「な、何の為に?」
問うと。相手が微かに笑んだ。
瞬間、バスの中で考えていた件を思い出す。彼女の様子が、おかしい理由について。
花山さんやマキを、恋敵として見ているのか? オレが篤を、柚佳から遠ざけようとしているみたいに。柚佳も……二人を、ライバル視している? そんな筈ない。ない……よな?
眼差しを逸らさずに、答えてくる。
「見せ付ける為に。海里は、私のだって」
衝撃が大きくて。言葉が出ない。瞬きも忘れて、柚佳を目に映す。
「バスでお喋りしている、美南ちゃんと海里が。とても、お似合いだって思った。何で海里は、美南ちゃんじゃなくて。私を選んでくれたの? ……幼馴染だったからだよね。だから私は、海里と付き合えた。幼馴染だった事を、神様に感謝した。さっき、マキちゃんの隣で楽しそうに笑ってる海里を見た時も。嫌な気持ちになった。気安く『マキ』って……呼び捨てにしてるのも、凄く。二人、仲がいいんだね」
柚佳の目から、大粒の雫が零れる。思い違いなんかじゃないと……やっと、理解する。余裕がないのは、オレだけじゃなかった。柚佳は、思っていたよりも。オレにベタ惚れだったんだな。
「ふっ……」
顔を横へ向け、己の口を押さえる。笑ってしまう。
「海里?」
「いいか? よく聞けよ」
柚佳の目から流れた涙を、親指で拭い取る。
「柚佳が、ずっと。オレの傍にいてくれるなら。花山さんもマキも……いらない」
見上げてくる瞳。泣き止ませたかったのに。もっと、潤ませてしまった。
「ずっと傍にいるのなんて、当たり前でしょ? 幼馴染だし。付き合ってるし」
家での如く、八つ当たりしてくる口調だったので。僅かに笑む。持ち前の横暴さを、オレには見せてくれる。
オレは。きっと。誰よりも。柚佳の特別なんだな。確信を持つ。
だからもう、独占するのはやめる。
幼馴染である事も。付き合えた事も。当たり前なんかじゃない。奇跡みたいだ。
「さっきのは、プロポーズなんだけど。まあ……ちゃんと学業を修めて、就職してから。もう一度言うけど」
真顔で伝えて、じっと窺う。大きく瞠られている目が、苦しそうに細まる。
俯いて静かに涙を零す、最愛の人を抱きしめる。
「私、情けない。自分が嫌い。美南ちゃんもマキちゃんも、悪くない。全部、私がいけないの」
「うん」
嗚咽を上げながら、打ち明けてくれる。
「傲慢だし、自分の為に平気で嘘つくし。ずっと、知られないように隠してた。本当の私は、醜いから」
「うん。嫌われたくなかったんだよな? 柚佳が頑張ってるの、知ってたよ」
ゆっくりと。視線を上げてくる。何か問いたげな瞳で、オレを見る。涙でベチャベチャの頬も尊くて。少し笑う。ハンカチを持っていなかったので……着ていたシャツの袖で、彼女の顔を拭う。
「オレ……柚佳が嫌いな柚佳の事も好きだよ。本当の柚佳も、本心を曝す事を怖がってる柚佳も。柚佳が醜いと思ってる柚佳も、可愛いと思ってる。全部、見せてほしい。きっと花山さんも。もっと、柚佳について知りたいんじゃないかな?」
ニヤリと。口角を上げて、言い及ぶ。
「オレだけしか知らなかった、柚佳の秘密を。ほかの奴に教えるのは、凄くもったいない気持ちで嫌なんだが。花山さんは許す。篤やマキは、絶対にだめだぞ!」
「……ふふっ」
やっと……笑ってくれた。泣いている柚佳も、怒っている柚佳も。好きだし、可愛いと思う。でも。やっぱり、笑顔でいてほしい。
「海里」
名前を呼ばれた。
「好きだよ。大好き」
伝えてくる、明るさの戻った声音に。胸が満たされる。
眼差しを向けられる。
目元は赤く、まだ涙が残っている。
世界で一番、綺麗だ。
「オレも」
「海里が、おじさんになっても。髪が薄くなっても、お腹が出ても。好きだよって意味だよ?」
「ええっ? そっか。安心して、おじさんになれるな。…………もしかして。ずっと、傍にいてくれるって事?」
腕の中にいる、恋人を見つめる。
両の頬に触れてくる、手の温もりが心地いい。
やっと気付き掛けた、察しの悪いオレに。答えてくれる。
「さっきの返事だよ」
短く……何度かキスする。熱が入って、これからという時に。観覧車が終着した。
ガコンと音がして、ドアが開けられる。係員に促されるままに、ゴンドラから出る。ふらつく柚佳の手を引いて、階段を下る。
雨は、先程よりも柔らかく感じる。二人走って、正門近くにある土産物店へ向かう。そこが、集合場所だった。
ほかの友人らは皆、既に到着していた。
「雨、何だか止みそうな気配ね。でも、一時的かもしれないし。今日は、もう帰った方がいいかもね」
店内から窓越しに空を見上げて、花山さんが呟く。彼女のすぐ側に立っているマキが、こっちを睨んでくる。
「何だよ?」
不機嫌な理由を問うと、鼻で笑われた。
「どうせ、バラしたんだろ。『マキ』が『和馬』だって。そうじゃないと。お前らが……そんな幸せオーラ、出してる筈ねぇもんな。一井さんが『マキ』に、敵意剥き出しだったのは知ってる」
吐き出されたマキの言い分に、驚いて目を瞠る。
マキの横には、篤妹がいる。それまで……棚に並ぶキーホルダーに目を輝かせて、キョロキョロしていた彼女が。勢いよく顔を上げる。
「えっ? そうだったんですかっ?」
オレの隣にいる柚佳も。目を大きくして、マキを凝視している。
「そうだったの?」
漏れた柚佳の呟きに。今度は、マキが目を見開く。
「あーあ。自分でバラしちゃって。これは、罰ゲーム決定ね」
花山さんから和馬へ、非情な宣告が下される。
「えっ? あれ? 俺てっきり……。美南ちゃん! どうか、お慈悲を!」
「あ。私……帰る前に、お手洗いに行って来るわ。柚佳ちゃんと美緒ちゃんは?」
花山さんはマキ(声は和馬)を無視して、柚佳と篤妹に話し掛けている。柚佳が応じる。
「私も行く」
「私は、さっき行って来たので。ここで待ってます。あ、でも。飲み物を買って来ようかな」
篤妹が自販機に行こうと、一歩踏み出したところで。篤が呼び止める。
「美緒。外は濡れるから、俺が買って来るよ。何がいい?」
「コンポタ」
「分かった」
篤が走って行った後、すぐに。柚佳と花山さん、和馬も……店の外へ出る。
店内に残された、篤妹とオレ。
気まずい。この状況……何か他愛ない話題でも振らないといけないのだろうか。
女子の友達は柚佳しかいない年月が長かったので、変に気を遣ってしまう。
横目に窺っていると。俯いて棚の商品に目を向けている様子だった篤妹が、ためらいがちに話し掛けてくる。
「沼田……さん? えと。お願いがあって。その……」
篤妹はチラチラとオレの顔を見たり、視線を外したりしていて挙動不審だ。口元に握った手を当てて、モジモジしていた彼女は。瞳を斜め下に彷徨わせながら切り出す。
「なってくれませんか?」
「え?」
「キスの練習相手に」
「っ……え?」
聞き間違いかと耳を疑う。
「その、私……どうしても、兄を振り向かせたいんですけど。全く相手にされてなくて。恋愛経験の多い兄が相手じゃ、手も足も出ないんです」
首を垂れ、気落ちした様相で相談される。いや。篤は既に、けちょんけちょんにされていると思うけど。
「今度、不意打ちでキスしてみようと企んでいるんですけど。何分、私にキスの経験がなくて。奇襲を仕掛けておいて、戸惑うのは私の方って事になりそうなんです」
「ありそうだな」
「ですよねー」
あはは……と、苦笑いしていた彼女だが。すぐに気を取り直した相貌で、明るく提案してくる。
「大丈夫です。沼田さんの事は、好きでも何でもないですし。一回だけですし。柚佳さんには、悪いかもですけど」
「オレも嫌だよ」
オレがした返事に、篤妹は項垂れてしまった。
「えっと。美緒とか言ったっけ?」
声を掛けると、篤妹が顔を上げる。
「お前が、ほかの奴とキスしたら。篤も、嫌がるんじゃないのか?」
「いいえ。むしろ、喜ばれると思います。長年……沼田さんを、オススメされてきましたから」
そうだった。小学生の頃、いじめられていた篤を助けた。その後。奴は、オレの信者となったらしい。時折……暑苦しい視線を感じるのも。犯人は、きっと篤だ。
頭痛のする額を押さえていると。美緒が、ふっと笑う。
「愛されている柚佳さんが、羨ましいです。どうぞ、お幸せに」
篤たちが来たのを見付けた彼女は、雨の中を駆けて行った。
唯一で一番なのは。圧倒的に、柚佳だとしても。
美緒も、かなり可愛い部類の女の子だと思う。
そんな子からの誘いを蹴るなんて。
お互いに、本命じゃなかったとしても。もったいない気もした。
小降りになっていた雨が上がったので、皆して正門へ歩く。
虹の架かる空の下で、柚佳が振り向く。眩しくて目を細める。晴れやかに微笑まれる。
「海里!」
彼女が近付く。腕を引っ張られ、何事かと思っていると。
口の端に当たる、柔らかな感触に戸惑う。
「え? ちょっ……!」
「大丈夫。皆、先に行ってるから。見てないよ」
小悪魔も虜にできそうな甘い笑みに、流され掛ける。
柚佳の肩越しに、先を行く友人らを見る。全員が、こっちを振り返っていたけど。オレが視線を向けた途端に、前へ向き直った。
ダメだ。皆、気付いているのに。知らないフリをしてくれてる。
「お前……。後悔しても、知らないからな?」
「うん? どういう事?」
返答に苦笑する。やっぱり、分かってなさそうだ。
取り敢えず。朝から我慢していた鬱憤を、ここで晴らそうと思う。
逃げられないように、彼女の手を捕まえて。反対の手を、頬に滑らせる。
「海里……?」
まだ分かってなさそうな、好きな人へ。存分に……お仕置きしてやった。

