キスの練習相手は幼馴染で好きな人【改稿版】


 引き寄せて抱きしめると、いい匂いがする。

 相手の背に腕を回す。幸せを噛み締める。
 細くて柔らかい身体。
 あっヤバい。

「柚佳ごめん。オレもう、我慢できない」

「う、うん」

 彼女の上に身を預けて、ベッドに体を沈める。

 限界だった。

 思い返せば。夜中に色々と考えていて、朝方の一時間しか寝ていない。
 柚佳を抱きしめている安心感で、深く心地よく眠れた。



 翌日の昼頃に、目が覚める。瞼を開くと、隣に柚佳がいて。じっと、顔を見られている。

「う、わっ」

 同じ布団の中にいたので、戸惑う。

「おはよう海里。疲れていたんだね。いびきをかいてたよ」

 彼女は温かく笑った後にベッドから出て、背伸びをしている。昨日のスカートとブラウスだった服装と違って、今は薄ピンク色のパジャマ姿だ。

「ねぇ海里! ケーキを食べようよ!」

 柚佳の部屋の折り畳みテーブルを挟んで、向かい合って座る。昨日はオレが寝てしまった為に食べられなかったケーキを、二人で一緒に食べる。

 窓から注ぐ、爽やかで明るい光の中にいる彼女は。さながら、天使か女神のように美しい。

 昨日は『オレ以外、考えられなくさせてやる』と、決意してここへ来たけど。結局はオレの方が、柚佳に翻弄されるばかりだった。

 あれだけ真剣に読んでいた恋愛指南本の小技たちも、使う機会がなかった。……と、言うか。覚えた筈なのに。何一つ、思い出せない。きっと……柚佳の話が強烈過ぎたのと、寝不足だったせいだろう。勉強も全然、捗らなかったし。

 それに。昨日のオレは本当に、どうかしていた。……何故あの時、眠ってしまったのだろう。

 今、目の前で。無防備にケーキを頬張っている、柚佳を。盗み見る。
 白い首元に、視線が吸い寄せられる。彼女が着ているのは、普通の長袖長ズボンの……露出の少ないパジャマなのに。めったに見る事のできない特別感からか、色々な膨らみを意識してしまう。

 早々とケーキを食べ終わって、テーブルに突っ伏していると。柚佳が切り出してくる。

「海里、勉強……」

 やっぱり、今から勉強するよね? 欲望に負けそうな自分を、理性に従わせないと。だらしないところを見せて、嫌われたくない。

「勉強、後でもいいかな?」

 柚佳の提案が思い掛けないものだったので、瞼を開いて顔を上げる。真意を問うように見つめていると、瞳を逸らされる。彼女は指を少しだけ曲げた手で、口元を隠す仕草をして。薄らと、頬が赤い。

「そっちに、行ってもいい……?」

「え、あ。ああうん」

 何とか、返事をする。柚佳が立ち上がる。
 オレの隣へ来て、こちらを向いて座った彼女と。キスが始まる。すぐに、理性が負けてしまった。


 口付けの後に。額をくっつけて瞳を覗く。
 相手は少し恥ずかしそうに、視線を彷徨わせている。やがて、何かを問うように見返してくる。

『もう、絶対に放さない』

 心の中で決意して、彼女の手を引く。



 翌日は、テスト一日目。思うように勉強できていなかったので、不安もあったが。日頃から積み重ねてきた成果か、悪い感触ではなかった。

 昼過ぎに、今日の分の試験科目は終わり。どこか、ほっとした様子で。クラスメイトたちが帰って行く。

 帰り支度をしている篤の、机の前で立ち止まる。

「篤。悪いけど。ちょっと、来てくれるか? 言っておきたい事がある」

 篤は一瞬だけ、僅かに面白がるような表情をした後で。いつもの如く微笑む。

「いいよ。俺も沼田君に、伝えておきたい事があったんだ」


 
 柚佳も交えて、三人で屋上に来た。今日は曇りのような晴れのような、曖昧な天気だ。風が強くて、柚佳のポニーテールが揺れている。

「その様子だと。聞いたみたいだね。と、いうか。やっと言ったんだ、一井さん」

 な、何で分かるんだ? 柚佳から聞いた事。

 篤の言動に。「オレって、そんなに分かり易い様子をしていたか?」と、怯み掛ける。
 けれど……今は、それよりも。大事な用件がある。

 強い眼差しを向けたまま、口を結んでいるオレへ。篤が、朗らかに告げてくる。

「予想していたより。一井さんが『お願い』を守って、秘密にしている期間が長かったから。もしかしたら、まだ。二人の間に付け入る隙があるかもって、思ってるんだけど」

 篤のとんでもない発言に焦り、即座に言い放つ。

「ない! 柚佳は絶対に、渡さない!」

 オレの剣幕をよそに、篤は楽しげだ。

「別に。一井さんは、問題じゃないんだ。第一。恩人の大切な人を奪おうなんて、思わないよ」

 見透かすように目を細め、笑ってくる。

「沼田君が、一井さんの事を本気なのも分かったし。一井さんも。俺に靡かないくらいには、沼田君しか見えていないみたいだし。安心した。でも、約束は約束だから。今度、妹を紹介するね」

 屈託のない微笑みを浮かべて、篤が言う。柚佳の顔が、蒼白になっている。
 『必要ない』と、キッパリと断ろうとして口を開く。だが、篤の方が早かった。

「妹にも、沼田君の素晴らしさを伝えようとしているんだ。でも、全然……話を聞いてくれなくてね。そんな強情なところも、堪らなく可愛くていいんだけど。最近……可愛過ぎて。困っててさ。喋っている時とか、一々……距離が近くて。他の男にも、この距離で話すのかと思うと。憎らしく感じてしまったり……とにかく。早く沼田君とくっつけば、安心なのに」

 顔を覆った指の隙間から、目をギラつかせている篤を。呆れに細めた双眸で、一蹴する。

「シスコン」

「グッ! そうだ。認めるよ……」

 篤が左胸を押さえて、膝を突く。しゃがみ込んだ篤を見下ろす、柚佳の表情が。何故か、輝いている。

「へぇ。意外! 桜場君って、沢山の人と付き合った経験があるから。海里みたいに、鈍感じゃないと思っていたのに!」

 さらりと。オレまで、貶された気がする。

「どういう事かな?」

 篤が、柚佳を睨む。

「他の女子と妹を、一緒にしないでくれる?」

 篤は不服を表す如く、冷たい物言いをしつつ。立ち上がり、促してくる。

「沼田君。これは、君に言っておいた方がいいかと思って。耳を貸して」

 引っ張られて、柚佳に聞こえない所まで移動する。伝えられた情報に、目を開く。

「え……」

 困惑しているオレに、篤が真剣な瞳で問う。

「君なら。その意味に、辿り着けるんじゃないか?」

「だとしたら……っ」

 ある考えが浮かび。到底……信じ切れないながらも。直感が『そう』だと、叫んでいる気がする。

 篤から聞かされた情報は。あの謎多き美少女『マキ』についてのものだった。内容は以前、篤が彼女に会った時に気付いた事。
 今まで頭の隅に引っ掛かっていた件と、その情報を合わせた時。オレの中で、一つの可能性が閃く。
 けれど。余りにも、突拍子もない発想だったので。口が緩み出す。押さえて隠す。

「心当たりが、あるみたいだね」

 篤が微笑している。

「ああ、多分な」

 返事をしながら、親指の爪を噛む。

 もしも、本当に『そう』だったとしたら。なるほどな。少し……いや、結構なショックを受けている自分に。ショックを受けている。

「よかった。すぐに排除しなくて。生意気だから正直、イラッとしてたんだ。今日、沼田君に確認できてよかったよ」

 穏やかに笑みを増す、篤の目元が怖い。

「『マキ』については、オレが話をつける。それより篤。お前……。柚佳に告白した時に。十日後に返事をするように要求したらしいな。今日から数えると、四日後の金曜日になってたけど。もう……告白の返事は、今日のでいいよな?」

「もちろん。十日後にしていたのは、それまでに一井さんと沼田君の関係に進展がなかったら面白くないから。こっちから仕掛けようと思ってたんだ。例えば『時間切れ』って言って、妹を嗾けたりね」

 篤が柚佳に本気じゃなくて、本当によかった。もし、本気だったら。初心な柚佳なんて、一溜まりもなく籠絡されていただろう。篤が敵じゃなくて、内心ではホッとしている。さっきの発言から……オレは随分と、手加減されていたんだと分かったから。

 これから。篤が柚佳を、本気で好きにならない保証はない。背筋が寒くなる。

 早く篤と、篤の義妹がくっつけばいいのに。……あれ? 義妹とは、結婚できないんだっけ?

 そこまで考えて。少し『マキ』の気持ちを察した。



 テスト二日目。放課後に突如、篤の妹が襲来した。
 柚佳はビビっているのか、目を大きく見開いて小刻みに震えている。

「兄がいつも、お世話になってますぅ」

 明るい色味でウェーブの掛かった髪の房を、指でクルクルと弄りながら。篤の妹が自己紹介する。

「美緒っていいます。好きなものはプリンとー、可愛いシールを集めてます。あっ、もちろん……兄の事も大好きですよ?」

 聞いてもいないのに、よく喋る。隣に立つ篤の左袖を摘んで、一時も離さない。周囲にいるオレ、柚佳、花山さん、和馬の視線を一身に浴びて。少し、居心地が悪そうにも見える。一年生らしく、小柄だ。花山さんよりも、細いのではないだろうか。

 身長で比較するなら、高いのが『マキ』。続いて柚佳、花山さん、篤の妹といったところか。

「もしかして。あなたが『柚佳』さん?」

 篤の妹が。花山さんを値踏みするように、ジロジロと見ている。

「えっ? 私は、花山美南。柚佳ちゃんは、こちらよ」

 花山さんに言われ。柚佳も篤の妹も、ぎょっと顔を強張らせる。

「あ、あなたが柚佳さん? ……地味な人ね」

 篤妹の、失礼な言動に。柚佳の表情が、あからさまにショックを受けた様相を呈する。

「こら。美緒、ダメだよ。自分が可愛いからって、他の人を悪く言ったら。美緒の評判が、悪くなるだろう?」

 直後に篤がフォローを入れたと思ったら、そうでもなかった。

 オレは、ろくでもない兄妹に溜め息をついて。こんな事で傷付いてしまう……繊細で可愛過ぎる、柚佳の頭を撫でる。優しく教える。

「柚佳が。そこら辺の、あんなガキに。可愛さで負ける訳ないだろ? 僻んでるんだよ」

「海里……。ずっと、思ってたんだけど。海里の目って曇ってない? 私を見る時、特殊なフィルター掛かってない?」

「掛かってない。頗る、よく見えてる」

 透かさず、言い返しておく。


 近くの席から眺めていたらしい。頬杖をついた脱力する姿勢で。花山さんと和馬が、呆れ顔をしている。何か言われた。

「バカップルね」

「バカップルだな」


「べっ、別に私……僻んでるんじゃありません! 牽制ですよ、牽制!」

「牽制?」

 篤妹の言い訳に、柚佳が首を傾げている。

「私は今日……兄の許しを得て、宣戦布告に来たんです!」

 ハッキリとした篤妹からの宣言に。柚佳の表情が、更に強張ったように見える。


「海里はだめっ!」

「兄は、私のものです!」


 柚佳と篤妹が。同時に……何か言った。