「それに、オレは。柚姉ちゃんは、海里の事が好きなんだと思ってた」

 不意に呟かれた言葉に、驚いて弟を凝視する。

「そんな訳……ないだろ」

 下を向いて、薄く笑う。

 そうかもしれないと思った事は、何度もあった。
 けれど今日。はっきりと言われたじゃないか。彼女は、篤と両想いなんだ。

 ……でも。絶対に渡さない。

 小さな溜め息が聞こえて、陽介を見る。さっきまでは硬かった表情が、どこか安堵するように和らいでいる。

「ま、何かあったら相談しろよ」

 言い置いて弟は、居間へと戻って行った。