死に戻りした色無しの娘は鬼神の愛で花開く~帝都純愛物語~

全てを吐き出したように言った翔也は、少しだけ足元を見て何かを堪えるように拳にグッと力を入れた。
かと思うと、ゆっくりと豪に顔を向けて、薄く笑った。

「だから、豪君を苦しめて殺したいのです」
「それなら花那は関係ないだろう!」

豪が言葉を荒げる。
だがそんなことなど意にも介さず、翔也は冷笑を浮かべたまま淡々と答えた。

「確かに関係ありません。豪君と出会ったことが不運だったとしか言いようがありません。豪君が花那さんを愛さなければ、彼女がこのような目に遭うことはなかったのですから」
「俺に復讐したいのだろ。花那を返してくれるなら、俺は死んでもいい」
「豪様!?」

翔也を見据えそう言い切った豪の言葉を聞いて、花那は驚きの声を上げた。

「豪様が犠牲になるなんて、いけません!」

必死になって訴える花那だったが、それを無視するように翔也は首を振って豪に告げた。

「お断りさせていただきます。私は豪君を〝苦しめて〟殺したいんです。彼女を禍牛にして、豪君を殺してもらいましょう」
「止めろ!」

豪はそう叫びながら大嶽丸を抜刀すると、そのまま翔也に向かって行ったが、翔也は慌てることはなかった。
懐からメスを取り出すと、自らの掌を切った。
鮮血がぼたぼたと地面に染みを作っていく。
そして翔也の血が染み込んだ場所から、ゆっくりと姿を現したのは禍牛だった。
うねりながら人の形になったそれは、表面に大小様々な目を無数につけ、手のようないくつもの触手が蠢いている。

それは彩の時と同じ状況だった。
考えてみれば禍牛になった大輝を操ることができていたとなると、翔也も例の薬を飲んでいたのだろう。

「さぁ、鬼道豪を殺しなさい!」

その言葉を合図に、禍牛となった動く死体が豪を襲った。
左右から襲ってくる禍牛を豪は鮮やかに切る伏せる。

『ギャシャアアアア』

大嶽丸に切られた禍牛は、刹那の内に黒い靄となって空中へと消えていった。
禍牛には恐怖という感情が存在しない。
だから次から次に豪へと襲い掛かる。
しかし豪は三体の禍牛が一度に襲って来てもそれを次々に切り、左からの攻撃を躱すと、回転した勢いで後ろから襲ってくる禍牛を切る。

一旦間合いを取った豪の周囲を、地面から生えるように現れた禍牛が取り囲むが、前方の一体の間合いに入って袈裟懸けに切ると同時に、目にも留まらぬ速さで禍牛を倒していった。
だが豪が倒しても倒しても禍牛が現われる。

「おやおや、息が上がってきましたね。花那さんに殺される前に、先に死んでしまうかもしれませんね」

翔也がクツクツと愉快そうに笑った。
いくら翔也が禍牛を操れるからと言って、こんなにも禍牛を生み出すことなど不可能だ。
その時花那は、この蔵に入った時の感覚の正体に思い当たった。

(ここ、結界の綻びがあるんだわ)

だからここで目覚めたとき、興津屋敷と同じような感覚に襲われたのだ。
あの屋敷にも結界の綻びがあったからだ。
翔也の異能は花那や豪よりも弱い。
もしかしたら彩よりも弱いかもしれない。
それでもこれだけの禍牛を呼び寄せられるのは、ここに結界の綻びがあり、禍牛を無尽蔵に呼べるからだ。

(この綻びを何とか出来れば、禍牛の出現を少なくできるはず)

ここの綻びは興津屋敷のそれよりも小さく、速日の力を借りれば、少しの間ならば禍牛の数を抑えられるかもしれない。
呼び寄せる禍牛の数を減らせれば、豪に反撃の機会を与えることができる。
その時花那の縄が完全に解けた。
翔也は豪に気を取られたまま花那のことなど気にしておらず、完全に油断している。
今だ。

「速日、力を貸して!」

花那が何をしようとしているのかを察した速日が姿を現す。
地面に両手をついた花那は、そのまま意識を集中させた。

「天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の文字、ふっ切って放つ、さんびらり」

花那の凛とした声が蔵の中に響いた。
その声に呼応するように速日の力が花那に注ぎこまれ、まるで水面に雫が落ちたように青白い光が地面へと広がっていく。
同時に、現れていた禍牛が一瞬にして消えた。

「何!?」
「豪様、今です!」

翔也が驚いて花那を振り向いた瞬間だった。
花那の声に弾かれるように豪はそのまま翔也の間合いに入ると、その胴を一閃した。

「うっ……」

小さく呻いた翔也が、体を九の字に曲げた。
勢いよく血しぶきが出て、時が止まったかのように翔也の動きが止まる。
ごぼりと血を吐いた翔也の視線が、花那の隣に静かに佇む速日を捕らえた。

「人ならざる者か……。私の異能が強ければ……気づけた……のに……」

よろよろと後退りながら、翔也は狩衣姿の速日を見つめて顔を顰めた。
翔也の言う通り、彼の持つ異能が強ければ速日のことを認識できたはずだが、彼にはそれが無かった。

「翔也、お前の負けだ」

豪が静かに告げた。
姿こそ禍牛にはなっていないが、翔也の中身は禍牛だ。
大嶽丸に切られた禍牛の末路は死のみである。
だが、翔也は死の間際であるにも関わらず薄く笑みを浮かべたまま、強い眼差しで豪を見据えた。
その目には復讐の炎が未だ残っているようだった。

「とんだ切り札でしたね……でも、私の……勝ちだ」

その勝ち誇った顔の翔也から目が逸らせないでいると、彼の口が小さく弧を描いた。

「そろそろ、時間……ですかね」
「えっ?」

その時だった。
花那の中から何かが溢れ出し、自分の体が乗っ取られる感覚がした。
肌が粟立ち、皮膚が灰色に変化していく。

「あああああっ!」
「花那!?」

花那自身も信じられない思いだった。
まるで禍牛が巻き付いたように右腕が奇妙に膨れ上がり始めている。

「どうして花那が禍牛に!?」

驚愕で目を瞠った豪に対し、立っているだけで精一杯の翔也が愉悦の笑みを浮かべながら言った。

「花那さんが気を失っている間に……改良した薬を飲ませました……時間がかかりましたが、どうやら効いたようです……ね……」

そう言われて花那もまたハッとした。
目を覚ました時、確かに口の中に血の味がした。
まさか、あれが禍牛化する薬だったと言うのか。
あの時、翔也が言っていた言葉の意味がようやく分かった。

『そう矢継ぎ早に質問されても困ります。〝待っている時間〟もつまりませんし、説明してあげましょう』

待っている時間――彼は薬を飲まされた花那が禍牛になるのを待っていたのだ。
時間稼ぎをしていたのは花那だけではなかったのだ。

「花那さん……豪君を……殺しなさい……」

呻くように漏らされた翔也の言葉に呼応するように、花那の腕を飲み込んでいた禍牛が豪に向かっていった。

「豪様、逃げて!」

何本もの小さな手が生えたような触手が豪を襲う。
それを豪は剣で薙ぎ払った。
その時、花那の体に鋭い痛みが走り、それに耐えかねて花那は叫んだ。

「ああああっ!」

花那から溢れ出た禍牛を切ると、花那自身にもその痛みが及ぶようだった。

「クソ、どうすればいいんだ!」

苛立たし気に豪が吐き出す言葉を聞いた翔也は、薄笑いを浮かべた。
だがその瞳はもう虚ろで、光が失われている。

「……ふふふ……最後を見れないのは……残念です。でもこれで、豪君も……鬼道家も……全て滅ぼせた……」

翔也は最後に口の端に笑みを浮かべながら倒れ、そのまま黒い霧になって消えた。
しかし、命令した主が死んだとしても、その命令は消えることがなかった。
翔也の命のまま、花那の意志とは反して禍牛が豪を襲い続ける。
禍牛は勢いよく花那の体を侵食し、取り込みながら豪へと触手を伸ばす。
豪は辛うじてその触手から身をよじって躱すが、攻撃をすることができずに逃げるしかできない。
このままでは花那の意識は禍牛に完全に乗っ取られてしまうだろう。
どうすればいいのか。
必死に頭を巡らせた花那は、一つの考えに思い至った。

(そうだ、私が禍牛になったのなら、私が自分を祓えばいいんだわ……)

これ以上、禍牛と化し、醜くなった自分を豪の目に晒すことも、そして豪を襲うこともできない。
だから花那は覚悟を決めた。

「天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の文字、ふっ切って放つ、さんびらり」
「なっ!」

祓詞を言った花那の体が青白く光り、飲み込んでいく。
体の中を切り刻むような痛みが花那の全身を襲った。
それでもその痛みを微塵にも感じさせないように、花那は小さく笑った。

「さよなら、豪様」
「止めろ、花那!」

豪が花那に手を伸ばした。
あの時、興津屋敷で花那に手を差し出したように。
だが今度は花那はその手を取らなかった。
それが花那が下した選択だった。
ただ、愛しい人の姿を焼き付けるように見つめてから、ゆっくりと目を閉じた。

体が散りじりになっていくのを感じながら花那の意識もまた空へと溶けていくのを感じる。
最後に花那の名を呼ぶ豪の声を聞いた気がしたが、もうそれすらも遠い彼方へと消えていった。