少しして皆の間に、その内容を理解したような雰囲気が漂う。柚佳は真っ赤になって俯いている。
「あ……えっと……うん。そっか」
小さく呟く彼女が愛しくて、抱きしめたい衝動に駆られるが。教室なので、ぐっと自制する。綻ぶ口元を手で隠して。今はただ、心から伝える。
「ありがとう。柚佳……」
「あ、あれっ? 柚佳さんって、そっちの人が好きなんですか?」
オレと柚佳を交互に見ている篤妹を、篤が凝視している。口元を手で押さえ、震えながら。目が血走っていて、ちょっと怖い。
「まあ、とにかく。兄に手を出したら、許しませんから! お兄ちゃん帰ろっ!」
袖を引っ張られた篤は、教室から連れ出されていたけど。さっきの妹の言葉に、余程感動したのか。ずっと、口に手を当てたままだった。
静かになった教室で、花山さんが話題を振ってくれる。
「そう言えば、マキちゃんの事なんだけど。最近も連絡を取れないか、方法を試しているけど返事が来なくて。ごめんね。引っ掻き回しといて、何も力になれなくて」
申し訳なさそうな花山さんに苦笑する。聞いた話によると『マキ』と連絡を取る方法は……花壇横の三番目の植木鉢の下にメモを置くとか、時間と手間の掛かるやり方らしい。何度もそんな事をさせて、こちらこそ申し訳ない。
「いや、いいんだ。今日、メッセージを入れておいたから」
「え……?」
オレの答えを予測していなかったように、表情を失くした顔で見返してくる。
「彼女の下駄箱、知ってる」
微笑んで、それだけを教える。
次の日。テストは三日目。
放課後になり……オレの下駄箱に、何やら手紙が入っている。開ける前から、誰からの手紙なのかは分かっていた。幸いにもこの時、柚佳はトイレに行っていたので。手紙は見られていない。
人目を気にしつつ、中を確認する。便箋に巷の女の子が書くような可愛らしい丸文字で……この間、オレが下駄箱に入れたメッセージの返事が綴られている。
『海里君へ。お手紙ありがとう。でも残念。下駄箱を間違えたようね。手紙はこちらで回収させてもらったわ。それから、二十六日……木曜日の放課後は、四時なら行けそう。書いてあった場所で会いましょう。マキ』
「やっぱりな」
薄く笑って、手紙を鞄に仕舞う。
テスト最終日。放課後にはクラスメイトの多くが晴れ晴れとした顔で、その日のテストの出来ばえを語ったり、答え合わせをしたりしている。
今日は『マキ』と会う、約束の日。落ち合う予定の四時までには、時間があるので。一旦、帰ろうと思う。
篤は今日も妹と帰るらしく、早々と教室から去った。
柚佳、花山さん、和馬、オレという……いつものメンバーで学校前の坂を下る。
「じゃな」
「おう、また明日な」
脇道へと入って行く和馬を、僅かに見送った後。バス停へ続く坂を、再び下る。
柚佳はもうバス停の近くまで、ずっと先の方を歩いている。
「花山さん」
呼ぶと、前を歩く花山さんが足を止めて振り返る。彼女は何だかんだで、オレよりも長く和馬を見送っていた。呼び止める直前までは、柚佳に追いつこうと足を速めている様子だった。訝しむような目を向けてくる。
何食わぬ顔をして、その表情を読む。
午後四時。屋上の入口前に立つ。小さなスペースの奥に置いてある掃除用具入れのロッカーの錆びが「悪霊の顔のように見えるな」とか、物思いに耽っている。一旦、家に帰ったけど。服装は制服のままだ。「これから、どうなることやら」と、少し気が重い。
二分程、遅れて。階段下に足音が響いてくる。
姿を現した美少女『マキ』と、視線が合う。階下の踊り場から、微笑んでくる。
「随分と、余裕そうだな」
挨拶代わりに、ニヤリと笑って言うと。相手も、ニッコリと返してくる。
「海里君がくれた手紙にあった『脅し』に、屈した訳じゃないわ。……でも。鈍感なのに、よく分かったよね。誉めてあげる」
おちょくるような瞳で微笑んだまま、一歩ずつ階段を上って来る。長い黒髪が揺れている。
オレが下駄箱に入れた『マキ』宛ての手紙には。『来なければ。お前の大切な人に、秘密をバラす』と、書き添えていた。
「ここに来たって事は、やっぱり。下駄箱は合っていたんだな?」
マキに問う。手紙に書いた『秘密』とは、彼女の正体であり……手紙を入れた下駄箱が本当に間違っていたのなら、きっとここには来なかっただろう。
彼女は、ニヤリと口の端を持ち上げる。
『マキ』からの手紙を見て。確信した。丸くて特徴的な、可愛らしい文字で書かれている。花山さんの文字に、そっくりだった。
そして、篤から聞いた『マキ』についての情報。
『彼女の髪を手に取って気付いた。地毛じゃない。ウィッグだろう』
ずっと、引っ掛かっていた。花山さんに届いた、偽物のラブレター。オレの字をマネできる人物は、限られている。ノートを、何度も貸したよな。
「まさか、お前にそんな才能があったなんてな。役者にでもなるつもりなのか? ……和馬」
呼ばれた美少女は、ニッコリと笑う。
「ふふっ」
階段を上り切った『マキ』は、体の後ろで手を組み、上目遣いに見上げてくる。こちらへと数歩、接近した彼女は。何故か更に、笑顔を見せる。
直後に、背を向けられる。今いるスペースの左奥へと歩いて行く後ろ姿へ、視線を注ぐ。
錆だらけのロッカーと、床に置かれたバケツや、立て掛けられたモップ。それらを背景に。彼女が振り返る。
細くしていた目を開き、告げてくる。
「海里君、考えがぶっ飛び過ぎだよ。でも、正解」
初めはコロコロと笑うような、明るく澄んでいたものが。後には。愉快そうでいて、落ち着いた雰囲気の……マキの声より低い、普段の聞き慣れた声音へと変貌する。
見た目とのアンバランスさに。眉をひそめる。聞き間違いじゃないよな?
彼女の秘密を暴いたのは自分なのに、思わず耳を疑ってしまう。
「すんなりと認めるんだな?」
問いながら、注意深く。眼前にいる人物を窺う。口には、微笑みを浮かべて……相手も、こっちを見ている。
ハイネックのインナーを着ているのは、喉仏を隠す為か? ささやかにある胸は、きっと……中に、何か仕込んでいるのだろう。黒タイツは……確かこいつ、スネ毛が濃かったよな。
それにしても。化粧をバッチリにしているとは言え。よくここまで、見事に化けれたものだ。称賛に値する出来ばえの『マキ』を、繁々と眺めていると。相手の双眸が、不快そうに細まる。
「ジロジロ見んじゃねーよ! 篤といい、お前といい! 男に興味ねーよ、オエエ」
舌を出しておどけている様を見つめる。ああ……和馬だ。こんなに美少女なのに、和馬なのか。
「篤に一度、髪を触られたし。長くは隠し通せないだろうなって……薄々、思ってた。この姿も、今日で最後だ。大体。この化粧とヅラすんのに、一時間半は掛かるんだぜ?」
片方の口の端を上げて、ケラケラと笑っている和馬に。押し黙ったまま、視線を向けている。
「篤は、てっきり。一井さんが好きなんだと思ってた。でも実際は、あの妹が本命だったんだな。思い描いていた筋書きと違ったけど。漸く、安心して眠れそうだよ」
親友は優しげな目をして下を向き、やっと……本意を零した。
何で『マキ』に、なりすましてまで。オレと柚佳の仲を、裂こうとしていたのか。何故……オレを装って、花山さんへラブレターを書いたのか。
頭の中で考え続けて、辿り着いた答えを。マキの姿をした和馬にぶつける。
「お前……柚佳と篤を、くっつけようとしただろ。オレが書いたように見せ掛けた手紙で、花山さんの気を篤から逸らした。……全部、花山さんと篤が付き合うのを止める為か?」
和馬は俯いたまま視線を上げず、少し悲しげに微笑する。
「だったら。何だよ? 俺は自分の思い通りにする為だったら、友達だって利用する。お前に近付いたのだって……美南ちゃんと仲の良い一井さんの幼馴染だったから、何かに使えると考えただけだ。……ずっと。お前が嫌いだった。お前は、片想いだと思っていたようだけど。一井さんとお前は両想いだって、すぐに分かった。俺と違って、恵まれてるお前が。本当に大嫌いだった」
荒々しく吐き出すように言い捨てた和馬へ、冷めた目を向ける。
「それで? だから、何なんだよ。オレと違って、お前は。好きな子から、好かれてないって? オレを利用する為に、友達になった? オレの事が大嫌い?」
距離を詰めて、睨み合う。皮肉を込めて、せせら笑ってやった。
「全部、どうでもいいね! お前はオレと、喧嘩別れでもしたいみたいだけど。生憎。オレもお前を、存分に利用してるんだ。お前に見放されたら、昼飯の時にオレだけ浮くだろ? もう浮いてた頃に戻れないくらいには、お前には利用価値があるんだ。悪いけど、このまま利用させてもらうからな」
鼻で笑い、見下ろす。
意味を理解するまでに、時間が掛かったのかもしれない。大きく開いた目で凝視してくる。暫く経った後で、相手が口をへの字にする。僅かに笑っているような、負け惜しみめいた口調で言ってくる。
「俺やっぱり……お前の事、嫌い」

