死に戻りした色無しの娘は鬼神の愛で花開く~帝都純愛物語~

豪を介抱してから1週間あまりが過ぎた。
あの後、宏次郎に連れられて部屋を出て行った豪とは、再び顔を会わせることはなかった。
廊下で話していた女中の会話から、夜には迎えの人間がやってきて、豪はそのまま帰ったとのことだった。
豪と関わることはなくなったという安堵の気持ちがある一方で、二度と会えないことに、僅かばかりの寂寥感が胸を去来する。

(でも、これで良かったのよ。豪様と会ってしまったら、またあの未来があるかもしれない)

花那は自分にそう言い聞かせた。
その度に、豪と速日の言葉が頭に浮かび上がる。

『自分で選択をしなくてはならない』
『選択肢を違えれば未来は変えられる』

それでも豪と関わるべきではない。
花那はこの家で異能を隠し、息を殺してひっそりと生きるべきなのだ。
それが花那自身のためでもあり、豪のためにもなる。
零れそうになる別の気持ちと考えを押し止めるように、花那は胸に手を当てた。
そうして花那が朝食の後片付けを続けていると、台所の外が俄に慌ただしくなり、遠くから「早く準備をしなくちゃ」「掃除は出来てるの?」「茶菓子の準備はある?」などという女中達の声が聞こえてきた。

(どなたかいらっしゃったのかしら?)

〝色無し〟と蔑まれている花那は、来客時には特に姿を見せないように厳命されている。
だから来客がある時には事前に話があるのだが、今日はそのような話は聞いていない。
急な来客だろうか?
誰が来たのか、何の目的で来たかなど、花那にはさほど重要な事ではなく、それよりも姿を隠すために急いで自室に戻らなくてはならない。
そう思って足早に廊下を歩いていると、背後から彩の憮然とした声が花那を呼び止めた。

「ちょっとこんなところにいたの? まったく、手間をかけさせないで」
「あの、何かご用でしょうか?」
「早く来てちょうだい」
「え?」

花那を斜めに見据えた彩は、顎だけをクイと動かしてそう言った。
いきなり来いと言われても、いつもなら姿を見せるなと言われているだけに、彩の真意が掴めない。
戸惑っていると、彩が小馬鹿にしたように小さくため息をついて説明を始めた。

「鬼道様が屋敷にいらっしゃってるの」
「鬼道様が?」
「ええ、私を鬼道家に迎えたいんですって! もしかして婚姻を申し込まれるかもしれないわ! ふふふ、さすがは鬼道家の御曹司なだけあって、女性の見る目もあるのね」

彩は先ほどまでの不機嫌さは影を潜め、今度は優越感を滲ませる悠然とした笑みを浮かべた。

「あんないい物件拾ってくるなんて、あなたもようやく役に立ったわね。そうだわ。私が鬼道家に嫁入りしたら、あなたも下働きで付いてきてもいいわよ」
(婚姻? 嫁?)

その言葉に花那は激しく動揺した。
先日ただ一度きり会った彩に、豪は一目惚れでもしたのだろうか?
死に戻り前の花那と豪は、決して恋人関係ではなかった。
ただ、豪は軍に利用されようとする花那を哀れに思って、花那を帝都から逃がそうとしていただけだ。

花那もまたそれを理解しているし、もし豪が伴侶を迎えたとしてもそれを止める権利などない。
それでも、豪が彩と婚姻を結ぶことに抵抗を覚えてしまった。
困惑と、言い知れない落胆が花那の中にじわじわと広がっていく。
花那が言葉を発せずにいると、彩は首を傾げながら言葉を続けた。

「ただ、何故か分からないけど、鬼道様はあなたも呼んでるのよ」
「私を?」
「介抱したお礼を言いたいだけだろうけど。さぁ、さっさと行くわよ」

そう言って悠然とした笑顔を浮かべた彩は、足取りも軽く応接室へと歩き出した。
花那は戸惑いつつも、その後ろに続いて応接室に向かった。



応接間に入ると、宏次郎と豪の視線が花那に集まった。
豪は先日とは打って変わって顔色も良く、傷も無いように見える。
そのことに花那は内心ほっと胸を撫で下ろした。
彩は鮮やかな空色のスカートをふわりと靡かせ、満面の笑みを浮かべて宏次朗の隣に腰を下ろした。
一方、花那は何故自分がこの場に呼ばれたのか分からず、戸惑いながら襖の前に座り、その存在を消すように控えた。
それを見た豪は一瞬眉を顰めたが、そんな豪の様子には気にも留めず宏次郎はにこやかな笑顔で声を掛けた。

「いやぁ、本日は、大変素晴らしいご縁をいただき、誠にありがとうございます。娘も鬼道様に見初められたことを、とても喜んでおりますよ。親の私が言うのもなんですが、娘は器量よしで、五大華族筆頭の鬼道様に相応しい娘だと思います」

宏次郎の言葉に、隣に座る彩がほんのりと頬を染めながら控えめに豪を見た。
突然の縁談に沸き立つ二人を見た豪は、二人とは対照的に硬い表情を浮かべていた。
その目はとても縁談を申し込みに来た人間とは思えない程冷たい色が宿っている。
すると豪はゆっくりと花那に視線を移した。

「花那、君に一つ問いたい。この間言った話を覚えているか? この家を出たいか否かという質問だ」

確かに1週間前、豪を介抱した際に、去り際に彼はそう言っていた。
何故その話を今するのだろうか?

「……はい」
「だからお前を鬼道の屋敷に迎えたい。ここを出て鬼道の屋敷に来るつもりはないか?」

予想外の言葉に、宏次朗と彩は言葉を失い、花那もまた驚きの余り思わず息を止めてしまった。
この屋敷を出る――そんな選択肢は花那の中で全くなかったからだ。

「選ぶのはお前自身だ。未来を変える勇気があるか?」

そう言って豪は、花那の前に真っ直ぐに手を差し出した。
豪の手は大きく、それでいて頼もしい。
死に戻り前も、この手が花那を軍という名の牢獄から連れ出してくれた。
そして、今回は興津という牢獄から連れ出そうとしてくれている。
ふと視線を上げると、豪の力強い眼差しが花那に向けられていた。

「どうする? 俺を選ぶか?」

それは天使の囁きでもあり、悪魔の誘惑でもあるように感じた。
豪の目がこの手を取れと訴えている。

(未来は……変えられる)

今の時点で豪との出会いは死に戻り前と大きく変わっていた。
このまま異能を隠しても、死に戻り前のように宏次朗に見つかって軍に引き渡される未来は避けられないかもしれない。
だがこの手を取り、この家を出ればその未来が変わるかもしれない。
それならば、〝かもしれない〟という不確定な事象だけで、未来の可能性を消去してもいいのだろうか。

「選択肢を(たが)えれば未来は変えられる……」

無意識のうちに花那の口から言葉が零れ落ちていた。
そして、花那は選んだ。

「豪様と……一緒に行きます」

力強く彼の手を握ると、まるでもう離さないとでも言うように、豪もまた手を握り返す。
豪は目を細めて微笑を浮かべた後、花那の決意を受け取ったかのように強い眼差しを花那に向けた。

「分かった」

豪はそう言って頷くと、今度は状況が分からず呆然とこちらを見ていた宏次朗に向き直った。

「と言うことだ。花那は俺が貰い受ける」

理解が及ばなかったのか、宏次郎は一瞬言葉を失った後、慌てて豪に尋ねた。

「ど、どういうことでしょうか?」
「先程も言ったとおりだ。花那を鬼道の屋敷に迎え入れる」
「で、ですがこのような気味の悪い容姿を持つ人間を、本気で屋敷に迎えるおつもりですか?」

宏次朗の言葉に、豪は何も答えなかった。
無言こそが雄弁に豪の気持ちを表していた。

「こんな色無しの女など、鬼道様に相応しくありません! それにこんな女を迎え入れても、鬼道様には一銭の得にもなりません。お考え直しください!」

慌てふためく宏次郎と彩を冷たく見据えた豪は静かに、だが畏怖を覚えるような声で唐突に言った。

「貴殿は金が好きなのだろう?」
「え?」
「花那が俺を屋敷に運んだ時、貴殿は言ったな。『こんな男など助けても一銭にもならない』と」
「!」
「ならばこの金で彼女を買おう」

豪はそう言うと、花那が見たこともない数の札束を鞄から取り出した。
かと思うと、宏次郎の目の前でそれを宙に放り投げた。
お札は空中を舞い、ひらりひらりと宏次郎の前に落ちていく。

「金が足りないのなら屋敷まで来るといい」

あまりの展開に言葉を失っている宏次郎を豪は一瞥したかと思うと、花那の手を取ったまま屋敷を後にした。
これからの未来がどうなるのか、花那には分からない。
この選択が正しいかも分からない。
ただ一つ分かるのは、与えられた選択肢を自らの手で選び、そして歩き出したということだけだった。