オレたちを乗せたバスは。休日の道路をスイスイと、順調に進んで行く。今は大きな道路を左折し、橋を渡るところだ。
川面に光が、キラキラと反射している。
窓の外を眺めていた柚佳が、こちらに瞳を向けてくる。
「友達と遊園地に行くの、初めてかも! 海里とも、初めてだね!」
笑顔が眩しい。思わず、目を細めてしまう。
直視するのは、心臓に負担が大きい。足元に視線を逸らして一旦、落ち着けようとする。
落ち着けオレ。ここはバスの中。公共の乗り物。家の中じゃないんだ。外だぞ外。
「海里……?」
柚佳からの呼び掛けに、視線を右へ戻そうとしていた。
「うっふふ! 沼田君って、分っかり易ーい!」
左側から聞こえた花山さんの発言に、体が動きを止める。右へ向けようとしていた顔を、左へ向ける。
「花山さん。何が、分かり易いって? 何の事?」
とぼけて微笑んでみる。
「あら? 言って、いいのかしら?」
こちらへ微笑している花山さんの目が、エグい具合に細まる。
「生意気言って、すみませんでした。言わないでください」
すんなりと引き下がる。
この人を、敵に回したらダメだ。学年女子の頂点に君臨する程の、カリスマ性も持つ花山さん。彼女の一言で。オレの高校生活は、どうにでも変えられてしまうだろう。
何より。考えていた内容を言い当てられて、柚佳に知られるのも恥ずかしい。何でオレは、いつまで経っても余裕がないんだ。
花山さんが指で、ちょいちょいと。耳を貸すように合図してくる。拒む事もできず、仕方なく身を屈める。コソコソと、抑えた声で話掛けられる。
「柚佳ちゃんはねっ、私も……こんなにピュアで眩しい子は、ほかに知らないわっ! どうせ二人、キスもまだなんでしょ? いくら沼田君に勢いがあっても。あの子の純朴さには、勝てないんじゃない? きっと柚佳ちゃんの事だから、恥ずかしがって『まだ早いと思うの!』とか言いそう」
「うーん、そうだったような」
過去にキスの途中で、似たセリフを言われた事を思い出す。……ていうか。柚佳は花山さんに、詳しく話してないんだな。
苦笑いしていると。花山さんが勝ち誇った雰囲気で、ニヤリと口元を歪めている。
「やっぱりね」
「えっと、あの……」
柚佳が、話に割って入る。どうやら、聞こえていたようだ。彼女の頬は赤く。目線が……こちらと斜め下を、行ったり来たりしている。
「それが……」
もじもじと言い淀んでいる柚佳に、何かを察したのか。花山さんが、ハッとした表情で動きを止める。
「えっ?」
花山さんから、思わずといった気配の声が零れる。柚佳は俯いて……まだ、もじもじしている。柚佳を凝視する花山さんの目が、大き過ぎて怖い。再び、花山さんの口が開かれる。
「えっ? まさか?」
花山さんの疑問が、何を指すのかは分かっていたけど。敢えて言葉にせず、小さく笑って見せる。
「……!」
オレの表情で、理解したらしい。目を大きく開いた驚愕らしき面持ちで、頭に両手を置いて嘆いている。
「そんな。嘘よ。柚佳ちゃんが……? 穢れなき天使だったのに。沼田君のバカ!」
花山さんに左腕を掴まれて、揺さぶられる。
振動に頭を揺らしながらも。満足だ。顔が、にやつく。
柚佳との思い出を胸に浮かべて、彼女と両想いになれた奇跡を噛み締める。
「わー、何かムカつく顔してるわ。…………で? どこまで進んだのよ。まさか私の柚佳ちゃんに、キス以上の事をしてないでしょうね?」
花山さんの問いに、顔を横に逸らす。ニヤニヤと緩む口元を押さえる。
「オレの口からは、何とも……」
「なっ? 何よ、その歯切れの悪い答えはっ! 黒なのねっ?」
顔を向けた先で、柚佳の大きな瞳がオレを映しているのに気付く。彼女の不安そうな表情に、オレのニヤニヤが消し飛ぶ。
「柚佳……?」
呼ぶと一瞬、我に返ったように息を吸った彼女は……ニッコリと笑った。
「何? 海里」
「……どうかした? 何か、心配事でもある? 顔色が悪いけど」
問い掛けると、柚佳は首を横に振る。
「ううん? 私って、恵まれてるなって……思ってただけだよ」
「恵まれてる……?」
「えっと……あっ! そうそう。あの子……。さっきから、海里を見てる」
「えっ?」
柚佳の視線を辿れば。左斜め前……篤妹の座る席の一つ前の座席から送られる、鋭い眼差しを知る。「マキ」が妬ましそうな目で、こっちを見ている。オレが花山さんと喋っているから、不愉快なんだろう。
苦笑いして見せると。奴は不機嫌な顔のまま、再び前を向いた。
横から、柚佳の呟きが聞こえる。
「あの子も一緒に、お喋りしたいのかな……? あっ! そういえば今日……柳城君は来てないね?」
急に和馬の話題になって、ドキリと心臓が鳴る。マキの後ろ姿も、数センチくらい揺れたように見える。
「和馬は今日、来れなくて。代わりに、マキちゃんに来てもらったの!」
すぐ左隣からフォローが入る。花山さんの口調は、それらしく自然だ。だが。笑みが不自然だった。唇の端が、ヒクヒクと動いている。
「そうなんだ」
右隣で相槌を打っている柚佳に、視線を戻す。相手の表情には、穏やかな笑みが浮かぶ。でも、何でだろう。素直に花山さんの言葉を信じていると窺える笑顔なのに。不吉な予感を覚える。
柚佳の瞳が逸れる。彼女が向く先には。横目にチラチラと、こっちを気にしているマキがいる。
……まさか。もう、バレてる?
自分の事のように、背中に変な汗をかく。花山さんの考えた「マキの正体が、バレた後の仕打ち」が、思ったよりも残酷なので。和馬に肩入れしてしまったのかもしれない。
顔を右へ向けず、目だけで柚佳を盗み見る。まだ、マキを見ている。何か思考しているようにも窺えるけど、面持ちからは読み取れない。
彼女の唇が、何か紡ぐ。
「――――」
「え? 柚佳、今……何て言った?」
柚佳の表情が、余りにも暗かったからだろうか。さっき、僅かに感じた不安が。胸の内で膨らむ。
少し俯いた彼女の顔色を確かめようと、上体を屈めたところで。思わず、動きを止める。
座席に置いていた右手が、柔らかくて温かいものに覆われている。
相手の目を見る。柚佳はオレの目を見て、ニコッと笑う。甲に重なっている感触が、掌に移る。指が絡まり、捕らわれる。
柚佳の様子が変だ。どこか違う気がするのに。違和感に気付けないでいる。
瞳を見つめながら応じる。
二人の間で密かに、固く結び合う。
視線を外して、前を向く。口元を左手で隠す。動揺が半端ない。手汗も半端ない。
柚佳、どうしたんだろう。今は、ほかの友達もいて。二人切りって訳じゃないのに。こんなに、積極的な奴だったか?
たまに、変な風に周りを気にしないところがあるけど。
思い返したら。キス偽装写真がバレた時とか……オレが花山さんにラブレターを書いたと勘違いしてたらしい頃の柚佳に、雰囲気が似ている気がする。
今回は何だ? 一体、何でなんだ?
一つの可能性に、思い至るが。安直な自分に小さく笑って、首を横に振る。そんなの、ある筈がない。オレじゃあるまいし。
不意に。繋いでいた手が、ぎゅっと握られる。
「海里。何を考えているの?」
問われて。何もやましい事はないのに、焦ってしまう。慌てて、思考を現実に戻す。
「えっあっ、ほら。遊園地に着いたら、何に乗ろうかなーって」
苦し紛れに、それらしい答えを返す。直後に、バスがトンネルへ入る。明るかった外の景色が急に、黒一色になる。窓を背景に、こちらを見つめる柚佳の双眸が細まる。
「ふーん」
あ、あれ? やっぱり、柚佳の様子がおかしい。
「何か……怒ってる?」
さっき思い至った可能性が、己の内側を漂っている。苦笑いして……脳内で、それを否定する。
すぐ傍にいるのだから、本人へ直接聞くのが手っ取り早い。そう考えて、尋ねたのだが……。
「ううん? 怒ってないよ?」
ニコッと向けられた顔は、確かに笑顔なのに。どこか怖い。気のせいだと思いたい。
「何かあるなら。言えよな。ほら……オレ、彼氏だし」
面と向かって言うと、少し照れる。言葉の後半は、ボソボソとした声になる。視線も逸らす。
柚佳は悩みや心配事を話さず、独りで抱え込む癖がある。もっと、オレを頼ってほしい。
チラと視線を戻す。大きな目で見つめられている。相手は、びっくりした時の顔をしている。
「柚佳?」
心配で、声を掛ける。
彼女はハッとした表情で、口を動かす。何かを紡ごうとしているように、パクパクしていたけど。暫くして、動きが止まる。
微笑み掛けられる。どこか、悲しげな瞳で。
「ありがとう海里。へへっ。じゃあ、お言葉に甘えようかな?」
ぽすっ。
「え……?」
柚佳の頭が、オレの肩にくっつく。
「え……っ?」
寄り掛かられている。右肩に、柚佳の重みを感じる。そこはかとなく、いい匂いが近い。
「昨日ちょっとね、寝不足で。ごめんね。もうちょっと、このままでいさせて……」
目を閉じている柚佳の顔。二の腕に感じる体温。未だに繋がれた手は、オレたちの間で湿度を増してゆく。
「あらあら、あらっ?」
花山さんに気付かれた。ニヤニヤされる。
「ほほー? これは……。沼田君が、押せ押せなのかと思っていたけど。意外と……」
「意外?」
直前までの花山さんは。顎に手を当てた素振りで、何か言いたげな様子だったのに。オレが聞き返した途端に、慌てた様子でニッコリする。
「何でもないわ! 柚佳ちゃんを起こさないように、着くまで静かにしてましょ!」
「わ、分かった」
はぐらかされた? 花山さんは、何を言おうとしていたんだろう。

