キスの練習相手は幼馴染で好きな人【改稿版】


「えっ? 何で? い……」

 『嫌だ』と、断ろうとしていた。柚佳に誤解されるような事はしたくない。けれど、それよりも早く。オレの頬の近くに顔を寄せた花山さんの囁きが、オレを動けなくする。

「キス、してたでしょ。柚佳ちゃんじゃない子と。証拠写真があるんだぁ」

 一瞬、理解が追いつかず。ただ、彼女の綺麗な顔を見つめる。

 まるで無害そうな微笑みを浮かべた顔で、可愛らしい声で。しかし、その要求は。オレの中の花山さんのイメージを、悪の権化へと変貌させた。

「返事……イエスと言わないと、柚佳ちゃんにバラすよ?」

「イエス」

 我に返った時には、口が勝手に答えていた。

 せっかく柚佳と付き合えたのに、この幸せを壊そうとする輩が現れるなんて……! しかも、オレのすぐ隣の席にいやがった!

 ゾッとして、花山さんの顔を見ていた。

 誰かが走って来る足音が聞こえる。教室前方の出入口に、柚佳がいる。息を切らす如く、肩を動かしている。彼女はこっちを見ていたけど、何も言わずに自分の席へと戻って行く。机に突っ伏している。

「柚佳……?」

「あら? 見られちゃったね」

 花山さんがニコッと笑い掛けてくる。オレもやっと思い至って、慌てて手を離す。
 きっと今、何を言ったって。柚佳の心には届かないだろう。嘘くさい言い訳に聞こえると思う。

「あー」

 泣きたくなる。オレも机に突っ伏す。
 付き合ったばかりなのに。今日も、柚佳と帰りたかったのに。



 昼休み。そろっと後方を窺う。オレの席から二つ後ろの席にいる、和馬の様子を。

 普段は一つ後ろの席にいる子が別の場所で昼食をとるので、椅子を貸してもらい和馬の机の方を向いて食べているんだが。今日はどうしたものか……。昨日の昼休みの一件があったので、非常に気まずい。

 チラチラと見ていたら。気付かれた。不機嫌そうに双眸を細めてくる。

「何だよ。俺と一緒に食べたいのかよ? 謝るなら別に、許してやってもいいぞ?」

 和馬の言動に、吹き出しそうになる。口調は偉そうだけど、もうそんなに怒ってなさそうだな。

 いつものように後ろの席の椅子を借り、後方へ向けて置き直す。座る時に「悪かったよ」と、ボソッと声に出す。

「ん? 聞こえなかった。もっと、大きな声で叫んでいいんだぞ?」

「調子乗んな」

「あてっ」

 普段するような会話だったので。つい、いつものノリで和馬の頭をはたいた。はたいた後に。内心で「あっ、やっちまった! またケンカになるだろうか」と……若干、危惧する。
 だが。和馬の口元が、僅かに綻んでいる気もする。何となく、嬉しそうに見えなくもない。目が合って、ふいっと逸らされる。

「……俺も悪かったよ」

 微かに呟かれたのを、耳が捉える。

「ん? 聞こえなかった。もっと、大きな声で叫んでいいんだぞ?」

 さっきの和馬の言葉を、そのままに言ってやる。ニヤニヤした顔で。

「お前こそ、調子乗んな」

「いてっ」

 デコピンされて、痛みに額を押さえる。摩りながら尋ねる。

「でも昨日、あんなに怒ってたのに。よく許してくれる気になったよな。まぁオレは全然、悪くないんだけど」

「まぁな。よく考えたら、お前が好きなのは一井さんだって分かってたし」

 ガタガタガタッ。

 動揺した一瞬、座っていた椅子のバランスを崩し掛ける。もちろん、安定感抜群の椅子であるのだが。

「なっ、何で知ってるんだ?」

「見てれば、すぐに分かるって」

 見透かす如く、細めた目で一瞥される。

「お前って、いっつも一井さん見てんじゃん。気付かない方がおかしいって」

「……っ!」

 指摘されると、恥ずかしいな。でも、自制はできないと思う。

「けど。花山さんに告白されてたから正直、嫉妬した。昨日は、わざと大きな声で追及したんだ。一井さんにも聞こえるように。ま、お前は二股とかできるタイプじゃないって分かってるから、もう何も心配してない」

 ガタガタガタタッ。

 動揺し過ぎて、椅子ごと後ろに倒れそうになる。何とか踏み止まる。

「ふ……? そんなの、する訳ないだろっ!」

 大きく抗議する。そんなの、考えた事もない。

「だよなー。でも、今朝の花山さんの押し……凄かったな。鈍感なお前でも押し切られそうで、逆に……これから楽しみだな」

 他人事のように笑っている和馬を睨む。

「っ……どこまで、聞こえてた?」

「え? ああ、えーと。花山さんがお前に『デートして』って、言ってたのと。お前、何か……花山さんに弱みでも握られてんの?」

 さも「話のネタを手に入れた」と書いてありそうな、ニヤついた顔で聞いてくる。慌てて人差し指を立て、注意する。

「しっ! 柚佳に聞こえる!」

「ははん? 女絡みか? その反応……クロだな」

「シロだっ!」

「まさか花山さんに手ぇ出した訳じゃないよな?」

「出す訳ないだろっ!」

「分かってるって」

 和馬は「ははは……」と、本当に愉快そうに笑った後で。急に真顔になって、声のトーンを低くする。

「で? 俺には、まだ報告しないんだ?」

「う……っ。悪い。昨日から柚佳と付き合ってる。それから、相談に乗ってほしいんだが……」

 ばつが悪い気がして、視線を下に逸らして告げる。

 わしゃわしゃと……いきなり。頭を撫でられる。

「おー、よしよし。よくできました。俺には何でも言えよ。噂にして流す事くらいはできるぜ?」

「絶対にすんじゃねぇぞ」

 目が合う。お互いにニヤッと笑う。和馬の機嫌も直ったようだ。
 やっぱり。友達っていいな。

 和馬は顔が広いから、オレが知りたい事についても知っているかもしれない。今日の放課後、花山さんにも聞くつもりでいたけど。一応、和馬にも尋ねてみよう。

「和馬。一昨日の放課後、長い黒髪の女子に会ったんだけど。見た事のない子だったんだ。結構、可愛い子だったから……一目見たら忘れないと思うんだ。この学年じゃないのかもしれない。何か知ってたら、教えてほしいんだ」

 相談相手は天井を仰ぐように顔を上に向け、目を閉じている。何秒か後に再び、こちらへ姿勢を戻してくる。溜め息と共に。

「海里、もうお前が分かんねぇよ。そんなに、気が多い奴だったっけ?」

「ち、違う! 気になったから、知りたいんじゃなくて。…………オレ、その子に弱みを握られてるみたいなんだ。写真を撮られて。何でか分からないけど、その写真を花山さんが持っているらしい」

「へぇ。どんな写真?」

「うっ」

 今まで、声を抑え気味に喋っていたけど。殊更にボリュームを抑える。

「……キス、してそうな写真」

 目を逸らして打ち明ける。再び、視線を戻すと。思った通り、ニマッとした表情だったので。ハッキリと言っておく。

「し、してないからな実際! これは、仕組まれた陰謀だ!」

「ハイハイ。で、誰としたんだ? その黒髪ロングの女の子?」

「だから、してないって!」

「ふむ……」

 和馬は顎に手を当て、考える素振りをする。

「んー。俺も多分、知らないなぁ。隣のクラスの雪ちゃんは彼氏いるから、そんな事しないだろうし。一井さん一筋の海里も認める、可愛い子……? 彩ちゃんは茶髪だしな。他の学年も、俺の知ってる限りじゃいない」

「そっか……。分かった。サンキューな」

 肩を落としたオレの横に、和馬が来た。「何だ?」と見上げた時。背中を強く叩かれる。

「ドンマイ、ドンマイ! きっと、またどこかで会えるんじゃね? 俺も、その美少女に会ってみてーよ」

「他人事だと思って……お前みたいに、楽天的になりてーよ」

 和馬は頭の後方で手を組み、鼻歌を口ずさみながら自分の席に戻る。焼きそばの挟めてある惣菜パンの袋を開けている。

「本当、マイペースな奴だな」

 溜め息をついて苦笑する。

 ……ふと。和馬の鼻歌が止んだ。

 「どうした?」と、和馬を見る。和馬はオレの左後方を見上げている。何気なく振り返る。花山さんが立っている。眉を寄せた若干、不機嫌な顔で。

 彼女は和馬を睨んでいる。和馬の方は「あっ、花山さん!」と、ニコニコしている。

 花山さんが露骨に『嫌悪』らしき感情を出しているのを、初めて見た。何と言うか。蔑むような、虫けらでも見ている目付きだ……。

「俺に用事?」

 和馬が、陽気な口調で尋ねる。

 わー……。何だ、この空気。普段は穏やかな雰囲気の花山さんの周囲が、凍てついている幻を見そうだ。反対に……和馬は目を輝かせている。

「まさか」

 花山さんが鼻で笑う。
 彼女の細い腕が、後方から視界に入り。オレの首の前で交差する。

 ……って、え?

「海里君に用事なの。あなたじゃないわ柳城君。ごめんね?」

 す、すぐ頭の上で。花山さんの声がしてる。花のような、いい匂いがする。頭が動かせない。近い。近過ぎる。柚佳に勘違いされそうだから、払いのけたかったけど。無闇に女子に触れるのもどうなのだろうかと逡巡してしまう。

「海里君。一人の時に読んで」

 上着の左ポケットに、何かを入れられた。てか、呼び方が今まで『沼田君』だったのに『海里君』になっている。

 漸く、花山さんの腕が離れる。ホッとして彼女を見ると。目が合ってニコッと微笑まれる。

「また放課後にねっ」

 明るく言い置いた花山さんは、仲の良い友人らのいる方へと駆けて行く。

 日頃から五、六人のグループで机をくっつけ合って昼食をとっている彼女たち。今日の昼食は、もう終わったようで。喋っていたり、こちらに関心を寄せる気配の視線を向けてくる人もいる。……そのグループの中には、柚佳もいる。

 血の気が引く。彼女は、こっちを見ていた。でも、オレが目を向けると。あからさまに、視線を逸らされた。

 放課後に花山さんと約束している事を知られた。

 柚佳を見ていたオレに、和馬が明るい声で言う。

「あら~? 俺、もしかして花山さんに嫌われてる? あんなにキッパリと否定しなくてもいいじゃんね? しつこくアピールし過ぎたかな? ……って、海里? おーい聞いてる?」

 和馬に構っている余裕はなかった。どうすれば柚佳の誤解を解けるか、必死に考える。

 元はと言えば。嫌われるのを恐れて、キス偽装写真の件を秘密にしていたのがいけなかった。ちゃんと説明すれば、柚佳も分かってくれたかもしれないのに。…………納得してもらえる説明ができる自信ないけど。