調べたところ、花那は興津家の嫡子であった。
花那の両親が事故で亡くなったのをきっかけに、父親の弟が家督を継いだという。
つまり、花那を虐げているのは叔父一家となる。
花那が実の父母からあのような仕打ちをされていた場合、豪の提案を花那が承諾するのは難しいかもしれないが、叔父一家から虐げられているのであれば、花那を連れ出すことができるかもしれない。
ただし、最後の選択は花那にしてもらうというのは、豪の中では絶対だった。
豪の気持ちを押しつけて、花那の気持ちを無視することはしたくなかった。
そうして1週間後、再び興津家を訪ねた豪は花那に選択を迫った。
凄し強引だったかもしれないが、結果として花那が豪の手を取ってくれたことに、豪は酷く安堵した。
ただ、花那に対し、豪はその後いくつかの疑問を持った。
最初に覚えた違和感は、初めて屋敷に連れて来た日、花那は初対面なはずの松代の名前を呼んでいたことだ。
着替えのために席を外した豪が談話室に行き、そのドアを開けようとしたまさにその時だった。
松代がバランスを崩し、その場に倒れそうになったのを、花那が慌てて支えたのだ。
それを見た豪は思わず足を止めてしまった。
何故なら花那は先ほどこんな言葉を口にしたからだ。
「松代さん、大丈夫ですか?」
花那がこの屋敷に来たのは今日が初めてで、もちろん松代の紹介などもしていない。
なのにどうして彼女は松代の名前を呼んだのだろうか。
「あら? そう言えば、私の名前をご存じで?」
「……その、先ほど使用人の方が話しているのを小耳に挟んでしまいました。初めまして、興津花那と申します」
花那はそう答えたが、それはあり得ないことだ。
この談話室には豪が案内したし、その間に使用人と花那が話している様子はなかった。
豪が席を外している時に会ったという可能性はあるが、そもそもこの屋敷に使用人は数名しかおらず、今の時間はそれぞれの仕事に追われているため、わざわざ談話室に来る用事もないはずだ。
そのことに豪は僅かな引っかかりを覚えた。
しかし豪は先ほどの会話を聞いてない態を装って、何食わぬ顔をして部屋に入った。
そして介抱してくれた礼に始まり、花那の身の上について、そしてこの屋敷に迎え入れた目的などを伝えた。
そしてこの間の任務について話が及んだ。
ただ、通常の人間には禍牛は視ることができない上、禍牛の存在自体は一般的に作り話や噂話と捉えられている。
ましてや帝国軍の中に禍牛を討伐する精鋭部隊が存在していることなど知られていない。
だから豪は、花那を犯罪者から守ったとして説明した。
ただ、豪の中でどうしても拭えない疑問があった。
あの時、豪は禍牛に取り憑かれ、穢れによって命を落としかけていた。なのに、目が覚めた時には禍牛の姿は跡形もなくなっていた。
つまり、花那が何らかの対処をしたとしか思えなかった。
そこで豪はそれとなく話を聞き出すことにした。
「今まで見たことのないものを見たということはないか? 例えば……ナメクジのような物体や、泥のような塊を見ていないか?」
豪の質問に花那は小首を傾げ、戸惑いつつも首を振って答えた。
「少し、仰っている意味が分からないのですが、暴れた男に襲われたとしか言いようがないです」
「じゃあ、もう一つ聞きたいことがある。君は俺の傷を手当してくれた以外にも、何かしたのだろうか?」
今度は単刀直入に尋ねてみる。
「私がしたのは豪様の怪我を手当しただけです。それ以外は、何も……」
そう答えた花那に対し、豪はこれ以上の追及はできなかった。
花那の答えは禍牛を視ることのない普通の人間なら当たり前のものだ。
(気にしすぎか)
豪はそう結論付けると話題を変え、花那を用意した部屋に案内した。
こうして花那との生活が始まったのだった。
※
花那との出会いを振り返っていた豪の耳に、突然大輝の声が飛び込んできた。
「そうだ、隊長ご婚約おめでとうございます!」
「は?」
何を言われているのか分からず、豪は短くそう答えた。
大輝の言っている言葉の意味が咀嚼できず、眉間に皺が寄った。
「どういうことだ?」
「どういうことって、そのままの意味ですよ。興津家のご令嬢と屋敷で暮らしているって、そう言うことですよね?」
興津家のご令嬢……つまり花那の事を言っているのだろう。
何故大輝が花那のことを知っているのか、そもそも彼女が屋敷で暮らしている事をどうして知っているのか。
そんな疑問が浮かんだが、それよりも大輝が盛大な勘違いをしていることの方が問題だ。
噂好きの大輝は、そんな誤解を吹聴しかねない。
そんな危惧が瞬時に湧きあがり、豪は渋い表情をしながら大輝に向き直った。
「……語弊がある。彼女とはそう言う関係ではない。事情があって屋敷に逗留してもらってるだけだ」
この話は終わりというように、豪はそう言って歩き出した。
それに倣うように半歩下がって歩き始めた大輝は、納得いかなそうな表情だ。
「えー、そうなんですか?」
面白いゴシップを否定されてしまった大輝は口を尖らせ、一瞬不服そうな表情を浮かべたが、すぐに食い下がって言った。
「あーでもでも! その女性に贈り物はしたんですよね? それってそう言う関係じゃないんですか?」
「……」
豪は思わず渋い顔をして、黙り込んでしまった。
確かに豪は花那と帝都に連れて行く約束をした際に、よそ行き用の衣装一式を手配した。
身一つで興津家から連れ出してしまった以上、服を用意するのは豪にとっては至極当然だと思ったからだ。
というものの、女物の着物や服の知識がなく、何を用意すべきか分からなかった豪は、妻子のいる隊員や屋敷の使用人、松代に聞いて選んだのは事実だ。
だがどうしてそれを大輝が知っているのか。
「誰から聞いた?」
「誰からって……そりゃ噂になっていますから」
何を今更そんな当然のことを聞くのだと言わんばかりに、大輝はあっけらかんとそう言った。
小首を傾げてこちらを見る表情は、むしろ豪が怪訝な表情となっていることが逆に理解できないとばかりだ。
(何故ここまで個人情報が流出してるんだ?)
精鋭部隊は軍でも極秘の任務を扱う部隊だ。
それなのに、こんな個人的な噂話が堂々と出回るのはいかがなものかと考えてしまう。
情報統制という意味でも問題だろう。
しかし渋い顔の豪に対し、それには気づかない様子の大輝は、清々しいまでの笑顔を浮かべている。
「興味がないと言って、縁談やら告白やらをばっさばっさと振って来た隊長が見初めた女性ってどんな人ですか? 可愛い系です? それとも綺麗系ですか? すっごく気になります」
見初めたというような関係ではないが、否定の言葉を口にする前に大輝が目を輝かせながら豪にずずずいっと迫った。
「見たいです会いたいです!」
「彼女は見世物じゃない」
「えーケチですね」
これ以上花那との関係を否定しても、大輝の耳には入らないだろう。
いくら言っても埒が明かないと考えた豪は、小さく諦めのため息をついてから、トントンと指で大輝の胸を叩く。
そして、語気を強めて大輝に詰め寄った。
「そんなくだらない話をするくらいなら鍛錬でもしろ。あの程度の禍牛を退治できないでどうするんだ」
豪はそう言ってから一旦言葉を区切り、見たものを凍り憑かせるような冷たい微笑を浮かべた。
「それとも、鍛錬内容をいつもの二倍にするか?」
その言葉に大輝の笑顔が凍り付く。
言ったことは実行する豪の言葉の重みと、二倍になる地獄の鍛錬を想像したのだろう。
「ええと、これから巡回でした~! 行ってきます~!」
大輝は三十六計逃げるに如かずとばかりに、慌てた様子で豪に背を向け、そのまま廊下を走って去っていった。
「まったく」
小さくため息をついた豪だったが、大輝の言葉を思い返した。
(婚約、か……)
確かに対外的に見れば、未婚の女性を屋敷に住まわせたらそう捉えられてもおかしくはない。
いくら花那の境遇が辛いものだとしても、普通なら礼を言ってそれまでだろう。
もしかしたら後日何らかのお礼の品を贈るかもしれないが、その程度で終わるものだ。
ましてや、たかだか一度会っただけの少女を興津家から連れ出し、そして鬼道家の屋敷に迎えることなどする必要もない。
何故そんなことをしてしまうのかは自分でも分からなかった。
ただ、憂いを含んだ瞳に見つめられた途端、その美しい絹のような繊細な髪に心まで絡め取られたような気持ちになった。
その感情の答えは分からない。
ただ、今は花那の宝石のような透き通った瞳に差し込む影を消し去ってあげたいという想いが胸を占めているのは確かだった。
(彼女が帝都散策を少しでも楽しんでくれればいいんだがな)
ふと差し込む光に気づいて空を見上げると、花那の白色の髪を思わせるような巻雲が空に広がっていた。
豪は窓越しにそれを見つめながら、花那の事を思い浮かべて願うようにそう思った。
花那の両親が事故で亡くなったのをきっかけに、父親の弟が家督を継いだという。
つまり、花那を虐げているのは叔父一家となる。
花那が実の父母からあのような仕打ちをされていた場合、豪の提案を花那が承諾するのは難しいかもしれないが、叔父一家から虐げられているのであれば、花那を連れ出すことができるかもしれない。
ただし、最後の選択は花那にしてもらうというのは、豪の中では絶対だった。
豪の気持ちを押しつけて、花那の気持ちを無視することはしたくなかった。
そうして1週間後、再び興津家を訪ねた豪は花那に選択を迫った。
凄し強引だったかもしれないが、結果として花那が豪の手を取ってくれたことに、豪は酷く安堵した。
ただ、花那に対し、豪はその後いくつかの疑問を持った。
最初に覚えた違和感は、初めて屋敷に連れて来た日、花那は初対面なはずの松代の名前を呼んでいたことだ。
着替えのために席を外した豪が談話室に行き、そのドアを開けようとしたまさにその時だった。
松代がバランスを崩し、その場に倒れそうになったのを、花那が慌てて支えたのだ。
それを見た豪は思わず足を止めてしまった。
何故なら花那は先ほどこんな言葉を口にしたからだ。
「松代さん、大丈夫ですか?」
花那がこの屋敷に来たのは今日が初めてで、もちろん松代の紹介などもしていない。
なのにどうして彼女は松代の名前を呼んだのだろうか。
「あら? そう言えば、私の名前をご存じで?」
「……その、先ほど使用人の方が話しているのを小耳に挟んでしまいました。初めまして、興津花那と申します」
花那はそう答えたが、それはあり得ないことだ。
この談話室には豪が案内したし、その間に使用人と花那が話している様子はなかった。
豪が席を外している時に会ったという可能性はあるが、そもそもこの屋敷に使用人は数名しかおらず、今の時間はそれぞれの仕事に追われているため、わざわざ談話室に来る用事もないはずだ。
そのことに豪は僅かな引っかかりを覚えた。
しかし豪は先ほどの会話を聞いてない態を装って、何食わぬ顔をして部屋に入った。
そして介抱してくれた礼に始まり、花那の身の上について、そしてこの屋敷に迎え入れた目的などを伝えた。
そしてこの間の任務について話が及んだ。
ただ、通常の人間には禍牛は視ることができない上、禍牛の存在自体は一般的に作り話や噂話と捉えられている。
ましてや帝国軍の中に禍牛を討伐する精鋭部隊が存在していることなど知られていない。
だから豪は、花那を犯罪者から守ったとして説明した。
ただ、豪の中でどうしても拭えない疑問があった。
あの時、豪は禍牛に取り憑かれ、穢れによって命を落としかけていた。なのに、目が覚めた時には禍牛の姿は跡形もなくなっていた。
つまり、花那が何らかの対処をしたとしか思えなかった。
そこで豪はそれとなく話を聞き出すことにした。
「今まで見たことのないものを見たということはないか? 例えば……ナメクジのような物体や、泥のような塊を見ていないか?」
豪の質問に花那は小首を傾げ、戸惑いつつも首を振って答えた。
「少し、仰っている意味が分からないのですが、暴れた男に襲われたとしか言いようがないです」
「じゃあ、もう一つ聞きたいことがある。君は俺の傷を手当してくれた以外にも、何かしたのだろうか?」
今度は単刀直入に尋ねてみる。
「私がしたのは豪様の怪我を手当しただけです。それ以外は、何も……」
そう答えた花那に対し、豪はこれ以上の追及はできなかった。
花那の答えは禍牛を視ることのない普通の人間なら当たり前のものだ。
(気にしすぎか)
豪はそう結論付けると話題を変え、花那を用意した部屋に案内した。
こうして花那との生活が始まったのだった。
※
花那との出会いを振り返っていた豪の耳に、突然大輝の声が飛び込んできた。
「そうだ、隊長ご婚約おめでとうございます!」
「は?」
何を言われているのか分からず、豪は短くそう答えた。
大輝の言っている言葉の意味が咀嚼できず、眉間に皺が寄った。
「どういうことだ?」
「どういうことって、そのままの意味ですよ。興津家のご令嬢と屋敷で暮らしているって、そう言うことですよね?」
興津家のご令嬢……つまり花那の事を言っているのだろう。
何故大輝が花那のことを知っているのか、そもそも彼女が屋敷で暮らしている事をどうして知っているのか。
そんな疑問が浮かんだが、それよりも大輝が盛大な勘違いをしていることの方が問題だ。
噂好きの大輝は、そんな誤解を吹聴しかねない。
そんな危惧が瞬時に湧きあがり、豪は渋い表情をしながら大輝に向き直った。
「……語弊がある。彼女とはそう言う関係ではない。事情があって屋敷に逗留してもらってるだけだ」
この話は終わりというように、豪はそう言って歩き出した。
それに倣うように半歩下がって歩き始めた大輝は、納得いかなそうな表情だ。
「えー、そうなんですか?」
面白いゴシップを否定されてしまった大輝は口を尖らせ、一瞬不服そうな表情を浮かべたが、すぐに食い下がって言った。
「あーでもでも! その女性に贈り物はしたんですよね? それってそう言う関係じゃないんですか?」
「……」
豪は思わず渋い顔をして、黙り込んでしまった。
確かに豪は花那と帝都に連れて行く約束をした際に、よそ行き用の衣装一式を手配した。
身一つで興津家から連れ出してしまった以上、服を用意するのは豪にとっては至極当然だと思ったからだ。
というものの、女物の着物や服の知識がなく、何を用意すべきか分からなかった豪は、妻子のいる隊員や屋敷の使用人、松代に聞いて選んだのは事実だ。
だがどうしてそれを大輝が知っているのか。
「誰から聞いた?」
「誰からって……そりゃ噂になっていますから」
何を今更そんな当然のことを聞くのだと言わんばかりに、大輝はあっけらかんとそう言った。
小首を傾げてこちらを見る表情は、むしろ豪が怪訝な表情となっていることが逆に理解できないとばかりだ。
(何故ここまで個人情報が流出してるんだ?)
精鋭部隊は軍でも極秘の任務を扱う部隊だ。
それなのに、こんな個人的な噂話が堂々と出回るのはいかがなものかと考えてしまう。
情報統制という意味でも問題だろう。
しかし渋い顔の豪に対し、それには気づかない様子の大輝は、清々しいまでの笑顔を浮かべている。
「興味がないと言って、縁談やら告白やらをばっさばっさと振って来た隊長が見初めた女性ってどんな人ですか? 可愛い系です? それとも綺麗系ですか? すっごく気になります」
見初めたというような関係ではないが、否定の言葉を口にする前に大輝が目を輝かせながら豪にずずずいっと迫った。
「見たいです会いたいです!」
「彼女は見世物じゃない」
「えーケチですね」
これ以上花那との関係を否定しても、大輝の耳には入らないだろう。
いくら言っても埒が明かないと考えた豪は、小さく諦めのため息をついてから、トントンと指で大輝の胸を叩く。
そして、語気を強めて大輝に詰め寄った。
「そんなくだらない話をするくらいなら鍛錬でもしろ。あの程度の禍牛を退治できないでどうするんだ」
豪はそう言ってから一旦言葉を区切り、見たものを凍り憑かせるような冷たい微笑を浮かべた。
「それとも、鍛錬内容をいつもの二倍にするか?」
その言葉に大輝の笑顔が凍り付く。
言ったことは実行する豪の言葉の重みと、二倍になる地獄の鍛錬を想像したのだろう。
「ええと、これから巡回でした~! 行ってきます~!」
大輝は三十六計逃げるに如かずとばかりに、慌てた様子で豪に背を向け、そのまま廊下を走って去っていった。
「まったく」
小さくため息をついた豪だったが、大輝の言葉を思い返した。
(婚約、か……)
確かに対外的に見れば、未婚の女性を屋敷に住まわせたらそう捉えられてもおかしくはない。
いくら花那の境遇が辛いものだとしても、普通なら礼を言ってそれまでだろう。
もしかしたら後日何らかのお礼の品を贈るかもしれないが、その程度で終わるものだ。
ましてや、たかだか一度会っただけの少女を興津家から連れ出し、そして鬼道家の屋敷に迎えることなどする必要もない。
何故そんなことをしてしまうのかは自分でも分からなかった。
ただ、憂いを含んだ瞳に見つめられた途端、その美しい絹のような繊細な髪に心まで絡め取られたような気持ちになった。
その感情の答えは分からない。
ただ、今は花那の宝石のような透き通った瞳に差し込む影を消し去ってあげたいという想いが胸を占めているのは確かだった。
(彼女が帝都散策を少しでも楽しんでくれればいいんだがな)
ふと差し込む光に気づいて空を見上げると、花那の白色の髪を思わせるような巻雲が空に広がっていた。
豪は窓越しにそれを見つめながら、花那の事を思い浮かべて願うようにそう思った。



