「あらあら。柚佳ちゃん、いいなぁ」
「俺たちも繋ぐ?」
「繋ぐわけないでしょ、バカ!」
オレと柚佳の後方から、花山さんと和馬のやり取りが聞こえる。少し早い足取りで、二人から距離を取る。柚佳の左手と繋いだ右手が、湿りを帯びていく。
「海里……?」
細い道路の、真ん中を歩いている。表通りから奥まった所にある道で、普段から滅多に車や通行人を見掛けない。篤の祖父の家が遠く小さくなった頃に、立ち止まる。
柚佳の顔を見る。少し不安そうに窺ってくる。
今日の彼女は既に髪を下ろして、両サイドをヘアピンで留めている。
「なあ。篤の『お願い』って、何だったの?」
右手の内で。柚佳の左手が、僅かに震えるのを感じる。
視線を逸らさず、静かに。瞳の動きを観察する。
「それはっ……」
彼女は俯いて、口籠もる。
「……ごめんね。言えない」
「何それ」
予想通りの返答が悲しくて、冷たい声音で笑ってしまう。
ずっと、薄ら思っていた。オレの柚佳への気持ちの重さと、柚佳の持つ気持ちには……隔たりがあるのではないかと。
「オレにも言えない事なの? オレって……お前にとって、どんな存在なの? 篤よりも下って事?」
「違うよ!」
柚佳が顔を上げる。強く否定してくる。掴まえている手が、緊張を示すように湿度を増す。
合った目が、切なく細められる。けれど。視線を躱された。
「桜場君とは、比べられないよ」
ショックだった。勝負にもなっていなかった。容姿も、頭脳も、運動神経も。負けている自信がある。急に、自分が恥ずかしく思える。
「そ、そうだよな」
握っていた手を放す。打ちひしがれた気持ちになり俯く。柚佳は言う。
「だって、海里の方が。ずっと、かっこいいし。頭もいいし、運動神経もいいし、努力家だし、優しいし、強いし、怒ると怖いし。まぁ、あんまり……桜場君の事は、知らないんだけどね。海里の事なら……分かってると思うよ、私」
信じられない思いで、見つめる。少し頬を赤らめた笑顔に、喉がごくりと鳴る。小さく口にする。
「……そう。そっか。全然、分かってないみたいだ」
右手で、自然と綻んでしまう口元を隠す。
さっきまで。篤との仲を勘ぐって、イライラしていたのに。柚佳の言葉で、不安が解かれていく。重苦しい心境が、僅かに軽くなる。
でも。柚佳は全然、分かっていない。オレがどんな気持ちで、彼女の言葉を聞いているのか。一言一言に一喜一憂してしまう事だって、知らないだろう。
「分かってない? そっかな」
「そうだよ」
不思議そうに首を傾げる柚佳に、相槌を打つ。
オレも柚佳の事が分からない。隠し事もされているし、不安はあるけど。多分、どんなに嫌われても……嫌いになったとしても。彼女を好きな気持ちは、消えないんだろうな。
苦く笑った。
道の先にある十字路で。和馬と花山さんが、オレたちを待っている。
「話は終わった? 早く帰って、勉強したいのよね。まだ全然、範囲が終わってなくて」
早く帰りたがっている花山さんに対し、和馬は不服そうだ。
「えー、美南ちゃん。もっと、一緒にいたいんだけど。……あ! そうだ。美南ちゃんの家で、勉強しようぜ。久しぶりに」
「お断りよ」
目を輝かせた和馬の提案は、即刻切り捨てられる。
「アンタいつも、勉強なんてしなかったでしょ!」
怒っているような荒っぽい足取りで、先に行ってしまう。
「えー。美南ちゃんだって、勉強してなかったじゃん」
「うるさいわねっ! それは、アンタのせいでしょ!」
前方の二人に、口喧嘩が勃発している。ただの、仲のいい痴話喧嘩にも聞こえる。
程なくして、小学校の向かいにあるバス停へと着く。和馬や花山さんと一緒なのは、ここまでだ。
「花山さん。あの写真の女子について聞きたいんだけど。今度、時間のある時に教えてほしい」
「んー」
花山さんは自らの顎に人差し指を当て、考える様子を見せる。
「色々と引っ掻き回しちゃったから。お詫びに、教えてもいいんだけど……」
花山さんの視線が移動する。一瞬、柚佳の顔色を窺うように。その考えを、薄々察する。先回りして言っておく。
「もちろん、柚佳も一緒の時に」
隣にいる柚佳が……驚いたのか、勢いよくこっちを見た。
花山さんと二人切りになったりして。また柚佳が、篤と帰るなんて事になったら。堪ったもんじゃない。それに、柚佳を心配させたくない。
「俺も俺も!」
和馬が明るく、話に割り込んでくる。
「絶対に、言うと思ったよ」
半ば呆れて、笑う。「はー」という、花山さんの溜め息が聞こえる。
「分かったわ。じゃあ、話は明日ね。私も彼女について、あまり詳しくはないんだけど」
明日は土曜日。第三土曜日なので、授業が半日ある。毎月第一・第三土曜日は学校が半日で終わり、第二・第四土曜日は休みになっている。
「……あっ、雨」
柚佳が空を見上げている。ぽつぽつと降り始めた雨に、和馬が慌て出す。
「わっ? 俺、傘持って来てない! 歩きで帰ろうと思ってたのに!」
マジか。和馬の家は学校の近く。山の上の方にあるそこまで、歩きで上るのは結構疲れると思う。しかも……傘もなく雨の中は、辛いだろうな。
ここは……ひとっ走り家に帰って、傘を持って来てやろうかと考えていたら。鞄をゴソゴソしていた花山さんが、和馬に何かを差し出している。
「っ……ありがと」
和馬が、お礼を言いながら両手で受け取ったのは……折り畳み傘だ。開かれた傘はピンクに近い薄紫色で、桜の花模様が入っている。何となく、花山さんのイメージに合っていると思う。
傘を見上げた和馬が目を輝かせて、一言述べた。
「家宝にします」
「あげないからね。貸すだけだから。明日、返してね!」
透かさず、花山さんがツッコミを入れている。和馬を睨んでいた彼女は表情を和らげて、オレと柚佳の方を向く。
「私はバスを降りたら、家が近いし。大丈夫。柚佳ちゃんと沼田君は?」
「歩いて十分くらいかな。オレたちも、雨が弱い内に帰るよ。行こう、柚佳」
「う、うん。またね。美南ちゃん、柳城君」
「うん。二人とも、また明日ね!」
「じゃーなっ!」
手を振る二人に、オレたちも振り返す。バス停を後にした。
大通りの歩道を急いでいる。後方から、声を掛けられる。
「海里、ゆっくり行こう?」
振り返って見る。柚佳は、傘を開いているところだった。
「私も折り畳み傘、持ってたんだ」
黄色とオレンジのチェックに、向日葵柄の傘で。明るい色合いが、彼女に似合っていて可愛い。
「えっと……入って?」
促したのは柚佳なのに。何故か恥ずかしそうに、目を逸らされる。
差し出された傘に入り、彼女の手から傘の柄を取り上げる。
「オレが持つよ」
オレの方が、身長が高いから。柚佳が傘を支え持つのは、負担が大きい筈だ。
「ありがとう」
雨の雫が太陽に輝くような微笑みを浮かべて、お礼を言ってくる。目が合うけど、また逸らされる。何だ、この可愛い生き物は。
「何? もしかして相合傘なのを、恥ずかしがってんの? キスまでしてる仲なのに」
意地悪く、ハッキリと言ってやる。相手は息を呑む様相で、顔を上げた後に。眉尻を下げて俯く。
「うん。何だか夢みたいで。海里の彼女になれたのが、嬉し過ぎて。ごめんね。私だけ浮かれてて」
つい、さっきまで。柚佳のオレに対する「好き」より、オレの柚佳への「想い」の方が重いのではと考えて。悶々としていたけど。案外、相手も。同じような事を考えていたりして。そんな風に思えて、笑った。
「オレも。浮かれてるよ?」
溢れ出しそうな想いの全部を、伝え切れないのは分かっていたから。今は。
その一端を、言葉に乗せる。
それから。オレたちは殆ど何も喋らず、アパートの近くまで来た。
と、言っても。柚佳は終始、何か話したそうな様子だった。
彼女は、俯きがちに歩きながら。時々……顔を上げて、こっちを見る。そして口を開き掛けるけど。ためらうような間の後に、また俯く。
敢えて何も聞かずに、隣を歩いている。柚佳の肩が濡れないように、傘を右に傾ける。オレの肩が濡れるけど……二人とも入るには、傘の大きさが十分じゃないので仕方ない。
アパートの敷地に隣接する空き地の前で、柚佳が立ち止まる。前に進み掛けていた足を止め、彼女を振り返る。
「柚佳?」
濡れないように。彼女へ傘を差し掛ける。
「海里、ごめんね」
澄んでいる響きなのに。絞り出す如く紡がれた、何かの感情が込められた声に。心臓が、ぎゅっと掴まれたように脈を打つ。
「何が? 何が『ごめんね』?」
不安と嫌な予感に、胸がざわつく。上着の前を握り締め、問う。
口にしてしまってから、後悔する。何も覚悟ができていなかった事に、漸く気付く。最後まで、彼女の話を聞ける自信がない。
「……篤の事?」
怖ろしさに勝てず、自分から話を振ってしまう。
柚佳はオレへ、悲しそうに笑う。
待ってくれ。待て待て待て待て。
口を開くのが見える。
「はいひ」
くぐもった声が聞こえ、我に返る。気が付いた時には、左手で彼女の口を覆っていた。ゆっくりと手を離す。
「海里、何? どうしたの?」
「ごめん」
驚いているらしい彼女に謝って、右下に目線を逸らす。心音の響きが、落ち着かない。もし本当に、柚佳と篤が「そう」だったとして。オレはきっと、どうする事もできない。
「柚佳。柚佳は篤より、オレが好きなんだよな?」
真っ直ぐに、相手の瞳を見つめる。彼女は一拍、ぐっと詰まるような表情をした後に。コクッと頷く。
「じゃあ、話せるよな? 話してくれるよな? 篤とお前の関係について。篤が、お前にした『お願い』についても」
左手で柚佳の右肩を掴み、揺さぶってしまう。
「お前が、オレと花山さんの仲を心配していたように。オレも、篤とお前の仲が心配なんだ。頼む」
情けないけど、本心を曝け出す。
柚佳は何も言わない。少しの間……何かを思考するように、ぼーっとしていた彼女の顔に。段々と……戸惑いらしい動きと、赤みが増していく。
「えっ……と?」
目を下に向けたり、横に向けたりと。頻繁に動かしている様が。オレの視線から、逃げているようにも思える。
柚佳の肩を放して、苦しく鳴り続ける胸を押さえる。
「……言いたくないのなら、いいよ。無理には聞かない。だけど、お前の事……嫌いになるかもしれない」
苦く笑って告げる。相手の表情が強張る。
「海里! 桜場君と私が……その……変な関係だと思ってるの? ……あはは!」
柚佳が笑い出す。笑って出た涙を拭っている姿を、静かに眺める。
彼女は一頻り笑った最後に。目元を歪めた、少し泣きそうな顔で口にする。
「狡いよ! そんなに執着してくれるなんて。私の事で、そんな顔してくれるなんて。本当に狡い!」
胸の上で上着を握り締めていた手に、温かな手が重なる。
「行こう。私にばっかり、傘を差してるから。海里ってば、びしょ濡れになってる!」
手を引かれるまま、アパートの階段を上る。

