キスの練習相手は幼馴染で好きな人【改稿版】


「先に、ご飯食べようよ!」

 明るい様相で、手を引いてくる。台所に連れて行かれ、椅子に座らされる。彼女が、テキパキと動くのを見ていた。数分後。テーブルの上には、温め直されて湯気の立つ料理が並ぶ。

 これは……っ、オレの大好物のハンバーグ!

 ご飯の横には、野菜のスープが置かれる。

 昼に弟と食べた、具なしのラーメンを思い出す。ラーメンも美味くて好きだけど、柚佳の作った料理とは比べられない。
 これをオレの為に作ってくれたんだと思うと、感動で胸がいっぱいになる。

 ハンバーグは。食べると口の中で、じゅわっと肉汁が溢れる。野菜スープも。具が色々と入っていてコクがあり、健康にもよさそうだ。もちろん、どっちも。物凄く、美味い。

「うまっ」

 一口目を食べて、思わず呟いたら。柚佳が、満面の笑顔になる。

「よかった!」

 そうニコニコしている彼女に、感情が暴走気味に思考する。
 可愛い可愛い可愛いかわ……今日のオレ、ちょっとおかしい。


 食べ終わって、二人して食器を片付けている。柚佳が話し出す。

「海里、あのね。今日、海里が『一緒に帰ろう』って誘ってくれた事……嬉しかった」

 横顔へ、視線を移動させる。彼女は流しで皿を洗いながら、少し笑んでいる。

「歩み寄って、謝ってくれた事も」

 最後の皿を籠に伏せて、こちらに顔を向けてくる。食器を拭く為の布巾を右手に持ったまま、身動きもできずに……彼女の様子を見ている。

「ずっと海里と恋人になりたかったけど、秘密を持っているのが苦しくて……。私じゃ、勝てそうにないって思ってた。でも、今なら……今だったら、勝てるかな? 一人じゃ、耐えられないよ」

「柚佳。何の事を言ってるんだ?」

 彼女はオレを見て微笑む。

「桜場君の事……私たちの関係について、海里に聞いてもらいたいの」

 一瞬、心臓が大きく鳴る。

「その前に。一つ知りたい事があるんだけど、答えてくれる?」

 朗らかな表情で聞いてくる。何も、言葉にできずに。ただ、頷く。

「今日さ、バスで桜場君を見たって言ってたよね。一緒に歩いてた子の事も……見たんだよね? その子の事、海里はどう思った?」

「どうって?」

「……可愛いと思った?」

 必死に思い出そうとする。正直……柚佳以外の女子なんて、どうでもいい。あまり覚えていなかったが、ぼやっとしたイメージはある。

「そうだな。普通に?」

 柚佳の瞳が下を向き、表情にも陰りが差す。

「そっか」

「お前の方が、可愛いけどな」

 三秒くらいして。彼女が、ゆっくりと顔を上げる。

「……え?」

 相手の両腕を掴む。目を見て、はっきりと伝える。

「お前の方が、可愛い」

 柚佳の大きな目が、何かを堪えるように歪んでいく。

「私って、可愛い……?」

「……っ、可愛いよ」

 眼前の頬に、涙が流れ落ちて。胸が締め付けられる。親指で拭い取り、彼女の手を引く。

 柚佳の部屋に入ってすぐ左手にある、ベッドの端に座らせる。落ち着けようと、彼女の背を摩る。床に膝をつき……安心してほしくて、手を握る。

 ぽつりぽつりと語られる話を、複雑な思いで聞く。

「小学生の頃……仲間外れにされていた時に。陰で、そのグループの子たちに『ブス』とか言われてるの……知ってたの。だから少し……ずっと、気にしちゃってて。今まで『可愛い』って、言われても。どこか、信じ切れなかった。お世辞なのかなって」

 目にした柚佳は、笑っているのに。痛々しく映る。

「それは、柚佳が可愛いのを妬んで言ってたんだよ。絶対。あのクラスに、柚佳よりも可愛い奴なんていなかった! ……今まで誰も、柚佳を超える奴なんていなかった!」

 言い切ったオレに、彼女の目が丸くなる。
 やがて。雨上がりの晴れ渡る空のように、笑ってくれた。

 ある考えに、辿り着く。

「お前、やっぱり。篤の事が……?」

 知りたくなかったけれど、理解してしまう。

「本当は、篤が好きだけど……バスから見えた、あの女の子が篤の本命で。気を引く為に、わざと。オレと付き合った……? あの女の子に勝ちたいって、そういう事だよな」

 柚佳はオレの目を見て、ニッコリと微笑んでくる。

 あれ? 間違えた?
 柚佳から何か……怒りのオーラみたいなものが出ている気がする。

「海里、好い加減にして。私、そんなに信用ないの? 嫉妬してくれる海里も好きだけど、ここまで鈍感だとは思わなかったよ! 大体、私のコンプレックスが強くなったのも……海里のせいなんだから!」

 立ち上がった柚佳に引っ張っられる。導かれるままに、彼女の隣……ベッドの端に腰を下ろす。

「前に『お前より可愛い子が、わんさかいる』って、言ってたよね? 言外に可愛くないって言われているみたいで、傷付いた。少しだけ残ってた自信も。砕けた」

 下を向いて苦笑する姿を、黙って見つめる。

「美南ちゃんに『沼田君から、ラブレターをもらった』って、聞いた時は。ショックだった。やっぱり、私じゃなかったって」

 不意に、肩を押される。
 仰向けになったオレの頭の横に手をついて、目を合わせてくる。彼女が、苦しそうに笑う。

「でも、どうしても。海里を取られたくなかった! 海里が誰を好きでも、私を好きになってほしかった! ……けどね。美南ちゃんの言葉や、桜場君の『お願い』が……呪いのように重くて。私は意気地なしだから、言えなかった」

「篤の『お願い』って、何なの?」

 震えそうな唇を、必死に動かして尋ねる。柚佳が少し笑う。

「私たちの関係を、言わない事。誰にも」

「お前たちの、関係って……?」

 今なら。答えてくれる気がする。

「お前たち?」

 何が面白いのか、彼女は「フフッ」と無邪気な笑顔を見せる。

「違うよ。私たち……海里を含めて、三人の関係だよ」

 オレの顔の横にあった手が離れる。柚佳はベッドの上に、女の子座りで俯く。オレも上半身を起こし、あぐらで座る。

「桜場君から告白される前。時々、視線を感じてた。桜場君は目が合うと、いつもニコッと笑ってた。私は薄々、視線の意味に気付いていた。それは……微かな悪意」

「えっ? 普通そこは、好きだからとかじゃないの?」

「ううん。違うの」

 柚佳は何故か、切ない表情でオレの目を見る。

「桜場君は上手く隠していたけど。何でだろう、分かっちゃうんだ。そんなに強く憎むような感じじゃなかったから、大丈夫かなって思ってたんだけど」

 あははと笑って後頭部を掻く、幼馴染を見守る。その先を、話してくれるのを待つ。

「桜場君に屋上に呼び出された時は、何か嫌な事を言われたらどうしようと思って。ビクビクしてた。告白されて『何で?』って、びっくりした。『ごめんなさい。私、好きな人がいるから』って断ったら『ふーん? そんなに、沼田君がいいんだ。同感。でも、それにしてはグズグズし過ぎなんじゃない? このままだと二人とも、老人になるよ。もしかしたら沼田君に、君じゃない彼女ができるかも。この八年間、何やってたのさ。まあ、こちらとしては好都合なんだけど』って、嘲笑ってきたの! それで私、記憶を辿った。桜場君の正体に、思い当たったの。桜場君……元の名前は、川井篤。小三の時に……海里が、いじめっ子から庇ってた川井君だよ」

「えっ」

 思わず声が漏れてしまい、口を押さえる。

 川井君……? あの背が低くて細くて、いつも暗い顔をしていた彼……?
 正直、同一人物には一ミリも思えなくて。困惑する。

「私は別のクラスだったから、よく知らないけど。三年生の途中で、転校してたでしょ?」

「ああ、そうだったような……」

「私も、名字が違うから別人と思ってた。何かね……桜場君が早口で喋ってたから、よく覚えてないけど。小三の時に、いじめられてたのを助けてもらってから。ずっと、海里の事を崇拝……えと……憧れてたみたい。海里を目標に努力していたら、いじめられなくなって友達も増えたって言ってた」

「嘘だろ」

 オレを目標にして、どうしたら今の篤が出来上がるのか知りたい。

 柚佳は篤の声マネで、続きを語り出す。

「『ここだけの話、沼田君には俺の義妹と付き合ってほしいんだよね。俺には過ぎた妹でさ。もし二人が結婚すれば、俺と沼田君は親族になるんだ。凄くない? もしも、俺の事を沼田君や他の奴にバラしたら。すぐに……この計画を実行する。だから。言わないでね? そうだなぁ。君は沼田君の幼馴染で、彼に近くて。妹から見たら、邪魔な存在なんだよね。だから、俺と付き合ってくれたら。妹も安心するだろうから、都合がいいんだけど』」

 声マネが、元の柚佳の口調になる。

「『お断りします。私、付き合うなら。一人だけって、決めてますから。相手も、もう決めてますから』」

 再び、篤の声マネになる。

「『分かったよ。一井さんの、心を動かす為に? 他の彼女は、作らないようにするよ』……あいつは、そう笑ってきたの! 何で、そうなるのよ!」

 柚佳は声を戻し、ギリギリと歯軋りしている。えっと……言葉遣い。相当に、怒ってんな。

「『桜場君って、性格悪いよね』って、ちくっと言ったら。『もちろん。いい子のフリに疲れていたんだ。あの、一週間だけ付き合わないといけない取り決めも。誰が作ったんだろう。この機に解放されると思うと、清々しいよ。一井さんには、感謝しないとな。ありがとう。人身御供になってくれて』って、言われて。その日の日記が、恨みで荒れまくったよ。そして奴は、こう締め括ったの。『もう一度、お願いしておくね。もし沼田君にバラしたら。すぐに、妹を嗾けるよ。妹は容姿も性格も、素晴らしく可愛いから。沼田君であっても、メロメロになって。君なんて相手にしなくなる事は、間違いなしだ。十日後の同じ時間に。また、この場所で。返事を聞かせてもらうよ』なんて、勝手に言い置いて。桜場君は屋上を去った」

「っ……。柚佳。篤はお前の事が好きで、そんな回りくどい事をしてるんじゃないのか?」

「それはない! あいつは、私が好きな訳じゃない。試してるの。海里の彼女に、相応しいかどうか」

 ずっと、心に引っ掛かっていた件を聞く。

「何日か前……。篤とお前が、屋上前の階段で話してるのを聞いた。『大嘘つき』とか、言い合ってるのと。オレが『気の毒』とか、篤が言ってて……」

「ああ。それは、桜場君が……私を好きじゃないのに、好きなフリするから。あっちが言ってた『大嘘つき』は、私が海里に秘密を持っている事を指してるんだと思う。『気の毒』は。私に『早く沼田君に全部を話して、楽になりなよ。沼田君も、隠し事をされて気の毒』ってニュアンスの『気の毒』かもね。今、思えば。海里が私と桜場君の仲を疑ってしまうだろうから『気の毒』って意味だったのかも?」

 何だか少し、力が抜ける。気を張って聞いていたからかもしれない。グダッと脱力する。猫背になって問う。

「早く、言ってほしかった」

「だって海里じゃ、隠せないでしょ? すぐ態度に出るんだもん! 桜場君にバレたら……」

「義妹を嗾けるって? 柚佳。オレが柚佳じゃなくて、その子を選ぶと思ってるの?」

 やっと分かった。今日の昼間。バスから見た篤と歩いていた女の子は、篤の義妹なんだろう。だから柚佳は、あんな反応をしていたのか。

「……分からない」

 自信のなさそうな、暗い声で呟く幼馴染を。横目に窺う。

「私は、性格も悪いし。海里が、お嫁さんにしてくれないと……一生、結婚できないかもしれない」

「本気で言ってるの?」

 向き合い、居住まいを正す。彼女の、両手を握る。

「篤や他の奴からも、告白された事がある癖に。全部を断ってたのは。オレの為? そんなに、オレがいいの?」

 こくんと頷く柚佳に、念を押す。

「それって、プロポーズに聞こえるけど?」

 真っ赤になって、眉尻を下げた顔で見上げてくる。
 伏目がちに頷いた彼女を、強く抱きしめた。