「柚佳から聞いた。柚佳じゃなくて、オレに渡せよ……」
「ははっ。一井さんに、揺さ振りを掛けたくてね。ショックを受けた一井さんが、俺に靡くかもしれないだろう?」
相変わらず、篤は飄々と笑う。
「……とは言え。沼田君が喋ってくれたから。代わりに俺も、知っている事を教えよう」
「オレが喋った? オレ……何か言った?」
篤の発言に、途端に不安になる。会話している内に、篤にとって有益な情報を与えてしまったのか――?
篤はニッコリしている。オレの質問には答えずに、『知っている事』とやらを話し出す。
「写真に写っていた子。あの子は『情報屋』と名乗っていた。二週間くらい前、放課後に呼び出された事があって。隣の校舎の空き教室へ行った。そこへ写真の子が現れて『一井さんの好きな人って興味ない?』と言ってきたんだ。『ああ、それは知ってるから。別の話がいい。君について知りたいなぁ』って、俺が話を逸らすと。その子は『沼田君について教える』と言ってきた。髪の毛が長くて綺麗だったから、手に取ったら……本当に嫌そうに言われた。『やめて。アンタに興味ないから』って。『君の目的は何?』って、聞いてみたんだけど。『場所を変えましょ』と、促されて。廊下に連れ出された。階段を下っている内に、その子はいなくなってた」
篤の話を、呆然と聞く。
それじゃあ、あの写真の子は。少なくとも二週間前には、既に暗躍していたのか? 以前から。オレと柚佳の関係を、壊そうとしていた……?
「それと」
篤が再び、口を開く。顎に手を当て、何かを考えている素振りで。細めた眼差しを向けてくる。
「俺が呼び出された、空き教室には。もう一人いた。教卓の下で、声を押し殺していたみたいだったけど。写真の子が見当たらなくなって戻った時には、いなくなってた」
「それ、私だわ」
言いづらそうな雰囲気をまとい、小さく手を挙げる人物を凝視する。手を挙げたのは、花山さんだ。
放課後。今日は土曜なので、今は昼なんだけど。クラスメイトも疎らな時間帯の教室に、オレと柚佳、花山さん、和馬の四人で集まっている。花山さんの机の前の席に、柚佳が座り……オレと花山さんと和馬は、いつものように自分の席に座る位置関係だ。
昨日、約束した通り。花山さんは、あの写真の子について知っている情報を話してくれようとしていた。オレが先に、篤からの話を三人に伝える。すると、花山さんが狼狽える様子を見せた。そして、彼女は……。篤の言っていた空き教室に潜んでいた人物は、自分だと認めた。
残りの三人が、彼女を見る。花山さんは、挙げていた手を下ろして俯く。
「やっぱり。桜場君にバレてたのね。隠れてた事。何か、恥ずかしい~!」
両手で顔を覆い、首を横に振っている花山さんに。目を丸くした和馬が尋ねる。
「え? 美南ちゃん。何で、そんなとこにいたの?」
指の隙間から片目で、和馬の方を見つつ。花山さんが答える。
「だってマキちゃんが。ここに隠れててって」
マキちゃんというのは、あの写真の子の名前らしい。
花山さんの話では。彼女は『情報屋』と呼ばれる、謎のグループの一員で。この学校の、色々な情報を握っているとの事。会いたい旨を、とある手順を踏んで伝えると。稀に、会える時があると言う。花山さんも件の方法を、半信半疑で試したのだそうだ。
「桜場君の好きな人は、本当に柚佳ちゃんなのか知りたくて。聞いてみたんだけど。手筈は整ってるって、あの空き教室に連れて行かれたの。ここで聞いててって。マキちゃんと桜場君が、どこかへいなくなった後に。慌てて逃げたわ」
花山さんは昔を振り返るように、遠い目をしている。
「それで、その……」
花山さんが切り出す。彼女は言い難そうにモジモジしながら、オレへと視線を移してくる。
「沼田君とマキちゃんの写真を撮ったの、私なのっ。ごめんね!」
「えっ……そうなの?」
驚きで、花山さんをガン見する。
「てっきり、その『マキ』って子の仲間が撮ったのかと思ってたけど。花山さんだったのか」
「うっ……。私が悪かったわ。マキちゃんに頼まれたからとは言え。あの日、帰ろうとしてたら。下駄箱にメモが入ってて、マキちゃんからだったの……。空き教室でマキちゃんと桜場君のやり取りを聞いた日の、呼び出しに応じたから……その分、協力してって書いてあったわ。沼田君が来る前に、マキちゃんと会って打ち合わせをして。廊下の窓からバス停を見張っていたマキちゃんの合図で、隣の教室に身を隠して。ドキドキしながら待ってた。マキちゃんは……えーと、そこ!」
花山さんが、掃除用具入れになっているロッカーを指差す。
「ロッカーの横……壁との間に、まあまあな隙間があるでしょ? そこに、隠れていたみたい。私も、音を立てないように気を付けて。タイミングばっちりで、写真を撮って。走って逃げたわ。その後……マキちゃんと落ち合って、カメラを返した。昨日の朝、お礼と書いてある封筒が下駄箱に入ってて。中身は、その時の写真だった」
話は続く。花山さんは首を竦めて、柚佳へ視線を向ける。
「だから。柚佳ちゃんが昨日、沼田君と付き合ってる事を打ち明けてくれた時。『抜け駆けだし、卑怯だった』って、自分を貶めるみたいに言うのを聞いて。全然、しっくりこなかった。だって、私の方が。ずっと卑怯で、狡く動いていたんだもの。柚佳ちゃんには前もって、沼田君からラブレターをもらったって伝えてたし。あまり……沼田君と親しくしてほしくないって内容の、話をしたの。今、思えば。物凄く酷な事をしてたわ、私。本当に、ごめん」
花山さんが柚佳へ、苦笑いする。
「けど。柚佳ちゃんが、本当のところを教えてくれて。嬉しかった。私が沼田君を好きだと思って、遠慮してたでしょ? 写真を撮った日……沼田君が柚佳ちゃんを、桜場君から引き離して連れて帰っていた時に。柚佳ちゃんが振り返って、私を見たの。柚佳ちゃんの方が、沼田君を好きなくせに。私なんかの事を気にしちゃって。もっと、狡賢く生きればいいのにって……ちょっと呆れた」
両手の甲に頬杖をつく格好をする花山さんは、澄まし顔だ。
「花山さんは、狡賢過ぎだろう」
オレが花山さんへツッコミを入れると。透かさず和馬が、ツッコミを返してくる。
「そこが美南ちゃんの、いいところだろ! それに全然、賢くない! 『マキ』って子の、パシリしてるだけじゃん。アホなんだよ。それに気付いてないところも。間抜けで可愛いんだ!」
和馬の暴言に、花山さんの目が釣り上がっている。
暫く。和馬と花山さんの、ちょっとした口喧嘩のようなやり取りが続いた。その様子を、微笑して眺めている。……眺めているフリをして、横目に柚佳を盗み見ている。
今日は、柚佳の口数が少ない。どことなく、元気もない気がする。昨日……オレが彼女と篤の仲を疑って、冷たく当たったからかもしれない。
あの日。篤から柚佳を奪って、手を引いて帰った日。教室を出る時に、柚佳が後方を振り返っていた。
篤を見ていると思って……大層、傷付いていたんだが。花山さんの話から、それは誤解だったと分かった。
柚佳は篤じゃなくて、花山さんを見ていたのか。
冷たかった心に灯が点るような、ほっと気が抜けた心地になる。
もしかしたら篤と柚佳の関係も、オレの考え過ぎなのかもしれない。
……そう信じたいけど。弱い心が、軋み出す。
柚佳が篤を選んで、オレから離れて行くかもしれない未来を恐れて。先回りして、傷付かないように振舞おうとしている自分がいる。
俯いて、少し笑う。
「オレが一番、狡いや」
「美南ちゃん。俺、腹減ったー。こうやって美南ちゃんと、ずっと喋っていたいのは山々なんだけど。そろそろ帰って、飯食いてえ」
和馬が自らの腹を押さえて、花山さんに提案している。
和馬は痩せている割には、よく食べる。痩せているからか、普段は厚着している事が多い。特に、冬は骨身に染みるらしく。制服の内側に、着膨れする程のインナーを着込んでいる。
「そうね。ここで、アンタに文句言っても。時間のムダだわ。早く帰って勉強したいし」
花山さんも和馬に同意して。オレたちは解散した。
「柚佳、一緒に帰ろう?」
帰り支度をしている柚佳に声を掛ける。彼女の机の側に立って、反応を見定めようと見つめる。顔を上げた彼女は、微笑んでいる。だが……。どこか無理をして笑っているような、ぎこちなさがある。
「うん、もちろん」
柚佳の返事に……誘いを断られなかった事に、安堵するけど。俯いている姿に、不安を掻き立てられる。
やはり。昨日のわだかまりが、残っているのだと思う。
花山さんたちより先に教室を出て、いつものバス停までの坂を下る。
「柚佳、昨日はごめん。オレのせいで、そんな顔をしてるんだよな?」
隣を歩く柚佳を窺いながら尋ねる。彼女は俯きがちに、僅かに眉をひそめている。オレが話し掛けると。パッと顔を上げて、こっちを見る。
「ううん。違うの! ちが……っ」
彼女は。鞄を持っていない方の手と顔を、横にブンブンと振って否定するが。言葉の途中で黙り込む。悲しげな瞳は、下を向いている。口元にだけ微かに笑みを作る幼馴染の、横顔を見つめる。
告げられる。
「……違わない。そうだよ。海里のせいだよ」
視線を上げて、オレを見る。彼女の目が……泣き出しそうに細められる。
「昨日も今日も、ずっと。海里の事ばかり考えてた。桜場君の事を話せない私が悪いのは、分かってるけど。話したら海里は……っ!」
何か言い掛けた柚佳は、しかし。途中で口を噤む。
「……海里はきっと、私を選ばない。私は本当に、狡いから。だから、絶対に言わない」
暫く経って。彼女は力なく笑い、やっと言葉にすると。再び、下を向く。
衝撃を受ける。柚佳もオレの事を考えていたという、嬉しいような気持ちと。彼女と篤の関係は、絶対に言えない程に……深いものなのかという、絶望に似た感情。後者が前者を、少し上回って。内心、激しく狼狽えている。
「そ、そうか……」
何とも言葉が浮かばなくて。間の抜けた返事をする。
二人して。無言でバス停まで歩き、バスを待つ。
程なく到着したバスに乗り、座席に腰を下ろす。窓側だったので、外をぼーっと眺めている。頭の中に、さっきの柚佳の台詞が反芻している。
窓の外には。昨日、和馬や花山さん……篤も交えて下った、坂の歩道が続いている。同じ高校の男女が、仲良さそうに並んで歩く後ろ姿を目にする。今は柚佳と微妙な雰囲気なので、少し妬ましく感じる。……んん?
バスが信号で止まる。窓に額を貼り付けて、道を歩く二人を凝視する。二人は、こちらには気付かず……何か話したり笑ったりしながら、坂を下って行く。
一方は……間違いない。篤だ。
奴の横を歩いているのは、知らない女子だ。小柄な体格で。肩まである淡い色の髪には、ウェーブが掛かっていて。人懐こそうな顔で、楽しげに笑っている。
「どういう事だ……?」
呟いて考える。篤は柚佳の為に、期間限定で付き合う筈だった女子たちを振っている。柚佳のほかには、目を向けていないと思っていたのに。
「どうしたの?」
隣に座っている柚佳が、訝しむ様子で尋ねてくる。
その時には。もうバスは動き出していて。窓を覗いても、篤たちを確認する事はできなかった。

