*
「おはよう。瞳」
「うん。やっほー」
いつもと同じようにそう返すと、友達である日奈は笑いながらこう告げた。
「会って、最初の言葉が必ず『やっほー』って、瞳らしいよね」
「そうかな。って、そこ個性が出るところなの」
「多分、出る人に出るし、ない人もいると思うよ」
そんなものかと思った。正確には、よく分かっていないけど、結局なんでやねん。みたいな気持ちで。
私らしいなんて、いったいなに。
自分の感覚的に、その場のノリで過ごすことが多いせいか、よくわからなかった。
なんてことのない会話なのに、急に息苦しくなる。自分の中でモヤっとしたなにかがずっしりと居座るように簡単には消えてくれない。
幼い頃の私は、今のように明るい感じのする人間じゃなかったことを日奈たちが知ったら、一体どんな反応をするんだろう。と、けして口には出さないけど、いたずらめいたことを一瞬考えて。――でも、やめた。
自分は、いつまでガキなんだよ。見た目はいくら大人っぽくなっても、心はずっと子供のまま。
誕生日は三月だから、高校卒業した後じゃないと十八歳の大人にならないけどさ。
心も大人にならなきゃいけないんじゃないの。そんな気持ちが心の片隅にあった。
「今日、体育だるいね」
「それな」
日奈は私の心情に気づくこともなく、いつも通りに話しかけてくれる。でも、申し訳ないくらいに頭にその内容がさっぱり入ってこなかった。
次第にチャイムがなって、嫌いな学校生活の日常が始まっていく。
*
「じゃあ、私部活にいくね。また明日ね、瞳」
「うん。今日も、お疲れ」
放課後になって、日奈と別れた。
私は、日奈と違い部活に入っておらず、放課後に居残る理由は基本的に委員会のときのみだけ。
今日は委員会関係なく、図書館に行こうと思い返却本を片手に図書館までの道をのんびり歩く。
窓に挟まれた先にある景色を見て、もうこの学校に植えられていた桜を見ることはもうないのだとぼんやりと思う。桜の花びらが散り、緑の葉をつけた木々が次は夏になるんだよって、季節の変わり目の雨より早い最初の知らせのよう。
そんな見慣れたものが見せる変化を、当たり前に見てきたのもが来年は見えないと考えると不思議な気分になって、これまで過ごしてきた学校生活を振り返ってみようという気持ちになった。
私はこの高校で、勉強を学んだことより先に友達に恵まれたという事実が思い浮かぶ。例えば、入学してすぐに仲が良くなって、今でも良好な関係が続いている日奈がそうだ。
でも、彼女のことを本当の友という関係を築けられている自信が全然ない。
私が個人的に思う、本当の友っていうのは、しんどい時に隣にいてくれて、マイナスなことも一緒に共有してくれる。長期間の関わらない空白があったとして、急に話す機会があったときに相変わらずな反応をくれるような存在だと思う。
これは理想に近しいものかもしれない。
実際に中学生の頃、クラス替えをした途端に縁があっさり切れた経験があった。今まで築き上げた絆ってこんなにちっぽけで薄っぺらいものだと知った衝撃を今でも覚えている。
日奈とのことも勝手に決めつけてしまうのは間違っているってわかっている。でも、また同じようになってしまうのではという気持ちがずっとぬぐい切れない。
これからどうなっていくのか、すべては私たち次第だけど今考えても仕方がないよねと考えていたことをぴたりとやめる。
ぼんやりと考えながら歩いていたせいか目の前にもう図書館が見えてきた。
この図書館の入り口を見ると、心が弾むような気持ちになる。これは、たぶん本好きである人の固有な気持ち。
慣れた手つきで扉を開けて、中へと入ると右隣りにカウンターがあった。
返却本を置く箱に入れる瞬間に、チラッと今日の委員会当番の人の顔を少し確認する。
――あっ、今日は彼なんだ。
誰なのか分かった途端に、ドキッとしてすぐに知らないふりをする。そのまま次に借りようとしていた本がある場所へできるだけ速く不自然に見られないように意識しながら歩いて行った。
彼を見ると、忘れてしまいたいと願う秘密のあの日のことをどうしても思い出してしまうせいだ。
図書館に誰かが入ると、来た人数を書く決まりになっているせいで私が来たことをすでに彼にはきっと気づかれているけれど、本棚の中へ身を隠したい気持ちになる。
こう思うきっかけを作ったのは私なのに。一体なにしているんだろうと自分の行動に呆れてため息がこぼれ落ちた。
隠れるのをやめて、借りたい本をすぐに手に持つとカウンターに向かう。
いつも通りの私でいればきっと大丈夫だと自分に言い聞かせて、本の世界へ夢中に読んでいるせいで私にちっとも気づいてくれない彼へ意を決して声をかけた。
「あの、お願いします」
「あっ、すみません」
慌てた素振りをした後に慣れた動きで、私のバーコードを全校生徒分のデータが詰まっているファイルの中から探し始めた。
さらっとした髪に、一重で純粋そうで真面目な瞳をしている。あの日と同じように。
「今日の図書当番は、君だったんだね。他の人はどうしたの」
「知らない」
彼以外にちゃんと当番をしている人が見かけなかったため、話の種に聞いてみたが確かにそうだよねと思った。普段から親しい中じゃないとわざわざ今日当番だとか相手に言ったりしないだろう。私もそうだし。
いつが当番なのかは決まっているのに、やるやらないは自己判断で意外と緩い決まりになっているため真面目な人だけがちゃんと守ってやっていた。
やらなくていいやと逃げる人がいるのは、図書館の利用者が僅かなせいで基本やることがないのも理由なんだろうなと思いながら、周りを見渡した。
よし、周りに誰もいない。司書の先生はすぐ横の司書室にいてこの場にはいないことに安堵する。この図書館には彼と私だけだ。
貸出の手続きが終わり、本を受け取る瞬間に私は小さな声でそっと彼に尋ねた。
「ねぇ……あの日のこと誰にも話してない?」
この問いかけをするのは何回目だっけ。会う機会があれば必ず聞いてしまっている気がする。
「逆に、先輩は話すような相手がいると思っている? 僕は、見ての通り人見知りだし」
「確かに。後輩くんはゆったりとできそうな静かな場所を好みそう。……言わないでくれてありがとね」
「別に、お礼を言われるようなことじゃないです」
と言う君はどこか心配そうに眉を下げる。どうしてそんな表情をするんだろう。
これで会話は終わりだと悟って、彼の方を見るのはやめて借りた本を鞄の中へしまう。
次に君に会うのはいつかなんて考えながら入り口へ移動し始めると彼が私を呼び止めた。
「あの……僕のことを呼ぶときは名前で呼んでくれませんか。後輩くんと呼ぶのはあなたしかいないし、ずっと慣れないので」
「……わかった。じゃあ、私のことも名前で呼んでくれない。先輩って部活とか入ってないせいか聞き慣れなくて。……あと、私は君の名前を知らない」
そう、私は彼の名前を知らなかった。委員会で一度だけ自己紹介をする機会があったのに、関わることなんてどうせ少ないと名前なんて聞き流すだけで忘れてしまったのだ。
「悠河。これが僕の名前です」
悠河か、これが君の――絶対に忘れないようにしよう。
「私はね、瞳。これで対等になれた感じがしていいね」
先輩と後輩の上下関係を取り払うような感じがして清々しい気持ちになった。たった一歳違うだけで、威張れる立場になるのなんか嫌だったんだよね。
「瞳さんって良い名前ですね」
名前なんて滅多に褒められたりしないから、思わず驚いたままフリーズしてしまう。
「えっと、ありがとう」
少し遅れて、嬉しくなりお礼を言う。名前を呼び合う関係になったところで、今の状態で変わらないままなんだろうか。きっと、その可能性の方が高い。
――だったら、きっかけを作ってしまえばいいじゃない。
ひらめいた瞬間に妙案が浮かぶ。
「悠河、私と付き合ってくれない」
「は?」
お前はいきなり何を言い出すと言葉が顔に書き出されているんじゃないかって思うくらいに、今まで見たことのない表情をする。悠河もこんな顔するんだと言った当人である私はのんきにそう思った。
反応を見るに言葉足らずだったかもと考え直して口を開く。
「せっかく名前を呼び合うようになっても、互いになにも知らないままだなって思って。 手始めに、ゴールデンウイーク一緒にどこか出かけない」
きっかけがどうであれ、悠河のことが気になっていた。色々なことを知りたいと思ってしまったから。
心の中で言い訳するように理由を探す。
「わかりました。瞳さんが受験関連とかで忙しくないなら」
彼にも思うことがあったのかすんなりと答えた。受験という嫌な単語を無意識に知らない振りをして、学校以外で会うことが決まったことがとにかく嬉しい。
その後は連絡先を交換し合って、図書館を後にした。
楽しみなことがあるのは久しぶりな気がする。心がふわっと軽くなった感覚がした。



